和銅寺・竜造寺隆信の墓碑~諌早市高来町
最近、海を隔てた高来町に興味を持ち、ちょいちょいお出かけをしておりますが、先日、「歴史の道・文化交流推進協議会」から、編集、発行ということで下のようなパンフレットが発行され、只のものなら、なんでも貰ってくる癖せがあるのですが、写真も多く、読むとわかりやすく、名前は以前から知っていたのですが、パンフレットにも取り上げてある、和銅寺に出かけてみました。
説明版に書いてある通り、行基大僧正が彫られた十一面観音がご本尊だそうですが、50年に一度しか御開帳になられないそうで、ググってみたら、どうも平成20年5月18日に御開帳があったらしく、ですから次は平成70年(年号は変わっているでしょうが・・・私も、この世にいません)になります。
でもってどうしてもご覧になりたい方は→こちらをクリック
見ていくと、いいですね。石造物がお好きな方にはたまりません。
梵鐘ですが、片側は漢文ですが、もう片方は多分、梵字かな?全然読めません。
お寺の本堂ですが、柱の所に仁王様が立っておられ・・・
まあ、これがすごいのなんのって。このお姿、すごいですよ。ボロボロにもかかわらず、かえって風格と迫力があります。
こちらが、「竜造寺の墓碑」になりますが。
説明版です。竜造寺隆信については、いろいろな話が伝わっておりますが・・・
説明版には、居城須古→高来→諌早→神代と陸路を通ったように書いてあり、また、パンフレットの「多良海道を往く」には、「この和銅寺でおみくじを三度引いて、三度とも凶がでて、家臣が諫めたにも関わらず、出陣したというエピソードも残っている」そうです。
が、しかしですね。「高来町郷土史」の、「竜造寺隆信の戦士ー和銅寺の隆信伝説」の所。
「総勢五万七千騎。『信隆公御年譜』によると、「『同月十八日、竜王崎』(佐賀県杵島郡有明海)ヨリ兵船ノ纜(ともづな)ヲ被解』」とあるそうで、これ、「北肥戰誌」にも載っているそうで、調べてみると、「巻之廿八 高來軍竜造寺隆信の戦死の事」に「・・・中にも隆信・政家の佐賀勢は、竜王崎より纜を解き、同廿日に神代(注:対岸の島原半島)著船し・・・」とあります。
この、おみくじ三度の凶、明智光秀と一緒ですね。明智光秀も本能寺に向かう前に、愛宕権現堂でおみくじを引いて、三度、「凶」が出たそうです。
「三」という数字は、世界中好かれているようで、「三匹の子豚」「三年寝太郎」「三本の矢」「三匹のおっさん」「三匹のやぎのがらがらどん」。どうしてでしょう?
前にも書きましたが、「白雪姫」も三度殺されています。毒リンゴでいっぺんに殺したのは、ウォルト・ディズニーというおじさんでした。
パンフレットに「和銅寺を下った所に、山伏が彫られた貴重な石碑を見ることができる。(中略)どこかユーモラスな雰囲気も漂う・・・・・」と書いてあって、探しましたが、多分下の石碑かな?ただし、「山伏」は彫られていませんでしたが・・・何か特別な石碑の感じもしましたが・・・間違っていたら、ゴメンチャイ m(_ _)m
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