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2016年5月1日 - 2016年5月7日

2016年5月 7日 (土)

「肥前狛犬」を捜して・・・

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「肥前狛犬」さんです。


以前「肥前狛犬」の事を紹介しました→こちらをクリック

以前のは下のような形でしたが、今回見つけたのは上の写真の狛犬さんです。

形が違っていますが、多分年代が違うためだと思います。

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「肥前狛犬」は佐賀県付近に多いらしく、「佐賀市重要文化財」によれば


「肥前狛犬は江戸時代前半に佐賀地方を中心として製作された石造の狛犬で

す。肥前狛犬の一般的な特徴は小形でその姿態は極めて静的で細部の表現は

略され、彫法は簡潔で素なことなどが挙げられます。」→こちらをクリック


肥前狛犬については、前に書いたように、好きな方が多く、持ち帰ることが多いら

しく、石造物専門の先生からも保護に注意するように言われていましたが、某市

の某郷土館に行った時、

「ここには、肥前狛犬はありますか?」

「8ヵ所ばかりあります」

「どこですか?」

「あれはですね、好きな方が多くて、時々持っていかれるので、場所はチョットば

かり・・・」

といわれましたが、佐賀新聞によると、盗難に遭いオークションに出ていたとか。

もっとも落札はできなかったそうですが。


で、場所は書かれませんが、最近、神社を見ると見学する癖がついて、某日、通

りすがりの神社をウロウロしていると、あったんですね。「肥前狛犬」さん。一番上

の写真です。しかし、一体しか置いてなく。


普通、二体で一対ですから、付近を見ると、らしいのが土に埋もれていて、左の

写真ですが

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破損がひどいみたいですが、右は一番上の狛犬を上から撮したもので、多分間

違いないでしょう。で、写真などを撮っていると、神主さんが丁度境内の掃除に来

られまして、話をすると一年ほど前に来られた方が、同じような話をして行かれた

とか。


話を聞くと、社殿を改装した折、拝殿の上り口に置いてあったそうで、廃材と一

に捨てられるところを、可愛い狛犬なので、こちらに移されたとか。


最近、改装された神社を見ると、立派な狛犬が置いてありますが、昔は多分、

別の狛犬が置いてあったはずで、神主さんの話を聞くにつけ、廃棄された肥前狛

犬もかなりあったのではないかと思います。


観光に結びつく文化財は大切に保護されますが、その他の文化財の保護は、お

ざなりになっているみたいですが、私たちの生活に結びつく文化財も大切だと思

うのですが・・・


どうですか、小さいながらもこの風格、大きな狛犬さんにも負けない堂々たる姿。

まだまだ、私の神社巡りも続きそうです。

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2016年5月 6日 (金)

「あ・ま・ざ・け」~飲む点滴

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甘酒ですね。最近元気がなく、昨日の疲れを引きずったまま、という状態が続い

おりまして、ア●●●ンなどを飲んでいましたが、錠剤なので何となく味気なく、

何かないかと、ふと思い出したのが「あまざけ」。


昔は、よく家で作っていて、最近はあまり見かけなくなっていたのですが、
お店屋

さんに行ってみたら、各種有り、コンビニにまで置いてありました。調べてみると、

どこかのTVで放送があったらしく、今、流行っているみたいです。


発酵食品で、ビタミン豊富、低カロリー(100gで70~80カロリー程度)で、美

容、美肌効果、便秘効果もありとか(私、まだ美肌にはなっておりませんが・・・)。


ウィキペデアで見ると、「当時の江戸幕府は庶民の健康を守るため、老若男女

問わず購入できるよう甘酒の価格を最高で4文に制限しており、武士の内職と

ても甘酒造りが行われていた。」と書かれていますが、いつもの「近世風俗志(

貞謾稿)」には「甘酒売り」として


「醴(あまざけ)売りなり。京坂は専ら夏夜のみこれを売る。専ら六文を一碗の価

とす。江戸は四時ともこれを売り、一碗八文とす。・・・」とありますが、当時、「温

うどん・そば各一碗価一六文。他食を加へたるものは、二十四文、三十二文等

なり。」ですから、甘酒が安かったことがうかがえます。


図がのせてあり

Img_20160506_0001_2

このような感じであったようです。


また、昭和46年発行、山本健吉編「最新俳句歳時記」(文藝春秋刊)には「・・・甘

酒売りの呼声は今ではあまり聴かれなくなったが、海水浴場などでは甘酒屋を

見かけることが多い。」とあり、この頃まで、甘酒屋さんがあったことがうかがえま

す。長崎では、あまりというより、私、見かけたことがありませんでしたが・・・・


甘酒は、酒粕で作る方法と、麹で作る方法があるようですが、上の写真は、麹で

作った方で、ノンアルコール、ノンシュガーで酔っ払うことはありませんが、一日

200mlが飲むのが目安だそうです。なお、米粒が入ったもの、サラサラのものが

あるので、お好みで。


今年の夏も暑くなりそうですから、夏バテ、暑気払いにお試しを。男性の方は甘

いのが苦手という人もいますが、「良薬は口に苦し」でなく、「良薬は口に甘し」で

我慢してお飲みください。なにせ、「飲む点滴」と言われているそうですから。


なお、自分で作ろうという方は、ネットでいろいろ作り方が載せてありますので、ご

参考に。







2016年5月 5日 (木)

長崎式「鯉のぼり」

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私たち長崎人には、見慣れた光景ですが、先日NHKのローカルニュースを見て

いたら、この鯉のぼりの揚げ方が、長崎独特のものだとか。


鎖国時代、長崎と中国とは交易があり、中国の方が、なんとかというお寺に来る

時、その目印として、鯉のぼりではありませんが、布を付けておいて、それを目印

にして訪れたとか。一本棒に布を付けておいたら、風がなかったら布が垂れて

えない時がありますが、これなら、風がなくてもOK。それが、この鯉のぼりの揚げ

方の元になったとか。


で、少し調べようと思ったら、いつもの図書館がお休みで、手元の「講談社版

大歳時記」の「鯉幟」を見ると写真が載っており

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あら、ホント違いますね。で、疑り深い私、県外ではどうなっているのか、確認しよ

うと思っていたら、仙台からこちらに移って来られた奥様とバッタリ会い、一番上

の写真を見て、「仙台はどうですか?」「長崎に来て、鯉のぼりの揚げ方が違う

ので何でだうと思ってたんですよ。仙台では、一本棒に、上から大きい順に揚

げてていくんでよ」と。重ねて、Googleの映像で、「鯉のぼり」を検索したら、上

の本の写真よう鯉のぼりの揚げ方ばかりでした。


それで、町内、諫早当たりまで観察しに行きましたが、少子化のためか、鯉のぼ

りの少ないこと。

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ほとんどが、長崎式の鯉のぼりでした。多分、長崎で作っていたのを、こちらでも

似するようになったのでしょうが・・・


なお、「長崎辞典・風俗文化編~長崎文献社編」を読んでみると、少し面白いこと

が書いてあり・・・

「鯉のぼりのはじまりは端午の幟のまねきに鯉の瀧のぼりの縁起でつけていたも

のが、(延享年間、一七四〇年代・俳諧清銫)今日のように変化独立したといわ

ている。・・・」とあり、下記の図が載せてありました。

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また、「俳諧清銫」を確かめようと、「国立国会図書館デジタルコレクション」、「国

公文書館デジタルアーカイブ」等を調べましたが、残念ながら、引っかかるもの

なく、確認はできませんでした。


「所変われば品変わる」とは言いいますが、自分があたりまえだと思っていたこと

が、あたりまえではないことを勉強した一日でした。です。


下は、千々石の塩浜の方々が千々石川に作った飾り。クリスマス等の時にも

飾りものをして、目を楽しませてくれます。国道からも見えますが、脇見運転をし

ないようにご注意を(脇見運転をしないと見えないので、近くに止めてご覧下さ

い)。

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2016年5月 4日 (水)

2016「モーモーフェスタ」~長崎県雲仙市瑞穂町

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私事ながら、愛読書「ビッグコミックオリジナル」で、好きだったマンガ「月をさすゆ

び」が最終回を迎え、少しさびしい思いをしております。


題の「月をさすゆび」、何だろうと思っていたら最後から4ページ前、「指が月をさ

すとき 愚者は指を見る」と書いてあり、これが、題名になったみたいですが、私

も「愚者」であるのかなと、己を省みつつ、それでも、誰かの随筆か、映画のセリ

フだったか、「俺はつまらない人間だが、つまらない人間にも、つまらない人生を

送る権利はある」という言葉を思い出しつつ愚者は、ぐしゃぐしゃ、とした人生を

送るのが身分相応かなと、ODなことを考えながら「モーモーフェスティバル」へと

足を運びました(ODはオヤジダジャレの略です)。


このフェスティバルは、雲仙市が合併する前の瑞穂町時代からですから、随分と

回を重ね、参加者が驚くほど増えました。

Photo_2 Photo_3

会場に着いたら、ちょうど、餅まきの最中。長崎国体のマスコット、「ガンバくん」と

「ランバちゃん」も参加。


出店も、あちらこちら、見れば買いたくなるので、素通りしましたが・・・・地元の野

菜、イチゴ、つきたて餅、もちろん牛肉と多彩な商品。

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右は、島原農業高校生の「しまのうタマゴ」。学校で、養鶏をしています。一度見

学に行きましたが、かなり大きな鶏舎でした。

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農髙といえば、ミニ牧場で、子牛さん、気持ち良さそうにお昼寝。子どもの大好き

なウサギさん。

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ゆるキャラもちらほら、左は農高の「バター作り体験」のPR。左は確か酪農協会

だったかな?

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景観も良く、渓流と緑が綺麗です。渓流は夏来ると涼しげな感じ。

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気づくと、クイズのパネル。「瑞宝太鼓」、プロの太鼓集団になり全国で演奏をし

ています。岩戸神社で演奏ですが、昼からなので、用事があり、聴けませんでし

た。ほかに、にじますのつかみ取り、もちアイスまき等もありましたが、これも時間

が合わず残念でした。

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千々石少年自然の家からも、天体観測車「ビュースター号」の登場で、めったに

見られない、太陽の観測。

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何と言っても目玉が、乳しぼり。お乳が4つあるのが少し気になるのですが、相変

わらずの巨乳。二つだったら、顔を埋めてみたいのですが・・・

もちろん、私も子どもを押しのけて、乳もみ、ではなく、乳しぼり。

思ったより触り心地が良く、思わず係員の方に、「しゃぶっても良い?」「・・・・?」

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右は、多分学校で使う練習用でしょう。搾って出てくるのは水でしたが。

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本部ですが、右の方が熊本震災の募金、左の方が、牛乳のPRのため、ロハで牛

乳を配布。もちろん、わたしも頂きました。募金も、もちろん入れてきました。

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駐車場に「瑞穂町のおさんぽマップ」の看板があり、これが実に良く出来ていて、

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「ひみつにしたいくらい蛍の名所」、「5月カーネンションの花つみ体験できるハウ

ス」、「急勾配の細い道覚悟して通って」、「ココに白い販売機ナゼ白い」、「夏の

芝生広場にはネジリバナが群生」、「このあたりヒメボタルいるのっ 5ミリより小さ

くてパチッパチッと光ります」等の詳しい説明。「この道ずっと下の方までつづく」

といわれれば、行きたくなるじゃありませんか。


という事で、半日遊んできました。前日が悪天候で風雨がひどく、スタッフさん準

備が大変だったと思います。また、来年お邪魔します。



2016年5月 3日 (火)

「飛び出す絵本」&「布の絵本」

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昨年も紹介したと思いますが、飛び出す絵本。ホント、近頃の子どもは恵まれて

いますね。小さい子どもは、本を読んでもらうことが大好きです。ヘタでも本を読

んでください。飛び出す絵本ならまだ喜びますよ。


毎年、県立図書館が県内の図書館を巡回で貸し出し、ちょうど、こちらに来てい

たので少しばかりご紹介を。

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本を広げると、絵が飛び出しますが、アイディア、製本はかなり難しいですね。

かわゆいトラさん。怖くないですね。チョウチョさん、春らしく派手。

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花咲かじいさんを思い出しますが・・・。ホワイトクリスマス。チョット見にくいです

が、真ん中はアベックで、ロマンティクな風景。

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こちらは、県立図書館の読書グループの方が作られたそうですが、布の絵本。も

ちろん、全部手作りです。

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左のテントのチャックは、ちゃんと開きます。右はポケットですが、なにが入ってい

るのかな?お父さんのポケットの中身は見ないように。キャバクラの女の人の名

刺が入っているかもよ。

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左の靴紐はちゃんと、ほどいたり、結んだりできます。「できるかな」。右はジッパ

ーを上げ下げできます。お父さんのジッパーは開けないように。あまり、たいした

のは見られません。

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サーカスのテントを開くと、ちゃんと舞台が現れます。

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表が「おやすみ」、裏を返せば「おはよう」。

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どちらが「おやすみ」で、どちらが「おはよう」でしょう?

目がパッチリ開いてるので「おやすみ」。朝、目がパッチリ開くので「おはよう」。同

じですね。目はボタンです。

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飛び出す絵本は少しお高いので、図書館のご利用を。布の絵本も、機会があっ

たら挑戦してみてください。子供さん喜びますよ。




2016年5月 2日 (月)

五月になれば・・・寺山修司の事など

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五月になれば、ふと、寺山修司の事が思い出されます。

別段知り合いでもなく、会ったこともなく、作品を読むだけでしたが・・・


寺山修司の作品を読むキッカケは何だったのか、思い出せません。長崎にい

頃は、音楽小僧で、寺山修司の事は全く知りませんでした、ただ、天井桟敷な

なるものをつくり、と言うようなことはマスコミなどで知ってはいたのですが、多

分、東京に出てから読み始めたのかと思います。


・マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや


ちょうど、70年少し前でしたから、安保闘争、学園紛争、沖縄返還、ベ平連、フォ

ークゲリラの時代で、世相騒然とする中、この短歌をよみ、衝撃を受けたことを覚

えています。


「われに五月を」は、1957年に発行、第一作品集になりますが、私が持っている

のは、1985年の再発行版になります。寺山修司は没年は1983年5月4日で

す。


表紙を開けたところに、トレッシングペーパーで

「五月に咲いた花だったのに 散ったのも五月でした 母」

とあり、その次ページに、寺山修司の写真が載せてあります。


さて、この「五月に咲いた・・・」を書いたのが本当に、「母」だったのか?寺山修司

を、ご存じの方、寺山修司は、自分の経歴に創作を入れることがあり、これ

が、寺山修司自身が書いたのか、「母」が書いたのかで、この本の読み方が随分

違って来ると思うですが・・・で、確認しようと、1957年版を捜すと、2冊ばかり

見つかり、200,000円と280,0000円、と、まあ手が出ません。


私の本には

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●表紙写真・八王子市、高尾霊園高乗餌寺・栗津潔作・寺山修司墓碑●撮影・

  山崎博●装幀・森崎偏陸

とあり、初版の表紙写真をみると全然違っております。


お母さんが亡くなられたのが、平成3年(1991年)77歳ですから
、「母」が書い

可能性もありますが、寺山修司が生まれたのは1936年1月(戸籍上)、又は、

1935年12月ともいわれ、いずれにしても「五月に咲いた・・・」は創作になります

が、「散ったの」は、まさに五月(四日)になります。


ご存じのように、寺山修司は中学・高校を通し俳句を作ります

・目つむりいても吾を統ぶ五月の鷹

・軒燕古書売り日は海に行く

・方言かなし菫に語りおよぶとき

・林檎の木ゆさぶりやまず逢いたきとき

・便所より青空見えて啄木忌


早稲田大学に入り、この時、早稲田大学の早大俳句研究会の新入歓迎句会に

顔を出しそうですが、この時大橋巨泉(本名・克己;巨泉は俳号)が2学年上で、

巨泉は寺山修司の俳句を聞き、「ショックは大きく、この日以来、大橋は俳句作り

に精進する気持ちが急速に萎えていったという。」事ですが、「その後(修司)、早

大の句会にはほとんど出て来なかった。修司は俳研をのぞき見しただけで素通

りしてしまったのである。」(虚人寺山修司伝~田澤琢也著)そうですから、この事

がなければ、巨泉さんの人生も変わっていたかもです。


寺山修司はこの後短歌を作り始め、「第二回短歌五十首詠」において「チエホフ

祭」で受賞をします。

・一粒の向日葵の種まきしのみに荒野をわれの処女地と呼びき

・チエホフ祭のビラのはられし林檎の木かすかに揺るる汽車のすぐるたび

・莨(たばこ)火を踏み消して立ち上がるチエホフ祭の若き俳優


ただ、「チエホフ祭」の短歌に対して、模倣批判があり

・向日葵の下に饒舌高きかな人を訪わずば自己なき男  (修司)

・人を訪わずば自己なき男月見草  (草田男)

・莨(たばこ)火を踏み消して立ち上がるチエホフ祭の若き俳優  (修司)

・燭の火を煙草火としてチエホフ忌  (草田男)


ということですが(この他にもありますが)、塚本邦雄氏は「麒麟騎手」のなかで、

次のように書いています。


「原典を自家薬籠中のものとして自在に操り、藍より出た青より冴冴と生れ変わ

らせる、この本歌取りの巧妙さ。新古今のあたりのそれの厳粛な繁文褥礼めい

た修辞学を、微笑と共に飛びこえてこれらの作品は輝いている。

  今は昔、彼が作中人物通りではなかったと眦を決して短歌のモラルを説いた

り、用語に先蹤ありとあげつらって、博覧ぶりを誇示した頑なな先輩達を前に、

途方に暮れつつ憫笑を以て応えてゐた寺山を、私はいたましい思いにみちて想

ひ出さねばならぬ。・・・」


この後、寺山修司はラジオドラマ、演劇、映画、評論と活躍をするのですが、晩年

といっても、満47歳で没しますが、俳句誌をやりたいといっていたそうです。私も

期待していたのですが残念でなりません。


寺山修司について私が書いても、野良犬が巨人の周りをグルグル回っているば

かりで、本質には近づけないでしょうが、五月になり思い出したので書いてみまし

た。また、来年の五月には寺山修司の事を思い出すでしょうから、続きはまた来

年。


・花売車どこへ押せども母貧し

・母は息もて竈火創るチエホフ忌

・西行忌あおむけに屋根裏せまし

・知恵のみがもたらせる詩を書きためて暖かきかな林檎の空き箱

・ドンコサックの合唱は花ふるごとし鍬はしずかに大きく振らむ

・故郷の訛りなくせし友といてモカ珈琲はかくまでにがし

・海を知らぬ少女の前に麦藁帽のわれは両手をひろげていたり








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