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2017年7月

2017年7月31日 (月)

「島原藩士」と「奥州討伐」と「毛布1枚」

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発端は上の本で、要するに明治政府は発足するも、なにせ全国からの寄せ集めで、例えば、東北の人と鹿児島の人が同じ職場で、話しても通じない。

それで、主人公が、これをどうするかの話ですが、自分の家でも東北から鹿児島まで、義理の父とか母とか妻とか使用人など出身地が入れ混じり、言葉が思うように通じなく、これまた、どうするか。

NHKのTVドラマのために書かれた作品ですが、出演者は各方言でしゃべり、下の方に標準語のテロップが出てきたのを、かすかに覚えています。外国映画と一緒ですね。

で、この本を読み返していると、気になるところがあって調べる事になったのですが・・・

公民:(公家・裏辻家は正親町家の庶子)
「今から五年前、明治二年の『維新論考賞』を覚えていらはりますか。」
    (面倒くさいので中略)
襖に公民は左のようなことを書き終わったところ。


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と、まあ、ここまではいいのですが

公民; 
「まー、主だったところを書いたらコーなりますヤロカ。御褒美が毛布一枚というのまで書いたら、襖が何十枚あったかて、追っつかしまへんサカイニナ。」

重左衛門(以下、面倒くさいので人物の説明は省きます)
「褒美(ホビ)が毛布一枚(ケットイツメカ)?」

真之輔;
「気の毒な(オイトシナ)藩もあっちょったもの(モン)でアリマスノー。

公民;
「へー、肥前の島原藩がそれナンドスワ。藩兵二百六十名、九州からはるばる奥州征伐に遠征しやはったのに、御褒美は毛布一枚ずつ。カマイマヘンナ、ホンマニ。ケンド、島原のお殿様の兄はんが、あの徳川慶喜はんドスサカイ、どうにも(ドナイニモ)仕方オヘン。


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こちらも島原半島に住んでいるので、島原藩士が奥州まで行ったのかと思い・・・

島原藩最後のお殿様は、「松平忠和(まつだいらただかず)」。調べてみると、第15代将軍徳川慶喜の実弟とありました。

父親が徳川斉昭。正室、継室、側室と三名持っておられ、子供がざっと数えて13名。サッカーのチームが十分できる人数。忠和さんが慶喜さんの弟さんとは知りませんでした。将軍様のお仕事が跡継ぎを作ることが第一ですが、少し、お過ぎになるようで・・・

上の本は島原に関して書いてある本ですが、奥州に行った事、恥ずかしながら知りませんでした。

で、上の「郷土讀本 杜城の花」と「島原秘話」に出兵した名簿など書いてあり、隊長が松平十郎左衛門、以下、物頭4名、旗奉行1名、大目付1名、兵糧奉行1名、使番3名、大砲隊14名、兵隊多数(名簿はありますが、数えるのが面倒なので略)、儒者1名(何でしょう?)、医師2名、兵糧方11名、武器方3名、戦死4名、傷2名と全部下のように書いてあります。

島原市の方は、曽爺様、曽々爺様あたりの名前があるかも知らないので、是非調べてみてください


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と、ここまで書いたら、今日は最高気温で、パソコンも熱をもって調子が悪いようなので、毛布の件は以下次号にて m(_ _)m 。




2017年7月30日 (日)

「キリシタン禁制」の高札

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私の知人に何でも収集する癖を持ったのがおり、最近、郷土史関係に目覚めたらしいのですが、先日電話があり、「面白いものがあるよ。来ない。」という連絡で、「面白いもの」と言えば、当然「あれ」じゃないですか。

という事で、しっぽを振って、よだれを流し、走って行って「あれ、って、どこ、早く見せて」、「そこにあるじゃない」、と見せられたのが上の高札。

多少、気落ちはしたものの、私もこの方面に興味が無い、ものでは無いので、キリシタン禁止の高札だという事はわかりましたが、普通博物館でしかお目にかかれないもので、「どこで手に入れた?悪いことしたか、新聞には窃盗記事は載ってなかったな。」「ちゃんとした所からだよ」。という事だったのですが、少し新しく見えたので点検。


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屋根を打ち付けた釘ですが、今の丸釘ではありません。昔は鍛冶屋さんが釘を作っていたので、四角い釘になり、頭も四角か、曲げて作ってもあります。「L」を反対にした格好になります。丸く作るのは難しいからですが。

木になるのが、失礼、気になるのが屋根の一番上、吊す金具の釘ががなんとなく丸いのですが、きれいな丸ではなく、叩きつけて作った感じ。抜いてみないとよくわからないので、知人がいない時に抜いて調べる事に。


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裏の柱は釘で止めたものでは無く、ホゾを切ってはめ込んだもの。分からないのが、向かって左側の柱の二つの穴。釘を打ち込んだものではありません。何でしょう。片側だけです。

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下の写真は以前にも出しましたが、寛文元年(1661年)のキリシタン高札(「江戸時代のお触れ」~藤井譲治著・山川出版社より)。読み下し文があるので読めると思います。日本語です。

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下の本は、正徳元年(1711)に出された高札を書き写した版木本。縮尺がうまくいかなくゴメンチャイ ヾ(_ _*)ハンセイ・・・


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右から「ばてれん(司祭)の訴人 銀五百枚」「いるまん(修道士)の訴人 銀三百枚」「立ちかえり者の訴人 同断(おなじく)」「同宿(司祭等を手伝う者)並びに宗門(キリシタン)の訴人 銀百枚」。と、分かりやすく言えば密告の勧めで、賞金まで出ています。

さて、ここで、二つの高札を比べると、寛文の高札には、正徳の高札、「立ちかえへりの・・」がありません。

また、寛文の「伴天連の訴人」の賞金が、「銀三百枚」から、正徳では「銀五百枚」、いるまんが、「銀弐(二)百枚」から「銀三百枚」、同宿・・・が「銀五拾(50)枚」から「銀百枚」に増えています。

という事を考えると、寛文時代から正徳時代にかけて、「立ち返り」のものが多く、取り締まりがうまくいかなかったために、賞金を上げたことが推測できます。

下の高札は「島原城」に展示してあるもので、「天和二年(1682)」のもので、正徳の高札とほとんど同文です。

なお、説明版に「・・・・最も古いものと考えられる」と書いてありますが、残念ながら、寛文元年のものが、上のようにありました。

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なお、「江戸時代のお触れ」によると、高札は「・・・・年号の変わるたびに高札が書き改められ(中略)また文字の見えないものは書き改めることを命じることによって、キリシタン高札は大名領内にも幕府・公儀の高札として定着した。」とありますから、上の三枚の高札も、ひょっとしたら、かもしれません。

なお、江戸時代の高札は明治の政権交代で廃棄されますが、明治の太政官令により、再び禁教令の高札が立てられました。上の高札も明治まで立てられていたそうです。

知人は、この高札のほかにも、何枚か隠し持っているらしいのですが、また、遊びに行ったときに見せてもらうことに。

とにかく、酒は飲まない、女にもてない、タバコは吸わない、博打はしない、「金儲け三欠く術(義理を欠く、人情を欠く、恥をかく)」を実践している人間なので、お金はたんまり持っていて、いろいろなものを収集しているようなのですが、私も見習いたいものです。




2017年7月28日 (金)

「もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら」★神田圭一・菊池良著

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本の題名に一か所間違いがあり、この本に取り上げらた作家、例えば「小林よしのり」「デーブ・スペクター」「中島らも」「俵万智」「新聞記事」「さくらももこ」「暮らしの手帳」「百田尚樹」等々が「文豪」と呼べるのか。

思えば、夏目漱石、森鴎外、志賀直哉、谷崎潤一郎等のような「文豪」と呼ばれる作家が少なくなりました。今、「文豪」と言えるのは誰かな?この本の中で文豪と呼べるのは「志賀直哉」「田山花袋」「夏目漱石」「三島由紀夫」「谷崎潤一郎」「坂口安吾」「川端康成」「芥川龍之介」くらいかな。

私的には、「宇野鴻一郎」も考えているのですが、とにかく、高校時代には、この方の小説には、数えきれないくらいお世話になりました。男性の皆様方も、夜分かなりお世話になられた方もおられると思います。

という事を考えましたが、このくそ暑い中、いろいろ考えるのも面倒くさいので、読んでみたら、気楽に読めました。

さて、以前は声帯模写と言い、話すことの模写だけでしたが、その後、その人の仕草まで真似をする形態模写になり、最終的にタモリさんがやった、「思想模写」にまでなり、寺山修司の真似が絶品で、話し方、格好もそっくりでしたが、あ~寺山さんなら、このことについてだったら、このような考えを語るだろうな、というような感じを受けたものでした。

この本は、いわば文体模写で、100名の文豪、作家、評論家、マスコミ雑誌等々100人ばかりを取り上げていますが、全文は紹介できないので、少々紹介すると。


■村上春樹~「1973のカップ焼きそば」

「きみがカップ焼きそばを作ろうとしている事実について、僕は何も興味を持っていないし、何かを言う権利もない。エレベーターの階段表示を眺めるように、ただ見ているだけだ。・・・」、「エレベーターの・・・」ところの比喩が効いていますが、最後の一行。これ、本書最高の文体模写だと思いました。

「完璧な湯切りは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。」

■池上彰~「池上彰のそうだったのか!学べるカップ焼きそば」

「池上:カップ焼きそばとは、即席でそばが作れるインスタント食品です。1970年代に発売され、その後一般化していきました。・・・・」、池上さんだったら、このような話方ですね。

■宇野鴻一郎~「食欲の悦び」

「あたし、なんだか、からだがウズいちゃって。お腹すいちゃったんです。
キッチンを探していると、何にかが手にさわって。ドキドキしながら手にもってみると、カップやきそばでした。・・・・」、読んでるだけで、ウズきますね。名文。

■三島由紀夫~「仮面の焼きそば」

「幼児期から父は、私によく、戸棚にカップ焼きそばがあることを語った。
  私がその官能的な馨香(けいこう)、ゆらゆらと反射する麺の輝き、濃厚なテイ ストの捕虜となり、熱烈な崇拝者となるのに時間はかからなかった。」と、優雅な文章。

■稲川淳二~「超・お腹が空いた話一人では食べてはいけない」

「あるテレビ番組のロケで東京の外れに行った時の話です。その日は撮影が長引いちゃいまして、ADの・・・仮にTくんとしておきましょう。その田口君が『稲川さんお腹すきませんか?』って、こう言うんだよ。」と、あの稲川さんの口調を思い出しながら読むと、なんとなくゾクゾクしますね。

■俵万智~「カップ焼きそば記念日」

「『このかやくがいいね』と君が言ったから七月八日はカップ焼きそば記念日」。もう少し、ひねって欲しかったな。

■村上春樹~「もし村上春樹が本書の『おわりに』を書いたら・・・・」

最後の一行だけ紹介すると・・・・
「完璧な原稿などといったものは存在しない、完璧な絶望が存在しないようにね。」、これって、最初紹介した文章と一緒ですね。

半ページから1ページの短文ですから、どこからでも気楽に読め、夏向きの本です。

最後に、水道橋博士の所、「これって、意外と知られてないんですが、カップ焼きそばって炒めてないんですよね。」、考えれば、その通りで、思ったこともありませんでした。





2017年7月26日 (水)

「臨終ここだけの話★志賀貢著」「なんとめでたいご臨終★小笠原文雄著」

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私も歳で少しは考えようかと、「なんとめでたいご臨終」をAmazonに頼んだら、珍しくも一週間待ち、もっとも、4日ほどで届きましたが。とにかく売れている本らしいのですが。

で、その間に近くの本屋さんに「臨終ここだけの話」が置いてあったので、買ってきてました。

昔は、ほとんど自宅で息を引き取り、自宅で葬儀をし送りましたが、今やほとんどの方が病院で亡くなり、葬儀社で葬儀を行うようになりました。それだけ、家族の負担も減ったといえば、減ったのですが。

どちらとも本も、お医者さんが書かれた本ですが、「臨終ここだけの話」は病院での現実、また、在宅医療の困難さ、一人暮らしの困難さが書かれています。

「なんとめでたいご臨終」は「在宅ホスピス緩和ケア」について書かれており、ガン末期症状の方が家に帰りたいと望み、家に戻り在宅医療を受けることを柱にかかれてあります。

ただ、家とは「『在宅』とは『家』のことです。ここでいう家は、住み慣れたところに限定されるものではありません。誰かの家でもアパートでも施設でも、そこが終の棲家として安らげる”処”、自分の居場所だと思える”処”であれば、それはその人の癒しの空間、つまり『家』となるのです。」という意味です。「ところ定まれば 心定まる」という事で、その中で、患者さんが「希望死・満足死・納得死」を送れれば、「別離の悲しみはあっても、遺族が笑顔で見送れることができるのです。」

在宅看護となると、家族の負担も増えるわけですが、そこは、お医者さん、ケアマネージャー、巡回看護師さん、ヘルパーさん、近所の方、なにより家族の協力が必要になり、いわゆる、「チーム」としての動きが必要なり、このようにしてもらえるなら、満足にあの世に行けるな、と思うのですが・・・

しかし、このような病院・チームは、こちら方面にはまだなく、「末期がん患者の在宅ケアデーターベース」で調べはしたのですが・・・

この本に書いてあるような医療が進めば、みんな満足して旅立てると思うのですが・・・・何とか学園に金をつぎ込むより、こちらが先だと思うのですが、なにせ、高齢者がドット増えてきます。自分も含めて(カミサンも)ですが・・・

この本2冊比べて読んでみてください。比較すると、臨終に関して、いろいろな面が見えてきます。





2017年7月24日 (月)

「センゴク権兵衛 第6巻」「センゴク権兵衛 第7巻」~少し御不満

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入院をしていたら、いつの間にか第6巻と第7巻が出ていました。

という事で、第5巻で四国は無事平定。下記のごとく四国は分割され、我が主人公、センゴク権兵衛も城主になるわけです。


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で、後は、九州の島津を撃つか、徳川を撃つかになるわけですが・・・

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当然九州に出向けば、徳川が待ってましたとばかり来るし、二方面同時に攻めるのは戦力から見て、当然無理。ここは、思案の所。

という事で、第七巻は、大友宗麟と島津の戦から始まりますが、圧倒的に有利な大友宗麟が島津氏に敗れ、佐賀龍竜造寺隆信が勢力を伸ばします。


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で、よせばいいのに龍造寺氏は、有馬晴信が治める島原地方(赤丸印)にチョッカイを出します。

この時、有馬氏は島津氏に応援を頼みますが、援軍は1,500~3,000名ほどだったといわれています(諸説あり)。人数が少ないのは、大軍を送ると後ろから大友宗麟が狙っています。

結局は「沖田畷の戦い」で竜造寺は討ち死にをしますが、ここの所、地元の人間としては、もう少し詳しく書いてほしい所です。「五日も経ず戦地から報告が来た『竜造寺隆信始数千騎討捕』かの『沖田畷(おきたなわて)合戦』の始末である。」で済ませてありますが、少しでなく、大いに不満ですネ (・_・)エッ....? という感じ。

話変わって、この後、秀吉は九州平定に向かいます。家康は大丈夫っかって?そこは、秀吉と家康の密かな打ち合わせがありますが、後は、買って読んでね。さすが、天下人です。

この後、秀吉が九州に来て、各諸侯を集めますが、諌早を治めていた西郷氏だけは参加をせず、龍造寺家に領土を奪われますが、ここの所、多分漫画では又省かれるだろうな。村山等安も出して欲しいが、無理だな。

主人公センゴク権兵衛も、勿論、九州に向かうことになります。


 



2017年7月22日 (土)

ぶらっと「唐比ハス園」~諌早市森山町


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毎日暑くて、もはや仮死状態というか、夏眠状態になっておりますが、一日中ゴロゴロしているのも体に悪いなという事で、お近くの「唐比ハス園」まで、お出かけしてみました。

思った通り、下の写真のようにハスの花はほとんど散っていましたが、種類が違うと花期も少し違うのか、まだ、楽しめるところもあります。

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ほとんど散ったばかりの花ですが、右の写真、青い所に実が3か所ほど見受けられます。これが、落ちてしまうと右のように枯れてしまいます。お家のちょっとしたインテリアにも似合います。取っていっても、別に怒られません。多分。自己責任で・・・

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ここの土地は、植物が積もったピートモスで柔らかく、場所によっては飛んでみると「揺れる大地」が感じられます。

花は散っていましたが、写真を撮っておられる方も数名。ただ、接写に夢中になると、泥にはまってしまうので、ご注意を。

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【ドブに落ちても 根のある奴は いつかは 蓮(はちす)の花と咲く】
渥美清さんを偲びつつ、一曲。

ハスの事を「ハチス」とも言いますが、実が落ちて穴が開いている様子が「蜂の巣」に似ているので「ハチス」とも言うそうです。





2017年7月20日 (木)

二回目の裸・・・(24時間ホルター)

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このような写真を載せるのは2回目だったと思います。なんで、こうも美しい裸を晒すかというと、今日は他に書くことがないから、ではなく、皆さんも、このような姿にならないようにと思う親心からです。

とにかく、タバコは止めましょう、酒と〇は2合(号)までにしましょう(男性はですが)。できれば、甘酒に変えましょう。甘酒も「酒」です。アルコールは入っていませんが。規則正しい生活をしましょう。そうしたら、上の写真のようにはなりません。運がよけりゃ。

カテーテルアブレーションを昨年の2月に受け、心臓は相変わらず、一生懸命動いています。たまには休憩すれば、と言いたいのですが、休憩されたら大変なので、ガンバレ、ガンバレと応援をしています。

さて、最近、胸が妙に痛んだり、少し動いたりすると脈が上がったり、何でもないのに動悸がしたりすることがあるので、お医者さんに相談したら、「それなら24時間ホルターをしますか」という事で、かくなる姿になったわけでありますが。

冬場ならいいのですが、電極を動かないように固定してありますから、皮膚が弱い方はつらいですね。

電線コードが邪魔になるようですが、地元の病院でも何回かしているので、慣れたら全く気になりません。

問題は、この記録計。これ、地元の病院は防水型で風呂に入れますが、今回は国立で総合病院でしたが、防水ではないそうです。で、今日はお風呂には入れません。体を拭くくらいはよいそうですが・・・

24時間記録をする必要があるので、明日、病院で外してもらい、一週間後に結果の話があるそうです。

なお、胸ポケットにはスマホは雑音が入るので、入れないようにとの事でした。
まあ、なんとなく、やぜらしかですね。すこし、電極を貼ってあるところがカユクなってきました。


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2017年7月18日 (火)

夏は・・・・・・・・・甘酒

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イヤですね。昨晩、ブログを書き上げたとたん、またもや全部パー。パソコンが悪いのか、ブログ運営のココログさんが悪いのか、もうぼつぼつ、両方とも変えようかなと検討中です。

さて、甘酒ですね。日本人(外国の知り合いはいないので、外人さんはどうなのか知りませんが)は健康志向が強いと言いながら、持続性がありません、ですね。

ココアが良いと言えばココアが売り切れ、粉寒天が良いといえば粉寒天が売り切れ、アマニ油が良いといえばアマニ油が売り切れ。昨年は、「甘酒」が「飲む点滴」とやらで、TVの放映があり、店によっては売り切れか、「お一人様一本にてお願いします」の張り紙。

今年は、人気が少し薄れたのか、ドット店頭に並んでおりました。甘酒は小さいときは冬に温めて飲んだ記憶があるのですが、冷やしてもなかなか美味しいものですが。

「守貞謾稿」によれば、「京阪は専ら夏夜のみこれを売る、専ら六文を一碗の価とす。江戸は四時ともにこれを売り、一碗八文とす。・・・」とあり、「塵塚談」には、「醴(あまっざけ)売りは冬のものなりと思ひけるに、近比は四季ともに商ふことになれり。我等三十歳比までは、寒冬の夜のみ売り巡りけり。今は暑中往来を売りありき、かへって夜は売る者少なし・・」とあるそうで、「夜のみこれを売る」「寒夜の夜のみ売り」という所を見れば、はやり甘酒は「酒」なのかな?

上の写真の「甘酒」は酒かすで作ったものではなく、米と麹で作り、無添加、ノンアルコール、もちろん砂糖は入っていません。さて、今宵はどの甘酒にするかな?酸味が強いのあり、甘目のあり、米粒を残したものあり、ドロドロにしたものあり。最近は「甘酒ソムリエ」になった気分で飲んでおります。

夏は何といっても「甘酒」が良いようで・・・・





2017年7月16日 (日)

「天皇陛下お召し上がりのクッキー」を食す

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先週から、お葬式が二つ続き、昨日は天満宮(産土神)の護持会の役員会。今日は朝の5時から起きて町内一斉清掃と、少しくたびれました。

で、カミサンから「パンがないから買ってきて」とのご催促。私はどこのパンでもかわないのですが、カミサンにはこだわりがあってですね。こだわるのよくありませんね。人種にこだわり、主義にこだわり、国境にこだわり、思想にこだわり・・・ですから争いが絶えないのです。

私、カミサンに「パンなんて、何だって良いじゃないか」と言おうと思ったのですが、平和主義の私、「ヘイ、ヘイ」とお買い物。

いつもの、お店屋さん行って、ヒョットみるとあるじゃありませんか。「長崎国体の際、天皇陛下が召し上げられたクッキーです」の説明書き。

長崎国体と言えば、平成26年でした。で、天皇陛下御夫妻のファンとしては、買わないわけにはいかないじゃありませんか。天皇陛下お召し上がりと言えば高価かな、と思ったら、5枚入りで税込み190円。天皇陛下もこんな安いのを食されるなのかと、感動。ご覧の通り、ほとんど売り切れ状態。

お味ですね。天皇陛下が召し上がられたものと同じものを食べているかと思うと、味なんぞはわかりませんでした。

数十年前、こちらに来られた時、休憩されたところで、「お菓子は、食べて音が出ないものを出してください」と言われたという話を聞きました(本当かどうかは知りませんが)。ですから、煎餅などは出せなかったらしいのですが、このクッキーは噛むと少し、サクサクと音がするので、少し気にはなりましたが・・・時代が変わったのかな?

血糖が上がるのを気にしながら、2包み、10枚ばかりいただきました。


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で、帰りがけいつもの、ところ店屋さんへ寄ろうと思ったら、お隣の湧き水が出ているところで、お祭りをしていて、水神様のお祭りかな、と思ったら、火の神様のお祭りでした。

のぼりを見ると「火産霊之神」と、書いてあり、この神様イザナミが生んだ、火の神様ですね。そのため、イザナミは命を亡くしてしまいますが・・・

実は、この神様の隣には水神様が祀っておられるわけですが、水と火とは仲が悪いのですが、並んでいていいのでしょうか?


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左の写真が「火の神様」、石には「火神鎮座」と書いてあり、最初はここから数十メートルばかり離れた、この三差路付近にあったそうです。

多分、道路の拡張をするとき、ここに移したとは思うのですが、学力偏重の時代、このような地元の話も、段々と忘れ去られる時代になってくるのでしょうが、なんとなく、忘れられていく故郷(出身は長崎ですが)を思うと、少しばかり淋しい気持ちがした一日でした。


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2017年7月14日 (金)

「ここはどこ?」~長崎市浜町

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長崎市の繁華街と言えば「浜町(はままち)」。長崎人は「はまんまち」「はまのまち」と言います。「浜町」というくらいですから、昔は「浜」の「町」でした。

最近はほとんど行ってませんが、昔の写真を手に入れたので。写真の下の方に右から(ですから戦前になります)「(長崎名所)濱の町(長崎要塞司令部許可済)」と書いてあります。

さて、ここは浜町のどこから撮った写真でしょう。左に「一文字」という看板が見えます。バリカンが看板に書いてあるので、多分金物屋さんかな?右には「タテノ小間物店」。

アーチが続いているので、浜町には違いがないのですが、あと、後ろに見える山の形がヒントかな。

下の写真は昭和30年代の浜町の写真です。現在は、夜に行くとガランとしたものですが、確かに昔はこのように人で一杯でした。

「かねやす洋服店」という、大きな看板が見えます。アーチには「浜町通」。

「KOKURYU」「玉泉」「パーマなんとか」のネオンに看板。ここも、アーチが続いています。戦前のに比べると、少し形が違うようですが・・・

写真の下には「浜の町夜景」として「市の中央商店街の一番賑やか処で岡政・浜屋等百貨店や各種大商店装ひを競ひ、五彩のネオンに輝く夜の長崎に驚異の目を見張る」とあります。

さて、現在の浜町のどこから撮った写真でしょう?知っている方はお知らせを。

 

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今日の話は、長崎市近郊以外の方には分かりにくかったかと思いますが、ストリートビューなどもあるので、お楽しみを。ただ、街並みが全然違っているので、ほとんど分からないとは思いますが・・・・(*_ _)人ゴメンナサイ

各写真は、クリックすると拡大する(と思います)。

 





 

 

 

 

 

2017年7月13日 (木)

暑さに負けず、「週刊現代」「週刊ポスト」

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台風が過ぎたと思ったら、ドット夏が来たようです。墓掃除に行ったら、メチャ汗をかきましたが、「暑さに負けず、『週刊現代』『週刊ポスト』」です。


■安倍晋三いまだに反省なし

都議会は惨敗でした。「反省なし」とは書いてありますが、国会の休会中に、加計学園問題で委員会が開催され。今日のニュースでは、今度開かれる委員会では首相も出席するそうです。少しは反省しているのかな?

もっとも、「反省だけなら、猿にもできる」という流行語がありましたが・・・・

■「落選運動」その破壊力と実践法

都議会選挙時、自民党都連の幹部が「投票日の午後の出口調査で気づいたが、本当の敵は都民ファーストではなかった。自民党と共産党の一議席を競い合っていた選挙区で、共産党が嫌いなはずの保守層や無党派層が、自民候補を落とすためだけに共産党候補者に投票するという現象が起きていた。」

その手があったんですね。「特定の候補を政治家に相応しくないと訴え、投票させないようにする行為、つまり『落選運動』は選挙運動とみなされないため、公選法には抵触しません。告示前は特定の候補者を当選させる選挙運動(事前運動)は禁じられていますが、落選運動は可」だそうです。「選挙期間中も有権者がメールで投票を促すことは認められていないが、落選を促すメールは禁じられていない」そうです。ただ、候補者が2名しかいないところは要注意だそうです。

ということで、政権を変えたい方は、棄権、白票を投じるのではなく、対立候補に投票を。

■縮小ニッポン「未来の年表」

「2018年・有名国立大学が潰れはじめる」「2020年・女性の2人に1人が50歳以上に」「2022年・団塊世代が75歳に突入」「2025年・80歳以上のガン治療が自費に」「2025年・認知患者が700万人に」「2027年・コンビニが24時間営業をやめる」「2030年・百貨店も銀行も老人ホームも地方から消える」「2033年・3戸に1戸が空き家に」「2034年・全国で水道と下水道が次々と破裂」「2036年・電車、バスが来なくなる」「2037年・新聞社が消える」「2039年・所得税率が50%、消費税が40%に」「2040年・救急車を呼んでも来なくなる」「2053年・ニッポンの総人口が1億人を割り込む」

信じられませんか?良く読んでください。すでに、前兆らしきものは現れているでしょう。特に田舎では。

■金正恩核実験のXデーは8・21

トランプさんが、どこにデッドラインをひいているのか知りませんが、正恩さんも強気で、トランプさんは今のところ少し控えめですが、どうなるのか。
とりあえず、庭に核シェルターを作ろうかな。

■船越英一郎がNHKから消える

朝から「あさイチ」、昼から「ごごナマ」を楽しんでいるのですが、船越さん、こうなるとですね・・・皆さんも、カミサンは大事にしましょう。浮気はやめましょう。

■藤井聡太4段、14歳「異次元にして異質の強さ」

藤井4段の扇子をネットで売り出すとかで、10時から受付だったのですが、10時3分には売り切れでした。

朝日新聞のインタビューで「今は勝敗が偏っている時期で、いずれ『平均への回帰』が起こるのではないかと思っています。」と14歳とは思えない、冷静なお答えですね。

■「耳鳴り」「難聴」「めまい」~死を招く耳の病気

たかが「耳鳴り」とか、歳をとったから「耳がよく聞こえなくなった」と油断しないように。気になる方は、すぐに病院へ。

効果的な事として、「耳を温める」、耳たぶの上部のくぼみにある「神門」を刺激しながら、耳を引っ張るのも良いそうですが、基本、お医者さんへ。

■無修正〇ロ動画でレジェンドAV女優の〇部が・・・・

小林ひとみ、豊丸、松坂季実子、桜樹ルイ、白石ひとみ、小室友里、及川奈央、飯島愛、北条麻紀、小向美奈子。お~懐かしや。

皆さんにはお世話になりました。DVDでですが・・・・

■グラビアですが

「〇毛の向こう側が見えた!」と、ポストさん、おけけ、満載です。





2017年7月12日 (水)

「あ~勘違い、私馬鹿よね・・・」~住吉神社

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最近は、昔の絵葉書、写真から複写する会社もあるようで、「長野電波技術研究所附属図書館」という所を見ていると、おや!肥前鳥居ではないですか。しかも、堂々たる風情。

さっそく写真を取り寄せると、「長崎住吉神社」とあり、調べると長崎市内の住吉にある住吉神社ではありませんか。

ということで、お出かけしました。我が家から、約1時間弱。ああ~また、肥前鳥居が見られると、心は踊る、血は騒ぐ。

で、着いてみると、一の鳥居は明神鳥居、鳥居横の看板ですが、なんとかなりませんか?


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階段上に二の鳥居がありますが、これもよく見る明神鳥居。写真は省きます。

本殿ですが、一目で新しいものだとわかります。


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拝殿横に左のような説明が書いてあります。境内には看板等にはいろいろと書いてありますが、多分これが一番新しいもののようで・・・


奉  献

多年の風雪に耐え 今日まで頑強にて保存して来るも参詣の利便を配慮し全面改修し新設す 尚石材は遠路中国福川市より搬入す 工費 壱千八百五拾万円

                      平成八年十二月吉日 住吉神社奉賛会


ということで、神社改修の時は鳥居も変えることがありますから、肥前鳥居さんも変えられたのかな?とは思ったのですが・・・・右の説明版は長崎市が設置したもものです。


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原爆投下時、社殿、社務所は倒壊、全焼するものの階段下の鳥居とこの狛犬さんは、そのまま残ったそうです。ということは、肥前鳥居はその時倒壊したとも考えるのですが・・・

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神社横に、稲荷神社があり、ついでにお詣りしてきましたが。

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下の狛犬さんがおられまして、何と言いますか、「肥前狛犬」さんの感じがするんですね。どちらとも判断がつきにくく、野球の審判が、ギリギリの球をストライクにするか、ボールにするか迷うのと一緒です。いずれにしても愛嬌のある狛犬さんでした。

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途中に左のような石祠があり、「山崎大神」と書いてありましたが、調べても意味はよく分かりませんでした。

で、横に狛犬さんがおられるのですが、これも、どうにも分からない感じ。


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家に帰って、私、しつこいので、「住吉神社」を再度ネット調べると壱岐にもあって、「IKINavi」という観光紹介のブロブがあり、それに壱岐の写真が載っており、下の写真ですが、一番上の写真と比べるとわかりますね。一緒です。

ということで、上の写真は「長崎」の住吉神社ではなく、「壱岐」の住吉神社でした。

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鳥居の左右が気に隠れて見えせんが、しつこく別のブロブを調べたら、ありましたね。まさに、肥前鳥居。

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ということで、暑い中、車で2時間かけて行って、違っていたとは、「あ~勘違い」で、ちゃんと調べて行くべきで、「私馬鹿よね~」と思い知った一日でした。




2017年7月10日 (月)

「島原城」売りに出る!~島原市

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上の写真は絵葉書で、お兄さんから妹へ送った感じです。「2.10.27」の消印がありますから、多分、昭和2年の頃の島原城だと思います。

下が現在の島原城。上の写真は、丸裸だということがわかると思います。

陸軍省の太政官達「全国ノ城廓陣屋等存廃ヲ定メ存置ノ地所建物木石等陸軍省ニ管轄セシム」と大蔵省からの太政官達「全国ノ城廓陣屋等存廃ヲ定メ廃止ノ地所建物木石等大蔵省ニ処分セシム」という政令で、軍隊が使うものと、売却用にされる所が出てくるわけです。

島原城の場合は軍隊が使用した記録はないようなので、売却処分にされるわけです。

陸軍省、大蔵省、県といろいろな絡みがありますが、長くなるので全部書ききれませんが、知りたい方は「島原の歴史・自治制編~島原市役所発行」(古本屋さんにしかありません)を読んでください。

「石垣は運搬などができにくい場所がらなので、代価の見積もりはできかねると記してある。」と書いてあります。石垣を見ても、とても無理ですね。
 
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下が、どこを(面積も)、いくらで、誰が買ったかが書いてありますが、読みにくいので、松尾卓次氏「ぶらっとさらく・島原」によれば・・・

明治3年城の一切の普請が停止。翌4年3月に三の丸御蔵、7月に大手門、10月に常盤御殿、5年6月に本光寺御堂、7月に台場と売られ、9年7月3日には天守閣も解体されてしまいます。

本丸は畑に、三ノ丸は学校(現島原第一小学校)の敷地になります。

なお、お値段ですが、城郭地所7町4反7畝13歩で120円。建屋770坪で175円、立木1400本余りで100円、練兵場1町8反5畝で100円、砲台場2反2畝25歩で14円50銭。合計519円50銭、当時白米10キロで36銭だったそうです。ですから、お城のお値段としては、安いのかな?


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    (「島原の歴史・自治制編~島原市役所発行」より)

下の写真は、小浜の歴史資料館。昔、湯太夫さん(温泉の元締め)の屋敷ですが、この門は島原城の先魁門だそうです。(何回も書いていますが)


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なお、昭和35年に西の櫓、39年に天守閣、48年に巽櫓、55年に丑寅の櫓が再建され、現在の姿になっています。


(参考・文引用:「島原の歴史~自治制編」「ぶらっとさらく・島原」「島原半島史」「島原ぢゃんば」)



2017年7月 8日 (土)

「茅の輪くぐり」と「蘇民伝説」~千々石町橘神社


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「茅の輪くぐり」ですね。

くぐり方は以前にも書きましたが、一礼して、くぐって左側へ回り、次にくぐって右に回り、要するに8の字を書くように回り、もう一度左へ回ってくぐり、そのまま社殿へと向かいお参りをします。

さて、この茅の輪をくぐるとき、「祓(はらい)へ給へ清め給へ」とか「守り給へ幸(さき)わえ給へ」と唱えながらくぐりますが、「水無月の夏越の祓いする人は 千歳の命延ぶというなり」「思うこと みなつきねとて麻の葉を きりにきりても祓いつるかな」とも唱えそうですが、あとの言葉を唱えながら回ると、あれ?いま何処を回ったっけ、と言うことになるので、前者の言葉をお使いください。

ところが、最後に唱える言葉として、「蘇民将来 蘇民将来」と書てあるので、「蘇民」というと、あの、速須佐雄能(すさのう)神と関係ある話かな、と思って調べると、やはり関係ありました。

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神話、伝説、伝承等に関係することで、解釈にいろいろあるようですが、夏で暑いので手っ取り早く書くと。武塔神(速須佐雄能神のこと)が旅をし、途中、宿を借りにいきますが、裕福な巨旦将来には断わられ、次に、貧しい兄の蘇民将来の所に行き、もてなしを受けたそうです。

後日、再訪した武塔神は蘇民の娘(兄という話もあり)に茅の輪をかけ、娘を除く蘇民全部を殺し(弟の巨旦将来一族のみという話もあり)、本当の自分の名前(速須佐雄能神)を名乗り、茅の輪を付けていれば疫病を避けることができると教えたそうです。

このような話から、茅の輪をくぐる事により、無病息災、また、罪を祓うということになるわけです。なお、速須佐雄能神は弟一族のみならず、兄一族も殺したという説もあり、とにかく、速須佐雄能神と言えば乱暴者で有名です。速須佐雄能神は建速須佐之男命、素戔男尊素戔嗚尊等とも表記されます。

「民俗小辞典・神事と芸能」によれば、京都八坂神社の祇園祭のとき、「参詣者は『蘇民将来子孫者也』と記す護符の付いた粽を受けて疫病除けとする。」そうです。京都には行ったことがないので、よくは知りませんが・・・・




「和銅寺・竜造寺隆信の墓碑」について書き忘れた2,3の事~諌早市高来町


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先日、和銅寺と竜造寺隆信の事を書きましたが、暑さのため書き忘れていたことがあるので・・(^-^;

竜造寺は島原の沖田畷の戦いで、有馬・島津連合軍に敗れますが、この人数については、「隆信公御年譜」「北肥戦記」「藤原有馬世譜」等々の文書(もんじょ)について違いがありますが、竜造寺軍が5万~6万、連合軍が6千~1万。

このうち島津からは1,500~3,000名が援軍に来ます。少ないようですが、島津は大友家から狙われており、そう簡単には動けません。この、軍勢の差ですから、有馬・島津軍が不利なのは言うまでもありません。下記のような布陣であったそうです。赤丸印が「竜造寺隆信」

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       (「島原半島史~林銑吉著」より)

このあたりは、昔は田んぼであったそうで、あぜ道を歩くよりほかはなく、前と横から攻められると、後ろからは大量の味方の軍が来るので、回れ右で逃げるわけにはいかず、田んぼの中に行っても足を取られ、思うようには動けずということで大敗します。

竜造寺公は「島津ノ家人大ノ男黒糸ノ鎧着テ太刀ヲ持抜持、隆信公ノ御前ニ来ニ来リ、蹲踞シテ申ケルハ、某島津ノ家人河上左京亮ト申ス者ニテ候山城守隆信公ト見請候、御介錯ノタメ参リテ候ト申シケレバ、隆信公月ヲ見テ指サス事ナカレ、汝ハ大将ノ首ヲ取ル法ヲ知レリヤト被仰、左京畏テ一礼頓首シテ則首ヲ討奉ル。御歳五十六。天正十二年甲三月廿四日未ノ刻後生害也。・・・・」ということで、隆信の首と胴はバラバラになってしまうわけです。

➀首の事

首は、島津義久が検視をし、佐賀に送られますが、隆信の親戚家老鍋島直茂が、受け取るのを断わります(「直茂は『不運の首此方へ申請(もうしうけ)ても無用の事なり、何処になりとも捨て置くように』と仰せられたそうです。:『竜造寺家と鍋嶋直茂・市丸昭太郎著』)。で、この首を持って行ったり来たりしたのが、「河上助七」とか、「町田」になっておりますが・・・

て、首を持ち帰るとき、竜造寺領と島津領の境、高瀬川にかかったとき、首が急に重くなり動かなくなったので、願行寺に葬られ墓をたてられたそうです。「法名宗阿弥陀仏と号す。」ということだそうです。

②胴体の事について

これは、看板にも書いてありますが、「薩龍家譜」によれば、「隆信公戦死ト聞ヘレバ、龍泰寺大泰寺和尚早速島原ノ御戦場に赴キ、御尊体ヲ湯江村ノ和銅寺ニ於テ、御骨トナシ奉リ、其霊骨ヲ頸ニ掛ケ、持帰リ奉ル、御法名龍泰寺殿泰巖宗龍大居士、又信隆院殿トモ、後ニ法雲院ト称シ奉ル」ということで、首と体は別々の所に葬られる事になったわけです。

あとは看板に書いてある通り、「火葬のあと地は土をもった塚が造られていたが、明治二年、第十六代領主諌早一学が、自然石の碑を玉垣で囲い墓碑とした。それより百余年墓碑、玉垣が傾き荒れたのを門徒有志により、平成五年十二月に改築された。」ということになります。

ということで、「和銅寺」にあるのは、説明版に書いてある通り、「竜造寺隆信の墓碑」であって、「墓」ではありません。

なお、和銅寺には大位牌が祀られ「法霊院殿五洲大守泰厳龍大居士」と記されているそうです。

また、「ぶらっとさらく島原(島原ガイド)~松尾卓次著」には、「両体は明治16年(1883)年になってやっと、佐賀の高伝寺に合葬されたという。」とあるので、ネットで調べたら、お墓には「山城守従五位下藤原朝臣隆信之墓」となっておりましが、法名は「法雲院殿泰厳宗龍大居士」だそうです。

竜造寺隆信の墓というのは、あちらこちらありますが、ほとんどが慰霊碑と考えた方がよいかと思います。島原、雲仙にもあります。各藩の文書に違いがあるので、アバウトのところでまとめてみました。





2017年7月 6日 (木)

「続・おもしろい!進化の不思議 ざんねんないきもの事典」~今泉忠明監修

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昨年7月、この本の第1弾を紹介しましたが、あれから1年、続編が出版されました。

柳の下にドジョウはなんとやら、という格言がありますが、いるところにはいますね。今日は、暑さを忘れ笑い転げて読んでいました。

最初は、進化についてイラスト入りで書いてありますが、これくらい分かりやすいと勉強も好きになっていたんですが・・・・・

表紙を開いたところに、こう書いてあります、「ざんねんないきもの」とは一生けんめいなのに、どこかざんねんな いきものたちのことである。」

読んでみて、みんな一生けんめい生きているのに、なんとなくユーモラスというか、カワイソウというか、というような生き物の話です。

■サバンナモンキーの金玉はスカイブルー

このモンキーについては、ネットで見られます。実に見事な色の金玉です。金色ではありませんが、驚くほどきれいなスカイブルーの色をしています。ぜひネットでご覧ください。びっくりします。
といっても、旦那さん、もしくは彼氏の金玉に真似をして、スプレーを吹き付けないように。

■ブタはデブじゃないのにデブだと思われている

一般的な人間の体脂肪率が20パーセント、ブタの体脂肪率は15パーセント、生まれたての子ブタは2パーセント。
ようするに、太って見えても、中身は筋肉ということになります。ですから、太った方をみても、「ブタ」とは言わないようにしましょう。

■オシドリの夫婦はじつは毎年相手が違う

仲の良い夫婦を、「オシドリのような夫婦」と言います。が。
オシドリのオスは交尾がすんだらどこへ消え、次の年になると再びペアを作りますが、たいてい前の年とは違う相手だそうです。
ですから、「オシドリのような夫婦」というのは、間違った意味になりますので、「あなたがた、オシドリのような夫婦ね」とは言わないようない。

■アマツバメは命がけで眠る

ヨーロッパアマツバメは10か月間ずっと飛び続けていた、という調査があるそうです。
まとまった睡眠はとれないので、空高く舞い上がり、落下しながら眠るそうですが、この間、1~2秒。これで、睡眠取れるんですかね。ナポレオンどころではありません。

■チンパンジーは愛想笑いをする

チンパンジーは好戦的で、「群れの中で『誰が一番か』ということをとても気にしています。」だそうですが、「自分より強い相手には愛想笑いまでしています。」ということで、チンパンジーも忖度をするのかな?


あと、「フラミンゴが片足立ちするのは水が冷たいから」「カ(蚊)は血なんかすいたくない」「キリンは長い舌で鼻くそをほじる」「カビバラはおしりをグリグリされると寝てしまう」「トラは笑っちゃうほど狩りがヘタ」「サメは泳ぎ続けないとどんどんおぼれてしまう」「ウマは全力で走ると死ぬ」「バンドウイルカは方言のせいで会話が通じないことがある」等々、これ、ほんまかいな?というお話がたくさん載っています。どこから読んでもよく、特に、子供さんと読むと喜びますよ。






2017年7月 4日 (火)

空缶七夕~千々石町上塩浜自治会

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2,3日前から、千々石川で何かやっているなと思ったら、七夕の飾りつけでした。

で、これ全部空缶の利用です。よく見ると、アサヒビールとかサッポロビールの缶もあります。触ると指が切れる恐れがあるので、丁寧に注意書きが。


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仕掛け人はもちろん、千々石の「上塩浜自治会」の皆さん。クリスマス、子供の日など、季節にあわせて、いろいろなイベントで楽しませてもらっています。

通りかかった、お婆ちゃんと話すると、「毎年、楽しかね。」ということで、この次は、クリスマスのイベントがありますが、今から楽しみですネ。

「町内会は必要か」という本がありましたが、これだけ楽しければ必要でしょう。子供たちも、親の姿を見て、人と人とのつながりをしっかりと学べると思います。


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さりげなく置かれた飾りですが、よく見るとアルミ缶を切って、わっかにしてつなぎ合わせたことが分かります。これだけ作るの大変ですよ!

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川の所よく見ると、橋が架かっていますが、これは平成7年7月に竣工のもの。

下の写真、多分以前にも出したと思いますが、これは大正12年、橋ができた時の「渡り初め式」の様子。「先頭は椿山家」と書いてありますが、橋の渡り初めは、親子三代揃っている家が多いので、椿山家も親子三代の家だと思います。

橋の欄干、別の写真で見ると、片方には「ちゞわばし」と書いてありますが、昔の橋の名前は片方がひらがな、片方が漢字というのが多いみたいなので、多分、もう片方は「千々石橋」。だと、思うのですが・・・・・


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今日は台風で、見に行ったら、またすぐに飾られるように、まとめて置かれていました。多分、明日には元の通りになるでしょうが、9日まで飾ってあるそうです。
夜は少しばかり、イルミネーションもあるみたいです。




2017年7月 3日 (月)

イルカ漂着!~千々石海岸


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血糖が高いとお医者さんから注意をされ、潮風に吹かれ、波の音を聴きながらウォーキングというより、ほとんど、ヨレヨレの状態で毎日歩いております。

がですね、ふと気ずくと遠くの方で、アレ!マア!というくらいの大きな魚を釣っている方が見えたんですね。

千々石海岸は意外と釣りをする人が多いのですが、とても、あのくらいの釣り竿では釣れるものではなく、いってみて、「なんという魚ですか?」「イルカです」。

ビックリしましたネ。テレビなどでは、イルカが打ち上げられているところを見るのですが、実際見たのは初めてで、聞いてみると、時々打ち上げられることもあるとか。

で、海へ帰れるかと思ったら、弱ってしまって、「ダメだろうね」とのこと。お腹の部分は、海辺の石に打ち付けたのか、別の原因か赤く内出血をしていて、見ても多分ダメだろうという感じでした。

ですから、海では泳がない方が良いのです。私みたいに。もっとも、泳げませんが・・・・

次の日に行ってみたら、なにもありませんでした。海に帰っていればいいのですが。

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「千々石海岸は閉鎖しました」の看板が、なんとなく、淋しいですね。






2017年7月 1日 (土)

7月1日は。

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7月1日は毎年書くように、「ところ天の日」です。全国的に普及しませんが 

この、ところ天屋さん、7月1日から9月31日までのみが営業で、ほかはお休みになります。

7月1日に開店になると、あ~、一年たったなと思い、一年の早さを実感し、いつまで生きられるのだろうと考えます。

ということで、7月1日は私にとって、「ところ天の日」になります。俵万智さんにとって、7月6日が、「サラダ記念日」のように。

昨年と変わらない店内。レトロな扇風機。

で、レトロというと、最近またレコードが復活してきたようですが、私は伯父さんが持っていた手回し式蓄音機から、電蓄、ハイファイ、部屋の四隅にスピーカーを置いて立体感出す装置、CDと経験してきたわけですが、このレコード復活も一時的なものでしょう。若い方は飽きやすく、とにかく、レコードをかけるのは面倒臭いから。

小林秀雄の「蓄音機」、五味康祏の「いい音いい音楽」など読めば、先人が音と音楽に対してどう取り組んできたか、わかるから読んでみてね。

あ、それからレコードにはヒゲをつけないでね(これが分かる方は、昔、かなりレコードを聴いた方です)。

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いつものオバチャン。昨年と変わらないような感じ。
ラムネは、冷蔵庫でギンギンに冷やすのでなく、井戸とか、川とか、湧き水で冷やすのが一番。


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私の前にも、若い女性が食べに来て、買っている時に老夫妻が来店しましたが、皆さん開店するのを待っている感じでした。

ところてんは「心太」とも書き、食べると心が太く、豊かになります。夏は何といっても、ところてん。


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