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2018年8月

2018年8月30日 (木)

「鶴森稲荷神社」~諫早市

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「鶴森稲荷神社」といっても、知らない方が多いと思います。

上の写真、黄色の矢印が高城神社、その横に、ひっそり佇んでいる赤色の矢印が「鶴森稲荷神社」。といっても、高城神社鳥居のすぐ横に鶴森神社の鳥居もあります。

ここをくぐって少し行ったところに神社の参道があります。

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が、ですね。入るとき、本来「鶴森稲荷大明神」の額束が読めるように付けられているのですが、逆に付けられ読めません。

右の写真矢印が社殿ですが、お参りして帰るときに、この「鶴森稲荷大明神」の名前を読むことができ、普通の神社とは額束の付け方が逆。


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多少、疑問は持ったものの、私が興味を持ったのは、古い鳥居。鳥居の彫られた文字を読むのも面白く、上は文政十三(1830年)は、はっきり読めますが、その下の文字良く見て、指で彫られたところをなぞっていくと「星合」の文字。

その下にも文字が彫られていましたが、残念ながら良く読めませんでした。

で、この「星合」とは、なんぞやということで、星が合うと云えば星の衝突かと思ったのですが、俳句をやっていたおかげで、あ~あれかと思い出しました。

星と星が合うと云えば、牽牛と織女の星が合う、七夕、七月七日の事ですね。ですから、文政十三年星合は、文政十三年七月七日のことになります。


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ところで、神社の位置について、昔の古地図をみると、黄色の矢印が本明川から引いた用水路、青の丸印が現在、神社があるところ。大体です。

資料館に大きな古地図があり、これに地名等が書いてあり、赤丸に「稲荷社」とあり、昔の神社と今の神社とは用水路をはさんで右と左。これ、悩みました。

と思っていたら、飛んで火に入る宮司さんがちょうど来られたので、聞いてみたら、昔の稲荷神社は、今の諫早公園の芝生広場の所に建っていて(諌早家の地所になります)、高城神社(明治十五年建立・以前紹介をしました)と共に建っていたところ、昭和三十二年の諌早水害で両方とも流され、それを両神社とも現在位置に移設したそうです。


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さて、諌早は佐賀藩の跡継ぎ争いに巻き込まれ、諌早は蓮池派に加担をし敗れます。

諌早一揆(諌早騒動の表現もあり)が起こり、佐賀まで一揆が押しかけるところ、途中で諌早家家老に止められますが、その後、犠牲者も多く出しています。

前後しますが、諌早は佐賀藩のお家騒動で破れたため、所領地一万石召し上げ(以前にも2回所領地を上地)、本藩請役家老を罷免、なお、時の領主、諌早家八代茂行は蟄居になります。

茂行公は庶民の苦しい生活を思いながらも、蟄居のため動きが取れず、代わりに家臣を方々の神社仏閣に遣わし祈願をさせたそうです。

さらに、(社)青年会議所から出版した「諌早一揆」、この中に、右下の絵に「さらに屋敷内に小祠を建て、犠牲となった者たちの霊を祭り、一筋に返地の叶うことを待ちわびられた。」ということですが、「敷地内に小祠を建て」というところを見れば、これが「森鶴神社」ではないかと思われます。


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さて、この神社横に小さな石祠があり、これが茂行公が建立した祠ですが、真ん中の一番上に梵語、その下に「稲荷大明神」の文字。

右に「奉願諌早前領主愚生藤原茂行敬立」(愚生は茂行公の引退後の号、男性が書簡文等で自分をへりくだっていう語だそうです)。

左には「開
眼祈願導師前荘厳寺法印宥?」。荘厳寺は前に書いた通り、神仏混淆時代、現諫早神社(旧四面宮)の内にあったお寺です。

裏側には「干時宝暦四星次甲戊菊月吉日」。「干時」は「時に」、「宝暦四(1754年)」は「甲(きのえ)戊」の年。「菊月は旧暦9月(10月との説もあり)」。

ところで「星次」が分かんない。某名門国立大学の大学院で古文書を学んだ人に聞きましたが、分かりませんでした。


諫早家の墓所、天佑時です。墓石は全部左側のように立派なものですが、ただ茂行公の墓だけが他の領主の墓とは違って、ごく普通の形です。佐賀藩の命令なのか、本人の意思なのかは、はっきり分かりません。


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「鶴森稲荷神社」は、高城神社に隠れているように建っており、諌早の歴史書にもほとんど載って無いのですが、歴史的にも由緒があり、高城神社にお寄りの時は是非お参りを。

忘れていました、鳥居の額束が逆になっているのは、本来の神社は向こう(諫早公園)の方にあったことを忘れないように示しているとの、宮司さんの話でした。

なお、この神社の名前がなぜ「森鶴」なのかは、あちらこちら聞いたのですが、はっきりしたことは分かりませんでした。これだけ、謎が残りました。

(参考・文引用)
「諫早歴史物語~諫早史談会」「諫早を歩く~山口八郎著」「諫早史談~田中為一著」「諌江百話~諌早史談会二十五周年記念刊行委員会・昭和堂印刷設立四十周年記念実行委員会編集・刊行」「諌早郷土館 解説シート(歴史編)」




2018年8月23日 (木)

一足先に「カステラランド」へ~雲仙市愛野町

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以前、愛野ベルハウスがあったところ。

少し前から、建て替えていたので何かと思ったら、カステラの「和泉屋」さんの店舗と工場でした。

長崎といえば「チャンポン」と「カステラ」が有名で、「カステラ屋」さんは個人商店から大きな店まであり、石を投げればカステラ屋さんにあたるというくらいです。

で、和泉屋さんはどちらかというと「恋するラスク」とか「綺麗菓」とか三切ればかり入って、気楽に食べられるカジュアルなカステラとか、工夫をしているお店屋さんです。

さて、初めに書いたように、ここには「愛野ベルハウス」があったところですが、外側のテイクアウトのところ、ちゃんと、「AINO BELL HOUSE」が残されていました。

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新聞によると28日オープンになっていましたが、車で通りかかると、お客さんが入っているようなので、見ると営業をしていて、多分、プレオープンで本番に備えて、各種チェック、練習をしているのでしょう。

内部はレストランの部分と売店の部分に分かれていて、腹が減っていたので、最初にレストランに入ってみましたが、海側の風景が開けて良い感じ。


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レストランは前払いで、メニューはありますが、右の「雲仙もみじ豚のトルコライス」「長崎チャンポン」「カステラたまごのオムライス」「五三焼カステラフレンチトースト」が主力のメニューかな?

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カステラの材料といえば、一番大事なのは卵。で、そのカステラのたまごを使った(多分)「カステラオムライス」を注文。お味ですね。皆さんも食してみてください。

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売店の方は、ゆったりして、なんとなく、ホテルのロビー風。和泉屋さんの各種カステラが並んでいます。

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外側の芝生ひろばもゆったりして、家族連れでこどもを遊ばせると喜ぶと思います。庭の造りもかなり手をかけています。秋には紅葉も見られる感じ。ただし、今日は気温も上がり、暑かった。

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左が雲仙方面、右が天草方面で、目をこらすと富士山まで見えるような気がします(見えませんが)。どちらかというと、アベックで楽しむと良いのではないかと。

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横には、デカ~い工場。「こんなに大きく作って大丈夫?」「ウチは、東京とか大阪とか全国に卸していますから大丈夫です」だと。

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で、26日は記念式典準備のためレストランは休業。27日は記念式典のため全館休業だそうで、皆さんより一足先に「カステラランド」に行ってきました。

ですがね、私の所に記念式典の招待状が来ていないのですが、どうした事でしょう。



2018年8月19日 (日)

「The Short Goodby」

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ご存じ「ロング・グッドバイ」の最後近くの場面。清水俊二氏と村上春樹氏、両氏の訳本は持っています(原書の英語はまったくアキマセン)が、とにかく厚くて、字が小さいので、まだ積ん読くにしてあります。

で、読むのが面倒なのでVTRで見ましたが、内容的には小説とは随分違っているような。

上のシーンは、主人公フィリップ・マーローが自分を裏切った友人の所に行くところで、この後、マーローは友人を殺すことになります。

この、裏切られた友人を訪ねるシーン、車でもなく歩いて行くところ、男の哀愁が出ていて良く映画の紹介に使われる場面です。

下は、友人を殺した後、友人の愛人とすれ違う場面。お互いに引き合ってはいるのですが、マーローは目も合わせずに立ち去ります。

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この場面をみると、「第三の男」の最後の場面とダブるんですね。男が無視して立ち去る、女が無視して立ち去るの違いはありますが、回りの立木があるところなども似通っています。

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下の場面がこの映画で、私が一番好きなシーン。

マーローは映画の中でタバコを吸い続けます。吸っていない時間より、吸っている時間が多い。タバコに火を付けるときは、黄燐マッチだったかな、靴の底とか壁に擦りつけて発火するマッチで(現在製造禁止)タバコに火を付けていますが、これがカッコ良く、昔、まだ売っていた頃、買って練習しましたが、なかなか付かない。日本の湿度が高いせいなのか?

さて、下の場面、女の車を走って追っていて、走ってきた車にはねられ、車道にたたきつけられたところ。見てもらいたいのは口元。しっかりとタバコを咥えています。車に跳ね飛ばされてもですよ。この根性。

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という事とはまったく関係なく、身辺このところ多忙になり、多分、来春まで続きそうなので、このブログ、来春まで、ロング・グッドバイならぬ、ショート・グッドバイします。

といっても、まだ書くことが山ほどあるので、週に1,2回は顔出しをする予定ですが・・・数えてみれば、今回で2099回ブログを書いたことになります。間引き運転で来春まで、ショート・グッバイ。




2018年8月17日 (金)

三つの「諏訪神社」~長崎市・大村市・雲仙市

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上の写真は、長崎市の「諏訪神社」。

「諏訪神社」といっても、全国で25,000社あるということで、長崎県内にも何カ所かあるのですが、面倒なので調べてはいません。

先日、某郷土史の研究会で、長崎の諏訪神社は、小浜町の諏訪の池にある「諏訪神社」から勧請(かんじょう★神仏の分身・分霊を他の地に移して祭ること~Goo辞書より)をした、すなわち、こちらの方が本社だという意見があり、私としては長崎出身なので、それは、絶対無いと言うことで、論争をしました。

で、ついでに調べてみました。一番やっかいなのが、長崎の諏訪神社。諏訪神社のホームページを見ると。

長崎は、戦国時代にイエズス会の教会領となり、かって長崎市内にまつられていた諏訪・森崎・住吉の三社を、寛永2年(1625)に初代宮司青木賢清によって、西山郷円山(現在の松森神社の地)に再興、長崎の産土神としたのが始まりです。

ということで、どこから勧請したのかは書いてありません。

平成24年刊行の「長崎市史には、「諏訪神社の創建」と言うことで詳しく書いてありますが、勧請について下記のように書いてあります。

諏訪神社を長崎の地に創建した由緒については諸説あるが『長崎図志』(長崎県歴史文化博物館収蔵)などには、弘治年間(1555)領主長崎甚左衛門純景の弟織部亮為英が諏訪神社の分霊を京都より勧請、大窪山(風頭)の山麓、現在の長照寺(寺町)の山門付近に祀ったのがその初めという。とはなっていますが

「長崎實録大成」には、「長崎鎮守諏方(注;昔は諏訪でなく諏方が使われていたみたいで、かつ山町 文錦堂版 享和二壬戌年版~1803年の地図には、正一位諏方社となっています)神社、古昔何處ヨリノ勧請ト云ウ事詳ナラス。」となっております。

また、「長崎古今集覧巻之六」には・・・・「弘治中邑主長崎織部正平為英迎京師ヨリ勧請・・・」となっており

「長崎港草巻第十一」には「諏訪祠ハ𦾔東山之麓今長照寺ノ右ニアリ其通衛ヲ諏訪町トス古傳二弘治年中長崎織部助京師ヨリ迎エテコヽニ勧請ス・・・・」となっており、京都より勧請した線が強いのですが、諏訪神社は最初から現在地にあったのはないことが分かります。

さて、大村にも「諏訪神社」があり

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マピオンを見ていたら、神社の由来の説明がのせてあり

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この説明文は、「大村郷村記」「大村見聞集」を参照したらしく、「大村見聞集」には

往古大村池田の里に鎮座あり、是を長崎に勧請せし処、天正二年耶蘇徒破壊す、其後再興あり・・・・・とあります。

なお、「大村郷村記」には、「・・・傳曰、此諏訪大明神ハ往昔池田里二勧請最大社也、後此社長崎研屋町(注;磨屋町の誤りか)に勧請すと云・・・」とあります。

さて、問題の小浜町の「諏訪神社」ですが、現在、雲仙市小浜町になっていますが、昔は「北串村」です。


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上は現在の小浜の「諏訪神社」。下は昔の姿、明治二年の「神社明細調帳」から。

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現在、一番上の石祠の所に社殿が創建されています。外側に昭和二十七年、平成五年の改築記念の標柱、中に平成十三年増改築の寄付者の名札、平成三十年一月吉日と書かれた幕。

社殿の横には石祠があり、中には「諏訪大明神」。右に「弘化二(1845)己?九月吉日」。ただし、弘化二年は乙巳で、弘化は五年までで十干の「己」の年はないのですが、間違ったものか?左に「五穀成就村中安全」の文字。ただし、この石祠以前に、他の石祠があったのかは不明。

あと、敷地内に、御灯明の崩れたのがあり、文化十三年(1816年)、文政8歳(注:年・1825年)の文字。なお、絵図内の鳥居はありません。

ということで、長崎の「諏訪神社」の記録と比べれば、こちらの「諏訪神社」から勧請したとは考えにくいものです。

(追加)
「長崎県名大辞典」には「上池の松林に健御名方神を祀る諏訪神社があり、土地の人は諏訪神社(長崎市)の本社だというが確証はない」とあります。




2018年8月16日 (木)

「センゴク権兵衛★宮下英樹著」第12巻発売~私的にこれでおしまい

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「センゴク権兵衛」第12巻で、島津家は秀吉に降伏をし「九州征伐編 了」となります。

11巻で権兵衛は秀吉の命令も聞かず、島津家に戦いを挑みボロボロ。切腹は避けられたものの改易。

この後、権兵衛は高野山へ向かい、己を見直しますが、以前の家臣が権兵衛を慕って高野山へやってきます。

で、九州は下図のように分割されます。

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         (「センゴク権兵衛 12巻」より」)

これについては「(主だったもののみ)」と書いてあるので、(主だたなかったもの)は書いてありません。

で、矢印の「大村」と「有馬」の間に「伊佐早(現諫早市)があります。ここを収めていたのが「西郷氏」(主だたなかったもの)になりますが、出自は雲仙市瑞穂町の杉峰城主だといわれています。

この西郷氏は南朝方ですが、北朝の小俣氏連に攻められ落城しということですが、この西郷氏の子孫が伊佐早の西郷氏ではないかと言われています。この頃の記録ははっきりしていなく、詳細は不明です。

秀吉の九州平定というより、島津氏との戦いですが、この時、九州の諸侯に参加を命じますが、九州でただ一人、伊佐早の西郷氏が参加をしていません。理由は色々と言われています。

この間のことについて、西郷記(後年書かれたため、不正確な所があるそうですが)に以下のように書かれています。「諌早郷土館 解説シート (歴史編)」より引用すれば。

この節諌早の領主西郷純堯(すみたか)分国に在りながら終に出仕することなく、薩摩へ名代等も派遣することがなかった。

このとき龍造寺家晴(後の初代伊佐早家領主)の領地分けにつき、同じく西郷記に・・・・

大公様上方の御帰りの節暫く九州御滞在遊ばされ、申さるるには筑後一国龍造寺家晴へ下されるるとのこと、大国拝領の者、跡形先例のように禮物差し上げ、国を請けとるようにと浅野弾正殿より仰せ付けられたけれども、俄のことにて黄金黄金百枚が無く、御請合いはないものとするとのこと。これに依って右代地に伊佐早の領主西郷薩摩入りに自由なことをし、郡郷数代領しながら我が意を振った科は軽くはない。これに依って彼の者領地召し上げられ家晴に加扶されることとなった。

ということで、龍造寺家晴、本来なら筑後一国を貰いうけるところ、先例のようにお礼を差し出せと。ところが、急遽の事ととて黄金百枚が用意できず、このことはチャラにすると。

代わりに、秀吉の言うことを聞かなかった西郷氏の領地を取り上げ、お前の領地にせよ、との事ですが・・・・

もちろん、西郷氏すんなりと領土を渡すわけも無く、竜造氏と争い、破れてしまい、龍造寺信晴が入部をし領主となります。

この部分、諌早地方の方には大事な話なのですが、漫画には描かれていないので、私の方が長々と説明を書きました。

さて、センゴク権兵衛の物語はまだまだ続きますが、「九州征伐編」が終わったところで、「私的にこれでおしまい」にします。

なお、この後、秀吉の朝鮮遠征になるのですが、この理由、経過については面白く、知りたい方は本をお求め下さい。なお、井沢元彦氏の「「逆転の発想」の漫画版も描いてありますので、合わせて読めば面白いかと。




2018年8月15日 (水)

「阿波踊り(徳島市)」のこと

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以前、阿波踊りの昔の写真を紹介しましたが、別の写真もあったのでご照会を。

なお、写真の説明には「徳島之盆踊」になっていますが、この歴史についてはウィキペディアに書いてあるので、そちらを参照して下さい。→こちらをクリック

今年の阿波踊りは、一悶着ありました。前主催者の以前の赤字が4億になったことが発端になったとの事ですが、運営費が赤字になっても、観光客がドット来て、旅館、飲食店、お土産屋さんなど、民間はかなり潤うとは思うのですが、どちらが得か考えなくても分かること。

さて、ウィキペディアによれば「天正14年(1586年)、徳島城が竣工した際、当時の阿波之守・蜂須賀家政が城下に『城の完成祝いとして、好きに踊れ』という触を出したのが発祥というという説もある。」ということですが、あくまで「説もある。」ということです。

また、「江戸時代には、一揆につながるとの理由で阿波踊りが禁止されていた時期もあった。」らしく、なんとなく、市長さんが総踊りを中止したのを連想します。

なお、「民俗小辞典 神事と芸能~神田より子・俵木悟編・吉川弘文刊」によれば、「発祥は精霊踊りとされるが定かではない」とウィキペディアとは少し違いますが、要は発祥不明でしょう。

「精霊おどりが発展したぞめき踊り、各町で華やかさを競った組踊り、奇抜なパフォーマンスの俄(にわか)踊りがあったが、組踊りと俄踊りは幕末に衰退した。」ということで、今の阿波踊りより多種の踊りがあったことがうかがえます。

「明治期には良家の子女が振袖姿で三味線の腕前を披露して歩いた・・・」との記述がありますが、下の写真、確かに振袖姿の女性が写っています。多分この頃の写真だと思います。

その後、近代教育のため、姿を消し、大正期になると芸妓が中心になり、衣装も浴衣になり、名称も「徳島踊り」「阿波の(盂蘭)盆踊り」から「阿波踊り」に統一されたのも、この頃であったそうです。

一時衰退するも、昭和に入り御大典奉祝踊り(1928年、昭和3年)の盛況によって、観光資源としての阿波踊りの宣伝が始まり、戦後、神戸博覧会(1950年)へ招待されたことで「連」の結成が相次いだそうで、試行の末、現在のような姿になっていったそうです。

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下の写真は以前紹介したかと思いますが、何となく素朴な感じを受けます。


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阿波踊りといえば、全国の人が楽しみにしているイベントで、まだまだ混乱は続くようですが、昔の姿、歴史を辿りつつ以前のように全員一丸となり、活気ある「阿波踊り」になれば良いのですが・・・・



2018年8月13日 (月)

「諫早神社」の旧肥前鳥居~長崎県諫早市

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上が現在の諫早神社、丸印が鳥居になります。神社に多くある明神鳥居。

この鳥居が以前は肥前鳥居で、諫早水害の時、倒壊をしたそうです。この昔の鳥居の写真を捜していたのですが、やっと捜しあて、いつも見ていた「ふるさとの思い出 写真集 明治・大正・昭和 諫早~諫早史談会編集」にありました。

諌早神社の鳥居があまりにも小さく写っていたので、気づきませんでした。
この鳥居については、「諌早街道を訪ねて~山崎諭著」に「昭和32年の水禍のため、最古といわれた鳥居を流失し・・・」また、「諌早市史~昭和33年刊」にも「・・・同型が西郷村(現雲仙市瑞穂町)の熊野神社(注:西郷八幡神社の誤り)に一基現存する。箱崎八幡宮の鳥居と共に、九州でも古い時代に属する鳥居である」とあります。

西郷八幡神社の肥前鳥居は、「雲仙市の文化財」には載せてありますが、この貴重な鳥居は市の文化財に指定はしてありません。

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諫早神社の旧鳥居と比べれば、まったくの同型だということがわかると思います。

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さて、以前にも紹介をしましたが、左が諫早公園の愛宕神社の鳥居ですが、「愛宕山の肥前鳥居」として、市の指定有形文化財になっています。

なお、鳥居の上側がふくれあがっているように見えますが、昔、鳥居の上に石を投げ上げると、良いことがあるという話があり、それで投げ上げて重なった石です(私も小さい頃やりました)。

諫早には昔3基ほどあったそうですが、諫早水害で倒壊し、いまはこの一基しか残っていないそうです。

右が国見町の熊野神社の鳥居。で、こうしてみると笠木(鳥居の一番上の部分)と島木(笠木の下の部分)が一体化しているのがわかると思います。肥前鳥居の一つの特徴です。

私見としては、熊野神社の鳥居も肥前鳥居だと思うのですが、連絡はしておきましたが、行政側は調査もなにもしていないみたいで、なんとも残念ですね。

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2018年8月12日 (日)

「ブログどころではない!」

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女子世界ソフトボール大会。第一戦から応援していますが、今日はダブルヘーダーで、上野選手が好投して勝ちましたが、わずか三時間半でアメリカとの決勝戦。1日おいての連投なら分かりますが、三時間半ですよ。これ、本気で応援しないわけにはいかないでしょう。ということで、今日は「ブログどころではない!」

ところで、TVのスポーツニュース、新聞での扱いが少ないですね。たしか、1,2回戦では、完ムシだった気がします。高校野球、プロ野球の扱いに比べると、男女差別ではないですか。ということで、今日はおしまい。応援に専念します。




2018年8月10日 (金)

「長崎おきあがりこぼし展」~長崎歴史博物館他

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今日は、長崎歴史博物館へ調べもの。

玄関に入ったとたん、お人形さんがズラリでビックリしました。
人形は、「会津の縁起 起き上がり小坊師」。縁起の良い、会津最古の民芸品だそうです。右は紙製かな?に絵を描いたもの。

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なんのイベントかと思ったら、「長崎アートプロジェクト『ナヘア』(ナガサキ平和アートのプロジェクトの通称ネーム)」の主催みたいで、ほかに「キッズゲルニカ」「アートストリート」「折り紙再生画用紙子ども絵・書」「ナガサキ平和音楽祭」「フォトグラフ」「生け花」「茶道」も展開しているみたいです。

なお、この「おきあがりこぼしプロジェクト」は「2013年ファッションデザイナー、高田謙三さんの呼びかけで、フランスのアーティスト(アラン・ドロン、ジャン・レノンさんなど)に福島県の伝統民芸品である『おきあがりこぼし』に絵付けを行ってもらい、この活動を通して震災や事故に揺れる現地への理解や共感をフランス社会に求める運動としてはじまったものです。」だそうです。

ご存じ、さいとうたかおさんの「ゴルゴ13」。オリンピックメダリストの「セルゲイ・ブブカ」の作品。

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チェルノブイリでは不幸な事故が起こりましたが、そのチェルノブイリ博物館副館長、アンナ・コロベフスカさんの作品、防護マスクを付けていますが、怒っているような感じ。
バロン元吉さん「柔侠伝」は愛読書でした。

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ご存じ、「深夜食堂」の安倍夜郎さん。知らない人がいない、鉄腕アトム。左の女の子がカワユイ。

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田中満智子さんの作品。思わず「LINEの交換しませんか?」

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三つ星レストラン「ポール・ボキューズ」のオーナー、ボキューズさんの作品。昔は、良く食べに行きました。今では、回転寿司ばかりですが。
女子柔道チャンピオン、谷本歩実さん。試合では厳しい顔をしていますが・・・・


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植木まさしさん。「コボちゃん」。子どもが好きな漫画でした。
いわずと知れた、新田たつおさん。ハードな感じにバラの花が良く似合う。


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小島功さん。さすが大人の色気。またもや「LINE交換しませんか」

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有名、無名な方の作品も交じって、楽しいイベントでした。

なお、「おきあがりこぼし」は、「原爆資料館」「浜屋百貨店7F」「石丸文行堂6F」でも開催しているようですが、各々開催期間が違っているので、確認して見に行って下さい。






2018年8月 9日 (木)

「8月9日」

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昭和20年8月6日、広島に原爆が投下。そして、8月9日、今日、長崎に原爆が投下されました。

上の写真が戦前のカトリック浦上教会。下が、原爆を投下され倒壊した教会。

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広島の原爆ドームが保存をされているように、この教会遺構が残されることができなかったのかとは思うのですが・・・・

市議会では保存の決議がなされますが、最終的には、浦上天主堂とアメリカへの配慮を優先した当時の田川市長の意向があったみたいで、また、浦上天主堂再建の資金援助を、カトリック長崎司教・山口愛二郎氏が、アメリカに求め渡米しますが、米国側から条件として、天主堂遺構の撤去を求められたそうです。

詳しくはウィキペディアの「カトリック浦上教会」の中の「原爆遺構の保存問題」に詳しく書いてありますので、是非お読み下さい。→こちらをクリック

母方の祖父(おじいちゃん)もこの原爆で亡くなりました、私が生まれる前ですが・・・・アメリカの圧力に負けず、残すべきだったと毎年思っているのですが。

なにしろ、キリスト教の国がカトリック教会を破壊し、また、この地区には沢山のキリスト教の信者が住んでいた所です。



2018年8月 8日 (水)

「一語一絵」~眞木準著

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以前、下の広告を紹介したことがありました。

先日、この記事に「通りすがりさん」からコメントがつきました。この「うちの息子は厳父と岳父の違いも知らない、愚息だ。」というコピーを書いたのは、「眞木準」さんというコピーライターで、10年ほど前亡くなられたそうです。

その中で「十歳にして愛を知った」もご覧下さい、と書いてあり、はて、どういう意味かなと思って、ネットで「眞木準」をググって見ると、意外と面白いコピーが紹介してあるので、上の本「一語一絵」を入手してみました。2003年の出版です。絶版になっており、古本屋さんから取り寄せました。

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中身は、下のように、コピー、眞木さんのコメント、どのような広告に使われたが載せてありましたが、ここのところ、もう少し大きくして欲しかった。

途中に「島田雅彦」さんの「広告塔からの眺め」という2,3ページの解説があり、その後「一語一絵 惹句アーカイブ」があり、最後に「惹句 スクロール」と続きますが、この部分はコピーだけの紹介になっています。

で、読んでいくと「十歳にして愛を知った。」と言うのがあり、解説によると。
図書館で調べ物をしているおり、教育漢字の資料に出会い、「そうか日本人は小学校四年生で愛という字を習うんだ、という感慨にふけって、生まれた」そうです。

少し分かりにくいですが、左ページの上、「教育漢字総覧」として漢字がズラッと並んでいます。広告は、ライオンファイル。

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これ、年配の方には懐かしいと思います。「トースト娘ができあがる。」、全日空の沖縄の宣伝ですが、今見ても新鮮ですね。

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この意表をつくコピーとポスター、大胆ですね。今でも色あせていません。駅でよく盗まれたそうです。

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さて、眞木氏は次のように書いています「タレントCMは、結局商品よりもタレントが売れてしまう。世界的に評価が低い。・・・・」、言われてみれば、CMが流れていても商品より、タレントさんをみて、あれ?何の宣伝だっけ。と思うのも、再三再四。

少しばかり、言葉だけですが、紹介を。

■「でっかいどお。北海道」
全日空の広告ですが、北海道の広さを一言で言い切っていると思います。

■「和イスキー」
サントリーの宣伝ですが、なんとも「和」が良いですね。

■「あの人と行って、この人と帰ってきた。」
あるんですね。私の知っている女性も、これと同じことがありました。

■「着やすい。つまり脱がせやすい。」
■「軽そうだ。正しく言うと抱けそうだ。」
なんと、伊勢丹の宣伝ですが、大胆なコピー。

■「四十才は二度目のハタチ。」
■「男は、体のどこかで、20才」
■「三十才前後の少年」
男は、どこか大人になりきれない部分があって、正木ゆう子さんの俳句に「リンゴ投ぐ男の中の少年へ」というのがありましたが、女性も良く見ると少女の部分があり、「カミサンが少女に戻る蛍狩り」という俳句もあります。作ったのは私ですが。駄作ですが・・・

■「男くさいと、くさい男は違う。」
暑い夏です。くさい男にならないように。

■「恋をナメたらいかん。かじるだけにしなさい。キットカット」
■「私の主食は、レタスと恋と缶ビールね。」
キットカットとサントリー缶ビールの宣伝ですが、うまいですね。缶ビールの宣伝は映画にすると面白いかな。

書いたらキリがないので、あとは本を買うか、少しお高いので、図書館にあったら借りて読んで下さい、ちなみに長崎県の図書館で置いてあるのは3館でした。

さて、私が一番好きなのが下の広告。
よく、「愛と恋とはどう違うの?」と聞かれますが、下のとおり「恋が着せ、愛が脱がせる。」が一番の答えだと思います。イミ分かんない人は、まだ子供。大人になれば分かります。

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読んでんみて、良い広告、コピーは世相、人生を語るですね。
「通りすがり」さんのおかげで、良い本が読めました。多謝、多謝です。




2018年8月 6日 (月)

「大江健三郎さんの思い出」

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今日、いつものように本屋さんへ行ったら「大江健三郎全小説」が二巻置いてあって、第3巻をみると「セブンティーン」と「政治少年死す」が掲載されていました。

「政治少年死す」の主人公は、当時の社会党委員長・浅沼稲次郎氏が演壇で演説中、浅沼氏を刺殺した山口二矢がモデルになっています。このシーンはテレビニュースでも放送され、衝撃を受けたものです。山口二矢は当時17歳、鑑別所にて自死。

この小説は、第一部が「セブンティーン」、第二部が「政治少年死す」になっています。

初出が「文学界」の昭和36年(1961)の1月と2月号。樺美智子さんが60年安保で亡くなった(6月15日)次の年に発表されたものです。

「右翼少年死す」は発表後、右翼からの抗議、脅迫により、以後、表には出ていない小説で、地下出版、個人のネット配信、図書館に文学界のバックナンバーが運良く揃っているかですが(長崎ではほとんど絶望でしょう)・・・

で、ふと、思い出すと、私がこの二冊を取って置いた記憶があり、捜すとありました。大事にしていたので、パラフィン紙で頑丈包んで保管していて、上の写真はパラフィン紙の上からスキャンしたので、ぼけています。

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さて、今日の話はこの小説に関するものではなく、タイトルは「大江健三郎さんの思い出」とはしましたが、酒を一緒に飲んだとか、文学を論じたとか、家に遊びに行ったとかいうことではありません。

私、学校時代は成城学園(学校は成城学園ではありません)に下宿をしており、学校に入ったばかりのとき、夕方、少し暗くなった頃、夕食を食べに出かけましたが、前の方から大学教授風の、どこか見たような、中年の男性が歩いてきまして、東京にでてきたばかりで、顔を知っているこの年配の人といえば、ゼミの先生かなと。

私、小心で律儀な性格なので、一応「こんばんわ」と挨拶をしたら、相手も軽く頭を下げながら「こんばんわ」。と、すれ違ったとたん「あ!大江健三郎だ!」。本当に気さくな挨拶の仕方でした。

もう一つ、駅の向かい側のプラとフォームに大江健三郎さんと、小さい子供が一緒にいて、電車の音がうるさく、子供の声が小さいのか、大江健三郎さんが身をかがめ、子供の口の所に耳を近づけ、一生懸命話を聞いていました。息子さんの大江光さんです。現在、音楽家です。これが「大江健三郎さんの思い出」です。

たわいないと言えば、たわいない話ですが、この二つのシーンはいつまでも、私の脳裏に残っていて、大江健三郎さんの人柄を知る良い思い出になっています。

《附録》
私の下宿のおばさんが、小沢昭一の伯母で、私が帰郷する前日、ご主人(かなり高齢)が亡くなり、数日して、下宿に帰ったら葬儀の折の写真を見せていただきましたが、小沢昭一さんが神妙な顔をして、位牌を抱いている姿も、まだしっかりと覚えています。




2018年8月 4日 (土)

「平成30年度 第11回ちぢわふるさと夏祭り」~雲仙市千々石町

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今日は千々石の夏祭り、合わせて、虫除け、七夕祭り。
いつものとおり、茅の輪。何回も書きますが、ちゃんと回り方があります。


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以前は神社で実施していたのですが、会場が狭く、海岸近くの「福石公園」で開催。神様もこちらへご出張。神事やら、来賓紹介やらありまして、皆さん大好きな餅巻き。

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イベント前に、フリスビーの的あてとか、ラムネの早のみ。大人の方が意地になってましたが。

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今年からMCさんが変わって、長崎から来たとか。やはりプロですね。マイクの声の乗りも良く、グーで、可愛らしくて、浴衣がピッタリ。

「LINE交換しませんか?」と言ったかどうかは、皆さんのご想像にお任せを。私、こうみえても思いやりと、お金はタンと持っています。

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出店は、商工会とか、銀行とか、婦人会とか団体機関。全部ボランティアの手作りです。

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あいのんが来ていて、夏痩せしているなと思ったら、ベニアに描いた絵でした。スポットクーラー持ち込みとは考えたな。

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肥前千々石鉄砲隊、相変わらずカッコいいですね。ちなみに、千々石では男女差別は無く、この中にも2名ばかり女性が入っていました。

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第一小学校、1年生と2年生が「やってみよう」。3年生と4年生が「千々石っ子ソーラン2018」。

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5年生と6年生で「ミルクリミナ」。さすが上級生ともなれば気合いの入れ方が違います。

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第二小学校は「棚田へ行こう」。この歌、何回聴いても良いですね。離農が多くなって、荒れた田んぼが多くなってきています。後を継いで、棚田を守ってもらいたいものです。

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少子化時代ですが、下峰児童館の子供と保護者と先生全員で「打て打てGENKI太鼓」。

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婦人会、児童生徒、観客参加の「千々石音頭」。この、服目立ちますね。2014年の国体の幟旗を利用した手作りの衣装。さすが、倹約家のお母さん。

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ひまわりテレビのユニフォーム。雲仙イチゴ部会です。「ゆめのか」。美味しいですよ。一度ご賞味を。

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ついでに、祭りの小さな女の子、可愛い服が多いですね。私の娘も昔は、こんな感じでしたが・・・・

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「千々石中学校ソーラン」。ヒョッとしたら、小学校の時、踊り足りなかったか?
昨年から、ご登場のオカリナ演奏。澄んだ音が素敵でした。もう少し人数が増えれば良いのですが。

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確か今年初登場ですね。少林寺拳法。オリンピックを目指します。あ!失礼、少林寺拳法はオリンピックにはまだ入ってなかったか。

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千々石の「ちぢわ舞華連(まいかれん)」の「ダンシング・ヒーロー(盆踊り編)」。お隣、愛野町の「ヨッシャこい」。

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両町合同で、「《総踊り》どこいしょ」。見ていた女の子も、思わず踊っていました。

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と思っていたら、「あいのん」の乱入。相変わらずもてますね。

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今年のスペシャルイベントで、「中国変面ショー」。顔のかぶり物が、いつの間にやら、どんどん変わっていきます。TVでは見ますが、目の前で見ると、全然迫力があって違います。
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マスクをとると、意外と可愛い顔。この後「もってこーい」がかかり、再度登場しましたが、猛暑の中、この衣装で踊り、変面の演技をし、大変だったと思います

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昨年は3人で舞っていた「御神楽」ですが、「今年新入生、何人入部した」「6名です」。良かったですね。やはり人数が揃うと見ごたえがありました。

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会場を彩る七夕飾り、全部町内の子ども会が作ったものです。

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ということで、このあとカラオケがあったのですが、とにかく暑くて、おじさんにはここが限界で、会場をあとにしました。

ボランティの皆さんには猛暑の中、大変だったと思いますが、高齢者の方、子供も喜んで見ていました。来年も又楽しみにしています。




2018年8月 3日 (金)

「今日は短く『週刊現代』『週間ポスト』」

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毎日暑くてバテバテなので、「今日は短く『週刊現代』『週間ポスト』」です。

■「安倍『三選』確実?自民党内で急浮上『石破リリーフ総理』説を追え!」
■「『安倍の跡取り』噂の甥っ子(27)が『僕の伝家の宝刀』意味深発言」

安倍首相には跡継ぎの子供がいないため、後継者として、2人の甥が考えられるそうですが、「アッキーがでる?」なんて文字も躍っています。

「安倍『三選』確実?そう思っているのは新聞だけ」。私も、そう思っているのですが、あれだけスキャンダル、証拠隠しがバレても、自民党員の方、安倍首相に一票を投じるのでしょうか?

■「猛暑の未来天気予報」

毎日、熱中症のニュースが流れています。南極(北極だったかな?)でも高温化が進んでいるみたいですが、海面が上がってきて「日本沈没」か?

ところで、沖縄の年間の真夏日は一年の半分だそうですが、日本の最高気温が毎日放送されますが、沖縄は出てきません。沖縄については森田正光氏が「非常に簡単な理由で、沖縄は海に囲まれている・・・・」という事だそうです。

「東京の44度に対して、那覇は5度も低く、41度の札幌より”涼しい”ことになる。」という事で、来年からの避暑は沖縄にしましょう。

■「その体調不良、猛暑ではなく薬のせいだった」

私も、現在、薬を10種類ばかり飲んでいますが、「こんなに飲んでいいの?」とは思っています。先日、薬の処方箋をみたら、副作用の多いこと。

「喉が詰まって食事がしづらい」とか「息苦しさが続いて眠れない」など13の症状と影響する薬が書いてあり、私の飲んでいる薬と照合すると、該当する薬はありませんでした。多少、一安心。

なお、「頭がボーッとしてやる気がでない」は薬のせいではなく、持って生まれた性格です。

■「医学界の『最大タブー』に迫る 製薬会社から謝礼を貰って原稿執筆する医者 350人全実名」

「患者は医者がもっとも自分に適した薬を選んでくれると思っている。あらゆる製薬会社の薬から公平に選んでいるに違いないと。だからこそ、医者と製薬会社の関係には、厳しい監視の目が必要なのだ。」とまさにその通りなのですが。

一時、製薬会社と医大の癒着が問題になりましたが、「製薬会社から謝礼を貰った医者」のリストで、一番貰っているのが、1917万9469円、2位が1673万7196円、その他50位まで実名等が書いてありますが、これだけ貰うことには疑問ですね。

■「内紛の日本ボクシング連盟 告発状と『日大のドン』親密写真」

昨日のTVのインタビューはひどかった。なにせ、まったくの反省は無し。横暴の一言でした。

また、今日あたりから「日大のドン」どころか、暴力団との関係が流れています。

アマチュアレスリング、日大アメリカンフットボール、アマチュアボクシングと少し問題が多いのではないと思いますが、反省の弁も釈然としませんでした。

数十年前、マラソンでオリンピックに出場した選手の話を聴きましたが、あの頃は全くのアマチュア精神で、遠征旅費も足りなく、駅前に立って自分で募金をした、という事でした。

■「徳島・阿波踊り踊り手たちが怒りの『ボイコット宣言』」

以前、昔の徳島の盆踊り(現阿波踊り)の写真を載せましたが、実に純朴なものでした。

どこの祭りも、大規模になってきているみたいですが、観光目当てが多いようで、地域密着の祭りを考える時期だとは思うのですが・・・

■「Tバック姿を大公開ローラの『爆走』に感謝!」

タレントのローラさんの「インスタグラム」の写真がすごくて「エロすぎると話題になっている。」そうですが、「インスタグラム」はどうしたら見られるのか、明日は若い方に教えてもらうつもりです。楽しみ。

■「『ひとりで とんかつを頬張る女』はなぜスケベなのか?」

ということで、明日はとんかつ屋さんに行くつもりです。


2018年8月 2日 (木)

今日は豪華「ウナギタレ豚丼」

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この暑さで、少しスタミナをつけようかと、ウナギを買いにいったら3ヶ月~4ヶ月前が2000円、先月が2500円に値上げ、そして今日が2800円。

でもって、ウナギは高いので豚さんで我慢しましたが、なんとしても、ウナギが食べたいので、タレだけはウナギのタレを買ってきました。

材料はタレと豚肉。豚肉には塩、コショウはしません、ウナギも塩、コショウはしません。ここは同じです。

フライパンで炒めれば早いのですが、せめて気分だけでもということで、ウナギと同じように焼きました。強火の遠火ですね。

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焼きながら、タレをつけること3,4回。匂いだけはウナギの蒲焼きです。

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できあがりは一番上の写真。少し寂しいので、煮卵を添えてみました。梅干しがありますが、ウナギでなく豚肉なので、食い合わせは心配ありません。

なお、ウナギタレ豚丼をのせているお盆は、平ザルに紙をはり柿渋を塗った、一閑(貫)張りで、私が作ったものです。

さて、お味ですね、美味しかったですが、はやりウナギの方が美味ですね。




2018年8月 1日 (水)

「慶巌寺の山門」について~長崎県諫早市

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先日、お箏の六段と慶巌寺のことを書きましたが、ふと思い出したことがあるので。実は、この山門、このお寺を作った時に作ったのではありません。

下は諌早神社(旧名・四面宮)。じつは、この山門はここにあったのです。

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行って見たら、神社に向かって左側、神社の老朽化のため建て直しみたいで、右側には立派な庭園があったそうですが、それも復元するようです。

この新神社を建てるところ、以前は空き地でした。明治2年の神社明細帳調をみると、何か建物があるような図面でした。

諌早神社の由来が書いた看板がありましたが、赤線のところ、「明治時代の神仏判然令により、並祀していた荘厳寺は分離されることとなり、本尊などは近くの寺院に移設。その際に、社名を四面宮(注:しめんぐう)から『諌早神社』と改称した。」ということで、諌早神社の中に荘厳寺が並祀されていたことが分かります。

「諌早を歩く~山口八郎著」には「明治元年の神仏分離令によって、荘厳寺は廃され、本尊の阿弥陀三尊像は安勝寺に、総ケヤキ造りの山門は慶巌寺に、お寺の什器類は、行基ゆかりの竹崎観音寺に移されました。寺の境内にあった諸石仏は、𡧃都墓地の入り口に移し並べてあります。」と書いてあります。

なお、四面宮の本社は雲仙の温泉神社。四面宮は、千々石、吾妻町、有家町、そしてここ、諌早神社が四面宮ですが、現在、諌早以外は「温泉神社」と改名をしています。

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こちらは、山門を裏から見たところ。

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下は、旧諫早市郷土館の「解説シート(歴史編)」に載っている慶厳寺の説明です。

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この荘厳寺の山門については「高城の史蹟~山口祐造著・諌早高城会発行」に詳しく書いてあり、要略すると、荘厳寺は諌早家の始祖龍造寺家晴公が入部して四面宮の神殿、拝殿を改築し、さらに祈祷寺として荘厳寺を建立したので荘厳寺は四面宮の神宮寺となり、家晴公は寺領米として、毎年二十七石を給したそうです。

前に書いたように荘厳寺は解体されますが、山門だけは残っていて、山門だけ残しているのも不自然だということで、山門も壊そうとしたところ、慶厳寺でこのことを聞き、話し合い、慶厳寺へ解体移築したのが、明治27年11月。

両側の仁王像を解体修理したところ、「延宝三年(1675年)、京都柳馬場二条上寺町、大仏師法橋康祐作」と墨書いてあったそうです。

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良い木鼻ですね。

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両脇の欄間彫刻は浜辺の老松と打寄せる波を象り、日本様式。楼門の柱は丸柱で、禅寺の四角柱のような雄々しさはなく、優しい風情を湛えているそうです。

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どうにもわからないのが、山門の入り口のすぐ上の彫り物。

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上側は諌早家の家紋「上り藤」。下が、お猿さんみたいなのですが、なにか意味があるのでしょうが、調べましたが分かりませんでした。

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慶厳寺の駐車場には磨崖仏が彫ってありますが、ひょっと見ると数字が彫ってあって、「32.7,25」。何だろうと、思ったら、昭和32年の諌早大水害の日。
死者、行方不明539名、負傷者1,476名、家屋破損2,221戸・・・被害総額、当時約87億円(現時点に換算すると415億円)

随分高いところに書いてあって多分、水害時の水位が刻んであるのでしょう。災害の大きさが分かります。

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お世話になった本
「高城の史蹟~山口祐造著・高城会発行」「ふるさとの思い出写真集 明治大正昭和 諌早~諌早史談会編著者」「諌早を歩く~山口八郎著」「諌早史談~田中為市著」「諌早郷土館開設シート(歴史編)」「諌早市史~昭和33年発行」



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