「宗像神社」の事★~長崎県雲仙市千々石町
石垣が積まれた上に神社があります。
この神社の祭神は「多紀理毘賣命(たきりびめのみこと)」「多岐津比賣命(たきつひめのみこと)」「狭依毘賣命(さよりびめのみこと)」の三神になります。
「弁天さま」といえば、「弁財天」のことで、「市杵嶋姫命(いちきしまひみ)」になりますが。多分。
なお、明治8年の「長崎県神社明細調帳」によると、「祭辨天(辨天を祭り)」と書いてあり、「明治二己巳𦾔島原藩改替ス」とありますから、弁天さんが神体として祭られ、明治二年に取り去られたことが伺えます。神仏分離に伴うものでしょう。なお、弁才天は宗像三女神の一柱です。
よく見ると、口の中に玉を彫ってあります。狛犬ではよくあるのですが、木鼻に玉を咥えているのは、初めて見ました。
拝殿の木鼻と比べてみればわかりますが、他の神社の拝殿、本殿もこの型ですが、こちらの神社の本殿の木鼻は、工夫して一体に見えるようにしてあります。玉をくわえた木鼻といい、この木鼻といい、かなり腕のいい、大工さんだったと思われます。これも、あちらこちら見て歩きましたが、初めての形です。
なお、もう一つ気になるのが、鳥居の後ろの二本の石柱。多分、二段か三段継の鳥居の下の部分かと思われますが、片側に「領十(?)」という字が彫ってあるのですが、この「領」という字は、南串山町の八幡宮の鳥居の左側に「松平主殿領分」、というのがあるのですが、これとは関係ないような。なんなんでしょう?
なお、鳥居の倒壊については、多分、地震等の災害によるものでしょうが、拝殿脇の石灯篭に、「宝暦四戌年」(1754年)の文字が読み取れ、こちら地方では、「寛政四年」(1792年)、「大正十一年」の地震(この時、有家町の温泉神社の鳥居が台石を残し、倒壊しています)、あと、1990年に普賢岳が噴火をしますが、それに先立つ数年前、大きな地震が起き、そのあと群発地震が発生しましたが、鳥居の崩壊は多分、寛政か大正の地震の時かなと思われます。
鳥居の倒壊した部分は、どこか廃棄されたのかと思って探しましたが、まったくわかりませんでした。瓦をふき替えたのか、瓦の廃棄物はあったのですが。
もう一つ、今、建っている鳥居は、右側に「明治廿二年八月廿二日」とあり、左側に、「順禮中」と彫ってあり、「順禮」は「巡礼」で、「順禮中」ではなく、「順禮」「中」で、「中」は古語辞典では、「中・仲」とあり、「ある範囲に含まれるもの」「(人と人との)関係。間柄。」とあるので、多分「巡礼」にいった「仲間」で奉納したものと思うのですが・・・
さて、今回は宗像神社の紹介をしましたが、小さな神社にも、それぞれ歴史、特徴があり、良く見ていくと意外と面白いものが見られるかもですよ。皆さんも、お近くの神社のご訪問を。ご利益もあります。
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