「柳生十兵衛七番勝負~島原の乱」と「どちりな きりしたん」★NHK「木曜時代劇」
なんとなく、関係ないような本とDVDが並んでおりますが・・・
一番左の「考証要集」は以前紹介をしましたが、NHKドラマでは、戦国、江戸、明治、大正、昭和の時代を扱いますが、この中で、色々な道具、言葉、時代背景等がチェックされるわけで、「ドラマの時代考証とは、番組で取り上げられる史実・時代背景・美術・小道具等をチェックして、なるべく史的に正しい形にしていく作業です。・・・」ということで、専門の先生、研究家も入って検討するそうですが、著者の大森洋平氏はその担当で、「ドラマ番組チーフ・ディレクター(考証担当)(
(2013年現在)です。
この本、時々取り出して読んでいますが、例えば
意外と 【いがいと】 これは戦後顕著になった言葉の誤り。「意外に」がただしい。
ですから、時代劇で「おぬし意外と悪よの」というのは誤りで、「おぬし意外に悪よの」というのが正しいということになります。NHKは多くの人が見ており、その中には専門家の人もおり、間違うとクレームが来るので大変だと思います。
先日、パラパラめくっていると「切支丹の祈り」というのが書いてあり、こちらは「島原・天草の乱」、隠れキリシタン、キリシタン遺跡等々関係がある島原半島で、どうしてもこの方面に目が行くのですが、「切支丹の祈り」の所に以下のように書いてありました。
一六〇〇年頃成立した切支丹の教義問答集「どちりな きりしたん」に二種載っている(岩波文庫、二八・三四頁)。二八頁の、キリスト教徒にとって最も基本的な「主の祈り」は木曜時代劇(注:NHK放映)『柳生十兵衛七番勝負 島原の乱』で天草四郎が唱えた。三四頁の「聖母マリアにささげるオラショ(祈祷)」は、中抜きにして大河『功名が辻』で細川ガラシャが唱え、長谷川京子の名演となった。
と書いてあるので、疑り深い私のこと、「どちりな きりしたん」と「柳生十兵衛」のDVDと揃えました。なお、「柳生十兵衛七番勝負」は、NHKの「金曜時代劇」で放映され、評判をとりその続編として、「柳生十兵衛七番勝負 島原の乱」が放映されたもので、前者は「原作 津村陽」となっていますが、後者は「原案 津村陽『柳生十兵衛七番勝負』より」となっていますから、多分これは出版されないと思います。もちろん、本の「柳生十兵衛七番勝負」には、「島原の乱」は載っておりません。
さて、DVDの祈りの部分ですが、海岸近くの洞窟の中、信者が集まり祈りを捧げているとき、柳生十兵衛がそこを訪れます。一番左の人物が、柳生十兵衛。
で、「どちりな きりしたん」の28~29頁にわたって、天草四郎がDVDで祈るセリフがありました。
「てんにましますわれらが御おや御名(みな)をたつとまれたまへ。御代(みよ)きたりたまえ。てんにをひておぼしめすまゝなるごとく、ちにをひてもあらせたまへ。われらが日々の御やしなひを今日(こんにち)われたにあたえたまえ。」と言ったところで、十兵衛の登場になり祈りは途絶えますが、祈りの文句は「われら人に申すごとく、われらがとがをゆるしたまへ。われらをテンタサンにはなし玉(ママ)ふ事なかれ。われらをけうあく(凶悪)よりのがしたまへ。アメン」と続きます。キリシタン独特の言葉があるので、わかりにくいと思います。
「たつとまれたまえ。」というところは「とうとばれたまえ」と読んでいました。
なお、「功名が辻」は「アベ サンタ マリアといふオラショなり。たゞいまをしふべし。・・・・・・」と続きますが、写すのが面倒なので、省略します。
さて、考えるに普通なら、ドラマなら聖書の一節をもってくれば済むものなのに、なぜ、一般的でない「どちりな きりしたん」の一節をもって来たのか分かりませんが、NHKさんのこだわりがあったのかな?今のテレビを見ていると、葬式での場面で「般若心経」をよく読経していますが、宗派によっては使いません。お経=般若心経とイージーに考えているのかな。もっと、考証をしていただきたいものです。
劇の方は面白いですよ。由比正雪、後藤又兵衛、柳生但馬守も出てきて、フィクションですが、なかなか良くできたものでした。
さて、柳生十兵衛、後藤又兵衛、油井正雪が「島原・天草の乱」に関わりを持ったのかどうかは分かりませんが、前に書いたように宮本武蔵は幕府軍として参戦をしています。
下の書状は、平成14年、八代市立博物館未来の森ミュージアムで「天草・島原の乱 徳川を震撼させた百二十日」の秋季特別展覧会で展示された、宮本武蔵の自筆のものですが、所蔵は「吉川英治記念館」です。目録から写しました。
あて先は、有馬直純(以前の島原の旧領主、有馬晴信の息子、乱当時は移封して延岡藩主)。「柳生十兵衛七番勝負 島原の乱」にも出てきます。参戦はしたが、「拙者も石ニあたり すねたちかね候・・・・」と書いてありますから、「島原・天草の乱」では、宮本武蔵、まったく役に立たなかったということです。
この本、時々取り出して読んでいますが、例えば
意外と 【いがいと】 これは戦後顕著になった言葉の誤り。「意外に」がただしい。
ですから、時代劇で「おぬし意外と悪よの」というのは誤りで、「おぬし意外に悪よの」というのが正しいということになります。NHKは多くの人が見ており、その中には専門家の人もおり、間違うとクレームが来るので大変だと思います。
先日、パラパラめくっていると「切支丹の祈り」というのが書いてあり、こちらは「島原・天草の乱」、隠れキリシタン、キリシタン遺跡等々関係がある島原半島で、どうしてもこの方面に目が行くのですが、「切支丹の祈り」の所に以下のように書いてありました。
一六〇〇年頃成立した切支丹の教義問答集「どちりな きりしたん」に二種載っている(岩波文庫、二八・三四頁)。二八頁の、キリスト教徒にとって最も基本的な「主の祈り」は木曜時代劇(注:NHK放映)『柳生十兵衛七番勝負 島原の乱』で天草四郎が唱えた。三四頁の「聖母マリアにささげるオラショ(祈祷)」は、中抜きにして大河『功名が辻』で細川ガラシャが唱え、長谷川京子の名演となった。
と書いてあるので、疑り深い私のこと、「どちりな きりしたん」と「柳生十兵衛」のDVDと揃えました。なお、「柳生十兵衛七番勝負」は、NHKの「金曜時代劇」で放映され、評判をとりその続編として、「柳生十兵衛七番勝負 島原の乱」が放映されたもので、前者は「原作 津村陽」となっていますが、後者は「原案 津村陽『柳生十兵衛七番勝負』より」となっていますから、多分これは出版されないと思います。もちろん、本の「柳生十兵衛七番勝負」には、「島原の乱」は載っておりません。
さて、DVDの祈りの部分ですが、海岸近くの洞窟の中、信者が集まり祈りを捧げているとき、柳生十兵衛がそこを訪れます。一番左の人物が、柳生十兵衛。
で、「どちりな きりしたん」の28~29頁にわたって、天草四郎がDVDで祈るセリフがありました。
「てんにましますわれらが御おや御名(みな)をたつとまれたまへ。御代(みよ)きたりたまえ。てんにをひておぼしめすまゝなるごとく、ちにをひてもあらせたまへ。われらが日々の御やしなひを今日(こんにち)われたにあたえたまえ。」と言ったところで、十兵衛の登場になり祈りは途絶えますが、祈りの文句は「われら人に申すごとく、われらがとがをゆるしたまへ。われらをテンタサンにはなし玉(ママ)ふ事なかれ。われらをけうあく(凶悪)よりのがしたまへ。アメン」と続きます。キリシタン独特の言葉があるので、わかりにくいと思います。
「たつとまれたまえ。」というところは「とうとばれたまえ」と読んでいました。
なお、「功名が辻」は「アベ サンタ マリアといふオラショなり。たゞいまをしふべし。・・・・・・」と続きますが、写すのが面倒なので、省略します。
さて、考えるに普通なら、ドラマなら聖書の一節をもってくれば済むものなのに、なぜ、一般的でない「どちりな きりしたん」の一節をもって来たのか分かりませんが、NHKさんのこだわりがあったのかな?今のテレビを見ていると、葬式での場面で「般若心経」をよく読経していますが、宗派によっては使いません。お経=般若心経とイージーに考えているのかな。もっと、考証をしていただきたいものです。
劇の方は面白いですよ。由比正雪、後藤又兵衛、柳生但馬守も出てきて、フィクションですが、なかなか良くできたものでした。
さて、柳生十兵衛、後藤又兵衛、油井正雪が「島原・天草の乱」に関わりを持ったのかどうかは分かりませんが、前に書いたように宮本武蔵は幕府軍として参戦をしています。
下の書状は、平成14年、八代市立博物館未来の森ミュージアムで「天草・島原の乱 徳川を震撼させた百二十日」の秋季特別展覧会で展示された、宮本武蔵の自筆のものですが、所蔵は「吉川英治記念館」です。目録から写しました。
あて先は、有馬直純(以前の島原の旧領主、有馬晴信の息子、乱当時は移封して延岡藩主)。「柳生十兵衛七番勝負 島原の乱」にも出てきます。参戦はしたが、「拙者も石ニあたり すねたちかね候・・・・」と書いてありますから、「島原・天草の乱」では、宮本武蔵、まったく役に立たなかったということです。
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