「竹馬差止ノ事」~東京警視本署布達
竹馬。今では乘っている子は壊滅的に見かけません。学校で、教えている所もあるそうですが・・・・
以前、長崎と諫早のハタ(標準語で凧)の取り締まり法令が出されたことを書きました。とにかく、ハタ上げというと、長崎の人間は昔から心躍り、というところがあり、市内では、屋根の瓦を踏みわり、他家の庭木を荒し、喧嘩までするという次第。
町奉行は、安永2年(1773)、天命元年(1781)に法令を出しますが、効果なく、たまりかねた奉行は、文化12年(1816)に再びハタあげ禁止令を出しますが、これまた効果なく、またもや嘉永2年(1849)に禁止令を出します。
■一切ハタあげ申間敷こと。近頃面々家業の営みを忘却しハタ揚げ相い楽しむと相い聞こえ候。如何の事に候。向後ハタあげ候者共これあるにおいては急度(きっと)申し付く可く候。尤も、小兒・・・の分は苦しからず候。
諫早は佐賀藩との関係で財政が厳しく、領主自体も節約をし、倹約令を出しますが、その中、大型のハタが流行り、費用がかかり趣味的なものを藩庁が見逃すはずもなく、慶應4年3月に、凧揚げの取締まりがでます。
■凧揚げの儀、童、子供尾長の外一切御停止置かれ候に付いては、一統其の心得いたし、屹度、取止め候様、毎々分て相達し置かれ候処、近来既にこれなく、凧取扱候向これある趣相聞こえ、以ての外宜しからざる儀に付、向後屹度止め候様、仰付らるゝ儀に候。自然心得違い候者これあるに於ては、御取揚の上、其者は申すに及ばず、親々々も急度其〆り仰付らるゝ儀に候。
という事で、親の親まで取り締まられるような。本当に、オヤオヤオヤと言いたいのですが、どうも、子供より大人が夢中になっているようで。で、最近、明治の法令を調べていたら、明治11年に、東京警視本署より「小兒ノ輩市街ニ於テ竹馬ト稱ルモノニ乘ルハ危険ニ付差止ノ事」というのがあり
○二月二日
乙第三號
「小兒ノ輩市街ニ於テ竹馬ト稱モノニ乘リ遊戯候處右ハ車馬通行ノ妨テナスノミナラズ危険少ナカラザルモノニ付以来其父兄等ニテ堅ク差止メ候様諭達可致此旨相達候事」
とまあ、「車馬」の通行の妨げになるほど、東京では竹馬に乗る子供が多かったような。また、「危険少ナカラザルモノニ付」と書いてありますが、田舎ではみんな上手に乗っていたのですが・・・東京では「危険」というほどのものだったのか。
もっとも、現代では、自転車の危険乗車、スマホの歩きながらの使用が危なく、自転車は道路交通法が適応されますが、スマホも「スマホ歩行使用禁止令」など出した方が良いんじゃないでしょうか。
(参考・文引用:「長崎町民誌 第1巻」「諫早市史 第1巻」「国立国会図書館デ
ジタルライブラリー」より)
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