「『肥前鳥居』~熊野神社」&「淡島神社」&「楠天満宮」~長崎県雲仙市国見町
下の鳥居は以前にも紹介しましたが、諫早市指定有形文化財の「宇都(うず)の愛宕社」の、一の鳥居です。右図が、説明になります。上の写真と比べれば同じ形のものだとわかると思います。


特徴として、木鼻(一番上の笠木の両端)が流線型に伸び、笠木と島木が一体化し、柱、笠木、島木がそれぞれに三本継ぎになっている事だそうです。
熊野神社の柱は、二本継ぎですが、これは、二本継もアリ、ということだそうです。少し気になるのが、継の部分が少しずれていること。以前の写真をみると、ちゃんとしているのですが、地震のせいか?
「建立年代は明らかではないが、温泉神社と同時代(注:正平一三年・1358年あるいは天文三年・1534)ともいわれ神代氏時代の時代ものである。」そうです。
「鍋島日記」によれば、「寛永十四年十月二十七日天草・島原の乱発生。
「鍋島日記」によれば、「寛永十四年十月二十七日天草・島原の乱発生。
鍋島家三代茂顕及長男伊織急ぎ佐賀より佐賀勢(略)を引きつれ海路神代へ下向し二十八日到着。(略)」(国見町の神代は鍋島藩の飛び地領)。
鍋島藩が参加した、天草・島原の乱は、幕府側の勝利になりますが、「寛永十七年(1640)八月に、鍋島伊織は、この戦いにおける凱旋記念として社殿を再建した」(「 」内は国見町郷土誌より)神社だそうです。

さて、狛犬さんですが、「阿」さんは、毬みたいなものを踏んでいますが「吽」さんが踏んでいるのは何でしょう?子供が悪いことしたのかな?躾かな?


「阿」さんのお口の中、「玉」がちゃんと彫り込んであります。これ、むつかしいそうですが、いい仕事してますね。「虫歯」は、ありませんでした。

国見町の「熊野神社」といっても、ピンとこない方がいると思いますが、「淡島神社」とおなじ敷地内で、すぐ横の神社です。


淡島神社といえば、このミニ鳥居が有名で、毎年、ミニ鳥居くぐりがTV、新聞などの報道で有名ですが、神社裏の「道祖神」様、今日も変わらずお元気なことで、羨ましいかぎりです。文化九年(1812年)の建立の神社です。


さて、この敷地内にあるのが、もう一つの神社、「楠天満宮」。
「字天神の木に寛延(1748)年間頃、大楠のそばに創立され、天明六年に建て替えられた。いつのころからわからないが、楠木が大木となり内に空洞が出来て、畳六枚くらいしける洞となっていたが、この中にいつしか浮浪者が住みついたが、この浮浪者の不始末によって火を出し、楠木も神社も灰になってしまったのである。」ということですが、「昭和の代になって現在の淡島神社境内に再建されている。」そうです。(「 」内は国見町郷土誌より)
こうしてみると、同じ境内にあっも歴史が違い、淡島神社にお訪ねの節は、二つの神社もご覧のほどを。とくに、肥前鳥居はこちらの地方では、めったに見られません。
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