「太良嶽大権現一の鳥居」復元
「歴史の道観光・文化交流協議会」で「多良海道を往く」というパンフレットが昨年3月頃発行され、関係するところが、諫早観光物産コンベンション協会・太良町観光協会とあるので、諌早の方にもらいに行ったら、これが意外と面白く、特に下のページのところが目につき、一回でかけようと思ってはいたのですが、また山歩きかと思うと・・・
で、この鳥居、明治7年8月の台風で倒壊したと「高来町郷土誌」に書かれあるそうですが、郷土誌を調べてみると「・・・湯江宿の是成門兵衛が献納した『一の鳥居』があったが、明治7年の台風で倒れ、そのままになっている。」とありましたが、昨年、復元されたとかで、GoogleEarthでチェックしてみると、案外車でいけるかなと。
で、行ってみると意外と車でも行け、上の写真になります。三段組の立派な鳥居です。「貫」は見つからず新しいものです。
(「多良街道を往く」より)
柱を見ると文字が刻まれています。
柱の文字等については、説明文が横に置いてあり、これ、クリックすると大きくなるので、読んで下さい。
横には、鳥居の由来が書いてあります。これも、クリックすると拡大しますから、読んで下さい。
鳥居は、天保九年の幕府巡見使の記録に「鹿のとう(注:塔)御休息あり道の左右に鳥居あり」とあり、また、鳥居に名前が刻まれている「是成紋兵衛兌佑翁」の子孫が近くに三基の鳥居があったと親から聞いていたそうですから、本来は鳥居が一基ではなく、複数あったと思われます。
ここに来る道は、大きな道が平行に走っていて、一本間違えると違う道になるので、「しらぬい学園」とか、「鹿の塔斎場」を目安に進みます。この斎場までは道は良いのですが、これから先が少し狭い道。
車はあまり来ないだろうと思っていたら、3,4台通って行きました。調べてみると、この先に「名水」があり、多分水汲みに来たのではないかと思うのですが・・・
ついでに、近くにある「猪(しし)の塔」はどこかと見つけたら、これが全然分からない。ちょうど、軽トラに乗ったジイさまが来たので、聞いてみたら、「そこ」、「そこってどこ?」、「そこ」と指さすほうを見たら、すぐそこにありましたが、少し高台で、道からでは木立に隠れて分かりにくい。
軽トラックには、3個ばかりポリタンクが積んであったので、聞いてみたら「名水」を汲みに来たそうです。
確かに石塔があり、横に説明版がありましたが、クリックすると大きくなるので読んでください。慰霊碑の文字はかなりかすれていますが、真ん中の「三界」などは良く分かります。
鉄砲名人、「山口伊左衛門」が千頭もの猪鹿をとり、生き物の命を絶ったことを悔い、供養のために、この塔を建てたそうです。
説明版には書いてありませんが、郷土誌には「里人はこの猟の名人を『猟師重太夫』と呼び、また、多数の伝説も残っている。」とあります。
ブラブラ歩いていると、「諫早街道」の標識があちらこちらにあり、意外と整備され、昔の街道の雰囲気が味わえます。
最近、街道歩き、廃城巡り、この間は「廃道女子」がTVに出ていて、この方面が流行っているようで、諫早はこの点充実している感じを受けました。
我が市にも、島原藩主が長崎まで通った千々石街道があり、整備すれば面白いとは思うのですが・・・上の方の関心がないので、仕方無いですね。
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