「電燈案内」~大正八年・島原水電株式會社(千々石発電所)
大正八年十月の「電燈案内」で、実物は、横39cm、縦18cmの四つ折りですが、私のスキャナーに入りきれないので、4等分しています。
以前、「日本一小さな水力発電所げな?」という事で「千々石発電所」の事を紹介しましたが、実際はもっと小さな発電所があったのですが・・・・
某日、某家の方が仏壇を整理していると、奥の方から、昔の「電燈案内」のチラシが出てきたとかで、コピーを頂きました。昔の方は、なんでも大切にとっておくという、モッタイナイ精神を持っていたようで。
千々石の発電所については、昭和43年の「千々石町史」、平成10年の「千々石町郷土誌」には3か所、うち1か所は、大正7年の「千々石村郷土誌」が丸写してあり、送電が明治43年正月元旦。当時の会社名が「小浜水力電気合資会社」。
このとき、「老人のなかでは電気知識のない時代なので、刻みたばこをキセルにつめ、あかりがついた電球に押し付けて、しきりに吸うたという笑い話も残っている。・・・付け木や紙を近づけて火種を取ろうとした話もある。」そうです。
当時は千々石、小浜方面に送電する予定が、需要は伸び島原方面にも広げることに変更し、発電所を増すことにして、明治43年株主を募り、「島原水電株式会社」に変更。
なお、この時本社を千々石村から島原町へ移したため、千々石村に約束違反となり、以後島原水電株式会社は昭和40年代まで違約金を収めたそうです。
島原水電株式会社は経営上の問題を抱えていて、昭和5年に熊本電気株式会社に吸収。最終的には九州電力株式会社に吸収されていきます。
ですから、上の「電燈案内」は「島原水電株式会社」当時のものになります。
チラシを見ると
「二 定額燈」「三 従量燈」「四 臨時燈」になっており、「定額燈」は(料金ヲ月極メトシ終夜點燈スルモノ)、ですから使い放題になります。「従量燈」は「従量燈ハ一構内ニ於テ電燈十燭光以上ノモノ二十個以上御使用ノ向ニ限リ御需要ニ應シ申候」で、多分、工場、会社等の使用でしょう。
「四 臨時燈」は「一夜ヨリ三夜目迄」「四夜目ヨリ十夜目迄」「十一夜目以上」ですから、文字通り「臨時」用。
「六 電球及器具」に「電燈器具ハ弊社ノ負擔トシ供給可致ニ付弊社ヨリ供給シタルモノ、外ハ御使用御断リ申候・・・」ですから、電球、器具は会社持ちみたいですが、今みたいに家電屋さん、電気屋さんが無い時代だった時ですから、まあ、考えればあたりまえでしょう。
「七 要綱」に「一 供給時間ハ天候其他ノ為メ伸縮スルコトアルモ平常日没ヨリ日出マテニ有之候」ですから、電気の供給は日没から日の出までになりますが、「千々石町史」(昭和43年版)には、「・・当時の送電は夜の点灯用だけであった。発電所の職員は昼は外の仕事をし、夕方になってから機械を操作して発電したが・・・」と書いてあります。
「八 扇風機」も会社からの貸し出しのようで、「一 使用料、工費及損料ハ一臺一季(毎年六月廿一日ヨリ九月十日迄ヲ申候)ニ付左表ノ通申受候」ですから、6月21日から9月10日の限定貸し出し、ですね。
とまあ、電気使い放題の現代、原子力発電が無ければ電力不足になるよと、どこかの誰かが脅していますが、昔みたいに夜だけの電気供給にしてみますか。もっとも、自家発電という手もありますが・・・(若い時の自家発電ではありません。男性の方にはお分かりでしょうが・・・)
資料の提供を頂きましたが、ありがとうございました、この場にてお礼をm(_ _)m
(参考:文引用「千々石町史」(昭和43年発行)「千々石町郷土史」(平成10年発行)」
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