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2016年5月 2日 (月)

五月になれば・・・寺山修司の事など

Photo Photo_2

五月になれば、ふと、寺山修司の事が思い出されます。

別段知り合いでもなく、会ったこともなく、作品を読むだけでしたが・・・


寺山修司の作品を読むキッカケは何だったのか、思い出せません。長崎にい

頃は、音楽小僧で、寺山修司の事は全く知りませんでした、ただ、天井桟敷な

なるものをつくり、と言うようなことはマスコミなどで知ってはいたのですが、多

分、東京に出てから読み始めたのかと思います。


・マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや


ちょうど、70年少し前でしたから、安保闘争、学園紛争、沖縄返還、ベ平連、フォ

ークゲリラの時代で、世相騒然とする中、この短歌をよみ、衝撃を受けたことを覚

えています。


「われに五月を」は、1957年に発行、第一作品集になりますが、私が持っている

のは、1985年の再発行版になります。寺山修司は没年は1983年5月4日で

す。


表紙を開けたところに、トレッシングペーパーで

「五月に咲いた花だったのに 散ったのも五月でした 母」

とあり、その次ページに、寺山修司の写真が載せてあります。


さて、この「五月に咲いた・・・」を書いたのが本当に、「母」だったのか?寺山修司

を、ご存じの方、寺山修司は、自分の経歴に創作を入れることがあり、これ

が、寺山修司自身が書いたのか、「母」が書いたのかで、この本の読み方が随分

違って来ると思うですが・・・で、確認しようと、1957年版を捜すと、2冊ばかり

見つかり、200,000円と280,0000円、と、まあ手が出ません。


私の本には

Dsc_0169

●表紙写真・八王子市、高尾霊園高乗餌寺・栗津潔作・寺山修司墓碑●撮影・

  山崎博●装幀・森崎偏陸

とあり、初版の表紙写真をみると全然違っております。


お母さんが亡くなられたのが、平成3年(1991年)77歳ですから
、「母」が書い

可能性もありますが、寺山修司が生まれたのは1936年1月(戸籍上)、又は、

1935年12月ともいわれ、いずれにしても「五月に咲いた・・・」は創作になります

が、「散ったの」は、まさに五月(四日)になります。


ご存じのように、寺山修司は中学・高校を通し俳句を作ります

・目つむりいても吾を統ぶ五月の鷹

・軒燕古書売り日は海に行く

・方言かなし菫に語りおよぶとき

・林檎の木ゆさぶりやまず逢いたきとき

・便所より青空見えて啄木忌


早稲田大学に入り、この時、早稲田大学の早大俳句研究会の新入歓迎句会に

顔を出しそうですが、この時大橋巨泉(本名・克己;巨泉は俳号)が2学年上で、

巨泉は寺山修司の俳句を聞き、「ショックは大きく、この日以来、大橋は俳句作り

に精進する気持ちが急速に萎えていったという。」事ですが、「その後(修司)、早

大の句会にはほとんど出て来なかった。修司は俳研をのぞき見しただけで素通

りしてしまったのである。」(虚人寺山修司伝~田澤琢也著)そうですから、この事

がなければ、巨泉さんの人生も変わっていたかもです。


寺山修司はこの後短歌を作り始め、「第二回短歌五十首詠」において「チエホフ

祭」で受賞をします。

・一粒の向日葵の種まきしのみに荒野をわれの処女地と呼びき

・チエホフ祭のビラのはられし林檎の木かすかに揺るる汽車のすぐるたび

・莨(たばこ)火を踏み消して立ち上がるチエホフ祭の若き俳優


ただ、「チエホフ祭」の短歌に対して、模倣批判があり

・向日葵の下に饒舌高きかな人を訪わずば自己なき男  (修司)

・人を訪わずば自己なき男月見草  (草田男)

・莨(たばこ)火を踏み消して立ち上がるチエホフ祭の若き俳優  (修司)

・燭の火を煙草火としてチエホフ忌  (草田男)


ということですが(この他にもありますが)、塚本邦雄氏は「麒麟騎手」のなかで、

次のように書いています。


「原典を自家薬籠中のものとして自在に操り、藍より出た青より冴冴と生れ変わ

らせる、この本歌取りの巧妙さ。新古今のあたりのそれの厳粛な繁文褥礼めい

た修辞学を、微笑と共に飛びこえてこれらの作品は輝いている。

  今は昔、彼が作中人物通りではなかったと眦を決して短歌のモラルを説いた

り、用語に先蹤ありとあげつらって、博覧ぶりを誇示した頑なな先輩達を前に、

途方に暮れつつ憫笑を以て応えてゐた寺山を、私はいたましい思いにみちて想

ひ出さねばならぬ。・・・」


この後、寺山修司はラジオドラマ、演劇、映画、評論と活躍をするのですが、晩年

といっても、満47歳で没しますが、俳句誌をやりたいといっていたそうです。私も

期待していたのですが残念でなりません。


寺山修司について私が書いても、野良犬が巨人の周りをグルグル回っているば

かりで、本質には近づけないでしょうが、五月になり思い出したので書いてみまし

た。また、来年の五月には寺山修司の事を思い出すでしょうから、続きはまた来

年。


・花売車どこへ押せども母貧し

・母は息もて竈火創るチエホフ忌

・西行忌あおむけに屋根裏せまし

・知恵のみがもたらせる詩を書きためて暖かきかな林檎の空き箱

・ドンコサックの合唱は花ふるごとし鍬はしずかに大きく振らむ

・故郷の訛りなくせし友といてモカ珈琲はかくまでにがし

・海を知らぬ少女の前に麦藁帽のわれは両手をひろげていたり








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