「ちょっと、疑問な・・・」★千々石ミゲルの碑
先日、千々石清左衛門(千々石ミゲル)の遺物等について書きましたが、直接の遺物ではありませんが、支所前に銅像、そして、この「天正遣歐使節 DO MIG(C?)HAEL 千々石清左衛門之碑」と三段に分かれて書いてあります。昭和35年の建立になります。
左側に「釜蓋城由来」の看板が設置してありますが、ごらんの通り、世界登録遺産というような感じ。碑の裏側は千々石ミゲルの由来が書いてありますが、わざわざ裏まで回って見る人はいないでしょう。
先日も書いたように、千々石には、三先人として、橘中佐、釧雲泉、千々石ミゲルがいるわけですが、橘中佐の場合は、神社があり、釧雲泉については、境内右手に、下のような記念碑があり、これが、「釧雲泉」の記念碑で、右手の赤丸の石が、「手習い石」で、雲泉が幼い頃、この上に泥を塗って絵を練習したといわれています。(雲泉の画は、時々、贋作があるので要注意)
ですから、橘中佐、釧雲泉の遺物は、同じ所にあり、すぐに見られるわけです。
さて、千々石ミゲルの碑は、社殿に向かうところ、二股になった道があり、右の道をたどります。
しばらく行くと、「千々石ミゲルの父を祀る神社」の看板がありますが、地元の産土神を祀る「天満宮」になります。
上の方に行くには、階段もありますが、足が悪い方は、普通の道を行った方が、と思います。いずれにしても、登りです。お歳のかたは、かなりつらいです。
このような感じの上り坂になります。
途中の「天満宮」の鳥居ですが、ここも階段があり、かなり、きつい階段です。横の方から、近道はあります。
鳥居の反対側を見ると別の鳥居が見えます。江戸期のものですが、おぼろげながら覚えているのが・・・・
確か、ここらあたり「千々石ミゲル」の碑があったような・・・神社の社殿から五分もかかりません。
で、話戻って、坂道を上がると階段があり、この階段を上がると、展望台があります。久しぶりに上ったら、キツかった。
こちらが、展望台になりますが、「釜蓋城」といっても、山城で、このような天守閣はありません。間違われないように。単なる展望台です。念のため。
この展望台の横の所、赤丸の所に、「千々石ミゲル」の記念碑があります。
問題は、この展望台の下に駐車場があり、車で来られますが、大鳥居の駐車場からは、途中、軍神橋があり、橋が痛む恐れがあり、通行止めです。
ここまで車で来るには、いったん国道に出て、グルッと回ってくる必要があるのですが、地元のはすぐ分かりますが、地元以外の方は簡単には分かりません。ということは上に書いたように、登り道を上がってくる必要があります。
なお、見ていると、橘神社には観光客が多く、必然的に観光バスを利用しますが、高齢者の方が多く、ここまで上ってこられるもんじゃありません。
千々石の三先人といいながら、「千々石ミゲル」の記念碑だけが見られないわけです。誰が、こちらに移したのか知りませんが、墓碑ならともかく、記念碑ですから、三先人の記念碑は近くにまとめて貰いたいものです。
千々石ミゲルはクリスチャンで、神社の境内に飾るのが不都合なら大鳥居の所に橘公園があるじゃないですか。本当に、何も考えていませんね。展望台を作ったから、その横になにか縁(ゆかり)のものをという発想でしょうが、観光客のかたは見受けたことはありません。
ということで、ここに「千々石ミゲル」の記念碑を持ってきたのには、ちと疑問があります。
最近、橘神社の雨漏りがひどいらしく、浄財の寄進をしておりました、私も少しばかり寄進をしてきました。皆様もよろしければ、必ず良いことがあります。と思います。
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