「児島」へ~雲仙市南串山町児島 其の一
児島(こじま)です。左に長く伸びているのは養殖をしているので、防波堤です。
GoogleEarthで上から見ると、丸印の島、矢印は国崎半島になります。この半島の先の海岸、良い海岸なのですが・・・・
月曜日にこの島に調査に行ったのですが、島の一番上まで登り、と言っても手入れをしていないので、ヒーヒー言いながら登ってきましたが、まだ筋肉痛が残っていて、歳を感じます。この児島の事について、2,3回、飛び飛びになるかと思いますが、書いてみたいと思います。
さて、どうしてこの島の調査に来たかというと、南串山の古文書研究会で、馬場庄屋の文書に、臨済宗の開祖、また喫茶の習慣を日本に広めた、栄西の事が書いてあったからで、
読めないと思うので、概略書いてみると
栄西が宗から帰るとき、建久元年(1190年)に京泊の湖島(ママ・現在は児島)に弁財天を祀り、菩提樹を植え、また、漁夫が掛け声にエサイナトいうのは、栄西を慕い云っているという事が書いてあり、ここの所長くなりますが、菩提樹について書いてあり、普通は建久元年、菩提樹の枝を中国から送り、それが香椎宮に植えられたことになっているのですが。
湖島(児島)菩提樹越願い始て植えるの
始免也元亨釈書に僧栄西
京ゟ伝し建久元年ノ春
筑紫香椎の神詞(ほこら)の辺り
植えるを是を始めとすとハ偽也
此湖島に弁財天建立後
菩提樹を植置程絶て香椎へ
被参る由なれバ初めて植えられしハ
此の湖島也
とあり、菩提樹が初めて植えられたのは、香椎宮ではなく、この児島にであるという事が書かれてあります。
その後有馬一揆(島原半島の神社は、有馬晴信からほとんど破棄されています。千々石の満明寺もしかりです。)の節この弁財天も廃亡されたそうです。
でもって、無謀にもこの島に上がって、菩提樹があるかどうか確かめようと、大人(というより、高齢者)6名ばかりで調べに行ったのですが・・・
下の図は、明治二年の神社明細調帳の図です。
鳥居が書いてありますが、現在は壊れています。鳥居前の広場から上陸できるようですが、現在は全く違っておりました。島の形は、多分、昔はこのような形だったのでしょうが、現在は木が育ち(過ぎ)島の形が違ってきたような気がするのですが。
なお、この島は以前は女人禁制、石の一つ持ち出すことは禁止だったそうです。世界遺産の宗像・沖ノ島と一緒ですね・・・・・・(続く)
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