「島原藩士」と「奥州討伐」と「毛布1枚」・続き(おしまい)
前回の続きになりますが、「明治2年の『維新論考賞』」なるものがどこに書いてあるかですが、苦労して探したら、上の本に載っているとかで、こちらの図書館には置いてないので、ネットで探し古本屋さんから取り寄せました。
ところがクロネコさんが持ってきたところ、カミサンが受け取り、「本は買うなといったやろ、家中本だらけにしてどうする。」と、ガラレタ、ガラレタ。
まあ、ごもっともで、本と見れば見境なく買い続ける私が悪い。のは分かっているのですが、〇性とみれば、見境なく声をかけるより良いじゃないですか。
で、この論功行賞は第5巻の付録(一)の所に「論功行賞表」として載せてあり、「戊辰(鳥羽伏見戦ヨリ東北ノ戦争ニ至ル)軍功賞典表 明治二年六月二日発令」(カッコ内は小文字にて2行書き)と「箱館軍功賞典表」と二つ載せてあります。
最初に「親王」「公家」さんが26名ばかり、続いて各藩主。最初が「鹿児島藩 島津久光・島津忠義 100,000石」、続いて「山口藩から藩主毛利敬親・毛利廣封 100,000石」、途中飛んで、上から9番目に「大村藩主 大村純煕 30,000石」、少し飛んで「佐賀藩主 鍋島直大 20,000石」。
島原藩、出てきませんね。最後に「宮川助五郎 高知藩士 50石」、このあと「以上永世」と書いてありますから、多分「永世」でしょう。
次に「熊本藩主 韶細川韶 金2,000両」となっていますから、多分一時金でしょう。
で、飛んで10番目に、やっと出てきました「島原藩主 松平忠和 5,000両」。少ないですね。そう思いませんか?
ところで、この「論考賞」、一番苦労したのが経費をどうするかですが、これは、本の「第3節 論考賞 一 賞典禄の下賜」の所に詳しく書いてあり、最初は行賞を百万石としたそうですが、この経費は「降伏帰順せる、東北諸藩の削地百五十万石より捻出せんとした。」そうですが、百万石は「既に軍務官の経費と為すに決定するを以て・・・・」という事で、あれこれ論議があり、この本の載っているように決定したそうです。詳しくは本を読んでください。読みたい方は本をお貸しします。
ところで、最後まで読んでみて、「毛布」が出てこないんですね。確かに、「毛布一枚」までは出ないでしょうが。
という事で、最後の頼みの綱、「島原半島史~林銑吉著」を読んでみると、さすがに出ておりました。
下巻の「第八章 明治維新以降の島原半島」、明治元年(慶應4年9月8日に明治に改元します)8月16日の所、「同十六日、角館発、同二十六日羽後漆山に於いて、朝廷より毛布一枚宛てを賜う。」という事で、確かに島原藩士の方は、島原半島から東北まで行って毛布一枚(だけ)を頂戴したという事です。
ただ、この部分は、「・・・只年表式に要目だけを羅列することに止めた。」という事で、出典がはっきりしません。ほか、島原藩の記録「深溝世紀」などにも当たっては見たのですが・・・でも、井上ひさしさん、どこで、このことを調べたのでしょう?
最後ですが、年表の明治十年二月十五日付、「二月十五日西郷隆盛等謀反し、二十二日熊本城を囲む、砲声殷々島原に聞ゆ。・・・」とありますから、西南戦争がいかに激しかったか伺えると思います。
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