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2016年8月 9日 (火)

「トットちゃんとソウくんの戦争」~黒柳徹子★田原総一朗著

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今年、徹子の部屋で、黒柳徹子さん、永六輔さん、大橋巨泉さん、三名の対談があったかと思ったら、永六輔さんが亡くなり、続けて大橋巨泉さんが亡くなりました。あの3名の対談、ひょっとしたら来年も見れるかなと思ったいたのですが、残念なことでした。

「トットちゃん」は黒柳徹子さん。「ソウくん」は田原総一朗さん。ともに、戦前生まれ、戦中を過ごしています。黒柳徹子さんのお父さんは、日本を代表するバイオリニアスト、のち従軍し、シベリアに抑留されますが、無事帰ってきます。田原総一朗さんは、少し裕福な家に生まれますが、戦争によって工場が閉鎖されます。

黒柳さんは「学習障害」だったそうですが、公立学校を退学させられ、トモエ学園に入学をしています。

両人とも、戦中、戦後は苦労をしていますが、読んでみてお母さんの力強さ。まさに「母は強し」の姿です。

田原総一朗氏は、自分の生活の話を交えながら、戦争がなぜ拡大していったかを冷静に分析していますが、ベトナム戦争における米国内の反戦活動が、TVの影響だったことを分析し、TVの可能性を指摘しています。

黒柳徹子さんは、「徹子の部屋」で戦争について語った方について書いていますが、池部良さん、長谷川一夫さん、三波春夫さん、千玄室さん、三波伸介さん、音羽信子さん、宮尾登美子さん、青酸カリを隠し持っていた加藤治子さん。いずれの方も、死と隣り合わせの時代を送っていた事が、良く分かります。

黒柳徹子さんは、ユニセフの親善大使をされ、「ユニセフ」といえば、私たちの年代はお世話になっているのですが、「ユニセフから日本への支援は、1949年からの15年間で65億円にも及んだ、60代以上の方のなかには、学校給食で脱脂粉乳を飲んだ記憶のある人が大勢いるはずだが、あれなどは代表的なユニセフからの援助物資だった。まずい給食の代名詞のようにいわれているが、もしあれがなければ、当時の子どもたちの多くは栄養失調になりかねなかった。」ということで、確かに、まずかったです。でも、あれに救われたと思うと、ありがたいことです。

さて、黒柳さんは、各国を回って、時として危険な目にあいながら、子供の悲惨な現状を書いています。

「・・・私は教会のなかへ足を踏み入れた。最初は暗くて何も見えない。ようやく目が慣れてくると、足もとに首が転がっているのに気づいた。まだ白骨化してなくて、顔がはっきりとわかるものだった。床のあちらこちらに頭蓋骨が散らばり、中には小さな子どもの頭蓋骨もあった。逃げ足の遅い子どもは格好の虐殺の的にされたのだ。・・」
各地で、黒柳徹子さんが目にしたことが、書かれています。現在の地球で起こっている、現実です。

この本で、黒柳さんと田原さんが対談するところはなく、代わりばんこに書いているのですが、「あとがき」を田原さんが書いています。

「最近の若手論客のなかには、戦争には『正しい戦争』と『まちがった戦争』があるという考えをする人がいるが、僕はそれにはまったく与(くみ)することができない。僕らの世代の弱点なのかもしれないが、そこには『何がなんでも戦争は嫌だ』という自分の皮膚感覚をだいじにしたい。この世に『正しい戦争』などはありはしない。」と書いています。

段々と、実際に戦争体験をした方が少なくなってきています。いろいろな考えがあるとかと思いますが、実際に戦争を体験した二人の話を、終戦の日を前に冷静に一読されてはいかがかと思います。

なお、私の父もビルマに従軍し、奇跡に生還し、もう少し話を聞いておけばと悔やんでいます。母方の祖父も原爆で亡くなっており、この本を読みながら、「戦争は嫌だ」、と思うものでした。






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