「水分神社」~雲仙市吾妻町
吾妻町の「水分神社」です。
吾妻町は、1954年(昭和29年)に守山村と山田村が合併し吾妻村となり、1963年(昭和38年)に町制施行で、吾妻町になり、2000年に7町合併になり、雲仙市吾妻町になります。
この、水分神社は「吾妻町史(昭和58年刊)」にも「山田村史(昭和29年刊)」にも載ってなく、長崎県神社庁のホームページで調べると「水分神社 國之水分神外2柱 社村」となっており、「國之水分神」は「くにのみくまりのかみ」と読みます。
なお、「水分」は普通「みずわけ」とも読みますが、祭神を考えた場合「みくまり」が正解ではないかと思います。
「國之水分神」は、「速秋津日子神(はやあきづひこのかみ)」と「速秋津比売神(はやあきづひめのかみ)」の子供で、水を配る(分ける)神様になります。
ただ、神社庁の「外2柱」が気になるのですが、多分、明治時代の「神社合祀」に関わるものものではないかと思います。私の近くの神社も、3つの神社が合祀をした神社です。
さて、ここの神社の面白いのが、
社殿への上がり口の左右、蛇の石造物があるのですが、見ると右の蛇さんの上に蛇の抜け殻がありまして、ひょっとしたら、石の蛇さんの抜け殻か?
ちなみに、蛇の抜け殻は縁起が良いとかで、昔、神社で見つけた蛇の抜け殻を一部切り取って、財布に入れてたら、金が入ること、入ること。
蛇と水の関係ですが、南方熊楠の「十二支考」の「蛇に関する民俗と伝説」に「…わが邦(くに)でも水辺に住んで人に恐れらるる諸蛇を水の主というほどの意でミズチと呼んだらしく・・・・」とあり、水と蛇の関係が伺え、田んぼ、ため池の近くにも、時々見かけられるところです。
拝殿の中に入ると、写真、神社のいわれなどの紙が貼ってあり、これ、良いですね。近年、何のための神社か分からない人が多くなっていますが、ちゃんと説明がしてあれば、ありがたさも増してきます。
説明によれば、最初の所、「水分神(みくまりのかみ)」として「流水を疎通配分することを、つかさどる神<くまり>は、配りの意で、水を適当に配分して、感慨(灌漑の間違いか?)その他の用に供するという意味の神名。
水分神は祈年(としごい)。祈雨(あまごい)の神として祈祷の対象であったが、後世(みくまり)をなまって(みこもり)とし、子守明神などと呼んで、子を守り、育てる神として、信仰されるにいたった。」と書いてあります。
裏に回ってみると、こちらが本殿になります。
石祠には、「山田村」と奉納者の名前、「為雨乞建立」の文字が薄いながらも、読み取れます。「雨乞い」のための奉納だという事が分かります。
こちらの神社は平成6年に改築をしていますが、明治8年の「神社明調帳」によれば、下のようになります。
で、「本称水神明治二己巳年改之」ですから、「水神」を「改」しているわけですから、少し気になります。なお、額束も下記のようになっており
「水」と「社」は分かるのですが、「水」と「社」のあいだに「分神」を入れるのは少し無理。多分「水社」か「水分社」でしょうが、「分」が有るのか無いのか、よくわかりません。
なお、鳥居の右柱、自信ありませんが、「奉再建石華表」と思います「華表」は鳥居の事です。左柱に多分、建立年月日、奉納者の氏名などが彫ってありそうなのですが、残念ながら、読めそうで、読めませんでした。
小さな神社ですが、いろいろ調べると面白いものです。最近は「古墳女子」なるものが増えたとか、「神社女子」が増えるように、お祈りをしてきました。手を取り、足を取り、教えてあげるのですが・・・ 美人で、若い娘なら。
« 「イラストで見る 昭和の消えた仕事図鑑」~文・澤宮優★イラスト・平野恵理子 | トップページ | えっ!マジ?嘘だよ!! »
「神社」カテゴリの記事
- 日本音楽の面白さ(2024.10.01)
- 祭りだよ~笛を吹くよ~(^▽^)(2024.07.31)
- 島原半島に関する三冊の本(2024.05.05)
- 令和5年 橘神社七草粥振る舞い(2024.01.07)
- 令和五年度「清福招来千々石大門松(橘神社大門松)」竣工清祓い式(2023.12.26)
« 「イラストで見る 昭和の消えた仕事図鑑」~文・澤宮優★イラスト・平野恵理子 | トップページ | えっ!マジ?嘘だよ!! »
コメント