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2018年1月24日 (水)

「天草四郎は千々石ミゲルの子か?」その②にて終了

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           (「キリシタン研究 第六輯」より

さて、昨日、以下の通りですと書きながら、筆者を忘れていました、文書を書いたのは、マノエル・ディアース神父。

「・・・それは一六三八年であり、ドン・ジョアン・ペレイナの二隻の船の船員が十月二十日に日本を出帆して十一月四日にマカオに到着した。彼らが島原の乱(一六三七年十二月十七日~一六三八年四月十二日)の消息を持ち帰り、マノエル・ディーアス神父が同年十二月三日付総長宛書簡の中にそれを写している。」

「有馬のキリシタンはキリシタンであるが為に殿から(注:島原藩主・松倉重政・勝家)受ける暴虐(主に勝家から)を耐えきれず、十八歳の青年を長に選んで領主に叛乱を起こしました。その青年は昔ローマへ行った四人の日本人の一人ドン・ミゲールの息子であるといわれています。彼らは城塞のようなものを作ってそこにたてこもりました。」たとあります。

この文書の出所については、「Jap Sin.18,Ⅱ 268-269v F.Scutte S. J.,"Introducstoi ad Hisotorian Soietatais Iesu in Japan",Romae 261-262」となっており、所在ははっきり分かりませんが、最初の注(1)の所に「イエズス会ローマ古文書館」という文字が書いてあり、文書番号も同じ付け方なので、上記の所にあると思われます。

さて、上記の文書で気になるのは、「息子であるといわれています。」の所。あくまで、伝聞だということが分かります。

外人の船員がこの話を聞いたということは、かなり噂として広がっていたのではないかと思うのですが・・・・

千々石ミゲルにしても謎が多く、天草四郎にしてもしかりです。ひょっとしたら、と思うのですが、今は見向きもされませんが、数十年前、義経が中国に渡り、チンギスハーンになったと言うことが真剣に論じられました。

時とともに、伝説が伝説を呼ぶという事でしょうが、天草四郎が、千々石ミゲルの父とは、何となくロマンがありますね。虐待されていた庶民の救世主だったのでしょう。それが、上の話に結び着いたのでは、と思うのですが・・・・・


忘れていました、上の文書は左が、千々石ミゲルの筆跡。右が伊東マンショの筆跡。ミゲルの筆跡を見るだけで、どれほど繊細な男であったのかが分かると思います。


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