「山田城址」の事~長崎県雲仙市吾妻町

雲仙市吾妻町にある「山田城址」です。吾妻町は以前にも書きましたが、合併町村で、この辺りは旧山田村に属します。先日書いた「水分神社」はこの麓にあります。
この城の入口はこちら側と、向こう側にありますが、上は公園化されているようですが、この日は雨で、残念ながら、です。
最近は山城を公園化、グラウンド化しているところが多く、大きなお城も良いのですが、このような城にこそ、城の原点があり、大きな城に飽いて、山城を見る人が増えてきたとか。整備して、「山城の里・雲仙市」として売り出せばと思っているのですが。

この看板の近くにもう一枚、城の説明を書いた看板があるのですが、これが、いつ作られたか分からないくらい古く。

よく読めないと思いますので、書き写すと
■史跡 「山田城址」
山田城は南北朝時代の応安五年(一三七二年)に山田荘の地頭であった肥後の田原氏能によって築城され、島原半島の経略の武家方の拠点であった、そのために九州探題今川了俊等がたびたび滞在したことがあったが後に在地の土豪山田一族の居城となった。
山田氏は代々有馬家氏の重臣として活躍したが、特に有馬晴信夫人が山田氏から出るなど信任があつかった。慶長十九年(一六一四年)有馬氏の転封に伴い、山田氏も主家とともに延岡に移ったために廃城となった。出丸、空濠(からぼり)跡等が残っている。」
と書いてあるのですが、先日、紹介した「三體地蔵尊」はこの山手側にあり、南北朝時代戦いがあり、北朝側が、野井城、杉峯城、神代城(南朝側)を攻めており、この山田城もその拠点になったと思われます。
ただ「北肥戦記(九州治乱記)」「歴代鎮西志」に目を通してみたら、といっても、両方とも、900頁~1000頁程度あるので、ざっとみると、
「探題移高来郡ノ山田」とか「其頃探題今川了俊は、肥前國の敵を押へて高来郡をに在陣し・・・」とあり、山田城に拠ったことは分かるのですが、山田城はあまり出ていません。
さて、「有馬晴信夫人が山田氏から出る」については、「有馬家文書刊行会」から出版された「有馬家世譜(丸岡邑編)」がありますが、これは、有馬家が最終的に丸岡に移封された時から書いてあり、残念ながら、肥前時代の記録はありませんが、系譜は「天兒屋根尊(あまつこやねのみこと」から始まり、「藤原鎌足」、「不比等」などの名も見えますが、これは系図に重みをつけたものでしょう。
「肥前国時代」の14代目に晴信の事が書いてあり、この中で、「室、家臣山田兵部少輔藤原純規女、大上殿(おうがみどの)。・・・・・」とあります。
が、「吾妻町史」には、結城了悟(長崎の前26聖人会館長)が有馬家の系図、特に晴信に関係した人物を調査されており、(長崎談叢第63輯)「そして、直純(なおずみ・晴信の子)の母が山田兵部純規の娘であることに疑念を抱かれ、直純が自分の母を正室として系図に記入することは当然であるが、事実は違っていたと結城氏は明確にしておられる。
直純の母が山田兵部の娘であることは、確かに後の世に、作られた系図ではあるまいか。」と書かれています。
このところ、同じ「吾妻町」で作られた、看板と町史なのですが、違った記述なのですが???
また、外山幹夫氏「肥前有馬一族」には、「嫡子晴純についてみると、彼は初名忠清。そして母は家臣山田氏の女であるとする(『国乗遺文』二、)『藤原有馬世譜』三は、これを山田純矩の女とする。純矩か純規かは不明だが、山田氏の女とする点にはおいては両者は符合する。次男は純貞で、母は家臣『荒木伊賀ノ婦人』(『国乗遺文』二)とする。彼女はもと直純の乳母として召し出された。『藤原有馬世譜』三は、彼女が晴信の『妾』であるとする。・・・・以上によれば、晴信には正室・側室合わせて四人、そして五男三女があったことになろうか。」と結んであります。
ルイス・フロイスの「日本史」は、晴信の受洗に対し、「有馬殿は領内の最も重だった身分のある若い女性を邸にかこっている」と(晴信が)告げたために、受洗の日程が延びましたが、なんでも、こと細かく書く、フロイスさんが、女性の名前は書いてありませんでした。
小さな山城から始まった話ですが、調べていくと、いろいろな話と繋がってくるもので、想像することが多く、「歴史は推理だ」といった方がありますが、「推理」して「実証」していく過程に面白さがあるのではないでしょうか。と思いました。
いつもの通り、まとまりの無い話で、スミマセン ヾ(_ _*)ハンセイ・・・ 。
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