「寺子屋」
「渡辺崋山」の「寺子屋図」だそうです。もちろん、本物は買えるわけもなく、レプリカです。
見ていると、昼休みか、個性に合わせた指導か、学級崩壊かいずれかでしょう。
もっとも、上のような寺子屋だけでなく、下のような真面目な寺子屋もあります。
(「古文書はこんなに面白い」~油井宏子著より)
群馬県に「みやま文庫」というのがあり(平成2年は会長さんは群馬県知事さんになっており、長崎県とは違いますね。)、そこから「群馬の寺子屋」という本が出ており、「昭和11年度調査 群馬県内の寺子屋(含私塾)」という事で、なんと群馬県下で、1351の寺子屋があり、「前橋市城内の寺子屋・私塾」でも、195の寺子屋があったそうですから、今の学校より多いじゃないですか。もっとも群馬県には行った事がありませんが。多分、本当でしょう。
寺子屋の先生として、農民(士分)、単なる「農民」としか書いてないのもあります。神官、僧侶、医者、法印(山伏)、武士、書家(狂歌師)がほとんどです。
「束脩(そくしゅう・今の入学金)・謝儀(お礼)」について。「束脩」は「金または品物を納める」となっています。「束脩」として、「酒一升・赤飯」、「酒一升・金15銭」、「受ケズ・裕福」などもあります。「十銭の菓子」、「赤飯」もあり、「酒」と「赤飯」が多いみたいな感じです。
「謝儀」については、「本県のような農山村の寺子屋では、『家計豊なれば、月謝束脩を遠慮せず』(「群馬県庶民教育史調査」)と、私財で寺子屋を維持したところが多かったようである。そのため束脩・謝儀も定額というものはなく、寺人・登山(入学の事)の場合、つまり、束脩は赤飯一行器と酒のようであった。」という事で、普段は節句に菱餅、暮に歳暮として塩鮭、米などを送ったようですが、「寺子屋の師匠は金銭が目当でなかったことがわかる。」という事だそうです。
さて、教科書では、「旧勢多郡内寺子屋使用教科書及び教材」として、一番多いのが、「庭訓往来」、二番目が下の「実語経」、「今川状」、「史書」、「名頭」などと続きます。
入学を、「寺人・登山」と言っていたそうですが、年齢は、五歳から十五歳までで、七歳が最も多く、それに次ぐのが八歳、九歳、十歳で、教学年限は大体五年程度であったそうです。
寺子屋は通年ではなく、「季節授業で、主として農閑期、それも冬季に教えていたようである。」という事ですが、この年齢で、上のような書を読んでいたとは驚くべきことで、明治初期に外国からやってきた人が、日本人の識字率、頭の良さにはビックリしたことは各種の本に書いてあることです。とにかく、上のような文書を子供ながらに読んでいたのですから。
山高故不貴 以有樹為貴
人肥故不貴 以有智為貴
食欲の秋、皆さん太り気味になると思いますが、「人肥故不貴」です。ご注意のほどを。
(参考・引用~みやま文庫「群馬の寺子屋」(平成2年出版)より)
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