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2017年6月26日 (月)

島原藩旧士族・大村へ

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「記念碑」は記念碑ですが、なんの記念碑か知る人はほとんどいないかと思います。

場所は、大村市民病院の裏手で、前もってグーグルアースで調べたら、ありましたが、何年か前の写真で、新築のアパートなど建っていてアルカナ?とは心配したのですが、ありました。

 

以下の話は島原関係の本には載っておらず、「大村史話 続編1」に載っていたもので、長いので多少、省略したものになるかとは思います。

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明治維新、当然のことながら武家階級は全部クビ、今でいえばリストラされるわけですが、島原藩においては、旧島原藩主が東京へ引き上げる前、旧士族に対し下賜金を下されたそうです。

が、生活費に使っては無くなってしまう、ということで旧士族の授産、興業の経営主体として恒産会社を作ったそうです。

事業としては、官有地払い下げによる開墾、牧馬、牧羊等々を行ったそうですが、このような中、大村への24戸の送出も会社事業の一つであったそうです。
移住したのが、鉄砲丁(ちょう・町ではありません)の24戸、明治24年のことだったそうです。

少し、島原の話へ移すと「島原城の話(渋江鉄郎著)」によると、「上新丁(うわじんちょう)、下新丁(したじんちょう)、中ノ丁、古丁、下の丁を総称して鉄砲丁という。(中略)全部ではないが鉄砲を扱う歩兵階級が多く住居を与えられていたことも、それ以前からあった鉄砲丁の名のおごりである。(中略)松平氏の島原藩臣は、ほとんど祖先は三河(愛知県)出身であったので商家や農家とはおのずから言葉が違っていた。家中(城内)ことばと鉄砲丁言葉にも僅かな違いがあった。(中略)三河武士は『一徹者』が通り名になっていた。手に負えないほどの頑固さであったため他人にも迷惑をかけ他人から嫌われるものもいた。」とあります(現在はそのような事はありません)。

横道ついでに、島原には「江戸丁(ちょう)」というところがあり、これ、〇〇銀座の名前のところがあちらこちらあるので、この手かなと思ったら大違いで、島原藩の藩邸は江戸にもあり、江戸藩邸勤めの藩士もクビになるわけで、島原に帰る途中、肥後豊後(島原藩の飛び地領)に廻されたものもあったそうですが、「島原に帰って人々に住居を与えたところを江戸から来たので『江戸丁』という。」ということだそうです。

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さて、この大村へ移住した鉄砲丁の方は、苦労と努力があったそうですが、移住後40年目、記念碑の建立の16年後太平洋戦争が勃発、昭和16年海軍航空隊の大村設置が始まり、その敷地内に島原郷集落の土地が含まれていたため、接収され分散移転を余儀なくされたそうです。

「記念碑」の裏に次のように書かれています。

明治拾四年旧肥前島原藩二恒産会社設立スルヤ、我ノ父祖貮拾四名同会社ノ勧メニヨリ、同二十年閏四月一日此ノ地ヲ撰ビテ移住シ 爾来協力同心萬難ヲ排シ歳ヲ経ルコト將ニ四十年當時ノ父祖ノ労苦ヲ追想シ報恩ノ為メ此ノ碑ヲ建ツ

なお、その左の方に、「上ヨリ家順」として、名前が彫ってありましたが、「大村史話」に、当時の家の並びが載せてあり、最初が寺田家、永野家、尾崎家・・・・というように,そのままでした。


 

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                (「大村史話」より)

この話は、島原などでもあまり知られていなく、大村市民病院(国立の方ではありません)の真裏にあり、すぐにわかりますから機会があったら見てください。


【参考・引用:「大村史談続編1(大村史談会編)」「島原城の話(渋江鉄郎著)】

 




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コメント

放虎原小学校の横を通るたびに、島原からの入植記念碑を見て、不思議に思ってました。このネットを見て、理解できました。放虎原 というと、キリシタン処刑地、第21海軍航空廠ぐらいしか知らなかったのですが、北海道と一緒で、島原からの入植で開拓されたとは、大村の歴史も奥深いものがありますね。
現在、大村ボランティアガイドの会に入ってまして、観光案内しか頭になかったのですが、もう少し、明治以降の大村の歴史についても、勉強していこうと思います。今後共、実地研修、参考本の紹介等ございましたら教えて下さい。よろしく、お願いします。

コメントありがとうございます。
大村の歴史は面白いですね。参考資料については図書館の郷土誌コーナーにたくさんあると思います。私は諫早の図書館を利用していますが、読み切らないくらい資料があります。

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