消えた山~雲仙市小浜温泉
今日は昼からバタバタしておりまして、というのが今日はiPhone8の受付日。
今日の朝まで悩んで、ここまで毎年替えたから、いまさら止めるわけにはいかないだろうと、またもや替えることにして、今回は使ったことがない、初めて5.5インチに決定。
いつものように午後4時1分からが受付で、ショップに並んでも受付までに時間がかかるので、ネットで注文をしようと30分前から、準備やら練習やらで過ごして、ジャスト時間にネット受付を始めたら、なんとなくおかしく、何とかつながって、確認のメールを見てびっくり。なんと県外のショップからの受付メールで、わざわざ県外まで受け取りに行くのかと慌てました。そこでキャンセルをかけ、お近くのショップに受け取りに行くように手続きをし直したら、4時30分。という事で、発売日の22日には現物は届かないだろうな。
という事はどうでもよく、一番上の写真は昔の小浜温泉です。絵葉書です。私が入手いたもので、手前に見える丸い桶のようなものが風呂桶です。
「小浜町史談」によると、「断崖絶壁の下、飛び石を伝うてしか行けなかった磯の温泉・・・」というところで、これでは温泉場としては発展しないという事で、本多西男氏(小浜の湯太夫・温泉の元締め)が自費を投げ出して、明治28年、明治38年、明治43年に埋め立て、現在のような温泉地に発達をしていったわけです。
矢印の部分家を支える柱が少し見えると思います。
(「2005 小浜町80周年記念誌」より)
で、長崎大学でも古写真を集め、電子化コレクションとして公開をしており、一番上の写真もありましたが、同じような感じの下のような写真もあり、あれ、これ違うじゃん、と気が付く人は、カンの良い人で、それなりの人は気づきませんね。
(「長崎大学附属図書館幕末明治期古写真メタデーター・データーベース」より)
いちばん上の写真は左側に山が見えますが、下の写真は山が消えています。別に天災があって無くなったわけでもなく、現在もちゃんと存在しています。
以前、「小浜煎餅」の事を書いたことがありますが、その折、「この時代、日中戦争、太平洋戦争と続く時代ですから、溫泉案内記、郷土史等は全く姿を消していったそうです。」と書きましたが、多分、戦争をするとき地形が分かると不利になるので、山を消したのは軍部かもしれません。
時々、絵葉書などを見ると、「検閲済」と印刷したのを見受けることがありますがこれもその一つでしょう。と思います。
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