「島原城」売りに出る!~島原市
上の写真は絵葉書で、お兄さんから妹へ送った感じです。「2.10.27」の消印がありますから、多分、昭和2年の頃の島原城だと思います。
下が現在の島原城。上の写真は、丸裸だということがわかると思います。
陸軍省の太政官達「全国ノ城廓陣屋等存廃ヲ定メ存置ノ地所建物木石等陸軍省ニ管轄セシム」と大蔵省からの太政官達「全国ノ城廓陣屋等存廃ヲ定メ廃止ノ地所建物木石等大蔵省ニ処分セシム」という政令で、軍隊が使うものと、売却用にされる所が出てくるわけです。
島原城の場合は軍隊が使用した記録はないようなので、売却処分にされるわけです。
陸軍省、大蔵省、県といろいろな絡みがありますが、長くなるので全部書ききれませんが、知りたい方は「島原の歴史・自治制編~島原市役所発行」(古本屋さんにしかありません)を読んでください。
「石垣は運搬などができにくい場所がらなので、代価の見積もりはできかねると記してある。」と書いてあります。石垣を見ても、とても無理ですね。
下が現在の島原城。上の写真は、丸裸だということがわかると思います。
陸軍省の太政官達「全国ノ城廓陣屋等存廃ヲ定メ存置ノ地所建物木石等陸軍省ニ管轄セシム」と大蔵省からの太政官達「全国ノ城廓陣屋等存廃ヲ定メ廃止ノ地所建物木石等大蔵省ニ処分セシム」という政令で、軍隊が使うものと、売却用にされる所が出てくるわけです。
島原城の場合は軍隊が使用した記録はないようなので、売却処分にされるわけです。
陸軍省、大蔵省、県といろいろな絡みがありますが、長くなるので全部書ききれませんが、知りたい方は「島原の歴史・自治制編~島原市役所発行」(古本屋さんにしかありません)を読んでください。
「石垣は運搬などができにくい場所がらなので、代価の見積もりはできかねると記してある。」と書いてあります。石垣を見ても、とても無理ですね。

下が、どこを(面積も)、いくらで、誰が買ったかが書いてありますが、読みにくいので、松尾卓次氏「ぶらっとさらく・島原」によれば・・・
明治3年城の一切の普請が停止。翌4年3月に三の丸御蔵、7月に大手門、10月に常盤御殿、5年6月に本光寺御堂、7月に台場と売られ、9年7月3日には天守閣も解体されてしまいます。
本丸は畑に、三ノ丸は学校(現島原第一小学校)の敷地になります。
なお、お値段ですが、城郭地所7町4反7畝13歩で120円。建屋770坪で175円、立木1400本余りで100円、練兵場1町8反5畝で100円、砲台場2反2畝25歩で14円50銭。合計519円50銭、当時白米10キロで36銭だったそうです。ですから、お城のお値段としては、安いのかな?

(「島原の歴史・自治制編~島原市役所発行」より)
下の写真は、小浜の歴史資料館。昔、湯太夫さん(温泉の元締め)の屋敷ですが、この門は島原城の先魁門だそうです。(何回も書いていますが)

なお、昭和35年に西の櫓、39年に天守閣、48年に巽櫓、55年に丑寅の櫓が再建され、現在の姿になっています。
(参考・文引用:「島原の歴史~自治制編」「ぶらっとさらく・島原」「島原半島史」「島原ぢゃんば」)
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