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2017年12月24日 - 2017年12月30日

2017年12月30日 (土)

「しょせん幸せなんて、自己申告★綾小路きみまろ著」~どう生きて、どう死ぬか

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きみまろさんの「冗談本」かと思ったら、まじめな本でした。

きみまろさん、ご存じの通り遅咲きの芸人でした。それだけに、苦労は多かったみたいで、自分のテープを何千本とダビングし、高速道路のサービスエリアで、バスガイド、運転手さんに配り、それがきっかけでCDになり、名前が広がっていくわけですが、その時が50歳。

「最初は『冗談じゃない!とおこられました。』/でも、石の上にも三十年。気づいたら、皆が私の冗談を聞きにくるようになりました。」

「赤い花も、緑の葉に助けられている。」

苦労してやっと有名になった人の言葉、人生に対する考え方が、ちりばめられています。若い方は、今からの生き方を。歳を取られた方も、これからの人生を考えるヒントに良い本だと思いました。

「他人がうらやんだところで、どうせ死亡率は100%。しょせん幸せなんて、自己申告です。」


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(「正月用引き札」。明治~大正期のポスター・チラシ。正月にお得様へ配布)


「良いお年」を、言いたいところですが、良いか、悪いかは、「自己申告」で・・・



久しぶりに「ピカチュウ」&「橘」氏について

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今年は会えないかと思ったら、今日、出てきました。まだ、クリスマスバージョンですが・・・と思ったら、ビューと、長崎方面に飛んでいきました。

前にも書きましたが、この道は長崎に繋がる街道です。
島原のお殿様は長崎が貿易港であったため、監視のため、この道を通って長崎まで行っています。伊能忠敬も通り、千々石の宮崎庄屋に止宿しています。山頭火も通りました、もっとも宿を頼んだところ、全部断られたそうですが(前にも、書いたかな?)。もっとも、あの姿ではですね。

勝海舟、坂本龍馬一行も通ったことになっています。別に早駆街道というのがあり、そちらを辿ったという説もあります。

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問題は、ここの土手、松林ですが前にも書いたように、島原天草一揆の元凶といわれる、「松倉重政」が作ったものです。

島原半島を収めていたのが有馬一族。有馬晴信が岡本大八事件に巻き込まれ死罪。本当なら、お家没収ですが、晴信の息子の嫁が家康の遠縁だったため、息子は移封はされますが何もなし。あと、少しありますが、カットします。次に来たのが、松倉重政。

松倉重政の性格については、「島原半島史★林銑吉著」に次のように書いてあります。

「重政の人物に就いては諸記に総合するところをみると、如何にも豪放で淡白な資であったらしい、また剽悼で純情な一面も見えるようである。兎に角(とにかく)戦場往来の勇士であるから、相撲豪胆膽な範類の人であったようである。」

重政は最初有馬一族の日野江城に入りますが、交通の便、キリシタンがおおいため、島原に城を築きます。

諸本によれば、すぐに移城したようですが、「島原秘話★渋江鉄郎著」によれば

「新城地として多比良、深江、千々石、小浜と候補地を見て廻ったとき、千々石村に普請采配の技術を備えている人物が居ることを聞いた。そこで、和田四郎左衛門義長に白羽の矢が向けられた。」、和田氏は、中央の戦火を逃れ千々石に来ていたそうです。

和田氏は城ができた折には、「城代」にするといわれますが、城が完成する前に松倉重政は亡くなり、和田氏は、「城代にする」という言葉を忘れず、「城代」姓に改姓します。

なお、千々石に困ったことがないかと問われた時、田畑が潮風にやられ困っておりますと答えたそうですが、ここの土手と松林がなかったら、後ろの田畑はモロ塩害を受けます。上の展望所から見れば、すぐに納得できます。

それを聞き、松倉氏が命じ土手を築き、住民で松を植え現在の形になったそうです。

さて、この和田氏が「橘中佐」の祖先になるわけですが、しつっこい私、墓を調べに行きました。

途中、橘中佐の子孫、現在、橘神社の宮司をされていますが、墓のことを聞いたら、現在の墓は十何代目からの墓で、それ以前のは別の所にあるとかで、場所が良くわからないので、現在の墓所に行ってきました。

写真左が、2,3年前お父様が亡くなられたので新しく作られた墓。「橘」と書いてあります。右が橘中佐のお兄さん、「和田家十三代 橘常葉夫妻之奥津城」と彫ってあります。「奥津城」は神道式の墓に刻まれるもので、浄土真宗で言えば「~居士」といったものです。

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こちらには「城代」と書いてありますが、「城代甚右衛門義孝」の墓だけは「代」が「臺」になっていました。理由があるのか、昔は、当て字などが多かったのか・・・

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ということで、本当に、和田→城代→橘と変わったことが分かります。

「橘」姓は家の系図によるもので、12代目の「城代甚右衛門季隣(すえちか)」氏のときに、「橘」姓に変わったそうですが、「周太(橘中佐)」少年が7歳だった頃だったそうです。

さて、あとは昔の墓所を捜して調べる必要があるのですが、字が摩耗していないかどうかが問題です。

なお、松倉重政の子、松倉勝家については、「鍋島家譜」に次のようにあるそうです。

「松倉長門守者父二不似武を忘れ諸士を不愛女色を好ミ酒尓耽て・・・・」(南串山町古文書研究会「古記録抜書帳」より)

要るに親父と違い、武術を忘れ、臣下を愛することなく、女色と酒におぼれた、ということですが、この後、悪政を行い、キリシタンの取り締まりを厳しくし、「島原・天草一揆」が起こってくるわけです。

最後は、一揆の責任を取らされ、所領没収、斬首刑。切腹は許されず、大名らしからぬ亡くなり方をしています。



2017年12月28日 (木)

「巫女就任奉告祭」~千々石町橘神社

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昨日からウォーキングを始め、今日は橘樹神社コースを。

ちょうど、宮司さんと出会い、「今日は昼から、巫女就任報告祭をしますよ。」と言われましたが、「報告祭」ではなく、「奉告祭」でした。

橘樹神社は、8万~10万人ほど初詣に来られるので、地元にかかわりのある、高校生、専門学校生、大学生19名で巫女さんをつとめられます。今日は神様に対する「奉告」なります。

草色(?)の袴を着ておられるのは、以前、巫女さんの経験者で、「巫女長」さんです。

まず、手水(ちょうず・てみず)。その後、上の写真のように整列し、社殿にむかいます。

なにやら3名の怪しげな男がいますが、マスコミさんです。朝日とか、西日本とか、産経とか、NHKとか、赤旗は来ていません。残念ながら・・・・


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このあと、拝殿でお祓い。ひとりひとり名前を呼ばれ立ち上がりますが、何となく皆さん厳粛に見えますね。

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外から、ウランバードル(だったかな)の一行が見学。で、記念写真、単純に喜んでいました。

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ここで、終わりかと思ったらお守りなどの袋詰め。

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どれくらい作るのか分かりませんが、大変ですよ。普通はここには入れませんが、私は、「千々石新聞社」の腕章を付けているので、入れます(あくまで冗談です)。

で、見ると分かりますが、みなさんマスクを付けてるんですね。これは、宮司さんが、お守りに御祓いをし、お守りに神様が宿ってますから、息をかけ、穢れがないようにとの心遣いだそうです。


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大晦日は皆さん徹夜だそうですが、あとは、2~3交代になるそうです。ブラック企業とは違います。

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お正月は、このメンバーが社務所に詰めておられますので、是非どうぞ。

なお、この後ですが、

・平成29年12月31日(日)23時30分 年迎え禊ぎ 神社境内手水舎前
・平成30年1月1日0時より 橘ぜんざい振る舞い 橘神社境内 先着1500食
・平成30年1月7日(日) 時間不明 神社境内 七草粥振る舞い
・平成30年1月11日(木) 時間不明 橘樹神社鏡開き
・平成30年1月20日(土)午前5時 橘公園軍神橋下 橘樹神社大寒禊
・平成30年1月28日(日)午前8時~ 大門松解体

という予定になるようですが、詳しくは神社の方へお問い合わせを。おすすめは、11日の鏡開きですね。平日で初詣客もすくなるなる頃で、昨年は、いやと言うほど食べてきました。

なお、千々石時間といい、時間にはファジーなところがあり、時間通りいったら、七草粥が食べられなかった、という方がおられましたので、ご注意を。



2017年12月27日 (水)

「それどころじゃない!」

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今年最後の病院へ行ったら、「体重はかって」、で体重計にあがると、なんと、70㎏オーバー。

病院で計るときは、服を着て、中身が軽いお財布などポケットに入れたままで計りますから、70㎏オーバーはないだろうと、家に帰ってパンツも脱いで真っ裸で計ったのが上の写真。

思えば、10年ほど前は75㎏以上あり、こりゃいかんと、必死こいて歩いたり走ったりで、5年で、56㎏に、なんと、19㎏の減量ですよ。

ところが、膝が痛み、心臓病がでて、走ったり、歩いたりするのを止めたら、体重が段々増えて、これ以上増えると、前と一緒の体重になるではありませんか。

ということで、今日からブログを書くどころでじゃなく、今からウォーキングに行ってきます。なお、血糖もかなり高くなっていました。

正月を前に、皆様も食べ過ぎにご注意を。太るのは簡単、痩せるのはほぼ絶望。


2017年12月25日 (月)

「ミニ門松作り~子供会」

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橘樹神社の大門松、上塩浜のクリスマス・イルミネーションと続き、今日は私たちが住む自治会の子ども会のミニ門松作り。

今年の子どもは8名。50世帯ばかりはあるのですが、考えると高齢者だけの家庭は増え、子どもたちの姿が少なくなりました。

高齢者の方と話していると、「子どもとはすれ違うばってん、どこん子か分からん」という声を良く耳にします。

前自治会長さんが、自治会の地域作りで、子ども会、老人クラブ、自治会と合同でミニ門松作りを思い立ち、5,6年前から始まりました。

子どもたちが竹を斜めに切るのが難しく、新自治会長さんが竹を切って準備をしていたので、随分楽でした。

作り手が子どもばかりですから、なかなか思い通りにできず、自治会長、老人クラブ会長の手をかりて、なんとかかんとか。


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できましたが、もう少し手を入れるときれいにできるのですが、なるだけ、子ども
の手で作らせようと・・・・飾りは百均で買ってきたもの。

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遠くから見ると、何となく、きれいに見えますね。玄関の飾りにピッタリ。

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このあと、クリスマス会で、私も(血糖を気にしながら)ケーキをおご馳走になりました。

新年までもう少し。新しい年を新たな気持ちで迎えましょう。宿題は忘れないように。



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