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2018年5月

2018年5月30日 (水)

「島原駅にて」&「ランパス」使ってお昼ご飯~島原市にて

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「島原駅」の駅長さんが替わったとかで、見にいったら立派な駅長さん。名前は「さっちゃん」。

正面から見た顔もカワユイですね。お姿を拝観するだけで、恋愛成就、筋力じゃなく金力アップの効果ありです。

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隣の売店に入ったら、島鉄グッズにが並んでいて、「島原詩本」、これ「シフォンケーキ」ですね。「島原半島ドローンカップ」って何でしょう。

島商×島鉄の「カボチャのメロンパン」で「ぷきんばん」。カボチャがパンプキンだから「ぷきんぱん」かな?

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ということで、島原鉄道さんには、お世話になったことがあるので、「島原鉄道1号機関車かすてら」も買ってきました。

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島原鉄道が第1号機関車を鉄道省に返還したとき、当時の植木社長がこの機関車に感謝を込めた「惜別感無量」のプレート。この汽車は鉄道博物館展示され、プレートも取り付けられているそうです。国の重要文化財です。

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さて、ですね。昨日「ランチパスポート」を買っていて、島原方面も載っており、ちょうど今日が病院の定期検診日。病院のすぐそばが島原駅、ランパスを見たら、島原駅のすぐそばに「島原むすびす」というお店があるじゃありませんか。

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「島原むすびすプレートランチ」。身体に良いというネバネバオクラ、納豆、山芋などが入ったソーメンと、少しピリ辛のタレがかかった、肉おにぎり。おにぎりは、熱々に焼いた鉄板のフライパンに入って、ジュージュー音がたって、美味しそう。焼けた醤油だれの匂いが食欲をそそります。若い方にはすこし少ないかなとは思いますが、足りなかったら、おにぎりが売ってありますから、買って食べればOK。

ただですね、ワタシが失敗をして矢印はソーメンのタレなのですが、お茶と間違って、ガブリ。

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お店は島原駅(左の建物)のすぐ裏で、一軒家と思ったらビルのなか。近くまで行くと、焼きおにぎりの匂いがプンプンするのですが、お店が分からない、「匂いばかりで姿が見えず、ホンにお前は屁のような」という感じ。
お店の方と話をしていると、やはり、お店が分からなく素通りする方もいるとか。

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お店は小ぶりですが、なかなか明るく良い感じ。入り口のこれは、何でしょう?

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おにぎり各種、見ていると買って帰る人、お店で食べる人それぞれでした。サラダバーは各野菜がそろって、詰め放題で250円。

ランパスを使うと、「プレートランチ」は800円が540円。ランパスが1000円ですから、4,5軒回れば元は取れます。有効期限8月25日まで。もちろん今年のです。

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ということで、店員さんが若くてカワユくて対応が良かったので、少しほめすぎたかな ( ̄ー ̄)ニヤリ。




2018年5月28日 (月)

「道歌入門」~岡本彰夫

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著者は元春日大社権宮司。

「道歌」というのは、耳にしたことが無く、前書きを読むと「・・・この種の道徳的和歌を『道歌』と呼んでいることも後年知り得ました。」と書いてあるので、抹香臭い話かなと思いはしたのですが、パラッとめくったところ・・・「さけのみが/酒にのまるる/世の習ひ/のまれぬように/飲むが酒のみ」・・・・など書いてあり、読んで見たら、面白いのやら、身につまされるのやら、人生訓として心に沁みるのやらで、一気読みしましたが、各々の和歌に説明が載せてあり、これが本当は役にたつのですが、長くなるので、少しばかり和歌の紹介と私の感想と。

■「親を捨て/妻すて金も/すてつくし/はては女に/すてらるるかな」(林田雲梯・出典不詳)

ワタシの場合は「女」ではなく、「カミサン」ですが。

■「としを経て/うき世の橋を/見かえれば/さてもあやうく/わたりつるかな」(作者不詳『鳩翁道話』)

確かに、この歳で振り返ればあの時はヤバかったな、と思うことがありますね。皆さんも同様でしょうが。

■「なにひとつ/とどまる物も/ない中に/ただ苦しみを/とめて苦しむ」(作者不詳『松翁道話』)

世の中、川の流れと同じで、とどまる物はないもの。苦しみだけを、とめて苦しむ、ですね。心の持ちようなのですが。

■「知らぬ道/知ったふりして/迷ふより/聞いて行くのが/ほんの近道」(作者・出典不詳)

「先達はあらまほしき事」と言ったのは、吉田兼好だったか。ただ、人生において、何でも先輩にイージーに聞くのは、よした方が良いと思うのですが、迷って、苦しむのも、将来の自分の力になります。

■「恩をして/恩きせがほに/奢りなば/恩にはならで/恨みとぞなる」(作者・出典不詳)
■「知りたるも/しらぬ顔なる/人ぞよき/物知り顔は/見ても見苦し」(作者不明『西明寺殿百首和歌』)

もうすぐ6月、新入社員の研修が終わり、各部署に配置されると思いますが、先輩方は上の言葉を心にとめて・・・

■「火の車/作る大工は/なけれども/己がつくりて/己が乗りゆく」(作者・出典不詳)

「因果応報」という言葉もあります。

■「世の中の/人は何とも/云へばいへ/我がなすことは/我のみぞしる」(坂本龍馬・出典不明)

ご存じ「坂本龍馬」がいった言葉で、「福島正治」さんが言ったのではありません。

■「手を打てば/鯉は餌(え)と聞き/鳥は逃げ/女中は茶と聞く/猿沢の池」(作者・出典不明)

「猿沢池」は奈良の興福寺の旧境内にあるそうです。
言われてみれば、手を打った音でもいろいろな聞き方があるもので、人の言葉も取り方が様々なので、注意しましょう。

■「長命は/粗食/正直/日湯/陀羅尼/おりおり御下風/あそばさるべし」(作者・出典不詳)

「日湯」は風呂に入ること。「陀羅尼」はお経を読むこと、「下風」は屁をこくこと。現代は、ストレスの多い世の中、と思ったら、意外に昔もストレスが多かったのかな?

■「人間は/耳が二つに/口一つ/多くも聞いて/少し言ふため」(作者・出典不詳)

「無くて七癖」で、自分には気がつかないことが多く、もう一度自分を振り返りましょう。最近は、自分の意見ばかり言う方が多くて・・・

■「骨かくす/皮には誰も/迷ひけむ/美人といふも/皮のわざなり」(蜷川親当『一休和尚伝』)

美人もイケメンも皮を剥ぐと、同じ白骨なのですが、ということは分かっているのですが、我々、俗人はですね、皮を見るばかりで。



2018年5月26日 (土)

「島原藩 江戸屋敷」はどこだ?~古地図って面白い!

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(「横浜開港資料館編 F・ベアト写真集 1 幕末日本の風景と人々」より)

島原藩中屋敷が慶応大学の一部になっている、ということは以前から聞いてはいたのですが、それなら、上屋敷と下屋敷はどこなのさ、と思っていたら、下の「寛正 新刻 毎月改正」という地図を手に入れました。1789年、今から約200年以上のものになります。
この地図で、場所を探そうとしても、昔のくずし字で細かいところはとても無理。

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ということで、元禄九年𦾔版、萬延元年新版のレプリカの地図を手に入れたら、断然見やすく、こちらを利用。

矢印の赤が江戸城、右へ行って上屋敷、中屋敷、下屋敷。見ての通り、段々、お城からは遠ざかります。

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あと、島原市発行の、島原藩正史の「深溝世紀(ふこうずせいき)」。島原藩は松平家ですが、松平家といっても色々あり、島原藩は「深溝松平家」になります。

島原藩松平家は前期と後期になりますが、後期は最初の忠恕(ただひろ)公の官位が「従五位下  大和守」ですが、後は「従五位下 主殿頭(とのものかみ)」になります。

その「深溝世紀 巻二十一 紹公 巻二十二 哀公」の最後の頁に載っていた、切絵図。これは、「(株)人文社刊 『切絵図・現代図で歩く 江戸東京散歩』」より、転載されたものだそうですが、大変助かりましたが、部分の絵図なので、江戸全体から見るとどこなのか、これには苦労しました。

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上屋敷です。「重ね扇」は島原藩松平家の家紋。矢印は「数寄屋橋」のように読めましたが自信はありません。

意外と江戸城に近いですね。江戸城の近くには親藩、譜代大名などを配置。見ていくと「松平」が多いのですが、徳川家康も以前は「松平」を名乗っています。

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中屋敷です。「松平主殿」が分かると思います。

なお、一番上の写真、右手の長い塀が「中屋敷」。政府に接収された後、慶応義塾に払い下げられ、現在の三田キャンパスになります。

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萬延の地図でみると「松平とのも」が分かると思います。矢印は「つなさか(綱坂)」。「渡辺綱」がこのあたりで生まれたそうです。「渡辺綱」は→こちらを参照

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一番苦労したのが下屋敷。「切絵図」と比較しましたが、多少違ったところもあり、といっても、地図の年代が違い、江戸には火事が多かったというのが原因かな?

回りの、「細川越中」とか「森伊豆」を目印に探しました。現目黒一丁目。私の彼女が住んでいたあたりです。

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さて、上屋敷、下屋敷の写真を探しましたが残念でした。

なお、上屋敷は明治大学の前身明治法律大学が、明治14年に上屋敷で開校をしております。丸印が「明治大学発祥の地」。矢印が「数寄屋橋
。GoogleEarthから借用しました。

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見ていくと面白いもので「吉田神道ヤシキ」。吉田神道は昔からありましたから分かりますが、「修ケンヤシキ」って何でしょう?多分「修験道者」の屋敷でしょうが・・・

右の地図「泉岳寺」。泉岳寺といえば四十七士の墓所があるところ。下の方、ルーペで見ると「義士墓」のような感じに読めました。

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と、三日ばかりかかって、ルーペ片手に地図を読んでいきましたが、その他、いろいろ気づきがあって面白いものでした。皆様も機会がありましたら、見て下さい。





2018年5月24日 (木)

セクハラ!「週刊ポスト」「週間現代」

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週刊現代の「今日は本音で言わせてもらう」の記事に「セクハラ」「パワハラ」「働き方改革」「女性登用」について、かなり本音を書いてあって、賛否両論あるとは思いますが、その中で・・・

「元朝日美人記者が実名顔出しで告白『エロ親父』福田が怖くて、記者が務まるか」のなかで、「やたらと、人の下半身について騒ぐ週刊誌もセクハラ!」とあり、なるほどなどで、本日は、「セクハラ!『週間現代』『週間ポスト』」です。

■「国益を暴落させた安倍首相の『虚言、妄言、詭弁』全記録」

「拉致被害者は必ず全員帰国させる」「プロセスには一点の曇りもない!」「私も妻も一切関係はない!」「次は必ず消費税10%に上げる」と、あと書くのも嫌になるので止めますが、この絶好の機会、野党は何をやってるのでしょう?安倍首相より、野党に問題ありですね。

■「『定年後のお金のセオリー』信じる者は救すくわれない」

・「人生100歳時代は75歳まで働こう→企業は65歳以上を雇用する気が無い」・「都会から『地方移住』で悠々自適→カネはかかる、不便、のんびりできない」・「健康維持のため運動に励もう→脳卒中や心筋梗塞のリスクが上がる」・「自宅を売って老人ホームで終生安心→入居費と生活費で困窮生活に」・「最後は病院でなく自宅で死にたい→費用、介護負担で家族がギブアップ」と、なんとも長生きしにくい時代になりました。

■「病気が逃げ出す『習慣のコツ』」

テストが10問ほど書いてあり、その後「『コップ一杯の水』が大きな力を発揮する」、「『ちょっとした心がけの違いが』健康に」「病気が近寄らなくなる『一分体操』を伝授」「『手で書くこと』の意外な効用」と、細かく書いてありますので、「病気が逃げ出ていく」というのをお望みでしたら、ご一読を。私?三日坊主なので・・・

■「高血圧『なってから』生活術」

「高血圧」はもやは国民病で、歳を取ったら血圧が高くなるのは当たり前、とかいう意見もありますが。読んで見ると、「夜更かししてもいい」とか「我慢するほうが身体に悪い 飲むなら『昼酒』がオススメです」とか「腹いっぱい食べてもいい」など、嬉しい字も見られますが・・・・どうなんでしょう?

■「中国からの輸入品が『殺人虫』を運んでくる!?」

猛毒を持つ「ヒアリ」が昨年、話題になりました。
「竹ぼうき」「家電の段ボール」「羽毛製品」「食品」「コンテナ内で拡散」というので、特に暑くなる時期、見慣れない虫には注意しましょう。という他ありません。

■「『5か月待ちの大渋滞で免許が切れる!』」

確か70歳以上になったら、運転免許更新のとき認知症のテストと、実技講習があるようですが、これ、各自動車学校で実施されますが、高齢社会のためか、予約が一杯で免許更新に間に合わない状態になっているようです。連絡が来るそうですから、すぐに自動車学校に予約を。
私も、もうすぐ該当するのですが、テスト受けたら落第するだろうな。

■「昭和歌謡といつまでも」

コラムです「第35回 昭和の色香、園まり『逢いたくて逢いたくて』」。
「逢いたくて逢いたくて」。一回は言ってもらいたい言葉でしたが、私の方が言ってばかりの人生でした。園まりさん、良かったですね。いまや、色香のない若い歌手ばかりで・・・色香のあった歌手さんも、歳とって、色香の無い歌手さんになってしまったし・・・・

■グラビアの袋とじに「覗かれた壇蜜」

と載っていて、「特典動画付き」とあったので、QRコードを読み取って、5分ほどの動画を見ましたが、まあ、こんなものかと。



2018年5月23日 (水)

「センゴク権兵衛 11巻」発売~宮本英樹

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この間出版されたと思ったら、もう店頭に並んでいました。意外と読む人が多いのか平積み状態。

ぼちぼち紹介も終わりにしよう、とは思うのですが、九州編が終わるまでは続けます。

戸次川の戦いで、島津側は大勝利しますが、「戦線の過剰伸張で自落寸前に陥る-ー既に秀吉の戦略的勝利は決定的である」という状態。島津義久より、和解の書状が届きますが、秀吉はOKなどするはずはなく、「豊臣秀吉は大軍勢を率いて九州征伐の総仕上げに取り掛かるー!!」と、これは次号になります。

さて、何回も書いたように、ローカル的に、秀吉の九州の地割りの原因による、龍造寺と西郷氏との争い、名護屋城で秀吉に謁見し、外町奉行に任ぜられた村山等安と面白い所があるのですが、まあ、これ、書かないだろうな。

さて、我らが権兵衛ですが、ボロボロになって帰還しますが、妻の藤が迷いながらも、権兵衛を支え、持ち物すべてを売り払い、家臣もバラバラになってしまいます。権兵衛等は秀吉の城を守れとの命令もきかず、島津と争い負けたわけで、当然、切腹ものですが、どういうわけか「改易に処す」で済みます。

秀吉は茶々を手に入れたためか機嫌が良く、(ここのところ、露骨な表現があるのですが・・・)、また、「仙石殿は剃髪めされ修養されておられる」との言葉を聞き「仙石めに一万石くれてやるか」ということで一万石の大名に復帰しますが・・・・

センゴク権兵衛、多くの家臣を亡くしており、「己を知るため、そして罪を背負うため、権兵衛”世間の声に耳を傾ける”ー」ということで、高野山に向かいます。

ということで、第11巻は淡々とした物語でした・・・・・何となく、物足りない。



2018年5月21日 (月)

「漫画で読む長崎キリシタン史 夢日記」~西岡由香著

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「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が「世界文化登録遺産」になる感じで、教会の写真集とか、教会、キリシタンに関する本が随分増えてきたような気がします。

上の本は、平戸、橫瀨浦、島原半島、有馬、大村、外海、長崎等の歴史、ポイントなどを描きながら、フロイス、天正遣欧使節、有馬晴信、セミナリオ、中浦ジュリアン、島原の乱、ヴァリニアーノの事に触れ、漫画とはいえ要領よくまとめてあります。入門書としては適当かなと思いました。著者をみると、長崎大学非常勤講師になっており、参考図書などみると、よく調べた事が納得できます。多少、ロマンチックかなと思うところもありますが・・・読んで損はありません。

さて、以下は、思いつくままの私見になりますが。

島原半島では、原城のみが候補地になっていますが、上の本を読めば分かるとおり、口之津、日野江城(日之枝城)が、キリシタンの歴史としては重要なポイントになるのですが、「文化遺産」は多分「物」、特に目立った「物」が無いと候補地にはならないようで、口之津にはこれといった遺産もなく、日野江城にいたっては、各ブログを読んでいると「何も無かった」とよく書いてありますが、キリシタンについては、「点」でなく「ストーリー」として見なければ本当の理解はできないと思うのですが・・・・


なお、遠藤周作さんの「日本紀行『埋もれた古城』と『切支丹の里』」を読むと、久しぶりに訪れた島原半島の俗化を嘆きつつ、特に原城については以下の通り書いています。

昔日のいかにも原城らしい荒涼とした風景が俗悪な十字架やアスファルトによる公園化で、すっかりこわされているのだ、話をきくと国体があった時、ここにお偉い方がこられるので、城の道もアスファルトにしたのだという。いい加減にしろという気持ちである。こういうものの保存の仕方に市や県庁の連中だけの趣味にふりまわされてはたまらない。・・・・

ということで、世界文化遺産登録になったら、どう整備をするのかですね。

なお、原城も漠然と行っただけでは、なにがなにやらで、単なる「観光」、という感じになると思います。現在、原城にはワンコインのガイドさんがいて、説明をしてくれます。

数年前、本丸で簡単な調査をしておりましたが、良く見ると「白骨」と「弾」が出てきており、観光に来た皆さんの足下にも、まだ乱に参加されたされた方の白骨が埋もれているかもしれません。行かれた折には、是非ガイドさんの話を聞きながら、「観光気分」では無く、敬虔な気持ちをもって、見学を。

先日の新聞に「神聖な教会 観光地化に疑問」という投稿も載っておりました。また、「軍艦島(端島)」も世界遺産登録になりましたが、考えれば、閉山して数十年、そのまま、ほっぱらかしにありましたが、廃墟ブームとともに見直され、世界遺産登録になったわけで、長崎市も修復等、今後どうするか、悩んでいるようすです。

長崎は産業が少なく、観光に頼ら無ければならないのですが、遺産登録後の問題をどうするか、本当に生かす方法を考える必要があるのですが、各市のトップの話を聞いていると、何となく観光客が集まれば、という感じをうけます。

さて、もう一つ、実は私は反キリシタンです。このことは、世界的にキリシタン史の歴史を見れば分かることなのですが、これはいずれ取り上げます。



2018年5月19日 (土)

「樂(らく)」~特集 島原半島

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いつものように、というより毎日ですが、本屋さんに行って、帰りがけ出口(入るときは、入口)をみると、少し特集コーナーが作ってあり、見ると「樂(らく)」という雑誌が置いてあり、知ってはいたのですが、普段は買ってなかったものの、見ると「島原半島」という文字が目に入り、またもや衝動買い。

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中の写真を見ると、いかにもドローンで撮ったな、という写真がありますが、角度を変えてみると、なかなか良いもんですね。普段見慣れた風景も、こんなだったかという新鮮な感じ。

中身は、最初が寺井邦夫氏のお話。
島原半島の地質にかけては、右にも左にも出る人はいません。で、最初の出だしが「島原半島は今も引き裂かれている」。ウチのカミサンと私と同じですね。

島原半島の始まりが早崎半島。知りませんでした。と、半島のでき方などを分かりやすく書いてあります。

その中で、千々石について「千々石断層のズレは千々石展望所から一望できます。」とまあ、ここまでは良いのですが、「活断層は今も落ち込みを続けていて、あと二十から三十万年もすれば、断層の南にある猿場山は沈降して島になるでしょう。」

下の写真、鳥居のむこうが「猿場山」。「日本沈没」という小説がありましたが(「日本以外全部沈没」というのもありましたが・・・・)、この山が島になるんですね。ということは、下の方は全部海になると言うことですが、怖いですね。

私、泳げないので、20~30万年後のために、スイミングスクールに通いますか。

続いて、雲仙の「湯守役 加藤家」の歴史について詳しく書いてあります。小浜の管理が本多家、雲仙の管理が加藤家になります。ここを読めば、雲仙の歴史がよく分かります。

あとは、「昔ながらの黒砂糖つくり」。「天草出身の田中丈右衛門が文化十四(1817)年にサトウキビの苗を持って口之津に移住し・・・」とは知りませんでした。

「蜜蜂」。「島原の子守みそ」。「花」。「茶畑」。「有明海」。「ハタ揚げ」。「雲仙ホテル」などの歴史、現在、頑張っている人の事が書いてあります。

最後が「かって島原の人たちが歩いた道(茂木~万才町」。樂右衛門さんと越中哲也さんの現地を見ながらの対談です。

昔から、長崎から島原半島に行くのには、長崎から峠を越え茂木から船に乗って行ってました。前から、わざわざ峠越えをして、なぜ茂木から船で行くのか、長崎港からなぜ行かないのか、不思議に思っていましたが、対談を読むと納得でしました。知りたい方は、本を買って読んで下さい。勉強になります。


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あと、世界遺産とか、原城とかありますが、限られたページ数で触れてはありませんでしたが、意外とコアな部分をついて、面白かった。

で、一番上の写真、雑誌と一緒に島原鉄道の応援のためか、島鉄グッズが並んでいて、私、島原鉄道さんに、いささかの恩義がありまして、3点ほど買って参りました。


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左は、ルーラーセット。小さい子どもが喜びそうですね。右は、「島原鉄道着 ♡鯉駅長のさっちゃん 幸せのラバーキーホルダー」。TVで先日放送していましたが、島原駅の駅長さん、「黄色の鯉」だそうです。島原市は「鯉の泳ぐ町」として有名です。島原鉄道も、「幸せの黄色いハンカチ」にあやかってか、黄色をシンボルカラーにしているようです。

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「パンツ」ではありません「パン2」です。前の部分、扉の絵がついていますが、開きません。ということは、女性が履いてもかまわないわけで、カミサンにあげようかなと思っていますが、これカミサンガ履いている姿を想像したら、一日愉快に過ごせました。アナタも、彼女に如何ですか。絶対に受けます。

もちろん、カミサンにあげたら怒られますよ、「また、こんなバカなものを」。ということで、私が履くことにしましたが、洗濯幾にいれて見つかったら、「アホ」と言われるだろうな。真面目で冗談が分からない人だから。


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2018年5月18日 (金)

「歴史に学ぶとは」~加来耕三著

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「神仏分離」、「廃藩置県」。この二つは分かったようで、分からないことがあり、ちょうど古本屋さんに置いてあったので買ってきました。

目次を見ると、「津波という語について」「松倉重政と島原の乱」「おかげ踊りの流行」とか興味を引くような文字が目に入って、その中に、「加来耕三」という名前があり、以前にも紹介したとおり、加来氏の講演会を聞きに行って、なかなか興味深い話だったので、何が書いてあるか読んで見ました。


この文章は連載物らしく、「歴史学講座(初級編)第3回 〔第一章〕 歴史に学ぶこと(その二)」となっており、最初に作家が講演会をやると良くない、ということが書いてあり、氏の恩師から、「あんまり講演を引き受けていると、そのうち書くのが億劫になるよ」と言われたそうです。

考えれば、講演はネタが一つあれば、昨日は福岡、今日は長崎、明日は京都と同じ講演をすれば、何を喋るか考えなくてもよく、一回の講演料は、コンビニのアルバイト料、一時間何百円とは違い、二時間くらい喋って数十万円でしょう、多分。

書くのは、特に歴史物は、調べるのに古文書を読んだり、図書館に調べに行ったりで、大変です。

で、講演会に行ったとき、「私は学生時代、歴史が苦手だったのですが」という言葉をよく聞かされるという事だそうです。

生徒、学生の時に歴史嫌いになる理由として、「学校教育における『歴史』は、極端にいえば、年号や人物名を暗記する~その一見厳しくみえて、その実、内容のない微温的ないい加減さが、歴史を学ぶことを面白くなくしてしまったのではないか。」と説明してますが、まったくその通り。私は苦手というより、大嫌いで、歴史の時間はお昼寝の時間にあてていました。

大人になれば、「『歴史好き』な経営者やビジネスマンと称される方の多くは”経営””戦略””戦術”といった色眼鏡を通してでなければ歴史を繙(ひもと)けていないのではあるまいか。」と書いていますが、確かに、歴史物には”合戦の経営戦略””人の動かし方”という事を書いた物が多いですね。

「西郷隆盛やあるいは大久保利通といったスケールの大きな人材を獲得するには、企業はどうすればよいのでしょうか?」と質問されたそうですが。

「西郷には幕末随一と謳われた、名君の島津斉彬という名伯楽があり、大久保はその西郷の盟友であった。これら時代屈指の先見性をもつ人物が、現在の一流企業に、はたして、面接官として存在するのであろうか。」「いくら歴史に学び、人材育成に気を配っても、幕末ですら学問が苦手であった西郷や大久保が、今日の学歴社会、一流大学指向の企業指向の企業風土になじめるものではあるまい。」と書き、大正中期に金子雪斎が述べた言葉を引用しています。

「もし維新前が今日であったら、大西郷は晩学で中学校卒業で中学卒業後力士志願で出羽の海の弟子となり、吉田松陰は大学生で思想問題をかじり、青い顔をして下宿の隅でくすぶり、木戸孝允は早稲田を卒業して満鉄の下級社員となり、藤田東湖は議員選挙で小山田信義と争い、大久保利通は法政大学でも卒業して、床波竹次郎にすがり内務省の属官になったかもしれない」(渡辺竜策『大陸浪人』)。

と書いていますが、西郷さんが相撲取りですか。でも、似合うかも、ですね。名横綱になったかな?

最後に加来氏は、「所詮、住んでいる世界が違うのである。それを同一視するところに、歴史に学ぼうとする者のレベルがあらわれているといってよい。」と結んでいます。

「時代が人を生み、人が歴史を作る。」ですか。



2018年5月16日 (水)

「そ・ろ・ば・ん」~あれ?

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磯田道史氏の「武家の家計簿」。加賀藩御算用者 猪山家に残る古文書を基に「武家の家計簿」を書き、映画になっています。

で、一番最初の場面、そろばんが映されますが、あれ?なんか変。こんなそろばんあったっけ?良く見ると、上の玉が2つ、下の玉が5つ。


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で、面白いもので、「お宝鑑定団」を見ていると、上2つ、下5つのソロバンが出品され、これ、豊臣秀吉から拝領した、そろばんだそうですが、加うるに、玉の回りが銀で象眼され、小型でしたが、内で使うのでは無く、戦場で使われたり、築城の時、現場で使われたのではいかという事で「11,000,000円」

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2回あることは3回あるということで、「NHK歴史ヒストリア」をみていると、加賀百万石の前田利家のことを取り上げ、この前田利家が使っているのが、またもや同じそろばん。

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ということで、そろばんを集めてみました。下の赤丸印がボールペンですから、意外と大きいことがわかります。

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昭和10年に上が1つ玉、下が4つ玉が良いということで、小学校の教科書で指示され、現在のそろばんが普及したそうです。

私たちの時は、算数の時間にそろばんの授業があり、私たちも、このそろばんで教わりました。

私の父は、下が5つ玉を使っていましたが、某日、学校の先生等を交えた席で、「5つ玉の一番下の玉、なんに使うんですか?」と聞いたところ、誰も分かりませんでした。

そろばんをひっくり返した所、会社の名前とか、「贈」とか書いてあるので、お店の宣伝に使ったのかな?「十六銀行」もありますね。岐阜県です。長崎は「十八銀行」。


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下が、上が2つ玉、下が5つ玉のそろばん。

気がつかれた方がおられると思いますが、中国がこのソロバンを使い、土産などにも使っていますが、中国製は玉が丸ぽっくって、使いにくいですね。

なお、中国では一斤が十六両で(十六進法)で、こちらの方が使いやすいそうです。このそろばんが日本に入ってきたのでしょう。

詳しくはネットで「日本珠算連盟」で説明されていますので→こちらをクリック


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底の方をみたら、大きい方が「安政五年牛七月 長堀平蔵」、小さい方が「明治三十八年求之 日露戦争講和」と書かれています。

なお、大きい方には、「石合勺、町反畝分、厘毛」の文字が読み取れ、右、真ん中、左に分かれて書かれていますから、その部分で対応する計算をしたのでしょうが、なんか返って面倒くさいみたい。


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左は、伊能忠敬が使った機器が載せてある絵はがきですが、一番下の所、上が二つ玉のそろばんです。伊能忠敬もこのそろばんを使っていたことが分かります。

右の写真は、丁髷をしていますから、少なくとも明治初期でしょうが、大きなそろばんは、こんなようにすると使いやすいですね。

これを見ると、上が一つ玉ですから、上が一つ玉と二つ玉が混在していたと思われます。

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こんなそろばんもあり、どうやって使うのでしょう?シャープ製です。

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買ったそろばんはどうするか?そろばん塾でも始めるつもりです。





2018年5月14日 (月)

「松倉重政」と「筒井順慶」

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司馬遼太郎「島原・天草の諸道」の最初の所に「日本史の中で、松倉重政という人物ほど忌むべき存在はすくなくない。」と書かれています。

身分相応の島原城を建て、キリシタンに対する残虐な扱い、その子、重勝の父親に劣らない圧政。

ただ、松倉重政は千々石の田畑が潮風で荒れて、難儀をしているということで、海岸に土手を築き、松を植えさせており、現在の海水浴場(昨年より閉鎖)あたりの長く続く松林になっており、また、大正15年の関善太郎著「雲仙小浜風光記」には、諏訪池について、次のような記述があります。かなり大きな池ですが、貯水地というよりは湖で、上池、中池、下池から成り立っています。

「・・・往昔、島原藩主豊後守(注;松倉重政)が、田甫(たんぼ)を養わんが為に川を穿ち谿水がをこゝに導いたそうな。」とあります。

さて、圧政をしいた松倉重政、善政をしいた松倉重政、二つの面がうかがえるわけですが、最初キリシタンにあまり厳しくなかったものの、家光(重臣との説もあり)にキリシタン取り締まりの甘さを叱責され、それから、厳しくなります。

もう一つ、「『図解50』合戦日本史~中井一水+加来耕三著」に「・・(島原・天草の乱は)幕府の重商主義が、鎖国政策に切りかわった瀬戸際に発生したからである。」とあり、朱印船から奉書船そして、鎖国になり、ルソンを占領し貿易で儲けようとした企てが全部パー。

重政は亡くなりますが、残された重勝、親父の借金が10万円程度なら、まあ大丈夫でしょうが、何億も抱えて、「鍋島家譜」に書いてあるように、父に似ず武を忘れ諸士(家臣)を愛ぜず、女色を好み酒に耽りて・・・というのは当たり前でしょう。やけのやんぱち、ですね。

住民に対する圧政を肯定するわけではありませんが、「『図解50』合戦日本史」には、重政のことを「幕府政策の犠牲者のひとり」と書いてあります。大きな時代の動きに流された一人だともいえるわけです。

なお、奈良五條市のホームページには「重政は城下町振興策として新町村を取り立て、諸役を免許して商売を行いやすくし、商人の結集を図りました。ここに五条市南和地域の中心として発展する基礎が形作られたのです。
 重政が島原で領民に苛政をを行ったために島原の乱につながったのは有名な話ですが、五条では、新町西方寺に頌徳碑が建ち、江戸時代には豊後さまとして祀られるほど、名君として崇められていたのです。」とあります。

話を元に戻して、「島原・天草の諸道」を読んでいると、「筒井順慶」の事が書かれてあり、「筒井順慶」と言えば、「筒井康隆」さん、ヒョッとしたら子孫では無いかとの事で本を書いていますが、調べた本が「多聞院日記」「訪憲記」「筒井家日記」「原本信長記」「稲葉家文書」等々、20冊程度、ほとんど古文書です。

「筒井順慶」には、3名の重臣がいて、「森志摩守(もりしまのかみ)」「島(嶋)右近」(後、石田三成から三顧の礼をもって迎えられます)」そして「松倉右近」。この「松倉右近」が「松倉重政」のお父さんになります。

筒井順慶のお父さん、筒井順昭は天文19年に亡くなり、このとき、順慶、わずか2歳。順昭が亡くなるとき、順慶があまりにも小さいので、亡くなったことをしばらく伏せておけ、ということで、自分にそっくりの木阿弥という人物を影武者にして、数年後(1年とか2年とか3年とか成人までとかあり、詳細不明)順昭の死を明らかにし、木阿弥はお払い箱。木阿弥は家に帰り元の身分に戻ったそうです。「元の木阿弥」という言葉はここから出たそうです(他にも諸説あり)。

さて、「筒井順慶」と言えば「洞ヶ峠の筒井順慶」。明智光秀が信長を討ち、秀吉と対峙したとき、洞ヶ峠で、どちらにしようかと悩んでいたとき、「少し見てた方が」と進言したのが、「松倉右近」といわれていますが・・・司馬遼太郎さんもそう書いています。

筒井康隆さん、洞ヶ峠まで出かけたそうですが、「洞ヶ峠レストラン」に入り、洞ヶ峠はどこか聞いたそうですが、主人曰く「頂上はここにあったんですが、わたしが切り崩してこのドライブ・インを建てました」「ここは筒井順慶が日和見をした名所です。もうすぐ順慶餅というのを出そうと思っています」と笑ったそうです。小説ですから、本当かどうかは分かりませんが。

それに対し筒井康隆氏は、「・・・つまり天正十年六月十日と十一日にこの洞ヶ峠にいたのは、実は筒井順慶が応援に駆けつけてくれるのを待っていたのは明智光秀だったからです。・・・・その時明智光秀がここに出陣していたという証拠は山ほどあります。『兼見卿』『多聞院日記』『蓮成院記録』『細川忠興軍功記』『続本朝通鑑』」

さて、筒井順慶は本当に洞ヶ峠をしたのか、分厚い「人名辞典」を調べたら、「本能寺の変後の山崎合戦に与力を逡巡、一方、羽柴秀吉に款を通ずるなどして郡山城に籠城したため『洞ヶ峠の順慶』などという嘲罵をこうむる。洞ヶ峠に陣して勝負を観望、秀吉軍に参じたというのは俗説である。・・・しょせん順慶は名族の御曹司的存在であり、しかも辛苦の末に大和を入手した。その大和を喪失するのを恐れたのが『洞ヶ峠順慶』の汚名をこうむった要因である。」

という事で「洞ヶ峠の順慶」はデタラメで、「もう少し状況を見ていたら」と言った、松倉重政の父、松倉右近の話もウソということで、まだまだ異論はあるのですが、歴史は間違っていることがあるので、よく調べることが必要ですね。と思いました。






2018年5月12日 (土)

「お・て・も・と」~古文書へのお誘い

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お箸ですね。

古文書を習い始めて一年、未だもって全然読めません。もっとも、予習、復習していないから、当たり前ですが。

さて、先日、食堂に入ったところ、上のようなお箸がでてきました。字を見てあれ?と思いました。良く見ると、下の写真。くずし字ですね。

一番上から「御」、次が「手」、次が少し難しく「茂」、ここまでは分かると思いますが、最後の文字「登」のくずし文字です。「登」と書いて、「『のぼ』る」。または「『登』山」の「登」で、「と」。この場合は「と」。

続けて読めば「お・て・も・と」。「お手元」、「お箸」のことです。で、なぜ「お箸」が「お手元」なのか、調べると。辞書にもハッキリ書いてありません。

最終手段でネットで「箸」を調べると、諸説あってハッキリはしません。

「お手元」は、「三省堂大辞林」に「〔食膳の手前にあることからいう〕料理屋で、箸(はし)」と言うことで、考えれば、たしかに料理が出てきたとき、一番手前(手元)にありますね。

なお、ネットで調べると、「皓星社」より「隠語大辞典」というのがあり、その中で「花柳界にて箸のことをいふ。箸は端に音が通じて縁起が悪いから、かついでお手元といつたものである」ということで、何となく納得。

さて、古文書を読むと当て字が多く、「阿そび=あそび」、以前書いた「村なく(ムラなく)」とか色々ありますが、「三くだり半からはじめる古文書入門~高木侃著」によれば「江戸時代の『ひらがな』は、同じ『ひらがな』でも1つの形だけとは決まっておらず、複数の形があったのです。『あいうえお、かきくけこ・・・・』といった50音が現在の形に決まったのは、明治33年(1900)のことでした。」

ということで、「阿そび」などと書けば、明治33年以前は○でしたが、明治33年以降は×になります。「お手元」も、今の試験で、「御手茂登」と書けば×になります。

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皆さんの回りにも、良く見ると、古文書に通じる「くずし文字」が見つかるかもしれませんよ。最も「夜露死苦」はありませんが。



2018年5月11日 (金)

「雲仙のツツジ」~雲仙市雲仙


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TV、新聞などで雲仙の仁田峠のツツジが満開だということで、出かけてみました。

入り口の管理人さんに聞いてみると、仁田峠は今日が満開だとか。で、あと段々山の上の方へツツジが咲いていくだろうということでした。

途中の展望台から火砕流の跡をみると、緑がだんだん増えていますが、雨で削られた跡が、生々しく見られました。土石流にならなければ良いのですが。


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仁田峠に着いたら本当に満開。というより、十一分咲きですね。十分咲きより少し進んだ感じ。記念写真は老人クラブの方か?

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後ろから声をかけられまして、「写真撮ってくんない?」。撮ってはあげましたが、どちらかというと、妙齢の美人の方がいいな。

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左の写真。ここから妙見岳に上れます。ロープウェイに乗ればお金を取られますが、こちらから登るとロハですが、かなり辛い。昔は、平気で登っていたのですが、歳ですね。

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帰りがけ、池の原園地と宝原(ほうばる)つつじ園へと。

下が池の原園地、仁田峠とは数百㍍の高度差ですが、ツツジは枯れかけ。向こうに見える山は「矢岳」、数十年前登たことがありましたが・・・

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宝原つつじ公園、ここのツツジも池の原公園と同じ感じでしたが、お弁当を広げる所があるので、車がどんどん来ていました。老人クラブの方かな、楽しそうに宴会中。

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帰りがけ旅館街を通りましたが、「富貴屋」さんと「東洋館」さん、大きな旅館でしたが倒産しました。他の会社が運営をするとか。小浜温泉でも、旅館が潰れています。今後が心配な雲仙市です。

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昔は左の写真、○印の所から「稚児落としの滝」に行けたのですが、道路拡張工事のため、通行止め。数年前一回行ったのですが、絵はがきがあったので載せておきます。

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ということで、家に戻ってきたのがジャスト十二時。ツツジはまだ少し続きそうですが、日曜日に雨がくるようなので、行くなら明日でしょう。



2018年5月10日 (木)

連休明けの「週刊ポスト」「週刊現代」



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「連休明けの『週刊ポスト』『週刊現代』」ですが、連休で休みすぎで、何となく迫力がある記事が無いですね。連休前に書いた記事かな?

■「緊急シュミレーション6月解散総選挙 勝つのは新アベかそれとも反アベか」
■「解散も安倍3選もすべてぶっ潰す!?落日の財務省『医療費倍増』発表の嫌がらせ」

昔の合戦を読んで見ると、敵より味方に裏切られる事が多いようで、安倍内閣内にも、反勢力が増えてきたみたいですが、昔の「バカヤロー解散」になる恐れも、あるかもですね。

落日の「財務省」ですが、「どうせ処分されるなら安倍政権に不人気政策をやらせて道連れにしてしまえ」と言うことで、「『高齢者の医療費を2倍にする』との方針を打ち出した」と言うことだそうですが、財務省の「自爆テロ」に国民を巻き込むのはメチャクチャ。

■「所得・学力・犯罪率・寿命・・・あなたの町の『偏差値』」

「偏差値」って、ヤな言葉ですね。思わず受験を思い出します。
都道府県別のランキングはたくさんあるが、町ごとの比較データーは無いということで、検証したそうです。

市単位での比較がしてあり、「金持ちランキング」「文化度ランキング」「犯罪率ランキング」「長生きランキング」「最終発表!都市の偏差値ランキング」とありますが、我が「雲仙市」は(もちろん)載ってありません。

これですね、逆ランキングで、下位からから載せたら良いんじゃないかと思います。少なくとも下位の都市でランキングされた所の市長さんが、「これじゃいかん!」と頑張るんじゃないかと思うのですが。我が市もですが・・・・

■「金正恩とトランプに『ノーベル平和賞』の悪夢」

冗談も、およしになってよ、ですが。
文学賞も今年は取りやめになりました。こんな噂が流れるなら、「平和賞」も取りやめにした方が良いとは思うのですが・・・・ホント「悪夢」。

■「中学生3年・清宮弟は『センスの塊』」

どうせ、この子も大リーグに行くのでしょうが・・・張本氏も言っているとおり、大リーグの質も落ちました。
テレビで見ていると、ベンチで唾は吐くわ、ガムは吐き捨てるわで、どうして、大リーグに行きたがるのでしょう?もはや、アメリカンドリームがある国では無いと思うのですが。

敗戦後プロレスが流行って、敗戦国日本のレスラーが、勝戦国アメリカのレスラーを投げ飛ばすのを、皆喜んで見ていましたが、なんとなく同じ精神構造を感じます。

■「60過ぎたら害の方が多い『日用品』」

歳をとったら、加齢臭、口臭などが気になり、いろんな物に頼りがちですが、「メーカーは日用品に含まれる成分がどれだけ有効かということは実証しますが、マイナスの要素についてはきちんと検査しているかどうかはわからない。・・」ということで・・・

「歯磨き粉」「マウスウッシュ」「制汗剤」「ハンドクリーム」「化粧水」「ウェットティッシュ」「携帯消毒液」「消臭スプレー」「虫よけスプレー」「防虫剤」「シャンプー」等々、「気を付ける化学物質と商品名」「現れる症状」が書いてあるので、気になる方は一読を。

といっても、「60過ぎたら」ではなく、若い方の方が、汗、匂いなどを気にしている人が多いみたいな気がするのですが。

昔は、お菓子を落としても土を払って食べていたのですが、今や若いお母さんは捨ててしまいますね。それはそれとして、良いのですが、あまりにも過潔癖症にみえるのですが。

■「大流行の健康法20 名医が『医学的効果』を格付けした」

今や、「健康法」だらけで、どれを実践したら良いか迷いますが、載せてある健康法で、効果が大いにあると書いてあるのを紹介すると。

「かかと落とし~低リスクの国民病予防法」「ゴマ酢~調味料としては優秀」「朝トマトジュース~『無塩』『常温ならOK』」「タマネギ健康法~水にさらすのはほどほどに」「食前のキャベツ~血糖上昇の抑制はホント」「レコーディングダイエット~『点検』する意識はある」。次点に「ノーパン健康法~意外にも医学的根拠あり」と言うことで、暖かくなったので、また、再開します。

■「『はじめてのED薬』安心買い方ガイド」

「人目を気にせず入れる立地で院内スタッフは男性のみ」という病院もあるそうです。

EDクリニックは自由診(保険適応外)なので、「保険証の提示は『必要なし』問診票は”飲んでいる薬”を記入する」。

「プライベートな質問はされません『10分』で自分に合った薬選びが完了!」で、「アナタのお相手は?」、などとは聞かれません。

「診療は無料で支払いは薬代だけ 一度に何錠でも受け取れる」。

ということで、病院に行こうか、どうしようかと、お悩みの方は気軽に病院へ。

■袋とじ付録ですが

懐かしき「ビニ本黄金時代」。
長崎にも以前、ビニ本のお店ありました。良くいったものです。

ビニ本、知らない?あの手の本が立ち読みできないように、ビニールに入れてある本。中の写真は、あの部分は写ってなかったり、黒塗りで、今のインターネットのように、なんでも有りではなかったものの、昔の方が○ロっぽかったナ。



2018年5月 8日 (火)

「2×3≠3×2」?~超算数


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「ビッグコミックオリジナル」。私の愛読書で、「深夜食堂」、第1回から、これいいな、と思ってたら映画までなってしまいました。「黄金流星群」、私にも、このような出来事があればと、淡い期待を持っているのですが。「ハマちゃん」、昔の無責任男などを思い出します。「風の大地」、ゴルフをやっている方に聞いたら、読んでる方、多いですね。他、いろいろありますが、今日は、栗原裕一郎氏のコラム「『超算数』をご存じだろうか」です。

文が長いので、少し省略して書くと。

「ウサギが3羽います。ウサギの耳は2つずつあります。耳は全部でいくつでしょう。式はどうなりますか?」

「3×2=6」は間違い、「2×3=6」が正解。

先生曰く、「『3×2だと、耳が3本生えたウサギが2羽、ということになるよ』といい異形のウサギの絵を見せたと、ある」、と、これ、2011年1月17日付けの「朝日新聞」に記事が載ったそうです。

要するに、「『掛け算には順序があり、入れ替わると意味が変わってしまう』というのがこの授業の主旨であり、掛け算の交換法則は否定されてしまう。」ということです。

ですから、2×3=6が正解で、3×2=6は間違い。なんか、国語と数学の解釈の違いみたいで、「数学」なら、2×3=3×2、でも良いような気がするのですが。

なお、この「掛け算の順序」の問題は1950年に登場。マスコミが「掛け算の順序」問題を取り上げたのは1972年だそうです。

なお、「超算数」については、「小学算数には『掛け算の順序』のほかにも謎の決まりがいくつもあり、子どもたちに強要されている。『超算数』とは、小学算数に蔓延する奇妙なローカル・ルール全般を指した言葉なのだ。」そうです。なお、超算数については、ネットでも論議をされているそうで、興味のある方はググって下さい。

なお、わたしも「「小学校学習指導要領(平成29年告示)解説 数学編 文部科学省」を読んで見ましたが、これが何とも難しく、「算数編」だけでも400頁、これに「国語」「社会」「理科」等々、まして「英語」が加わります。この「指導要領」を先生方が全部目を通して、チェックして、指導方法を考えていると、子どもと遊ぶ時間なんて無いじゃありませんか。

子どもを育てるには、子どもと遊ぶのが一番。私たちのころは、雪が降ると授業は中止で、先生と一緒に、山に登って遊んでいたのですが・・・ですから、私みたいに、立派な人間ができたのです。

栗原さんは、子どもができたばかりで、「自分の性格からすると絶対学校と揉めるなあ・・・」と書いていますが、皆さんも機会があったら、「学習指導要領」を読んで見て下さい、生半可なものじゃないですよ。狂います。

ですから、子どもが「3×2=6」と答案に書いて×を、貰ってきても、学校とは揉めないように。学校の味方をするわけじゃありませんが、「学習指導要領」はひどいですよ。日本の教育は、段々ダメのなるのじゃないかなと感じた次第です。



2018年5月 7日 (月)

「うぬうねど けんどわだれば ひがれるろ」?

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時々、通販を利用すると案内のパンフレットが来るときがあり、昨日、青森のお店屋さんから、パンフレットに、「便り」が入っており、読むともなしに読んでみると、「うぬうぬど けんどわだれば ひかれるど」という文字が目に入り、はて?と続けてよんでみると・・・・

青森県には「津軽弁」「南部弁」「下北弁」があるそうですが、広前近郊の道路で、この言葉を書いた標語を見かけたそうです。

標語のため「注意を促すものだから馴染みの方が効果的!」と言うことで、このような方言の標語を書いたそうですが、お近くの人には分かっても、長崎から行った人には分かりませんよね。

標語は、「慌てて道路を渡るとひかれるよ」と言うことだそうです。

他にも。

「赤信号いとまが止まれ ばやめぐな」
道路掲示板には、「急がばまいねよ」
工事中では、「めやぐ かけます」

と書いてあるそうで、「赤信号いとまが止まれ ばやめぐな」は「赤信号 一旦止まれ。ウロウロしちゃダメだよ」

「急がばまいねよ」は「急いだらダメだよ」

「めやぐ かけます」は「迷惑かけます」

なお、

「鴨かもるな」と言うのもあるそうで、だじゃれでは無く「鴨に触らないで」と言うことだそうです。

長崎にも、看板は多いですが、こんな看板なら楽しいですね。

方言は、自分では通じると思っても、他地方の方にはなかなか通じないもの。私も東京に出た当初は、長崎弁が通じなくて・・・・



2018年5月 5日 (土)

「海岸あたりを」&「スーパーマラニック」~千々石町

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今日は天気が良く、膝の調子も良かったので、海岸あたりを歩いてみるかと。
一昨日、「上塩浜の鯉のぼり」の事を書いたので、どうかなと思って見にいったら、人で一杯。TVで放映され、ネットで見た方もいたとか。皆さん、記念写真を撮ったりで楽しんでいました。

海岸の方に行くと、釣り人が多いこと。結構、大きなお魚さんが釣れていました。私?殺生は嫌いなので釣りはしません。


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帰ろうかと、駐車場に戻ってきたら、走っている人がいるので、ランニングかと思ったら、ナンバープレートを付けていたので、あれ、なにかな?

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思い出したのが、数日前から立ててあった案内版。で、皆さん唐比の方から来ているみたいだったので行ってみたら、ありました。チェックポイント。

「スーパーマラニック」だそうで、調べてみたら、「マラソン+ピクニック」の造語で、順位を争うものではなく、長い距離を交通ルールを守りながら走る大会だそうです。

参加者は500名、カップラーメンを啜っている女性の方に聞いたら、なんと、北海道からの参加。

次のチェックポイントは?と聞いたら、「千々石の船津公民館です。」で、回れ右。

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千々石海岸の船津公民館。スタッフの方のシャツ、カッコ良いですね。島原の武家屋敷です。最後の参加者が通ったら、また次の担当ポイントに移動するのでしょうが、大変ですよ。徹夜だから。

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コースを見ると、スタートが、長崎水辺の森公園→稲佐山?→野母半島一周→網場→飯盛→唐比→千々石→小浜→加津佐→島原→雲仙越え→小浜ゴールみたいです。多分、自分の体力に合わせて距離が違うのでしょうが・・・・コースを見ただけで、ドットきました。

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少し話をしていたら、冷えたぜんざいをいただきましたが、この日は暑かったので、おいしかった。

帰りがけ、後ろの車がクラックションを鳴らすので誰かと思ったら、橘神社の宮司さんで、今日は「尚武祭(しょうぶさい)」ということで、ありがたくも、菖蒲と、いわれを書いた説明書をいただきました。

【尚武祭とは、端午の節句のことであり、菖蒲の音(おん)が勝負に通じることから、武を尊ぶ尚武祭として行われてきました。(中略)この菖蒲は、早朝より御神殿にてお祓い、お清めされたものです。(後略)】

ということで、今からゆっくりと、ありがたい菖蒲湯に入って、今日の疲れを癒やすつもりです。とにかく、「スーパーマラニック」を見ているだけで疲れました。


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2018年5月 4日 (金)

「モタさんの”言葉”」★斎藤茂太著



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前にも書きましたが、近所の犬の鳴き声に悩まされ(3~4時間、鳴きっぱなし)、手が震え、心臓の脈拍が上がりと言う状態で、心療内科で診てもらったら「神経症」と言われ通っています。

お犬さまは、最近年取ったのか、鳴き声はやみましたが、長年苦しんだのが残っていて、いまだもって症状は残って病院通い。

調剤薬局で薬を貰っていますが、上の本が本棚に並んでいて、読んで見ると面白く、近くの本屋さんには置いてなかったので、Amazonに注文すると早い早い。翌日には届きました。

斎藤茂太さんと言えば、斎藤茂吉さんの息子さんで、精神科のお医者さん。北杜夫さんのお兄さんにあたりますが、まだ達者かとおもったら、2006年に90歳で亡くなっておられました。

この本、NHKで放送されたものを絵本にしたもので、あと2,3冊出版されているので、入手することにしました。

読んでみて、ホットするというか、心が安まるところがあります。なお、NHKのウェブサイトとかYouTubeでも見られます。

また、絵がよく・・・今様な言葉でいうと、モフモフという感じ。


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内容は、

第1章 「努力してこそ凡人になれる」
第2章 「人にほめられる人が賢者」
第3章 「人生の満足度を上げるコツ」
第4章 「気を楽にもって・・・」

モタさんの話と同時に、モタさんが気に入った言葉も書いてあります。

・毎日、大した仕事をしていないところに、男の本当の偉さがある。ー紫門ふみ

考えれば、私もあまり大した仕事をしていませんでしたが、こう言われると、心がなごみますね。もっとも、今、冷静に考えれば、私のまわりをみても”大した仕事”をしていた男性はいませんでしたが・・・

・夫婦を結びつける絆が長く続くためには、その絆が弾性ゴムでできていなければならぬ。ーA.プレヴォ

赤い糸だから、切れるんですね。ウチなんか、赤い糸だから、こんがらがって、擦れて切れそうになっています。

なお、モタさんは見合い結婚で、ほれたはれたで結婚したわけではないそうですが、いい話が書いてあります。あ~夫婦って、これで良いのだなと反省。

食卓のカミサンの所に、この本をそっと置いておきましたが、分かるかな?分かんないだろうな。期待はしていますが。

人生に、ふと疲れた方、人生に悩みがある方は、ぜひお読みください。少しは、気持ちが明るく、楽になります。


2018年5月 3日 (木)

2018「上塩浜の鯉のぼり」~雲仙市千々石町上塩浜

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もうボチボチかなと思っていたら、今日から「鯉のぼり」が飾ってありました。千々石は上塩浜自治会の皆さんの鯉のぼり。今年で五回目だそうです。

三月の「観櫻火宴」でも、海岸にズラリとキャンドルを並べ、私たちの目を楽しませ、長崎新聞にも載りました。冬はクリスマスのキャンドルイルミネーション。地蔵祭りと年間を通して、みんなの目を楽しませてくれます。

よく集まったもので、青い空に鯉のぼり、どういう訳か川にもプカプカと、と思ったら、水の中にも鯉のぼり。もっとも「鯉」だから、川の中にいるのは当たり前かな、と妙に納得。アイディアものですね。


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本物の鯉も一緒に泳いでいたとかで、写真を見せてもらい、私も粘りましたが、残念でした。鯉が逃げないように、川の中で大変ですね。

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今年の「目玉」だそうです。初登場の「上塩浜 はまっぺ」。

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左側に由来が書いてありますが、魚釣りが好きで、毎日のように、上塩浜の海岸を掃除しているおじさんをモデルにした、自治会独自のキャラクターだそうです。小学6年生(当時)が考えたものだそうです。
右の写真がモデルのおじさん。毎日、お掃除ご苦労さんです


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大きな鯉のぼりが置いてありますが、人が乗っても大丈夫。若い女性が二人乗ってもビクともしません。お二人の体重の合計80㎏、年齢も合わせて45歳だそうですが・・・
子どもさんを乗せて記念写真を撮ると、良い思い出になると思います。


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ところで、帰りがけ山手の地区を見ていったら、鯉のぼりが、ほとんどありませんでした。いつもなら、何本かは翻っているのですが・・・進む少子化を実感します。

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子どもが少ない中、昔みたいに子ども同士が遊ぶ機会が少なくなりました。子どもを巻き込んだ、地域のあり方を考える時期だと思うのですが、上塩浜の大人同士の結束が、良い子どもを育てていくと感じました。

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連休中、雲仙、小浜方面へ行かれる方、途中ですから是非見て下さい。川の中の「鯉のぼり」って、日本ではここだけのようで(多分)、楽しいですよ。6日が雨が降りそうなので、5日に片付ける予定だそうです。


2018年5月 2日 (水)

「陰謀の日本中世史」~呉座勇一著

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来年のNHK大河ドラマは、「明智光秀」が主人公になるとかで、上の本をパラパラとめくると、「本能寺の変に黒幕はいたか」という文字が目に入り、数ヶ月前に「本能寺の変 四二七年目の真実(明智憲三郎著)」を紹介していたので、買ってきました。内容は・・・・

第一章 貴族の陰謀に武力が加わり中世が生まれた
第二章 陰謀を軸に「平家物語」を読みなおす
第三章 鎌倉幕府の歴史は陰謀の連続だった
第四章 足利尊氏は陰謀家か
第五章 日野富子は悪女か
第六章 本能寺の変に黒幕はいたか
第七章 徳川家康は石田三成を嵌めたのか
終  章 陰謀説はなぜ人気があるのか

となってはいますが、表紙に書いてあるとおり「史上有名な”陰謀”を分析し、”陰謀説”を徹底論破する。」というものであり、裏表紙の帯には「◆本能寺の変に黒幕あり!?→いない。光秀をバカにしすぎ」と書いてあり、まず、第六章だけを読んでみました。なお、著者の呉座氏はゼストセラー「応仁の乱」を書いていますが、この本は、二番煎じではありません。

「本能寺の変」と言えば、歴史上のミステリーであり、怨恨説、羽柴秀吉黒幕説、徳川家康黒幕説、朝廷黒幕説、堺商人黒幕説、はたまた、イエズス会説まであり、各研究者によって違いがあり、また、残された文書(もんじょ)も少なく、文書の解釈にも問題があり、例えば・・・

「天正十年六月十二日の土橋平尉宛の書状であるが、これには『上意馳走申し付けられて示し給い、快然に候、然而、御入洛事、即ち御請け申し上げ候』と書かれている。藤田氏は右の一節を『上意(足利義昭)への与同を命ぜられていたことをお知らせいただき、大変感謝いたします。しかし(義昭からの)御入洛要請につきましては、以前に私(光秀)もお請け申し上げています』と現代語訳している。ここから藤田氏は、足利義昭が本能寺の変に以前から光秀と連絡を取っていたと主張する。
しかしながら、右の一節には『以前に』という意味の言葉は含まれていない。」

と、厳しい批判をしています。また、上記の文章中「然而」について

「藤田氏が『以前に』と解釈したのは、『然而』を『しかれども』と読み、逆説と解釈したからだろう。だが、桐野作人、藤本正行両氏が主張するように、『然而』を『しかして』と読んで、順接で解釈した方が意味を取りやすい。」と書いています。

「而」については「仍而(よって)」「然而(そうじて)」「頓而(やがて)」「別而(べっして)」「却而(かえって)」「都而(すべて)」(而は小文字)といろいろあり、上記の「しかれども」「しかして」もあり、「而」の一文字をとっても、ざっとこれだけあり、「然而」を「逆説」ととるか、「順接」と読むかで、内容がまったく逆の意味になり、悩むところだと思います。

さて、この本最終章に「陰謀論はなぜ人気があるのか?」の文があり、「陰謀説」がなぜ好まれ、堂々とまかり通っているのかが書いてあります。こちらの方を先に読んで、第一章に戻った方が良いかと思います。

光秀ですね。読んでください。人の楽しみは邪魔しないようにしているので、結果は各自で判断を。また、あなたも、「陰謀」に嵌らないように・・・・



     

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