「名古屋弁訳 仏説阿彌陀仏経」★舟橋武志著
ウチのお寺さんは彼岸などの時、講師を招き、お話を聞くのですが、なかなか面白く、最近は、お寺通いが多くなってきています。
ただ、お話の前に全員でお経を読むのですが、意味が全然分からない。で、舟橋武志氏が「『知らぬが仏』とは言うが、お経は意味不明のオマジナイではない。阿彌陀仏経に関心のある人にも、全然ない人にも興味を持ってもらえるよう、その意味するところを名古屋弁に訳したのがこの小冊子である。」と言うことで、「はじめの」のところ、「昭和六十年四月一日 エープリルフールの日」となっておりますが・・・
なお、昭和六十年が150部、平成十二年が250部、平成二十三年が200部の発行で、大手出版社と比べると全然違いますね。商売になるのかしら、と思いますが・・・
氏の実家はお寺なるも、跡取りにはならず、マスコミ関係等を経験しながら、ミニコミ雑誌の創刊、ブックショップ「マイタウン」代表(本人一名)を経営。なお、本屋さんは週五休、お客さんが来ないからだそうです。名古屋を中心とした本を出版しています。
で、まあ、お寺にいって分けの分からないお経を読むのも退屈だし、この本を買ってみました。
お経は非常に長いので、手抜きして、数行ばかりのご紹介を。なお、標準語のルビが付けてありますが、面倒くさいので名古屋弁だけ書き写します。
仏説阿彌弥陀経~お釈迦様がときゃーれた阿弥陀経
(ぶっせつあみだきょう)
如是我聞~あのよう、わしはよー次のよーにきーとるがね。
(にょうぜがもん)
一時佛在舎衛國~あるときによー、お釈迦様が舎衛國の、
(いちじぶつざいしゃえこく)
祇樹給孤獨おん~祇園精舎とゆーところにおりゃーたときのことだげな。
(ぎじゅぎッこどくおん・「おん」の字、わたしのPCでは出ません)
與大比丘衆~ぎょーさんのさんのお弟子さんたちといっしょだったそーだわなも
(よだいびくにしゅう)
千二百五十人倶~千二百五十にんというえりゃーぎょーさんの数だったそーだがね。
(せんにひゃくごじゅうにんぐ)
皆是大阿羅漢~これらのお弟子さんたーみんなよー、えりゃー人ばっかで、
(かいぜだいあらかん)
衆所知識~世間にもよー知られとりゃーわなも。
(しゅうしょちしき)
長老舎利弗~先輩(せんびゃー)のシャーリープトラさまだろ、
(ちょうろうしゃりぶつ)
魔訶目犍連~マハーマウドカルヤーヤナさま、
(まかけんれん)
摩許迦葉~マハーカーシャバさま
(まかかしょう)
と、以下13名ばかりの名前が続き、お経も、延々と続くので以下割愛しますが、これなら、多少分かりますね。いつの日か長崎弁訳で挑戦してみますか?寿命がもてればですが・・
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ご紹介いただき、ありがとうございます。
阿弥陀経の名古屋弁訳は賛否両論でした。
ジジイになって、跡を継がなかった罪滅ぼしに、
いまは実家の寺で月に1回、
「おとなの寺子屋」をおこがましくも開いております。
今年75になり、まだ出版もしております。
棺桶に片足を入れ掛かりましたが、
最後の悪あがき、
もうちょっと頑張ってみたいと思っています。
酔っ払って書いているので、つじつまが合っているかどうか・・・。
投稿: 舟橋武志 | 2018年3月28日 (水) 21時46分
私の拙い文章、本からの無断引用にも関わらず、丁寧なコメントをいただき有り難うございました。
先日、彼岸の法座にお寺に行き、最初に「正信偈」をみんなで読経いたしましたが、まったく、意味が分からず、という感じでした。
「正信偈」についての本も読みましたが、難しく、よく分からず、というところに、「阿弥陀経の名古屋弁訳」を読み、これなら意味もよく分かり、仏様の教えに一歩近づいた感じがいたしました。
難しいことを、愉快に、愉快なことを楽しく、楽しいことを深く、と言ったのは、井上ひさしさんだったと思いますが、是非、この本のような試みは続けていただきたいと思います。
今回、本を読ませていただきました事を感謝いたします。
投稿: sugikan | 2018年3月30日 (金) 20時30分