「柳川屋」~斎藤茂吉、泊まりし旅館
最近は、小浜(長崎の小浜で、隣町)で調べる事があり、数日間通っていますが、「小浜町史談」に、斎藤茂吉が来たことのエピソードが書いてあったので、要約してご紹介を。
斎藤茂吉は、大正6年から、官立長崎医学専門学校(現長崎大学医学部)に精神科教授として勤務しています。
大正9年に喉の病気にかかり、赤彦のすすめにより雲仙へ転地療養をしています。赤彦は翌日、用事のために東京に帰ります。
この道に立ちてぞ思ふ赤彦は はや山越しになりつらぬか 茂吉
8月14日、雲仙が肌寒くなったので、長崎に帰り、30日、佐賀県の唐津に行き、9月30日古湯温泉(雲仙)に移っています。
10月3日長崎に帰った茂吉は諏訪神社の祭り「くんち」の騒がしさをのがれ、11月西浦上木場郷に移りますが、ランプと料理の粗末さから、15日に、小浜の柳川旅館に5日滞在をしています。上の写真です。
初日、お手伝いさんをよび、夜具を太陽にあてさせたそうですが、さすが、お医者さんらしい潔癖さ。
茂吉は、お手伝いさんにポチ(心づけ)を渡したところ、ほかのお手伝いさんからもお礼をいわれ、調べたところ、ポチはお手伝いさん、みんなで分けるということで、茂吉は前に渡したポチを取り返し、それに幾倍の金額を改めて渡したそうですが、その時のお手伝いさん、「たいそうヨカ先生じゃたばってん、変っちょらすところがあったですね。」と言ったそうです。
小浜、雲仙(当時は「温泉」と書いて「うんぜん」と呼んでいましたが)には、外国客が多くかったそうです。
ひょろ高き外人ひとり時の間に われを追い越す口笛吹きつゝ 茂吉
さて、茂吉は散歩帰り浴衣の片肌抜きで歩いて小浜警察所(当時は、旧道の商店街)を通っていると、外国人が多く来ているので、みっともないので、道を通らないよう注意されたそうですが、巡査は新聞で茂吉を知っており、署長に報告。茂吉は受付に一円を1枚おいて、外に出ると、諸肌脱いで旅館に帰ったそうです。
当時の、軽犯罪法は片肌脱ぎで街路を歩くと50銭の罰金、両肌(もろはだ)のときは、一円の罰金、ですから、茂吉は罰金の前払いをしたということです。
茂吉は大正3年に結婚し(養子)になっていますが、夫婦仲は悪く、恐妻家でしたから、遠く離れた長崎で、羽を伸ばしたかったのだ思います(ウチに似ているので、気持ちはよく分かります)。
ここに来て落日(いりひ)を見るを常とせり 海の落日も忘れざるべし 茂吉
上の歌の石碑は、小浜町支所の近く「夕日の広場」に設置されています。少し歩いたところに、ロハの足湯がありますので、是非お越しください。
(※柳川屋は現在の伊勢屋旅館にあたるようです。文は「小浜町史談」より要略しました)
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