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2016年5月15日 - 2016年5月21日

2016年5月20日 (金)

「『肥前鳥居』~熊野神社」&「淡島神社」&「楠天満宮」~長崎県雲仙市国見町


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え~、間違いなく、「肥前鳥居」ですね。最近神社巡りばかりやって、偶然巡り合いました。犬も歩けば棒にあたる、ですね。

下の鳥居は以前にも紹介しましたが、諫早市指定有形文化財の「宇都(うず)の愛宕社」の、一の鳥居です。右図が、説明になります。上の写真と比べれば同じ
形のものだとわかると思います。

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特徴として、木鼻(一番上の笠木の両端)が流線型に伸び、笠木と島木が一体化し、柱、笠木、島木がそれぞれに三本継ぎになっている事だそうです。

熊野神社の柱は、二本継ぎですが、これは、二本継もアリ、ということだそうで
す。少し気になるのが、継の部分が少しずれていること。以前の写真をみると、ちゃんとしているのですが、地震のせいか?
なお、年代、建立者等の銘は風化のせいか、まったく見られませんでした。

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下が熊野神社になります。
「建立年代は明らかではないが、温泉神社と同時代(注:正平一三年・1358年あるいは天文三年・1534)ともいわれ神代氏時代の時代ものである。」そうです。

「鍋島日記」によれば、「寛永十四年十月二十七日天草・島原の乱発生。
鍋島家三代茂顕及長男伊織急ぎ佐賀より佐賀勢(略)を引きつれ海路神代へ下向し二十八日到着。(略)」(国見町の神代は鍋島藩の飛び地領)。

鍋島藩が参加した、天草・島原の乱は、幕府側の勝利になりますが、「寛永十七年(1640)八月に、鍋島伊織は、この戦いにおける凱旋記念として社殿を再建した」(「 」内は国見町郷土誌より)神社だそうです。

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さて、狛犬さんですが、「阿」さんは、毬みたいなものを踏んでいますが「吽」さんが踏んでいるのは何でしょう?子供が悪いことしたのかな?躾かな?

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「阿」さんのお口の中、「玉」がちゃんと彫り込んであります。これ、むつかしいそうですが、いい仕事してますね。「虫歯」は、ありませんでした。

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国見町の「熊野神社」といっても、ピンとこない方がいると思いますが、「淡島
神社」とおなじ敷地内で、すぐ横の神社です。

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淡島神社といえば、このミニ鳥居が有名で、毎年、ミニ鳥居くぐりがTV、新聞などの報道で有名ですが、神社裏の「道祖神」様、今日も変わらずお元気なことで、羨ましいかぎりです。文化九年(1812年)の建立の神社です。

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さて、この敷地内にあるのが、もう一つの神社、「楠天満宮」。
「字天神の木に寛延(1748)年間頃、大楠のそばに創立され、天明六年に建て替えられた。いつのころからわからないが、楠木が大木となり内に空洞が出来て、畳六枚くらいしける洞となっていたが、この中にいつしか浮浪者が住みついたが、この浮浪者の不始末によって火を出し、楠木も神社も灰になってしまったのである。」ということですが、「昭和の代になって現在の淡島神社境内に再建されている。」そうです。(「 」内は国見町郷土誌より)
こちらの鳥居はよく見かける、明神鳥居です。

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こうしてみると、同じ境内にあっも歴史が違い、淡島神社にお訪ねの節は、二つの神社もご覧のほどを。とくに、肥前鳥居はこちらの地方では、めったに見られません。


2016年5月19日 (木)

「ついでに、雲仙ぶらり~雲仙市小浜町雲仙


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今日は、雲仙でお勉強会。カミサンがいないので、少し早めに家出、じゃなく家を出ました。

というのも、昼食を雲仙で取ろうかと。この間買った「もってこい!長崎」に、雲仙の「雲仙福田屋」さんの食堂、「民芸茶屋力(りき)」が出ており、利用でき、これが、「天ぷら 盛りそば」で、なんと、幻の「高来そば」が食されるとか。
1,350円が675円ですよ。

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で、お品書きとか、高来そばの説明を読んでいたら、自家製の蕎麦汁は、料理長が「『大阪の料亭神田川』で修業時代に教わった、カツオと干ししたけを黄金比率で調合した『自慢のそばだし汁』を使用しています。」てんで、期待が持てるじゃありませんか。

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蕎麦と天ぷら。わさびが「山わさび」。わさびおろしが、なんと「鮫皮」のおろし。粉ワサビ、金おろしと違って、ツンとはきますがトンガってない辛味。あと、蕎麦湯で
だし汁をいただきました。

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まだ、勉強会がはじまるまで、時間があったので、ぶらりと雲仙を。街並みが多少モダンに。ラムネを冷やすのも冷蔵庫でなく、多分、湧き水ですね。

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旅館前に足湯がありますが、もちろんロハ。私はお風呂が嫌いなのでパス。

なんでか?風呂に入ると濡れるからです。

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いつもの通り、温泉神社へ。これ以前紹介したことがあったような気がするのですが、まあ、気にせず。

鳥居が三本あって、一の鳥居が明治三十三年、二の鳥居、右
に「剏立石華表温泉山」、左に「元禄八乙亥年九月八日(1695年・321年前)」、三の鳥居が昭和60年。右の写真が拝殿。

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拝殿の中ですが、左右と天井に貼り札、なんでしょう?横に守り札など売るところがあるのですが、食事中で留守。よく見ると「千あき」の札。私の行きつけのスナックだったんですが・・・・

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左が「夫婦(めおと)柿」。両手で柿の木をだき、二つ一緒に下からうえになであげ口で唱えながら祈願する、と書いてあるので、「カミサンと仲良くなりますように」と祈願。

右は、「奥の院」。社殿の水淵を左手より、願いを唱えながら三回廻り祈願する、
と書いてあるので、「カミサンと仲良くなりますように」と祈願しながら、3回廻りました。効果や如何に?

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こちらが本殿。ずいぶん傷んでいますが、改修するとか。

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こちらは、満明寺。一番上の写真の大仏があるところ。左の写真、真ん中が確か「行基菩薩」の墓。確か別の所にあったのですが、いつのまにやら・・・・

鐘つき堂ですが、確か以前はなかったような。一応、撞いてきましたが、いい音ですね。皆さんも、いかれた時には撞いてみてください。心が洗われる音がします。


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前にも書きましたがセンペイを一枚一枚手で焼くのは、「遠江屋(とおとうみや)」さん一軒になりましたが、焼く道具からはみ出た、「センペイの耳」。ほとんど手に入りませんが、今日はラッキーに、一袋だけ残っていました。箱に入っているのが、手焼きのセンペイ。

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箱が少し凝ってて、下に英語での説明。絵は、大正の広重と言われた、鳥瞰図師の、「吉田初三郎」。雲仙から、富士山、東京まで描いてあります。

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「世界で一番小さい金平糖」なるものと、塩の各種取り合わせを。なんでか買ってしまいました。

ということで、お勉強会場へ。本日の講義は愛野町の郷土史家のO氏。演題が「島原藩の村支配と番人の役割について」。詳しくは書けないので、パスしますが、良く調べてますね。感心しました。

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今日は半日、勉強「ついでに、雲仙ぶらり」をしてきました。





2016年5月18日 (水)

「こちらも負けずに『週刊誌』」


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三島由紀夫賞を受賞した、「蓮實重彦(80歳・元東大総長)」さんの受賞記者会見、読まれましたか、まったくすごいもんで、

「ご心境という言葉は、私の中には存在しておりません。ですからお答えしません。」、「それもお答えしません。」、「あの、質問なら簡単におっしゃってください。」、「ないことを期待します。」、「いや、全くそれはありません。あの、馬鹿な質問はやめていただけませんか。」、「申し訳ありません。おっしゃることの意図がわ
かりません。」等々、まじめに答えている部分もありますが、賛否両論でしょう。これくらいの気骨をもった人は、と思い出したのが、内田百閒先生。

芸術院会員に推薦されたとき、拒否し、その理由が、「いやだから、いやだ」。
ということで、お二人の気骨に対し、「こちらも負けずに『週刊誌』」

■「全国民必読の大特集ぶち抜き15ページ!役人だけが幸せな国」

「就職するなら公務員。高い給料と退職金・年金、休み放題、充実の福利厚生、そして仕事の責任は問われません」
読んだら、具合が悪くなったので詳しくは書きません。が、「マイナンバー」のところ、システムがガチャガチャになっているみたいですが、前にも書いたように、以前の住基ネットを生かそうとしたのが原因みたいですが、関連する企業が、富士通、NEC、日立製作所だそうです。「総務官僚たちがすでに天下っている。」
中国の歴史書を読んでいると、国が亡びるのは、「暗愚な国王」と「腐敗した官僚」。日本もその道を辿るのか?


■「舛添『電撃辞職』で橋下徹擁立!参院選、都知事選W選挙へ」

舛添都知事、セコイ事をして、自民党にも見放されたようですが、また、あの方、出てくるんですか?千枚舌の男、東京都民の方が選ぶようなら、問題ですね。
最も最近は、威勢の良いことをいう人間が支持を受けるようで、問題は日本人にもあるような。


■「日本会議とは何なのか?」

基本、原点となるのは「宗教法人成長の家」みたいですが、「日本会議の研究(扶桑社新書)」に対し、日本会議側が圧力をかけてきたとか。
で、役員が、元最高裁判所長官、東京大学名誉教授、神社本庁総長、日本医師会会長、日本遺族会会長、靖国神社宮司、明治神社宮司、比叡山延暦寺代表、
教真光教え主等々だそうです。
これが、「憲法改正に向けて700万の署名を集める組織力を持つ」、「安倍内閣の半数が関連の議連に名を連ねる」ということですが、「どこまでいっても正体の掴めない組織ー外からみえる巨像は、虚像なのだろうか。今はまだわからない。」そうです。
私、神社が好きで今日も少し回ってきましたが、神社が政治に関与するのはどうなのかな?また「神風」でも吹かすつもりかな?
最近、なんとなく「非国民」という言葉を思い出させる世相ですが・・・・・・


■「パナマ文書に出てきた日本の億万長者全実名」
■「『パナマ文書』日本人230人実名全掲載!」

全部の名前が公表されましたが、日本ではまだ精査されていないみたいです。問題は、「日本企業がタックスヘイブンを『合法的』に活用してきた影響もあって、’89年には19兆円あった法人税収入は、’14年には11兆にまで落ち込んだ。一方消費税収入は3・3兆円から16兆円へと激増している。」ということでしょう。


■「天才・南方熊楠が見ていたもの」

粘菌の研究者として知られ、天皇陛下に進講をしましたが、民俗学、明治政府の神社合併に対し反対運動を起こし、「神社合併に関する意見書」なども書いています。確か水木しげるさんも、南方熊楠をモデルに漫画を描いています。
興味のある方は、ご一読を。


■「あなたの健康法間違っています!」

「毎日のジョギング」、「早朝のラジオ体操」、「猫背を直す」等、20種類の健康法について、「これまでの通説」、「ここが間違い」と比較がしてあるので、ご自分の
健康法が正しいかどうかチェックを。


■「危険な心房細動に高治療の『高周波ホットバルーン療法』」

私も、心房細動で手術を受けました。心臓にカテーテルを入れ、患部を焼きましたが、これとは別に、バルーンを入れ焼く方法があるそうです。残念ながら、長崎ではまだ機械が入っていないとか。
臨床例が500例で重篤な合併症はなかったそうで、治療率も94%だそうです。
私も関係があるので、ご紹介まで。


■「妻という病」

「定年退職したら、妻と1日5時間以上一緒に過ごしてはいけない」
「夫源病」という言葉がはやっているようですが、反対に「妻源病」もあるとか。
「60代以上の男性の多くが苦手とすることではありますが、奥様に”ありがとう”や”ごめん”という言葉をきちんと伝えることが重要です。
で、私が毎月、「全亭協」の天野会長のお言葉を紹介しているのですが、しつっこいようですが、「愛の三原則」。
・「ありがとう」をためらわずに言おう
・「ごめんなさい」を恐れずに言おう
・「愛している」を照れずに言おう
ウチですか、もちろん、「妻源病」ですが・・・


■「『緑内障友の会』患者が語る『今思えば、あの時から・・・』」

前回も書きましたが、私も若いころ緑内障になったことがあるので、目が変だと思ったら、即病院へ。なお、急性緑内障もあるので、ご注意を。


■「『笑点』これは笑えない座布団争奪戦」

いよいよ、歌丸師匠が引退します。円楽師匠が後を継ぐようですが、好楽師匠が
「(司会者は)円楽以外なら誰でもいい」と発言したとか。
円楽師匠の後ですが、落語会が分裂したあと、笑点には「立川流」の方が、出ていないようで、立川流には良い師匠がいるのですが・・・・

■「あの素晴らしい●E●をもう一度」シリーズ

「『VR(バーチャルリアリティ)ポ●ノ』を知っていますか 松坂慶子とも竹下景子とも 小池栄子とも長澤まさみとも 米倉涼子とも、できる時代がやってくる」
「VR」はご存知のように、メガネ型の専用機器をつけ、現実的に見えるもので、将来は感触まで体感できるそうです。発売されたら、もちろん買います。


■「死ぬまで●E●」シリーズ

「日本一エッチな健康雑誌のムック『壮快Z⓸』の●E●特集がすごい!」そうで、明日、TSUTAYAさんで・・・・


■「初めて掲載許可が出ました 鰐淵晴子」

あ~すごいですね。格がちがいます。これ見るだけで、「週刊現代(430円)」を買う価値アリです。もちろん袋とじです。もちろん立ち読みはできません。

 


2016年5月17日 (火)

「温泉(うんぜん)」から「雲仙」へ~県議会議事録より

 
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上の写真は、一昨年の雲仙の写真です。テレビを見ると、今がミヤマキリシ
マが見ごろだとか。行ってみようかと思ったのですが、どうにも億劫で、まあ、
以前とは変わりはないだろうと、手抜きで前の写真を使いました。

以前、「『温泉(うんぜん)』から『雲仙』へ」ということで、「温泉(うんぜん)」の
名称が「雲仙」に変わったいきさつを書きました。

あれで、終わろうかと思ったのですが、あの中で、県議会で議論がされたこ
とを書きましたが、実物を読んでないので、いつか読んでみようか、とは思っ
ていたのですが、県議会事務局まで行って、閲覧願などを書いては面倒だ
な、ということで忘れていたのですが、調べたらネットで議事録がでており、
見たら、これは、平成8年からで、残念でした。

と、探していたら、灯台もと暗しで図書館に置いてありました。で、昭和2年の
議会ですから、「選挙は武士道的に」「言いっ放しは許さぬ」「不公平な議事進
行」など、威勢のいい議論などありますが・・・本論に戻って。

雲仙が議題になったのが、昭和2年の通常県会(11月21日開会・12月20
日閉会)。土木費の件で、「雲仙公園の拡張と施設」「墓地(注:雲仙)管理の
杜撰」「地震計設置個所」と「温泉と雲仙」ということになるのですが・・・・

事務局の前書きで「・・・温泉公園には上水道が敷かれ、技手、書記、園丁の
増員が行われて国立公園の足固めをすると共に、用字も『温泉』から『雲仙』
と改められたが、地震計問題で一波乱生じた。・・・・」とあります。

永安議員が監査報告で「・・・第二に、現在外人専門的な経営方針に民衆的
施設を加味されたい。・・・・」という発言をしていることを見れば、昭和2年頃
は、外人の雲仙利用が多かったことが伺えます。

なお、当時の佐上知事の発言として「・・・名勝地(新日本八景)の指定を受けよ
うとしなかった過去においては、あれでよかったかもしれぬが、ホテルのベッド
数六〇〇程度に対し需要は二、〇〇〇を超える今日にと情勢は一変している」
というところを見れば、このころから雲仙の人気が出てきたことが分かります。

さて、「温泉」から「雲仙」の事ですが、そのまま書くと
■永安議員
この予算の中にウンゼンを温泉と書いたり雲仙と書いたりしてある。我々県民
は略想像は出来るが、県外に対しては誤解の生ずる虞れもあるので、公文書
には統一して置く必要はないか。
■佐上知事
元は温泉と書き、現に八景投票の時も温泉嶽と書いてあるが、宣伝の場合普
通の温泉と間違う虞もあり、雲仙の方が景色も現していると云うので、鉄道省、
内務省、県庁三者相談して『雲仙』に改めることにした、従って予算書の他の
部分に温泉公園とあるのは雲仙に訂正する。

ということで、「温泉」が「雲仙」に改名するのは、一般的に昭和9年としてあ
りますが
、公的には、昭和2年だったことが分かります。なお、この年に、千
々石から小浜への鉄道が開通をしています。





2016年5月16日 (月)

「千々石温泉神社 鳥居『貫』破損之事」~長崎県雲仙市千々石町

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とにかく、びっくり仰天しました。いつも、通るところの温泉神社ですが、あら、なんか変、と思ったらら「貫」がない。

写真を見てわかる通り、てっぺんの石が二段になっています。一番上が「笠木」その下が「島木」。で本当は、その下に「○○神社」という、額があり、「額束」。それを支えているのが「貫(貫石)」。で、その「貫」が落っこちて、「額束」が真っ二つ。

「額束」は表から見ると、そんなに重そうにも見えませんが、下の写真の丸印のところにが「額束」の裏。「笠木・島木」と「貫」の間にがっちり挟み込むため、意外と大きく、重量もあり、これを「貫」が支えますから、かなりの負担になります。

熊本の最初と、二回目の地震がこちらでも感じられ、というより、ビックリして、家にいたほうが良いか、逃げ出したがいいか迷ったくらいで、その後も余震が続き、多分その影響だと思いますが・・・


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「額束」があったところと「貫」が抜けた部分です。

なお、上の写真で、前後に2本の鳥居が見えますが、今回破損したのが、明治38年に建てられたもの。後ろの鳥居が、天保4年(1883年・183年前)のもので、額束はありません。

現在、「温泉神社」と言いますが、本来は「四面宮」といい、明治の神仏分離に伴い、明治2年に「温泉神社」と改名しています。

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それで、思い出したのが、神社裏に2枚の額束があり、一枚は二つに割れていること。多分、鳥居が別にもう一本あって、それを外したのかと思ったのですが、「それ、落ちてれ割れたんじゃない」という人があったそうで、まさかと思って、見にいったら、一枚は今回とまったく同じ割れ方。

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多分、今回と同じような事があったのかと、思い出したのが、有家町の温泉神社(旧四面宮)の鳥居が地震で壊れたことがあったなと、調べたら、大正11年の地震で、この時はすでに「温泉神社」で関係なし。

あと、考えられるのが寛政4年の島原大地震。しかし、これは1792年のことで、古い鳥居は、1883年のもので、関係なし。と、2枚の額束を見ながら、考えると、今回破損した鳥居が、明治38年でこの時は、すでに「温泉神社」。であるなら、この2枚の額束は古い鳥居に飾られた事は間違いないのですが、鳥居の建て替えはしばしばみられるので、その時にと考えられますが、どんな事があったのか、とにかく文献がないので、悩みます。

鳥居があと一本あったと考えられるものはあるには、あるのですが、まあ、これは宿題ということで・・・・

この神社は、町の氏神様で、なんとなく心配な出来事でした。けが人がでなかったのが、幸いでした。



 
 
 

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