「センゴク一統記⑮」&「センゴク権兵衛①」発売~宮下茂樹著
先日、「ゼンゴク一統記⑮」が出版され、完結をしました。
小牧・長久手の戦いで家康が勝利し、森長司、池田長興・元助等が討ち死にをし
ますが、秀吉は堺の豪商を「惣無事」構想で納得させ、金銭・米を投入させ、ま
た、秀吉は信雄(のぶかつ・織田)と和睦しますが、「織田信雄は下克上の階段を
おり、徳川家康は織田家と袂を分かち、更なる忍従の道を選ぶこととなる、そして
羽柴秀吉は新しき世の創生へ、新しき世―彼はいかに立ち向かうであろう」とい
うことで完結。
これで、私も本を買わなくてもすむなと思っていたら、第4部の「センゴク権兵衛」
がお隣に並んでおりまして。
で、読んで見ると、最初に龍造寺の「沖田畷(おきたなわて)」の話が載っており、
これ、地元の島原半島の有馬晴信とので戦いになるので、買わないわけにもい
かず、薄い財布から、お金を取り出し買って来ました。
有馬晴信は島津家に助力を頼みますが、島津家とて大友家が後に控え、いつ狙
われるかも分からず、5000名の兵しか送れなかったそうです。策略により、有
馬・島津軍が勝利します。
漫画では、残念ながら、有馬晴信は出てきませんが、これは、沖田畷から三年
後、島津軍と刃を交えるのが、「羽柴軍先手衆の名は仙石権兵衛」という事で、
多分この伏線になるのでしょう。
この後、四国か紀州か三河かを攻める事になるのですが、まずは紀州。雑賀・根
来討伐のため秀吉が出陣。ここにおいて、漫画では、少し影が薄かった仙石権
兵衛の登場となります。
さて、後、秀吉は「天正十五年丁亥三月上旬、太閤殿下公薩摩退治のため九州
御下向被成(略)」(「西郷記」~「諫江史料拾録第一集」より)という事で九州に出
向きますが、佐賀地方を治める龍造寺は「肥前守護龍造寺民部大輔公御病気
に付いて鍋島飛彈守直茂公御名代に御出、薩摩御先手被御請候事。」(同書)
になりますが、この時、諫早地方を治めていた西郷氏はどういうわけか、秀吉の
元には行かず、「此節伊佐早(現諫早)の領主西郷純堯、分国に居ながら終に出
仕無之、薩州へ名代等も不被持越由之事。」(同書)
要するに、諫早の領主西郷氏は、秀吉をシカトしたわけで、このため領土が竜造
寺氏のものになり、西郷氏は滅亡をするのですが・・・
さて、諫早といえばお隣なので、この部分が、「センゴク権兵衛」にどのように描
かれるか、期待しているのですが、多分、薩摩の島津家との事が主になり、諫早
のことは描かれないだろうな、と悲しく感じるのでありました・・・・
なお、「センゴク権兵衛」、カバーも取って見てください。オマケがついています。
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