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2018年4月 6日 (金)

「高城神社(たかしろじんじゃ)」について~長崎県諫早市

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    今日の雨で桜もすっかり散ったようです。先日、諫早公園をブラッとしていたら、お近くの高城神社について思いだしたことがあったので・・・・
  • 下が高城神社。


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    写真左には(鳥居に向かって右側)、「明治十五歳壬(みずのえ)午九月」。
    写真右には(鳥居に向かって左側)、「諫早邑(むら)中敬建」。


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    下が、境内の案内版ですが、赤の四角で囲った所に、神社の由来が簡単に説明してあります。左の方は、神社の見所が書いてあります。
  • 四角の中は、神社が明治十五年に創建されたこと。
    祭神が龍造寺家晴公と菅原道真公の天満宮も祀られていること。
    もとは現在の高城公園にあるも、昭和三十二年の諫早水害で被害を受け、現在地に再建されたこと。
  • が書いてあります。で、いろいろブログを読むと、「明治十五年に建てられた新しい神社」などと書いてありますが、その前段があり、「諫早市史~昭和33年・編集者 諫早市史編纂室」には、「天保十三年八月、家晴の忠魂を追慕し、一宇を城山の頂上に設立し家晴明神と称し、明治十五年二月十六日、その筋の許可を得て、現在の地に移転改築し、神号を高城神社と改称した、此築造に要する費用数万円は、旧領内庶民の寄附になるものである。」とあります。

    なお、諫早水害が昭和32年、諫早市史が書かれたのが昭和33年。本来なら、「諫早水害で被害を受け」と書くべきでしょうが、多分、印刷の訂正が間に合わなかったと思われます。

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    「家晴明神」は、眼鏡橋から山手の頂上に登ったところにあります。意外と(年寄りには)きつい階段ですが、一番上は広々として、諫早市内が眼下に眺められます。
  • 大きなクスノキがあり、国指定天然記念物です。
    忠魂碑があり、「元帥伯爵東郷平八郎書(花押)」と書いてありますが、これが邪魔まで、ここまで来て帰る方がありますが、この裏手。


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    「諫早史談~田中為市著」によると、「第七代目茂晴は祖先の頌徳と子孫の繁栄を記念して、読誦大乗妙典の塔をここ城山の頂上に建て、また第八代目茂行も父の遺志を継いで、読誦誦法華経一万部の塔をここに並べた。」とあり、奥の祠については・・・
  • 「第十一代目茂図は寛政十二年八月に鼻祖藤原鎌足を藤原明神として、また第十二代茂洪は第一代の竜造寺家晴を高城明神として、共に亀の塔の奥に建てた。」とあります。
  • ですから、高城神社の御本尊はここにあるわけで、明治十五年に創建されたといっても、歴史的には深いものがあるわけです。
  • 諫早では、こちらを「旧宮さん」、高城神社を「新宮さん」と呼んでいるそうです。

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    おっかない亀さんですが、これにはいわれがあるのですが、長くなるので省略。

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    右が「高城明神」左が「藤原明神」。なお、諫早は、伊佐早家→西郷家→諫早家に変わりますが、諫早家は竜造寺の流れで、竜造寺は前に書いたように、藤原鎌足の流れになりますから、竜造寺の本姓は「藤原」になります。この諫早の支配者の流れについては、もっか調査中で、いずれ書こうと思っています。

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    あとは面倒なので、説明版をお読みください。クリックすると大きくなると思います。多分。

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  • であとは、諫早水害前に「高城神社」がどこにあったかですが、これが意外と難しく、人に聞いたり、本や地図を調べていると、「ふるさとの思い出写真集 明治・大正・昭和 諫早~諫早市史談会編」に、昭和8年の諫早町全図というのが載っており、必要な部分を切り取って紹介すると。

    赤丸印が「旧高城神社」、赤左矢印が水害前の「眼鏡橋」、右矢印が「県立諫早中学校」となっていますが、現在の「諫早高校」。緑の〇印が現在「眼鏡橋」がある所。青の矢印が、上に書いた「大明神」がある所。

    ですから、水害前の「高城神社」は、本名川沿い、諫早高校の裏手側、諫早公園の芝生広場あたりだと分かると思います。


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    「ミニ眼鏡橋」の後ろの所に大きな木がありますが、根元をみると石仏、五輪の塔碑などの残骸があり、神社があったことをうかがわせます。

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    〇印が「大悲観世音像」。大体、この広場あたりが、「旧高城神社」があった所だと思います。

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    なお、有名な神社だから写真があるだろうと思っていたら意外となく、やっと一枚見つかったので、下に載せておきます。

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    (「ふるさとの想い出 写真集 明治・大正・昭和 諫早~諫早史談会編」より)

    「明治十五年創設だから新しい神社」ではなく、調べると歴史が見えてきます。観光的に見るのではなく、ブログに書かれる方は、もう少し調べてもらいたいと思います。

    なお、諫早は私の調査範囲外の所で、「私、嘘つかない、でも間違いはある」という事で、間違いがあったら、お許しを。


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