「千々石ミゲルの墓とみられる墓石」~遺構出現!
昨日、墓の石ぶたと思われるものが発掘されました。下は「長崎新聞」に載った写真ですが、大きな石が3個あることが分かると思います。
私たち見学者は一段高くなっているところから見ているので、土嚢と基壇の石のため、新聞の写真の一番向こう側の石は、まったく見えません。という事を頭に置いておいてください。
新聞写真で見る一番手前の石。意外と軽いのか、4,5名で持ち上がりました。右の写真は取り除いた後の様子です。
真ん中の石の撤去です。重たいので、チェーンブロックで持ち上げて移動。
すぐに見られるかと思ったら、責任者で確認。その後、板を撤去。すると、穴が現れ、一番上の写真です。
あと、説明がありましたが、木棺を埋めた後土を被せ、三枚の石を置き、また土を被せのではないかという事でした。
多分、木棺が腐り、水や土が流れ込んで、空間ができたのではないかと思います。
なお、木棺には、タンスにあるような金属製の取っ手が付いており(まだ片側だけの確認でしたが)、木棺はその目的のために作られたのか、ほかの入れ物を転用したのかは今の所不明だそうです。
真ん中の石の撤去です。重たいので、チェーンブロックで持ち上げて移動。
すぐに見られるかと思ったら、責任者で確認。その後、板を撤去。すると、穴が現れ、一番上の写真です。
あと、説明がありましたが、木棺を埋めた後土を被せ、三枚の石を置き、また土を被せのではないかという事でした。
多分、木棺が腐り、水や土が流れ込んで、空間ができたのではないかと思います。
なお、木棺には、タンスにあるような金属製の取っ手が付いており(まだ片側だけの確認でしたが)、木棺はその目的のために作られたのか、ほかの入れ物を転用したのかは今の所不明だそうです。
墓の上などに石を置く、また、その規模等から考えて、時代的には庶民の墓ではないことは言えるという事で、かなり身分が高い人の墓だといえるという事でした。
新聞社の質問に答えていましたが、墓の形は日本型であるが、まだ、調べてみないと分からない。日本型だと六文銭(三途の川の渡し賃)が入っているかも。キリシタンの墓なら、副葬品はほとんど何も入れなく、身に着けていたもの程度のもので棺に入れるそうですから、これから何が出てくるのか見守りたいものです。
なお、骨が出てきた場合は、一応ストップして、骨関係の専門家に調査を頼むそうです。
まだまだ昼は暑い中、調査は続きますが、ほとんどの方が、長期のボランティアという事で、大変だとは思いますが、「千々石ミゲル」の謎が解けるかもしれず、あと一息頑張っていただきたいと思います。
« 出た~!★「千々石ミゲルの墓と思われる墓碑」 | トップページ | 忘れておりました「週刊ポスト」「週刊現代」 »
「史跡」カテゴリの記事
- 島原半島に関する三冊の本(2024.05.05)
- 島原ぶらり~ひな祭りなど(2023.02.23)
- 島原城築城400年~島原市(2022.12.01)
- 空照上人、雲仙の事について★まとめ②~終わり(2022.09.09)
- 空照上人、雲仙の事について★まとめ➀(2022.09.04)
コメント