« 「乃木大将少年時代家庭の景」 | トップページ | 「やっぱり『週刊現代』『週刊ポスト』」 »

2018年2月 5日 (月)

「ここは、どこ?」~雲仙市小浜町

 
Dsc_0679_2

「ここどこ?なに?」と言われても、難しいですね。

実は、「ハンネの屋敷跡」になります。ここ、昔、話を聞いていたので5,6回行って捜しましたが、全然分かりませんでした。

とにかく、小浜高校近くだということで、左のような藪まで入ったのですが、分かりませんでした。で、知っている人に聞いて、行ってみても分かりません。しかたがないので、ご近所の方に聞いて、やっとわかりました。

右の写真の赤の矢印の所、木の中におぼれていました。

Dsc_0668 Dsc_0686

かき分けてみると、お!出てきましたね。「昭和五十六年一月 小浜町教育委員会 ハンネの屋敷跡」。これじゃ、探してもわかるはずがない。

ご近所の方と話をしていると、「せっかくなら、分かりやすい標示すればいいのにネ」

このハンネについては「髙来郡(たかきぐん)小浜村由来記」について書いてあり、ただ、原本ではなく、写本で、表紙には「弘化四年(1847年)丁(ひのと)未の年十二月中旬書写 社役当村院跡七代目法師 覚五院実相坊宥元(直人行元)」となっていますが、これを読み下したものがあったので、読んでみると下のように書いてあります。長いので、肝心なところだけ。

「慶長十九年(1614年)に、イルマン(修道士)北村(地名)居住致し、耶蘇教を勧める。元泉(光泉寺の弟子)五十四才にて、邪教と目をつけ申し候につき、与ヱ門(村役)が召し取り、御公儀へ訴えつかまつる。
御上使、山口駿河の守様が御来駕、与ヱ門へ御ほうび、その時鉄砲給わり候。・・・以下略」

と書いてあり、この場所今は開けていますが、当時は山領に続く細い道だったのでしょう。

さて、このことは、「髙来郡小浜由来記」、「小浜史談」には同じように書いてありますが、小浜の「史跡巡り」には、「・・・ハンネは甘藷(かんしょ・サツマイモ)作りをすすめるなどして住民は崇拝していた。」と書かれていますが、この話はどこから出てきたのでしょう?由来記には、ハンネも甘藷も出てきません。

キリシタンの禁教については、多種説があり、細かく言えば難しいのですが、本格的に厳しくなったのが、江戸時代で、寛永14~15年(1637~1638年)、島原・天草の乱に恐怖した幕府は、このころ、まだ、締まりが甘かったものの、島原藩主・松倉重政が家光(重臣との話もあり)から、厳しく叱責され、取り締まりを強化したということです。

とまあ読んでみて、「ハンネ」「甘藷作り」は「小浜由来記」には載ってなく、どこからこの話が出てきたのか、知りたいものです。

Dsc_0675_2 

さて、標柱ですね。いまは、小浜町教育委員会は町村合併でありません。「雲仙市小浜町支所」はありますが。教育委員会は本庁に「雲仙市教育委員会」があるだけです。しかも、標柱は昭和56年になっています。

最近、「雲仙市の文化財」なるパンフレットができましたが、この話については全く触れてありませんでした。「消えゆく文化財」が増えゆく今日、残念なことです。



« 「乃木大将少年時代家庭の景」 | トップページ | 「やっぱり『週刊現代』『週刊ポスト』」 »

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/577450/66362065

この記事へのトラックバック一覧です: 「ここは、どこ?」~雲仙市小浜町:

« 「乃木大将少年時代家庭の景」 | トップページ | 「やっぱり『週刊現代』『週刊ポスト』」 »

フォト
2018年9月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            

ブログランク参加中クリックしてね

最近のトラックバック

amazon

無料ブログはココログ