2016「三體地蔵尊祭り」&その他の事②~長崎県雲仙市吾妻町
昨日の続きになりますが、この三体尊地蔵の左右に、たくさんのお地蔵さん、石
造物がありますが「吾妻町史」には、「籠堂には『三體地蔵』の石像や、修験道関
係の石造物が多数祀られている。」とあり、雲仙といえば昔は修験道者の修行の
場でもあり、雲仙の麓にも遺跡が所々見られるところですが、多分、右の前列が
そうではないかと思うのですが、祭りで、人が沢山いるので確認できませんでし
た。
前に来た時、気がつきませんでしたが、オッカナイ顔の狛犬さん。台の横に文字
らしきものが彫ってありましたが、残念ながら風化して読めません。
この三體地蔵がある斜め前に、小さなお堂があり、こちらも、三體地蔵。
ここから、20㍍ばかりの所にも、三體地蔵。
なお、三體地蔵さんが祀られているお堂の横に、下のような場所があり、上は更
地になっていましたが、ここどう見ても、なにかあった後だなと思い、近くの爺様を
つかまえて聞いたところ、目の神様だったか?が祀られていたとか。
ですから、このあたりに多くの地蔵さん、石造物があり、以前のブログ書いたよ
うに、このお堂は、吾妻の山田原というところにありますが、吾妻町史によれば、
「この地は、山田庄の交通要津にあたり、ここから道は放射状に拡がる。古代の
山田駅に通じる古道でもあり・・・」、とあり、交通の要所であった事が分かると思
います。
「山田駅」とは「島原半島の歴史~松尾卓次」によれば、「大和王権が全国をほ
ぼ統一すると天皇の勢力が強まり中央の豪族をまとめて政治の仕組みも整えて
いった。大化の改新の詔(646年)で政治の骨組みを整えていった。・・・・この時
代には駅が十八ヵ所置かれていて、肥前国府(佐賀県大和町)から出発して長
崎県側に入り、新分、船越(諫早市)、山田(吾妻町)、野取(千々石説と島原説
があり、島原説が有利)の駅へと続いていた。それぞれが駅馬五匹が常置してい
て、国の命令を伝えたり、租などの税を運ぶ道であった。」という事で、昔の交通
の要だった事が分かります。
なお、同書によれば、高来郡の中には九郷あり、「倭名類聚抄(わめいるいじゅう
しょう・平安時代中期に作られた辞書)」、「肥前国第百二十九」の所に、「山田
(也萬多) 新居(爾比井) 神代(加無之呂) 野取(乃止利)」と四ヵ所載ってお
り、それぞれに、「山田、伊古・伊福、神代、北島原(島原か千々石)に当てられ
よう。」とありますが、いずれにしても、この吾妻町の山田が昔の重要な地だとい
う事が分かると思います。
なお、他の郷については「肥前 有馬一族~外山幹夫著」によれば、「肥前風土
記」には前書いたように、九郷あるように書いてあり、「倭名類聚抄」には四ヵ所
しか書いてありませんが、「当時の状況に照らして、その記述を省略された可能
性が高い。」とあります。
さて以前、南北朝時代この古道を通り、千々石の飯岳城から行き来した事を少し
触れましたが、地元の事でもあり、少し疑問の事があるので、又明日。
なお、「三體地蔵尊祭り」は、毎年四月二十四日に開催されているので、特にお
餅を好きな方は、袋を用意してお越し下さい。時間は多分、12時半頃か、11時
半頃になります。ご心配の向きは、雲仙市役所の方へお問い合わせください。
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