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2018年1月 5日 (金)

愛野町「首塚」について~雲仙市愛野町

Img_20180105_0002

         (「雲仙の文化財」の写真より)

愛野町(あいのまち、です。あいのちょう、ではありません)の首塚です。
コメントをいただき、前回書き忘れたことがあるので、少し書いてみます。

長い間、島原・天草の乱のとき、討ち取った首の3分の1をここに埋めたと言うことですが、埋めたのは天草の富岡、有馬、長崎の西坂(26聖人の処刑された所)あたりではないかと言われています。

だた、富岡ははっきりしていますが、有馬、長崎については、「じゃないか」と言うことで、はっきりした場所は特定できておりません。

このことについては→こちらをクリック に少し書いていますので、ご覧を。

宝永四年、島原藩松平忠雄公のとき、島原半島各村の石高、人数、お寺、神社、村内の鉄砲の数、村の様子などが書かれた「島原大概様子書」があり、その後たびたび書き直されたそうですが、「会津村(現雲仙市愛野町)」の所に次のように書いてあります。

「首塚壱ヶ所有馬一揆(注;島原・天草の乱)之節切支丹之首三千余埋めし塚と申伝ふ。」

これが後年までひびき、「長崎ネット」、「じゃらんnet」等々にも堂々と、島原の乱のおり云々と現在も書いてありますので、ご注意を。真っ赤なウソです。

ただ、どうして上のような話になったのかは、残念ながら、文書(もんじょ)としては残っていません。


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