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2018年8月15日 (水)

「阿波踊り(徳島市)」のこと

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以前、阿波踊りの昔の写真を紹介しましたが、別の写真もあったのでご照会を。

なお、写真の説明には「徳島之盆踊」になっていますが、この歴史についてはウィキペディアに書いてあるので、そちらを参照して下さい。→こちらをクリック

今年の阿波踊りは、一悶着ありました。前主催者の以前の赤字が4億になったことが発端になったとの事ですが、運営費が赤字になっても、観光客がドット来て、旅館、飲食店、お土産屋さんなど、民間はかなり潤うとは思うのですが、どちらが得か考えなくても分かること。

さて、ウィキペディアによれば「天正14年(1586年)、徳島城が竣工した際、当時の阿波之守・蜂須賀家政が城下に『城の完成祝いとして、好きに踊れ』という触を出したのが発祥というという説もある。」ということですが、あくまで「説もある。」ということです。

また、「江戸時代には、一揆につながるとの理由で阿波踊りが禁止されていた時期もあった。」らしく、なんとなく、市長さんが総踊りを中止したのを連想します。

なお、「民俗小辞典 神事と芸能~神田より子・俵木悟編・吉川弘文刊」によれば、「発祥は精霊踊りとされるが定かではない」とウィキペディアとは少し違いますが、要は発祥不明でしょう。

「精霊おどりが発展したぞめき踊り、各町で華やかさを競った組踊り、奇抜なパフォーマンスの俄(にわか)踊りがあったが、組踊りと俄踊りは幕末に衰退した。」ということで、今の阿波踊りより多種の踊りがあったことがうかがえます。

「明治期には良家の子女が振袖姿で三味線の腕前を披露して歩いた・・・」との記述がありますが、下の写真、確かに振袖姿の女性が写っています。多分この頃の写真だと思います。

その後、近代教育のため、姿を消し、大正期になると芸妓が中心になり、衣装も浴衣になり、名称も「徳島踊り」「阿波の(盂蘭)盆踊り」から「阿波踊り」に統一されたのも、この頃であったそうです。

一時衰退するも、昭和に入り御大典奉祝踊り(1928年、昭和3年)の盛況によって、観光資源としての阿波踊りの宣伝が始まり、戦後、神戸博覧会(1950年)へ招待されたことで「連」の結成が相次いだそうで、試行の末、現在のような姿になっていったそうです。

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下の写真は以前紹介したかと思いますが、何となく素朴な感じを受けます。


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阿波踊りといえば、全国の人が楽しみにしているイベントで、まだまだ混乱は続くようですが、昔の姿、歴史を辿りつつ以前のように全員一丸となり、活気ある「阿波踊り」になれば良いのですが・・・・



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