「日本最古の犬の墓(史実)」~大村市本経寺

この犬の名は、「華丸」と言います。墓は大村藩主の墓所の中にあります。藩主の墓所の中に、犬の墓があるのは非常に珍しいかと思います。
この墓所は大村の本経寺の中にありますが、墓所は「国指定史跡」になります。
説明版に書いてある通り、普通、藩主の墓といえば、大体同じ形ですが、この墓所の墓、まさにバラバラの作り。


五輪の塔あり、石霊室(いしたまや)あり、宝塔あり、笠塔婆(かさとうば)ありで、しかも、デカい。
大村藩は一時、キリシタンの藩であり、禁教時代になりキリシタンではないことを表わすためだと考えられています。


ここを訪れたのは、下の本が図書館にあり、なかなか面白かったからです(病院通いもありましたが)。

墓所の入口のすぐ左手に、「義犬華丸」の顕彰記念碑(顕彰墓碑と石像)があります。裏から見ると墓碑には何やら書いてありますが。
この顕彰碑は義犬華丸365回忌(なんとなく中途半端ですが・・・・)に作られたそうです。平成27年ですから、昨年になります。
「子供から大人まで多くの皆様に触って貰えるように、表面はツルツルで滑らかになっています。」という事で、私もナデナデしてきましたが、ワンとも言わず、おとなしく、可愛い犬でした。


墓の場所が少し分かりにくいのですが、墓所に入って左側に見上げるような、3代藩主純信公の墓碑があり、この墓碑の少し左側にあります。右が「華丸」の墓ですが・・・


文字が彫ってありますが、この彫ってある文章は読んでみると、記念碑の墓碑の裏側に書いてある文章と同じでした。ただ、高さが違うので、改行の部分が違っています。で、この文章になぜ「華丸」が「義犬」と呼ばれ、大村藩主の墓所に祀られたかが書いてあります。

本から要約すると
大村藩三代藩主大村純信の幼少期の傅役(守役)で、家老の小佐々市右衛門前親(あきちか)が飼っていた愛犬が、「華丸」。犬種は雄の狆(ちん)。
大村純忠が33歳で急死し、前親がこれを悼み、本経寺で殉死(追い腹)。前親の荼毘(だび)の時、愛犬華丸は主人の死を嘆き悲しんで声を呑み、雨のように涙を流し(犬吞聲泣涙如雨)、主人が焼かれる火に身を投じたそうです。
君主に殉じた前親、そして飼い主に殉じた華丸。それを末永く供養するため、二つの墓が並んで建てられたそうです。
一番上の写真、左が小佐々市衛門前親の墓、寄り添うように建っているのが、「華丸」の墓。
大村家の墓所には、驚くようなものもあり、このお寺は「萬歳山本経寺」といいますが、「萬歳山」の名前には理由があるのですが、近い間にでもご紹介を。
皆様も、近くにお寄りの節はご参拝を。なお、見学の際は「国指定史跡」になりますので、大切にご覧ください。受付を忘れないように。私は忘れていましたが。また、「犬」を連れて境内に入ることはできないそうですからご注意を。
(参考・文引用:説明版及び「義犬華丸ものがたり」より)
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