「善神(ぜんじん)さん古墳」~諫早市高来町
ホント、嫌ですね。昨日、ブログを書き上げてアップしようとしたら、ネットに繋がらず格闘する事、午前1時。でもって、記事が全部パー。これだから、PCは信用できない。皆様もご注意を。
という事で、書き直しですが、気力が失せたので簡単に。
一昨日は天気が良く、有明海の海向こう高来町へ。用事が済んで湯江小学校あたりをブラブラしていたら、なにやらあったので、見にいったら「善神さん古墳」でした。名前は聞いたことがあり、山の中かと思ったら道路のすぐそば。
古墳の名前で、「鬼の古墳」、「鬼の岩屋」、「鬼塚古墳」等々、「鬼」がつくのが多いのですが。考古学もない時代、こんなものを見つけたら、鬼でも住んでいたんじゃないか、と思うのはごく自然でしょう。ここは「善神」ですが。
「善神」は手持ちの辞書にはなく、ネットで調べると「1 よい神い 2 仏語。正法(しょうほう)を守る神。」とあります。
名前の由来がわからないので、近くにお年寄りさんを探しても見つからなく、「高来町郷土史」(現諫早市へ編入)をみたら、「室内には近世作の地蔵尊など石仏十数体が並び、信仰対象とされ、『善神さん』の由来を示している。」と、あまりよく分かりません。
「善神さん古墳」の説明は説明版に書いてあったので、読んでください。
現在、赤丸の「羨道」(せんどう・えんどう。横穴式古墳で遺体を安置する「玄室」と外部を結ぶ通路)はつぶれて、玄室だけむきだしの状態です。
下の写真の赤丸のところが「羨道」の一部ですが、これが右側にもあり、その上に天井の石をかぶせ、土で覆っていたと思われますから、随分大きな古墳であったことがわかります。埋葬者は地元の実力者だということが伺われます。
なお古墳、上の部分はコンクリートが打たれ、瓦で葺かれていますが、これは後世に付け加えられたものです。
内部ですが、大きな石がきれいに積まれています。重機もない時代です。
天井ですが、2枚の大きな岩でおおわれています。
で、私が大チョンボしまして、説明版の「玄室正面の一枚岩には一面に斜格子紋様があり、人物・舟・動物が描かれている。羨道部の天井石にも線刻文様が施している。」を見落とし、写真を撮るのを忘れましたが、幸いにも「高来郷土史」に写真が載せてありましたので下に紹介しておきます。
なお、この線刻文様については、ネットの「長崎県の遺跡大辞典」には、「詳細な観察によると格子文、斜格子文の後から人物などの図柄が描かれているために、後世の落書きとみる説があるが、決め手となる根拠はない。」とあり、「高来町郷土誌」には、舟・人物は斜格子文のあとに描かれている可能性も強いとしながらも「これらの構図の類例は佐賀県などの古墳にも似たようなものが含まれる。」と若干ニュアンスが違っています。
(「高来町郷土誌」より)
遠くの有名な古墳見学もいいですが、近くにも面白い古墳があるかも、ですよ。
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コメント
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こんばんは。急なコメント失礼します。
善神さん、ウチが先祖代々管理をしいて、取り上げていただき嬉しくなりコメントしました。
今は沖縄在住ですが、母が健在なので今は母が管理してます。
うちの守り神様と小さい頃から言われてきました!
母から代替わりしたら私が長崎に戻り管理します。
ちなみに天井が黒いのはすすらしいです。
大正後期から昭和初期くらいに、ホームレスが焚き火をしたらしく、すすだらけになったと先祖代々言われてます。取り上げていただきありがとうございます!
投稿: 與那覇祥子 | 2022年8月22日 (月) 20時52分