「千々石温泉神社 鳥居『貫』破損之事」~長崎県雲仙市千々石町

とにかく、びっくり仰天しました。いつも、通るところの温泉神社ですが、あら、なんか変、と思ったらら「貫」がない。
写真を見てわかる通り、てっぺんの石が二段になっています。一番上が「笠木」その下が「島木」。で本当は、その下に「○○神社」という、額があり、「額束」。それを支えているのが「貫(貫石)」。で、その「貫」が落っこちて、「額束」が真っ二つ。
「額束」は表から見ると、そんなに重そうにも見えませんが、下の写真の丸印のところにが「額束」の裏。「笠木・島木」と「貫」の間にがっちり挟み込むため、意外と大きく、重量もあり、これを「貫」が支えますから、かなりの負担になります。
熊本の最初と、二回目の地震がこちらでも感じられ、というより、ビックリして、家にいたほうが良いか、逃げ出したがいいか迷ったくらいで、その後も余震が続き、多分その影響だと思いますが・・・


「額束」があったところと「貫」が抜けた部分です。
なお、上の写真で、前後に2本の鳥居が見えますが、今回破損したのが、明治38年に建てられたもの。後ろの鳥居が、天保4年(1883年・183年前)のもので、額束はありません。
現在、「温泉神社」と言いますが、本来は「四面宮」といい、明治の神仏分離に伴い、明治2年に「温泉神社」と改名しています。


それで、思い出したのが、神社裏に2枚の額束があり、一枚は二つに割れていること。多分、鳥居が別にもう一本あって、それを外したのかと思ったのですが、「それ、落ちてれ割れたんじゃない」という人があったそうで、まさかと思って、見にいったら、一枚は今回とまったく同じ割れ方。


多分、今回と同じような事があったのかと、思い出したのが、有家町の温泉神社(旧四面宮)の鳥居が地震で壊れたことがあったなと、調べたら、大正11年の地震で、この時はすでに「温泉神社」で関係なし。
あと、考えられるのが寛政4年の島原大地震。しかし、これは1792年のことで、古い鳥居は、1883年のもので、関係なし。と、2枚の額束を見ながら、考えると、今回破損した鳥居が、明治38年でこの時は、すでに「温泉神社」。であるなら、この2枚の額束は古い鳥居に飾られた事は間違いないのですが、鳥居の建て替えはしばしばみられるので、その時にと考えられますが、どんな事があったのか、とにかく文献がないので、悩みます。
鳥居があと一本あったと考えられるものはあるには、あるのですが、まあ、これは宿題ということで・・・・
この神社は、町の氏神様で、なんとなく心配な出来事でした。けが人がでなかったのが、幸いでした。
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