「キリシタン禁制」の高札
私の知人に何でも収集する癖を持ったのがおり、最近、郷土史関係に目覚めたらしいのですが、先日電話があり、「面白いものがあるよ。来ない。」という連絡で、「面白いもの」と言えば、当然「あれ」じゃないですか。
という事で、しっぽを振って、よだれを流し、走って行って「あれ、って、どこ、早く見せて」、「そこにあるじゃない」、と見せられたのが上の高札。
多少、気落ちはしたものの、私もこの方面に興味が無い、ものでは無いので、キリシタン禁止の高札だという事はわかりましたが、普通博物館でしかお目にかかれないもので、「どこで手に入れた?悪いことしたか、新聞には窃盗記事は載ってなかったな。」「ちゃんとした所からだよ」。という事だったのですが、少し新しく見えたので点検。
屋根を打ち付けた釘ですが、今の丸釘ではありません。昔は鍛冶屋さんが釘を作っていたので、四角い釘になり、頭も四角か、曲げて作ってもあります。「L」を反対にした格好になります。丸く作るのは難しいからですが。
木になるのが、失礼、気になるのが屋根の一番上、吊す金具の釘ががなんとなく丸いのですが、きれいな丸ではなく、叩きつけて作った感じ。抜いてみないとよくわからないので、知人がいない時に抜いて調べる事に。
裏の柱は釘で止めたものでは無く、ホゾを切ってはめ込んだもの。分からないのが、向かって左側の柱の二つの穴。釘を打ち込んだものではありません。何でしょう。片側だけです。
下の写真は以前にも出しましたが、寛文元年(1661年)のキリシタン高札(「江戸時代のお触れ」~藤井譲治著・山川出版社より)。読み下し文があるので読めると思います。日本語です。
下の本は、正徳元年(1711)に出された高札を書き写した版木本。縮尺がうまくいかなくゴメンチャイ ヾ(_ _*)ハンセイ・・・
右から「ばてれん(司祭)の訴人 銀五百枚」「いるまん(修道士)の訴人 銀三百枚」「立ちかえり者の訴人 同断(おなじく)」「同宿(司祭等を手伝う者)並びに宗門(キリシタン)の訴人 銀百枚」。と、分かりやすく言えば密告の勧めで、賞金まで出ています。
さて、ここで、二つの高札を比べると、寛文の高札には、正徳の高札、「立ちかえへりの・・」がありません。
また、寛文の「伴天連の訴人」の賞金が、「銀三百枚」から、正徳では「銀五百枚」、いるまんが、「銀弐(二)百枚」から「銀三百枚」、同宿・・・が「銀五拾(50)枚」から「銀百枚」に増えています。
という事を考えると、寛文時代から正徳時代にかけて、「立ち返り」のものが多く、取り締まりがうまくいかなかったために、賞金を上げたことが推測できます。
下の高札は「島原城」に展示してあるもので、「天和二年(1682)」のもので、正徳の高札とほとんど同文です。
なお、説明版に「・・・・最も古いものと考えられる」と書いてありますが、残念ながら、寛文元年のものが、上のようにありました。
なお、「江戸時代のお触れ」によると、高札は「・・・・年号の変わるたびに高札が書き改められ(中略)また文字の見えないものは書き改めることを命じることによって、キリシタン高札は大名領内にも幕府・公儀の高札として定着した。」とありますから、上の三枚の高札も、ひょっとしたら、かもしれません。
なお、江戸時代の高札は明治の政権交代で廃棄されますが、明治の太政官令により、再び禁教令の高札が立てられました。上の高札も明治まで立てられていたそうです。
知人は、この高札のほかにも、何枚か隠し持っているらしいのですが、また、遊びに行ったときに見せてもらうことに。
とにかく、酒は飲まない、女にもてない、タバコは吸わない、博打はしない、「金儲け三欠く術(義理を欠く、人情を欠く、恥をかく)」を実践している人間なので、お金はたんまり持っていて、いろいろなものを収集しているようなのですが、私も見習いたいものです。
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