「福石様の祠」~雲仙市千々石町
毎度おなじみの福石様です。
左の矢印が恵比須様、いわれをザッと書けば、漁師の網に恵比須様に似た石が
引っかかり、この大石の上に祀っていたそうです。
ある時、大津波が押し寄せ、恵比須様が海の中に落ちた途端、波が静まったそ
うです。皆で元のところに祀って、「福石様の恵比須様」と名付けという事です。
前に、〆縄を十数年ぶりに張った事を書きましたが、今回は、右の赤○の祠の
事。この祠のいわれは、地元の人も知る人はなく、かろうじて、「八大竜王」と聞
いていたとの話。
〆縄を張る時、祠に苔がこびりついているからと、綺麗にしたら、
赤○印の所、字が書いてあるんですね。で、字を読もうと思っても、滑りやすい岩
の上、おじさん、体のバランスが悪くなって、落っこちたら大変ですから、写真で
撮る事に。裏、横には何も彫ってありません。
ただ、太陽の光線の加減でなかなか見えにくく、一週間ばかり通ってやっと読め
る程度に撮れ、ハッキリと文字が刻んである所だけをたどっていくと
何となく、分かる感じ、自信がないところは(?)を付けています。
右側は、「奉建造(?)福石辨財天」、左側は、「願主(?)千々岩(?)村(?)中
(?)」だと思います。
中の模様は、丸い円の中に文字が書き込まれていますが、多分、梵字だと思い
ます。ただ、辨財天をあらわす梵字は左で、どうにも似ていないようで、祠に刻ま
れている文字に似ているのを捜すと右の文字ですが、これは、弥勒菩薩をあら
わす梵字ですが、福石様とは関係ないような・・・梵字をご存じの方は、コメント欄
にてお教えください。なお、梵字の下の模様は多分、ハスを表現したものだと思
います。
さて、話変わって、犬も歩けば棒に当たる、私が歩けば美女にあたるの喩え通
り、「島原半島大概様子書」という文書があり、島原領の各村々の様子が書かれ
たもので、宝永四年(1707年・309年前です)に完成し、その後、度々改正され
たものを読んでいると、千々石村の事も書いてあり、これは、「文政六末改
(1823年・193年前)」としてあり、例えば、「一、家數千貳百五拾八件 人数
(男三千六拾壹人女貳千九百貳拾壹人) 牛六拾三疋馬七百拾四疋・・・一、鉄
砲 拾三挺(拾壹挺威筒三挺猟師筒)・・・」というようなことが書いてあり、最後の
所に、「一、船津名浜辺に大石有り福石と申此上に小さき石の禿倉内に梵字有」
とあり、この石祠、建て替えていなければ、少なくとも200年以上前の物だと思
われます。
さて、悩んだのが、「禿倉」。「はげくら」と読むのか、「かむろくら」と読むのか?
調べてみたら、PHP新書、「神社の由来が分かる小辞典」、「天神信仰」の所に、
「天慶五(942)年七月、多治比奇子(たじひのあやこ)という少女が天神の託宣
を受けて私宅に、その霊を祭る禿倉(注:「ほくら」のルビ有り)(小さな神社、ほこ
ら)を構えた。・・・」とあり、「禿倉」は「ほくら」と読み「小さな祠」のことである、とい
うことで、今回は勉強になりました。之にて一件落着。梵字を除いてですが、で
も、なんと読むのでしょう?
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