「甲石(かぶといし)」その他の事について~長崎県雲仙市南串山町
地元に残る古文書、郷土誌の中で、17世紀の島原藩主、松倉重政が休息のた
めかぶとを脱いで置いたと記述されている「甲石」の場所を、南串山町史談会長
茂和夫先生が特定されたそうです。
古文書によると1629年4月、長崎へ向かう際、南串山を通り、農民の利水のた
め水路「大井手百間(おおいでひゃっけん)」を築くよう指示。休息のため地蔵が
近くにある石の上にかぶとを脱いで置き水の川を水を飲んだ。その川を『甲川』
と呼ぶようになったという(長崎新聞2016年3月17日)。で、同地区を調べ特
定し、看板を設置したそうです。残念ながら、甲石は水の中で見えません。
赤○印の所が「甲石」の場所、矢印が諏訪の池で、上から上池、中池、新池にな
ります。
「甲石」の場所が少し分かりにくく、223号線を行くと、写真の所があり、左の赤
の矢印に行くと諏訪の池、看板があります。青の矢印の方向に行き、左に曲がる
と少し狭い道になり、今回の話題の場所になります。
さて、実はこの諏訪の池については、昭和53年刊の「小浜町史談」には次の様
な記述があります。
「(略)上池・中池・新池にわかれ上池がもっとも大きく一周およそ四キロ㍍余、元
和二年(1616)奈良から移された島原領主松倉氏が、小浜入浴のためここを通
るとき、水田の干害対策を村民から陳情され築堤を命じたという説がある。」、た
だし、「あるいは有馬城主時代にも貯水池があったかも知れない。」との記述もあ
り、小浜町のガイドブック「おばま 史跡巡りガイド」には、
1653年(承継2) 赤峰山の東南盆地にせきを築いて池(上)にする。この時「諏
訪の池」と名づけられる
1669年(寛文9) 諏訪二ノ池(中)を構築
1752年(宝暦2) 大亀名山川池より助井手をとおして諏訪二ノ 池(中)に注ぐ。
1797年~1822年 山川下池の井桶を悉く改装。
1822年(文政5) 諏訪持土手を築き新助井手(水路)を疎して、山川下池の水
を引き諏訪の池に注ぐ。
諏訪の池を、下池方面から撮った写真、右は新池ですが、今は木に覆われて、
自動車道路からは見えません。
松倉重政の没年が1630年(寛永7年)という事を考えると、諏訪の池の松倉説
は少し無理かなとは思いますが、原資料を見ていないのでなんとも言えません
が・・・
さて、松倉重政といえば、「島原・天草の乱」で、島原半島は以前は、キリシタン
大名有馬晴信が治めていますが、岡本大八事件で死を命ぜられます。継いだの
が、その子の直純ですが、キリスト教を捨て慶長19年(1614)に日向国(延岡)
に国替え。その後2年ばかり、幕府の公領になり、鍋島・松浦・大村の管理に置
かれますが、元和2年(1616)松倉豊後守重政が領主として迎えられます。
松倉氏は最初、キリシタンに寛容であったものの、幕府より叱責を受け、厳しい
取り締まりを始めます。なお、重政公の死後、子の勝家が後を継ぎますが、こ
れが又悪政で、住宅を建てれば建築税、窓を作れば窓税、鑪を設ければ鑪税、
畳を敷けば畳税、出産には頭税、死亡埋葬には穴税、加えて重政公時代に禄高
にも合わぬ大きな島原城を築き、島原半島の住民は大変な負担を強いられ、
「島原の乱・天草の乱」を招き、松倉氏と言えば悪名高くなるのですが・・・
千々石の海岸ですが、赤○の所が、堤になって、松林になっています、これが無
ければ、ご覧の通り、後の畑は潮風の吹きっぱなしになります。
この堤を築いたのが、松倉重政であり、島原城築城の折、千々石の和田四郎左
衛門義長(橘氏三世・橘中佐の祖先)が招かれ、この時、千々石のこの一帯が困
っているのを聞き、「千々石ノ地 海水害甚シク比年田稼捻ラズ聞ク 弧甚ダ之ヲ
苦慮ス仍テ封内ヲ検地シテ郷民ト協同シテ堤防ヲ設ケヨ」ということで、この堤防
ができたわけです。(前にも書いたかな?)
松倉重政といえば、悪人の代表みたいですが、意外と農民の方にも目がいって
いるのが分かります。前述の茂先生も「重政はキリシタン弾圧などマイナスイメー
ジがあるが、南串山にとっては大井手千間を築いてくれた恩人でもある。その功
績に光を当てたい」と話しているそうです。
歴史というのも、良く調べないと分からないところがある、という事を学んだ事柄
でした。
(参考・文引用:「島原の歴史(藩政編)」「島原半島史(上)」「おばま 史跡巡りガ
イド」「小浜町史談」「長崎新聞(3月17日)」「千々石町郷土誌」)
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