「岡政屋上より県庁を望む」~長崎の夜景
「絵はがき」の題は「岡政屋上より県庁を望む」となっています。
県庁は写真左側の大きな建物です。
「岡政」は1854年(安政元年)に「徳島屋」として創業、いろいろありまして、「長崎大丸」になるも経営思わしからず2011年に完全閉店。
詳しくは→こちらをクリック
田舎では、まだ岡政の看板が残っています(GoogleEarthより・下の写真)。
子どもの頃は、浜町にいくと、「浜屋」か「岡政」に必ず寄ったもので、特に屋上の遊園地が楽しく、遊覧飛行機に乗るのが楽しみでした。
現在、建て変わったみたいですが、残念ながら歳とると億劫になって、まだ行っていません。
さて、上の写真を見ながら、「あれ、こんなんだっけ」とは思いましたが、私は小さい頃は良い子で、夜遊びをしたことが無く、このような風景は見たことがありませんでした。いつの頃の写真か考えているのですが、残念ながら、よく分かりません。
赤丸が現在の県庁で、GoogleEarthから拝借しました。緑の矢印が「出島」付近で、最近、復元されましたが、これも行ったことがありません。
なお、県庁は昔、サンパウロ教会が建っていたところでイエズス会の本部があり、被昇天のサンタ・マリア教会、イエズス会管区長館等があり、その後、長崎奉行所、海軍伝習所として使われており、県庁は移転をしましたから、いずれ取り壊しになり、その折、発掘調査が行われると思いますので、なにが出てくるか興味のある所です。
下は。「長崎古今集覧名所圖絵」、諏訪神社の「くんち」の図ですが、江戸時代からお客さんが一杯ですね。なにやら、ゾウさんみたいなのが描いてありますが、なんか、昔の方がすごいですね。
さて、この諏訪神社から県庁まで、高台が続いています。昔は下の方が海で、長い岬になっていますから、長い岬で、「長崎」と言う話もありますが・・・・
昔の長崎の地図は下のように出版されていますから、お買い求めを。700円ですが、中身に比べればお安い買い物です。出島、新地なども、昔の姿がよく分かります。
こちらは関係ありませんが、明治30年発行「大日本圖管轄轄分地圖 長崎縣管内圖」で、「町」が「丁」になってます。同時代の地図を調べたら、ちゃんと「町」になっていました。なぜだろう?
最も辞書を調べたら、「丁」では「市街の区分。『一丁目』→町」。「町」では「(丁とも書く)距離の単位」となっていますが・・・?
島原では、下新丁(したじんちょう)、下の丁(したのちょう)、城西中の丁(じょうせいなかのちょう)、古丁(ふるちょう)、江戸丁(えどちょう)などもあり、聞いたところ、島原城初代城主・松倉重政時代からのもので、近年の町の合併、町名変更にも応じなかったとか。という話でした。本当かどうかは調べてないので責任は持てませんが。
さて、一番上の写真を見ていると、長崎のネオンサインが恋しくなりました。ドクターストップがかかっていなければ、行くのですが。
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