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2017年7月2日 - 2017年7月8日

2017年7月 8日 (土)

「茅の輪くぐり」と「蘇民伝説」~千々石町橘神社


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「茅の輪くぐり」ですね。

くぐり方は以前にも書きましたが、一礼して、くぐって左側へ回り、次にくぐって右に回り、要するに8の字を書くように回り、もう一度左へ回ってくぐり、そのまま社殿へと向かいお参りをします。

さて、この茅の輪をくぐるとき、「祓(はらい)へ給へ清め給へ」とか「守り給へ幸(さき)わえ給へ」と唱えながらくぐりますが、「水無月の夏越の祓いする人は 千歳の命延ぶというなり」「思うこと みなつきねとて麻の葉を きりにきりても祓いつるかな」とも唱えそうですが、あとの言葉を唱えながら回ると、あれ?いま何処を回ったっけ、と言うことになるので、前者の言葉をお使いください。

ところが、最後に唱える言葉として、「蘇民将来 蘇民将来」と書てあるので、「蘇民」というと、あの、速須佐雄能(すさのう)神と関係ある話かな、と思って調べると、やはり関係ありました。

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神話、伝説、伝承等に関係することで、解釈にいろいろあるようですが、夏で暑いので手っ取り早く書くと。武塔神(速須佐雄能神のこと)が旅をし、途中、宿を借りにいきますが、裕福な巨旦将来には断わられ、次に、貧しい兄の蘇民将来の所に行き、もてなしを受けたそうです。

後日、再訪した武塔神は蘇民の娘(兄という話もあり)に茅の輪をかけ、娘を除く蘇民全部を殺し(弟の巨旦将来一族のみという話もあり)、本当の自分の名前(速須佐雄能神)を名乗り、茅の輪を付けていれば疫病を避けることができると教えたそうです。

このような話から、茅の輪をくぐる事により、無病息災、また、罪を祓うということになるわけです。なお、速須佐雄能神は弟一族のみならず、兄一族も殺したという説もあり、とにかく、速須佐雄能神と言えば乱暴者で有名です。速須佐雄能神は建速須佐之男命、素戔男尊素戔嗚尊等とも表記されます。

「民俗小辞典・神事と芸能」によれば、京都八坂神社の祇園祭のとき、「参詣者は『蘇民将来子孫者也』と記す護符の付いた粽を受けて疫病除けとする。」そうです。京都には行ったことがないので、よくは知りませんが・・・・




「和銅寺・竜造寺隆信の墓碑」について書き忘れた2,3の事~諌早市高来町


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先日、和銅寺と竜造寺隆信の事を書きましたが、暑さのため書き忘れていたことがあるので・・(^-^;

竜造寺は島原の沖田畷の戦いで、有馬・島津連合軍に敗れますが、この人数については、「隆信公御年譜」「北肥戦記」「藤原有馬世譜」等々の文書(もんじょ)について違いがありますが、竜造寺軍が5万~6万、連合軍が6千~1万。

このうち島津からは1,500~3,000名が援軍に来ます。少ないようですが、島津は大友家から狙われており、そう簡単には動けません。この、軍勢の差ですから、有馬・島津軍が不利なのは言うまでもありません。下記のような布陣であったそうです。赤丸印が「竜造寺隆信」

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       (「島原半島史~林銑吉著」より)

このあたりは、昔は田んぼであったそうで、あぜ道を歩くよりほかはなく、前と横から攻められると、後ろからは大量の味方の軍が来るので、回れ右で逃げるわけにはいかず、田んぼの中に行っても足を取られ、思うようには動けずということで大敗します。

竜造寺公は「島津ノ家人大ノ男黒糸ノ鎧着テ太刀ヲ持抜持、隆信公ノ御前ニ来ニ来リ、蹲踞シテ申ケルハ、某島津ノ家人河上左京亮ト申ス者ニテ候山城守隆信公ト見請候、御介錯ノタメ参リテ候ト申シケレバ、隆信公月ヲ見テ指サス事ナカレ、汝ハ大将ノ首ヲ取ル法ヲ知レリヤト被仰、左京畏テ一礼頓首シテ則首ヲ討奉ル。御歳五十六。天正十二年甲三月廿四日未ノ刻後生害也。・・・・」ということで、隆信の首と胴はバラバラになってしまうわけです。

➀首の事

首は、島津義久が検視をし、佐賀に送られますが、隆信の親戚家老鍋島直茂が、受け取るのを断わります(「直茂は『不運の首此方へ申請(もうしうけ)ても無用の事なり、何処になりとも捨て置くように』と仰せられたそうです。:『竜造寺家と鍋嶋直茂・市丸昭太郎著』)。で、この首を持って行ったり来たりしたのが、「河上助七」とか、「町田」になっておりますが・・・

て、首を持ち帰るとき、竜造寺領と島津領の境、高瀬川にかかったとき、首が急に重くなり動かなくなったので、願行寺に葬られ墓をたてられたそうです。「法名宗阿弥陀仏と号す。」ということだそうです。

②胴体の事について

これは、看板にも書いてありますが、「薩龍家譜」によれば、「隆信公戦死ト聞ヘレバ、龍泰寺大泰寺和尚早速島原ノ御戦場に赴キ、御尊体ヲ湯江村ノ和銅寺ニ於テ、御骨トナシ奉リ、其霊骨ヲ頸ニ掛ケ、持帰リ奉ル、御法名龍泰寺殿泰巖宗龍大居士、又信隆院殿トモ、後ニ法雲院ト称シ奉ル」ということで、首と体は別々の所に葬られる事になったわけです。

あとは看板に書いてある通り、「火葬のあと地は土をもった塚が造られていたが、明治二年、第十六代領主諌早一学が、自然石の碑を玉垣で囲い墓碑とした。それより百余年墓碑、玉垣が傾き荒れたのを門徒有志により、平成五年十二月に改築された。」ということになります。

ということで、「和銅寺」にあるのは、説明版に書いてある通り、「竜造寺隆信の墓碑」であって、「墓」ではありません。

なお、和銅寺には大位牌が祀られ「法霊院殿五洲大守泰厳龍大居士」と記されているそうです。

また、「ぶらっとさらく島原(島原ガイド)~松尾卓次著」には、「両体は明治16年(1883)年になってやっと、佐賀の高伝寺に合葬されたという。」とあるので、ネットで調べたら、お墓には「山城守従五位下藤原朝臣隆信之墓」となっておりましが、法名は「法雲院殿泰厳宗龍大居士」だそうです。

竜造寺隆信の墓というのは、あちらこちらありますが、ほとんどが慰霊碑と考えた方がよいかと思います。島原、雲仙にもあります。各藩の文書に違いがあるので、アバウトのところでまとめてみました。





2017年7月 6日 (木)

「続・おもしろい!進化の不思議 ざんねんないきもの事典」~今泉忠明監修

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昨年7月、この本の第1弾を紹介しましたが、あれから1年、続編が出版されました。

柳の下にドジョウはなんとやら、という格言がありますが、いるところにはいますね。今日は、暑さを忘れ笑い転げて読んでいました。

最初は、進化についてイラスト入りで書いてありますが、これくらい分かりやすいと勉強も好きになっていたんですが・・・・・

表紙を開いたところに、こう書いてあります、「ざんねんないきもの」とは一生けんめいなのに、どこかざんねんな いきものたちのことである。」

読んでみて、みんな一生けんめい生きているのに、なんとなくユーモラスというか、カワイソウというか、というような生き物の話です。

■サバンナモンキーの金玉はスカイブルー

このモンキーについては、ネットで見られます。実に見事な色の金玉です。金色ではありませんが、驚くほどきれいなスカイブルーの色をしています。ぜひネットでご覧ください。びっくりします。
といっても、旦那さん、もしくは彼氏の金玉に真似をして、スプレーを吹き付けないように。

■ブタはデブじゃないのにデブだと思われている

一般的な人間の体脂肪率が20パーセント、ブタの体脂肪率は15パーセント、生まれたての子ブタは2パーセント。
ようするに、太って見えても、中身は筋肉ということになります。ですから、太った方をみても、「ブタ」とは言わないようにしましょう。

■オシドリの夫婦はじつは毎年相手が違う

仲の良い夫婦を、「オシドリのような夫婦」と言います。が。
オシドリのオスは交尾がすんだらどこへ消え、次の年になると再びペアを作りますが、たいてい前の年とは違う相手だそうです。
ですから、「オシドリのような夫婦」というのは、間違った意味になりますので、「あなたがた、オシドリのような夫婦ね」とは言わないようない。

■アマツバメは命がけで眠る

ヨーロッパアマツバメは10か月間ずっと飛び続けていた、という調査があるそうです。
まとまった睡眠はとれないので、空高く舞い上がり、落下しながら眠るそうですが、この間、1~2秒。これで、睡眠取れるんですかね。ナポレオンどころではありません。

■チンパンジーは愛想笑いをする

チンパンジーは好戦的で、「群れの中で『誰が一番か』ということをとても気にしています。」だそうですが、「自分より強い相手には愛想笑いまでしています。」ということで、チンパンジーも忖度をするのかな?


あと、「フラミンゴが片足立ちするのは水が冷たいから」「カ(蚊)は血なんかすいたくない」「キリンは長い舌で鼻くそをほじる」「カビバラはおしりをグリグリされると寝てしまう」「トラは笑っちゃうほど狩りがヘタ」「サメは泳ぎ続けないとどんどんおぼれてしまう」「ウマは全力で走ると死ぬ」「バンドウイルカは方言のせいで会話が通じないことがある」等々、これ、ほんまかいな?というお話がたくさん載っています。どこから読んでもよく、特に、子供さんと読むと喜びますよ。






2017年7月 4日 (火)

空缶七夕~千々石町上塩浜自治会

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2,3日前から、千々石川で何かやっているなと思ったら、七夕の飾りつけでした。

で、これ全部空缶の利用です。よく見ると、アサヒビールとかサッポロビールの缶もあります。触ると指が切れる恐れがあるので、丁寧に注意書きが。


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仕掛け人はもちろん、千々石の「上塩浜自治会」の皆さん。クリスマス、子供の日など、季節にあわせて、いろいろなイベントで楽しませてもらっています。

通りかかった、お婆ちゃんと話すると、「毎年、楽しかね。」ということで、この次は、クリスマスのイベントがありますが、今から楽しみですネ。

「町内会は必要か」という本がありましたが、これだけ楽しければ必要でしょう。子供たちも、親の姿を見て、人と人とのつながりをしっかりと学べると思います。


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さりげなく置かれた飾りですが、よく見るとアルミ缶を切って、わっかにしてつなぎ合わせたことが分かります。これだけ作るの大変ですよ!

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川の所よく見ると、橋が架かっていますが、これは平成7年7月に竣工のもの。

下の写真、多分以前にも出したと思いますが、これは大正12年、橋ができた時の「渡り初め式」の様子。「先頭は椿山家」と書いてありますが、橋の渡り初めは、親子三代揃っている家が多いので、椿山家も親子三代の家だと思います。

橋の欄干、別の写真で見ると、片方には「ちゞわばし」と書いてありますが、昔の橋の名前は片方がひらがな、片方が漢字というのが多いみたいなので、多分、もう片方は「千々石橋」。だと、思うのですが・・・・・


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今日は台風で、見に行ったら、またすぐに飾られるように、まとめて置かれていました。多分、明日には元の通りになるでしょうが、9日まで飾ってあるそうです。
夜は少しばかり、イルミネーションもあるみたいです。




2017年7月 3日 (月)

イルカ漂着!~千々石海岸


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血糖が高いとお医者さんから注意をされ、潮風に吹かれ、波の音を聴きながらウォーキングというより、ほとんど、ヨレヨレの状態で毎日歩いております。

がですね、ふと気ずくと遠くの方で、アレ!マア!というくらいの大きな魚を釣っている方が見えたんですね。

千々石海岸は意外と釣りをする人が多いのですが、とても、あのくらいの釣り竿では釣れるものではなく、いってみて、「なんという魚ですか?」「イルカです」。

ビックリしましたネ。テレビなどでは、イルカが打ち上げられているところを見るのですが、実際見たのは初めてで、聞いてみると、時々打ち上げられることもあるとか。

で、海へ帰れるかと思ったら、弱ってしまって、「ダメだろうね」とのこと。お腹の部分は、海辺の石に打ち付けたのか、別の原因か赤く内出血をしていて、見ても多分ダメだろうという感じでした。

ですから、海では泳がない方が良いのです。私みたいに。もっとも、泳げませんが・・・・

次の日に行ってみたら、なにもありませんでした。海に帰っていればいいのですが。

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「千々石海岸は閉鎖しました」の看板が、なんとなく、淋しいですね。






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