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2017年8月13日 - 2017年8月19日

2017年8月19日 (土)

久ぶりに、「肥前狛犬」さん


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最近「肥前狛犬」さんの事を書きませんでしたが、あれから幾歳月、その後、5か所ばかり探し当てたのですが、今日は2点ほど。

上の狛犬さんは、諌早の有名寺院の中に置かれたもので、一体のみ。少し分かりにくい所に置いてありました。オッカナイ顔でしたが・・・・

下の狛犬さんは、セキュリティーがきちんとしてある所なので場所を書きます。
某日、南島原市の口之津民俗資料館・海の資料館に行って、館長さんと、いろいろお話をしていて、肥前狛犬の話をしていたら、「あ、うちにもあるよ」、と。ここの資料館、参考になるものが多くあるので、数回訪れていたのですが・・・・

「え!どこに?」・・・「こちら」と、わざわざ館長さん自らご案内いただいたのですが、中庭にある「恵比寿様」の神社の所。見たところ分からない。で、「ここ」と言われて、玉垣の中をみたらありました。

玉垣の中にあるので、良く見てなかったのですね。なんでも、よく見る事、必要ですね。

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内側からは狭いので、写真が撮りにくく、後ろ姿です。
残念ながら、向かって右手の狛犬さんは崩れてしまって、形もありませんでした。
資料館にお寄りの節は是非ご覧ください。

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あと、3か所ばかりあるのですが、「肥前狛犬」のルートが大体分かったので、次回にでも、分かった事を書きたいと思います。





2017年8月17日 (木)

2001年宇宙の旅~「映画の見方がわかる本★町田智浩著」より


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懐かしき、「2001年宇宙の旅」ですね。難解だとも言われましたが、映画の出だしの、「ツァラトゥストラはかく語りき」、宇宙船が浮かぶ場面での、「美しく青きドナウ」のワルツ。すべてが意表を突く表現でした。

「2001年の旅」シリーズの本、多分これが全部だったと思います。これをそろえたのは下の、「映画の見方がわかる本」を読んだからですが。

例えば、「地獄の黙示録」。某評論家が、T・S・エリオット、フレイザーなど劇中で引用された文献を使って評論したそうですが、「前提となる事実が抜けています。実は、それらの引用は、カーツ大佐役のマーロン・ブランドが肥満でアクションもできなければ、セリフも覚えていなかったため、仕方がなくカンペに書いて朗読させた苦肉の策に過ぎなかったのです。そんなことを真剣に論じてどれだけの意味があるのでしょう?」など書いてありますが、決してネタバレものではなく、映画の内幕を語りながら、映画の観かたを考えさせる本です。
 
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「2001年宇宙の旅」は、監督のキューブリックが書いたシナリオがあり、次に脚本に協力したアーサー・C・クラークによる小説版、「2001年宇宙の旅」があり、3番目にクラークによる「失われた宇宙の旅2001」があり、4番目に「プレイボーイ」68年9月号のインタビューがあり、最後に、ジェローム・アジェールによる、「『メイキング・オブ・2001年宇宙の旅』(ソニー・マガジンズ)は訳が拙く意味不明だ。しかし、あちらこちらに貴重な証言が埋もれている。」があるそうです。

「2001年宇宙の旅」は映画に沿ったもの。

「失われた宇宙の旅2001」の第1部では、「キューブリックとわたし」という事で、映画を作る上でのノンフィクションも交えながら、物語が進んでいきます。

「モノリス」について、「はじめはこの異星物体は四角い四面体だった。立体図形のうちでいちばん単純かつ基本的なもので、四つの正三角形から成り立っている。」という事で、初めは映画で見るモノリスとは違っていたことがわかると思います。とても興味深いことも書いてあります。

なお、この「失われた宇宙の旅2001」の前書きで、アーサー・C・クラークはこう書いています。「小説『2001年宇宙の旅』は、1968年7月に出版されたが、それはいまのような文章から書きだされていた(注:「2001年宇宙の旅」の前書きは、「いま生きている人間ひとりひとりの背後には、30人の幽霊が立っている。それが生者の死者に対する割合である。時のあけぼの以来、およそ一千億の人間が地球上に足跡を残した。」)。しかし、その4年まえ、第一稿はこんな風にはじまった・・・・・」

出だしは、「二十世紀の初め十年と終わりの十年とのあいだには、人間のあらゆる無鉄砲な空想を超える大きな裂け目が開いている。・・・・」

「2001年宇宙の旅(決定版)」ですね。これ読んでいません。実は、2か月の入院中、上の6冊を読んでみようかと思っていたのですが、持っていくのを忘れてしましました。

たしか、「2010年宇宙の旅」は映画でもあったと思います。監督はキューブリックではありませんが。たしか、前作の謎解きもあったかと思います。

「3001年終局の旅」では、本の解説によると、1000年前、宇宙船のコンピューター「HAL」によって宇宙船から放り出された、船長代理フランク・ブルーが海王星軌道付近で発見され、「地球の軌道都市スター・シティで蘇生されたプールがたどる究極にして最後の宇宙の旅とは・・・・」という事で、これで完結編になるそうです。

最も、アーサー・C・クラークさん2008年に亡くなっていますから、これ以上書けないわけですが・・・・



2017年8月16日 (水)

「病院」「調剤薬局」で、何やってる?

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病院あるいは調剤薬局に行って、何がイヤかと言えば、待たされることですね。

で、皆さん見ていると、ボ~とされている方、スマホいじくっている方、TV見ている方ありますが、診察室、薬局の片隅にパンフレットが置いてあります。

これが、意外と役に立つ情報があり、私は時のたつのも忘れて読んで、役に立つものは貰ってきます。なにせ、ロハだから。

下の写真の一番左が、「加齢黄斑変性」のチェックシート。真ん中を見て、線がゆがんだり、中心部が暗かったら要注意で、「加齢黄斑変性」の現象、原因などが書いてありますから、眼科で見かけたら、是非チェックを。

その右が、「ドライアイ自己診断シート」で、ビンゴケームのシートと同じように、該当する所のタグを押し開けて、「Yes」が5以上なら「ドライアイ」の可能性が多いんですって。それで、「診察の際に先生にお渡しください。」だそうです。

次が、「睡眠チェック」で、該当する部分を指で開けて、点数を出し不眠症に該当していないかどうかを調べます。なお、後ろのページに不眠症の原因、快眠のための工夫などが書いてあります。

なお、最後は、「確認じゃ!給付金」。作ったのは、「厚生労働省」(にしてはヘタなシャレ、イラストは忍者です)。病院の医療費の額によっては給付金があります。給付金は、「市町村へ申請が必要です。」という事で、知らずにそのまましていたら、給付金は貰えません。このパンフレットが置いてあったら、よく読んでみましょう。

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最後が、下の丸いものです。「緑内障などの『視野の欠け』」をチェックするもので、円の中に4匹の虫が書いてあって、中心を見ながら円を回していくというもの。折り畳み式で、子供か喜ぶのか、次の日には全部なくなっていました。

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という事で、病院等の待ち時間、もったいないので、皆さんもパンフレットを読んで時間つぶしをするのも一興かと。なお、国公立の病院には置いてないみたいでした。

ただし、置いてあるのは全部、お薬屋さんが作ったパンフレットなので、そこの所を頭に置いて、ですね。





2017年8月14日 (月)

「絵葉書」に偽りあり

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この2,3日ハガキのことばかり書いていますが、面白のがあったので。

この位置から島原城址を撮った写真は珍しく、この城に入る坂は昔はなく、後で作ったものであり、下の城図の青丸印あたりになります。

二の丸と本丸を結ぶのは、赤丸印の廊下橋で、いざというときはここを切り落とせば敵は攻め込めません。ただし、本丸は孤立状態になるわけですが・・・

さて、絵葉書の説明です。

「島原名所」
森岳城址 春高楼の花の宴・・・・松平重政の築城にかゝり、三十三箇の櫓、七箇の城門を有したという大城であったが、島原の乱で炎上して今は濠祉のみ昔のなごりをとヾめている。

とはなっているのですが。間違いがありますね。築城したのは「松平重政」ではなく「松倉重政」。

「島原の乱で炎上」はしていません。もっとも、島原の乱のとき一揆軍が攻め寄せたのは本当で、「賊三千人は直ちに城にせまった。城兵出でて戦ったが高橋文衛門、堀久兵衛・・・は遂に戦死した。そこで城兵は城に入って之を禦いだ。賊は忽ち大手門(地図の赤の矢印)に肉薄して、門扉を破壊し之から攻め入ろうとした。城兵はこれと争ひ激戦數刻、賊徒の斃るゝ者數しれず遂に敗退した。」(郷土讀本 杜城の花~林銑吉著より)という事で、あわや、というところまでいったのですが、炎上はしていません。

多分、「島原・天草の乱」と一般的言うので、間違ったのでしょうが、島原の乱は南島原市南有馬町の「原城」が舞台です。

お城は明治までそのまま無事で、この前書いたように、民間に売られてスッポンポンになってしまいます。

いまでは、一般的に「島原城」と言っていますが、城の建てられたところが、「森岳」と言うところで、「森岳城」とも言われていました。


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(「国立国会図書館蔵」・「『幻の廊下』復元プロジェクト」パンフレットより)

さて、説明に書いてあるように、「三十三箇の櫓、七箇の城門を有したという」と書いてありますが、本当かどうか、上の図面をクリックすると大きく拡大しますから、自分でお確かめを。

絵葉書は反対側に、「HAMADA YOKOHAMA」と書いてありますから、横浜の印刷屋さんあたりで作ったものだと思われます。

なお、明治9年に島原城天守閣取り壊し、昭和6年に本丸山側の道路取り付け、昭和35年に西の櫓復元、昭和39年に天守閣復元、昭和47年に巽櫓復元、昭和55年に丑寅櫓復元、時鐘復元、となっており、写真を見ると、道路取り付けだけしてあり、天守閣、櫓、また、現在の土産物屋さんなども全く見えないので、かなり前の写真かと思われます。

先に書いたように、この位置からの写真は珍しいのですが、説明はきちんと書いて欲しかったな、と思ったのではありました。




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