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2016年10月15日 (土)

「音羽山瀧右衛門」~おらが村さの関脇どんは★雲仙市吾妻町

Photo

おらが村さの関取どん、といっても残念ながら、あまり強くはなかったようで・・・

某日、某氏より、吾妻町に音羽山という相撲取りがいて、それに関する書状が出てきたので分からないかと。

こちらも、名前も聞いたことがないので、吾妻町の知人に聞くと、「大熊郵便局があって、その前に墓地があり、入り口に大きな墓がありますよ」ということで行って見たら、よく通る道で、以前から目にしており、何かの記念碑かと思っていたのですが。(下の写真はGoogleのストリートビューからです。)


Photo_2

行ってみたら、記念ではなく、大きな墓で、二基並んでいました。下の写真左側が、音羽山のもの、右側が今神楽と刻んであります。

墓所はきれいに掃除してあり、箒なども置いてあり、吾妻町の知人に調べてもらうと、墓掃除は、今神楽の子孫の方がされておられるとか。今神楽も相撲取りで、残念ながら詳細は分からず。音羽山についても知らないとのとこでした。


Photo_3 Photo_4

「音羽山」の墓碑には

文化十一年甲戊十二月廿一卒(注:1814年)
音羽山瀧右衛門墓(滝は瀧になっています)
行年七十有六歳

下のほうには建立年月日、世話人の名前。


Photo_5

弘化二乙巳天
香(?)正三月(注:香正については古語辞典、漢和辞典にもなし)
穀旦造立(注:穀旦は天気のいい日、めでたい日、吉日。~三省堂漢辞海)

世話役
二代
音羽山□右(?)門
島内太
満汐上八
白藤要吉
三迫桂
蒐(かけずか)□中(注:「蒐」は地名、「中」は集団を表す語の後ろに用い、その成員全員を指す語。
御中氏子中など。~ウイキペディアより)

Photo_6 2

となるのですが、知人よりの再びの連絡で、昭和29年の「山田村史」に載っているということで、以下の文です。

「山田村字中熊に『音羽山滝右衛門之墓 文化十一年甲戊十二月二十一日卒行年七十有六』『今神楽彌五郎乃墓 天保七年丙丑九月三日卒』」と刻んだ二つの墓がある。これは当村から出た力士として名を成し、横綱までなったと言う。音羽山は中年頃から故郷に帰りアミ漬けを売りあるいていたが横綱免許の巻物を持っていたので子孫の代まで頭取の資格を持ち地方における相撲興行のある場合は親分気取りであった。」

ここで、ふと疑問があり、当時は確か「大関」が最高実力者であり、「横綱」は吉田家が免許として与えたもので、どうなのかと相撲関係の本をあたると・・・

(株)ベース・ボールマガジン社発行の「大相撲人物大辞典」には

「音羽山滝右衛門(関脇)1739~1814
長崎県出身の九州力士。はじめ大阪で明和4年5月、西大関で登場、同年6月の京都でも西大関にあり、同8月に再度大阪で西上取筆頭に出た。江戸出場は同年10月の東関脇で、2勝6敗の成績。江戸はこの一場所限り。翌5年の大坂で、「島原」筆頭の東取4枚目を最終とした。当時としては珍しく長寿を保った。

出身地   長崎県南高来郡吾妻町永中名
生年月日  元文4年
所属     嶽所ケ浦(九州)
初土俵   明和4年10月場所関脇付出
上段昇進  明和4年10月場所関脇付出
最終場所  明和4月場所
最高位   関脇
上位在位  1場所
勝率     0、250
没年月日  文化11年12月21日(76)

なお、別本、(株)日本図書センター発行「写真図鑑 相撲百年の歴史」の中の「宝暦から現代までの二百十三間の入幕歴史略歴一覧」には

力士名    音羽山滝右ェ門
入幕場所   明和4年10月
部屋      御所ノ浦
最高位    関脇
出身地    九州
最終場所   この場所限り

となっており、「横綱」ではなかったような。

さて、江戸時代、現雲仙市の有名力士としては、以前紹介した、愛野町の大関玉垣額之助、小浜町の大関玉垣額之助が有名で、特に小浜町の玉垣額之助は、幕内在位数25場所、119勝27敗23引き分け、勝率0,815であり、当時の柏戸利助の勝率が0,810と両者ダントツの強さで、人気を二分しています。

音羽山滝右衛門さんは、あまりパットしなかったみたいですが、それでも関脇を張った人物で、江戸相撲では一場所限りの出場で、引退の理由はわかりませんが、それなりの実力を持った相撲取りだと思われます。墓を見てもわかるとおり、故郷に帰ってからは、地方の有力力士として活躍したものだと思われます。
なお、今の「吾妻町史」には載ってなく残念なことです。

(江戸時代の、一年間の場所数、取り組み日数などは、現在と違っておりますので、そのつもりで)


 

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