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2015年2月8日 - 2015年2月14日

2015年2月14日 (土)

一人ぼっちのバレンタインデー

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本日は、バレンタインデー、若い皆さんは楽しくやっているみたいですが・・・・


この歳になると、私を相手にしてくれるような、若くて、美人で、気立てが良く、ス

タイルが良く、色っぽく、ユーモアを解しといった、女性もなく、一人ぼっちの、バ

レンタイン。カミサンですか?あれはまあ・・・・何にでも例外はあるでしょう。


私も、一人ぼっちは淋しいので、友だちを呼んで、チョコレートパーティーをした

ら、みんな喜んでいました。


皆さん、恋人にプレゼントを送っているようですが、一番身近な男性にも、義理チ

ョコでも良いので、あげて下さい。お父さんは、あなたのことを、心から思っている

のですよ。




■利恵子に与える詩~坂 村 真 民


  利恵子よ

  泣いていたという利恵子よ

  わたしはそれを聞いて

  一晩中眠れなかった

  お前の小さい時のことから思い出して

  泣けてならなかった

  苦しいことがあろう

  悲しいことがあろう

  でも堪えてゆけ

  堪えられなかったら

  その分をわたしたちも

  背負ってゆこう



もっとも、私、二つばかり、プレゼントをいただきました。誰から来たかは秘密で

 すが・・・・・カミサンからは、なにもありませんでした。あ~、悲しき我が心。

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2015年2月13日 (金)

「遠野物語拾遺~京極夏彦」&「視(み)えるんです。~伊藤三巳華」

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「拾遺」とは「〔文章・歌などで〕漏れ落ちたものを拾い補うこと。また、そうしつく

ったもの。『ー集』」(学研・新国語辞典)のことです。


「遠野物語」は、柳田国夫氏が書かれたことは、国語の授業をきちんと聞いて

た方は、ご存じだと思います。


この本は、初版序文に書いてあるように「此の話はすべて遠野の佐々木鏡石君

り聞きたり。」といった、遠野の伝説、説話などが書かれ、自費出版をし、これ

が思わぬ好評を得ます。


「再版覚書」にあるように、「佐々木君にはもっと材料があるなら送ってくるように

って遣った。同君も大いに悦び、手帖にあるだけを全部原稿用紙に清書して、

いは持って来て、どさりと私の机の上に置いた」。そうですが、数量が多く、重

複があり、「自分の原稿がまだ半分ほどしか進まぬうちに待ちかねて佐々木君

が聴草紙を出してしまった」。


柳田氏が載せようと思っていた話もあり、「是非とも遠野物語の拾遺として出そう

と思って居たものが、聴耳の方で先に発表せられてしまった。そうで無くても後れ

がちであった仕事が、これで愈々拍子抜けをして・・・・・」


という事だったそうですが、せっかく集まった資料の散逸等を恐れ、・・・という事

で、「第二部(遠野物語拾遺)」増補」版として、発行されたみたいです。


さて、まず、「遠野物語」と「遠野物語拾遺」を読むと、何となく違和感があるので

が、岩波版「遠野物語・山の人生」(これには、「拾遺」は載っていません)の桑

原武夫氏の解説、「『遠野物語』から」を読むと、次のように書いてありました。


「・・・新たに増補された『第二部(遠野物語拾遺)』は口語体だが、私には旧版そ

ままの(第一部)の簡素な文語体の方が、懐かしく味わいも深かった。」


適当に選んで書いてみると


■遠野物語(第一部)

114 山口のダンノハナは今は共同墓地なり。岡の頂上にうつ木を栽ゑめぐらし

    其の口は東方に向ひて門口のきたる所にあり。

■遠野物語拾遺

133 昔上郷村大字板沢の太子田に、仁左衛門長者という長者があった。そ  

    れから佐比内には羽場の藤兵衛という長者があった。


たしかに、こうしてみると、この物語には、文語体の方が、ピッタリですね。


さて、京極夏彦氏の文章ですが、かなり、書き直しをしてあり、「遠野物語拾遺・

京極版」かな?というところです。


■遠野物語拾遺・原文

  一 昔三人の美しい姉妹があった。橋野の古里という処に住んで居た。後に

     その一番の姉は笛吹峠へ、二番目は和山峠へ、末の妹は橋野の太田林

     へ、それぞれ飛んで行って、其処の観音様になったそうな。

■遠野拾遺・京極版

 一 昔。

    どのくらい昔のことなのかはわからない。

    橋野の古里という処に、三人の姉妹が住んでいた。

    ある時。

    姉娘は笛吹峠に、真ん中の娘は和山峠に、末娘は太田林にそれぞれ飛ん   

   で行った。

   そして、それぞれの場所に居着き、観音様になった。

   なぜ観音様になったのかは、伝わっていない。

   ただ、そう謂われている。


京極版は、分かりやすく、スムースに読めますが、どちらが良いか、ご自分で判

断を。


説話、伝承、物語は文字も読めなく、テレビもゲームも個室も無い時代、み

んなが、いろり端などにあつまり、口伝で伝えられたものと思います。人間が文

字を発明し、文章になった時、物語の力が無くなってきたのではないか、と思い

つつ、読みました。


さて、もう一つ「視(み)えるんです。」

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遠野には行ったことがありません。多分、死ぬまで行かないでしょう。ですから、

遠野がどんなところか知りませんが、このマンガ見ると昔と違って、随分、観光客

が多いみたいですね。


読んで見ると、「かっぱ淵」で、カッパを釣るとき(取る時かな?)「カッパ捕獲許可

書」がいるそうで、捕獲(竿の先に釣り糸を付け、先にキュウリをくくり付けるそう

です)の場所は人がいっぱいだそうです。


カッパについていえば、カッパをみたというお爺さんがいて、亡くなる時「・・・もう

・・・わしは長くない・・・わしは河童をみたとず~っと言ってきた・・・が、アレは・・・

町の為に役所の人に言われてただけだ・・・河童は・・・い・な・い」と言って亡くな

ったそうです。本当か嘘かは知りません。マンガに書いてありました。


このマンガの作者は、霊能力が強いのか、いろんなところで、他人に見えないも

のが見えたりします。


もちろん「遠野物語」が中心で、超々入門書ですから、まあ、気楽に読んで、本格

的に、柳田国男の本を読んでは、いかがでしょうか?

先ほどの桑原武夫氏も、遠野の変化について、次にように書いています。

「・・・小国村の青年たちには、こちらから村の口碑を教えてならねばならないくら

いだった。附馬牛村大出ではオシラサマを都の人に売り飛ばしていた。その家は

まもなく『釜をかえした』(破産した)のではあるが、それをもう神の祟りとはいわな

いのである。・・・・」


さて、「遠野物語」の話を、信じない人、現在「都市伝説」が多く聞かれます。思

えば、1980年頃だったか、「口裂け女」の話が日本全国を駆け巡り、学校の集

団下校などが行われるまでの社会問題になりました。すこし、お年の方は覚えて

いると思います。日本人には、どうも伝説を好む血が流れているような・・・・・・


蛇足です。以前書きましたが、カッパは相撲が好きで、強く、人を見たら相撲を

し込み、勝ったら、ジゴノス(肛門)から手を入れ、肝を抜くそうです。


勝つ方法は、土俵に上がったら、お辞儀をする事。カッパもお辞儀をしますから、

その時、カッパの皿から水がこぼれます。皿に水がないカッパは弱いもので、こ

ちらが勝ちます。カッパさんに会ったら、自己責任で、試してみてください。


2015年2月12日 (木)

馬場庄屋跡(雲仙市歴史資料館南串山展示館)へ

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以前にも紹介をしましたが、南串山の馬場庄屋があったところで、以前の建物は

壊し、黄色い建物が現在「雲仙市歴史資料館南串山展示館」になっています。こ

の地区は「門山(もんやま)」といい、昔は村の中心だったそうです。用事で行っ

たついでに、再度ご紹介を・・・皆さんお忘れでしょうから・・・・・


左が南串山の全図ですが、この中に、「御高札」「庄屋」とかいてあります。「高

札」はお上からの、法令等を書いて指示を周知させたもので、もちろん、お上か

らのものですから、町の入り口、中心に立てられたそうです。

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馬場庄屋は、文久2年(1862)~昭和7年(1874)まで寺子屋を開設し、学校

制に伴い、南串第一小学校(当時は荒牧小学校)として発足をし、庄屋事務所

小学校校舎となり、第11代庄屋、馬場立造氏が初代校長になったそうです。

なお馬場庄屋は、万治元年(1658)から幕末までの211年間、11代の庄屋を

務めたそうです。

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この脇に、地蔵さんがありますが、全部首無し地蔵です。仏像破壊と言えば、廃

仏毀釈がありますが、島原半島を治めていた有馬晴信がキリスト教になり、半島

内の全寺社を破壊し、この南串山もほとんどが、島原・天草一揆加わっていま

すから、晴信時代に破壊したものでしょう。

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右側の石造はなんでしょう?お猿さんに見えますが、お猿さんも、山王のお使

で、それ以前より、山岳信仰などで太陽信仰の「猿神」として崇められています。

(神様になった動物たち~戸部民夫著より)


さて、館内に入ると、

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壁にズラーと古文書(写し)と釈文が貼り付けてあります。が、まだまだあるそう

です。張ってある分は以前紹介をしましたが、この間、出版をものです。

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なお、壁には書画が飾ってあり、本当はもっとあるそうなんですが、場所がなくて

といった所で・・・・書画目録までちゃんと作ってありましたが、かなりの量ですね。

「お宝鑑定団」に、出せば、どうなのかな?

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教科書が一画を占めており、読んで見たら面白いですね。

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図画の教科書。高等小學校圖画第一学年用。面白いのが「男兒用」と書いてあ

るところ。うまい絵ですね。私、こんなの描けません。

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高等小学校書き手本、第一學学年用(明治33年頃、高等小学校は、11歳から

14歳まで)ですが、こんな難しい漢字を教えていたんですね。「薙刀」なんて書

けませんよ。

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面白かったのが、地理の本で、普通は自国を真ん中に持って来ますが、日本は

端っこで、西欧が中心になっています。多分、西欧あたりの地図を使ったものか

な?

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と、まだまだあるのですが、皆様も見学を、現在、開館は火曜日と、木曜日だそう

ですが、教育委員会に連絡をすれば、その日以外にも見られるそうです。


ただ、建物が狭いですね。もう少し、大きいものを作れば良いんですが、何しろ

貧乏な市ですから・・・「家貧しゅうして孝子出(い)ず」といいますから、次世代に

期待しましょう。場所が分かりにくいので、尋ねながら行ってください。南串山の

方は、親切ですから、すぐに教えて貰えます。


ヤギさんが二匹ばかり。お髭がカッコイイですね。しばし、遊んで来ました。残念

ながらオスでしたが、ちゃんと、立派なのが付いていました。

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2015年2月11日 (水)

週刊誌ひろい読み

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             (週刊現代より)


今日も少し、考え違いをしておりまして、2月11日が、バレンタインデーと思って

いたら、14日でした。


で、私の所へチョコレートが、どっちゃり来るので、その写真でも載せようかと思っ

ていたのですが・・・・・残念でした。


暇つぶしに、週刊現代を読んでいたら、1月3・10日合併号「『立派だった日本

人』」という企画をしたらしく、それに対し、いろんな意見が出ていました。それで、

私も一言。上の図は見にくいと思いますが、クリックすると拡大します。


まづ、「文化・芸術ベスト10」。まあ、妥当な順位でしょうが、黒澤明を入れるなら

小津安二郎、失礼しました、はいってます。私の好きな川島雄三。


あと、大江健三郎、村上春樹、三島由紀夫、おや、谷崎潤一郎が抜けてますね。

私の好きな、坂口安吾。本文に書いてありますが、寺山修司は入れないわけに

はいかないでしょう。


学術関係では、長崎と関係のある、ノーベル賞受賞者の下村脩氏。祖先は雲仙

市瑞穂町で代々勤めた庄屋です。あと、折口信夫かな?南方熊楠もいますが。

この人、凄い人です。ネットでお調べを。


「スポーツ界ベスト20」。長嶋茂雄が1位は当然でしょう。イチローが入ってませ

んね。あと、ボクシングで私が好きだった、大場政夫。ピストン堀口も入れるべき

か。この方面あまり得意でないので・・・


「芸能界ベスト20」。これも大体こんなもんでしょうが、本文にも書いてあります

が、「山口百恵」。これ、絶体に入れて欲しいですね。吉永小百合さんが8位です

が、小百合さんと人気を二分し、あやわ暴動まで起こりかかった(事はありませ

んが)、栗原小卷さん。


落語家が出ていません。総合ランキングで「立川談志」が
載っていますが、談志

を載せるなら、志ん生(5代目)、文楽、圓生(円生)でしょう。あと、名脇役、フー

テンの寅さんに出ていた、笠智衆さん。


子供の頃好きだった、片岡千恵蔵、眠り狂四郎の市川雷蔵。「しぇいは丹下、名

はしゃぜん」の大河内傳次郎。調べたら出身地が福岡で、この台詞、九州弁です

ね。


「政界ベスト20」と「財界ベスト20」。これは、亡くなった方は立派な方が多いよう

ですが、生きておられる方は、あまりたいしたことがないようなので、パス。


左が、総合ランキングですが、まあ、個人的に評価があるので、自己責任で、御

評価を。


さて、右は12月6日の「週刊現代」。真ん中の字を見てください。「自民『50議

席減』で一気へ倒閣」へ。

見事外れました。これだから、週刊誌、あとで読むのが面白いんですよね。

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意外と当たっているのが、サンデー毎日(12月21日号)

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2015年2月3日時点で、衆議院は、自民党が292名、公明党が35名、民主党

が73名、共産党が21名(ウィキペデアより)。


さて、週刊誌では、新聞に対して、訂正を求めることがありますが、週刊誌は、自

分の誤りの訂正はしないんですね。ちょっと、問題ですね。









2015年2月10日 (火)

「中国嫁日記 第四巻」~絶賛発売中

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お~、第四弾ですね。相変わらずの、月(ゆえ)さんのツッコミと、ジンサンのボケ

です。


初版発行が2015年2月12日になっていますが、本屋さんに並んだのが、2月5

日、しかも、一番目立つところですよ。その上、私の愛読書だから、「絶賛発売

中」と書きましたが、大売れ(みたいです?)


前回から、月さんとジンサン、中国とニッポンを行ったり来たりで、ちょっと大変で

す。私、国際結婚しなくて良かった。


今回は、少し大変な事があり、ジンサンがスマホを盗まれたり、月さんのお母さ

んが肺炎になったり、ジンサンのお父さんが肺がんだったり・・・


一番大変で、ジンサンが今回マンガで訴えたいのが、不妊問題。結婚して5年

で、子どもを作ろうと決めててから、一年半くらいで月さん検査のために病院へ。


ジンサンも、TVで不妊の番組をみて、お医者さんが「不妊の原因は女4で男

3!! 半分近くは男に原因あるんだから!!男も診察うけなさい!!」という事で、病院

へ。


月さんは、異常なし。ジンサンは異常有りで手術が必要。なお、ジンサン、日本 

に帰って診断して貰うと、「精索静脈瘤」。成人男性で15%の病気で、男性不妊 

の原因の四割。


ジンサンの場合、普通の精子の4分の1。治る確率が70%。で、手術は無事終

了で、精子が以前の倍。でも、できないものは、できない。


中国で漢方を飲むも効果なし。で、男性不妊専門の医者を紹介されたら、「つま

り、手術終わって2年近く経って、のこのこやって来たわけね。あなた、考え甘え

ぎ、不妊は時間との勝負なんです。不妊において時間はとても貴重なの!!あな

本当に子供つくるきあるの!?・・・・・・」と、次回行くと、「正常です。ちょっと数は

いけど妊娠は可能です。ここで治療する必要はありません・・・・もしも妊娠し

いなら人工授精すればいいし・・・」と。


月さんに言ったら、「ワタシね、子供いなくても、いい思テマスヨ・・・子供いないと

不幸、そんなコトナイデス、子供いない夫婦いっぱいいマスヨ、みな、それぞれ

幸福思いマスヨ、努力しますけどできなかったら仕方ナイ」

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あ~良い妻ですね。これだけ言われると、涙出ますね。どこかの妻と違って。


今回は、少しばかり考えさせられる、物語でした、もちろんユーモアとギャグに溢

れていますが。

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月さんの後書きですが、良いこと書いてあるので、中国語ができない方のため

に、良い所を少し翻訳をすると、


「結婚生活というのは絶えなく会話と理解を繰り返し、互いに配慮をしあえるまで

発展する過程だと思います。・・・・・得難い人生のパートナーをすごく大事にして

いるからこそ、たとえ子供がいなくても、心から感謝し、支え合って生きていくと

いうのが私たちの考えです。ですが、私たちは諦めたわけではありません。『石

に立つ矢』という言葉があるように、努力すれば願いは叶うと信じています。この

言葉は私達の結婚生活にも当てはまります。どんな些細なことでも、会話し、理

解し、相手の立場になって考えていることを大切に、悩んでいる方のお役に立て

ましたでしょうか」。まったく、その通りです。皆さんも、月さんの言葉を心に、努力

して下さい。ウチですか、真逆ですね heart03 。


気づいたら、翻訳は次のページに書いてありました。


※今回は少し深刻なところがありましたが、お医者さんに「男性不妊の専門医は

 全国で40名くらいしかいない!!なので井上(ジンサン)さんも機会があったら、

 男性不妊について、周りの人達に理解を呼びかけて下さい」と言われ、社会的 

 意義もあるかと思い描いたそうです。






2015年2月 9日 (月)

2015 「第36回 長崎県子ども会伝承芸能大会」~雲仙市

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昨日「長崎県子ども会伝承芸能大会」が、雲仙市の吾妻町ふるさと会館で開催

されました。どうせ、観客が少ないだろうと思っていたら、ほぼ、満員状態。

この大会は、各市を回り持ちで開催し、来年は松浦市で開催だそうです。


子ども会は、昔は、各地にあったのですが、最近は無い地域もあるとか。子ども

会は、異年齢の子どもが集まって、地域の繋がりの一環をになっていたのです

が・・・先輩が、後輩に遊び方とか、ナイフの使い方(当時は「肥後守(ひごのか

み)」をみんな持っていたのですが)これも、先輩から使い方を習い、使い方が分

かれば、鉛筆も削れるし、竹細工もできるし、便利なものでした


ビー玉とか山遊び、ケンケン、ゴム跳び、とかいろいろな子
どもの遊びがあり、夏

休みはラジオ体操(現在、土、日、休日、盆は休みとか)とか、異年齢で遊んだも

のですが、いまや、ゲーム機で、同年齢ばかりの遊び。


子どもの伝承遊びも、段々少なくなり、動植物の「絶滅種」が新聞などに載ります

が、「遊びの絶滅種」も考えた方が良いんじゃないですか?


もっとも、子どもが少なくなり、近くの地区では、会員が1名とか。町村合併より、

こちらの方が先なんじゃナイデスカ。


さて、少子化にともない、地域の伝承芸能が消えつつあります。子どもも少なく、

塾、習い事と忙しく、今からの子どもの結びつきは「塾友」になるような気がする

のですが・・・・


という事で、このイベントは、子どもに地域の伝承芸能を伝え、発表しようとよう

と、開催されているものです。


最初は、小浜の「小浜太鼓ジュニア」の「ふうりん、航(わたる)」。

小浜は、私の薄れゆく記憶によれば、太鼓ブームを作った「鬼太鼓座(おんでこ

ざ)」の指導者の方が、指導をしていた気がするのですが、今は拠点を移してい

ますが、「小浜太鼓ジュニア」は平成11年11月に、健全育成、後継者育成を

踏まえ、発足したそうです。子どもとは思えない迫力でした。

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「伏尾(ふしお)鍬踊り」。瑞穂の古部(こべ)伏尾地区に伝承されており、地区の

祭り、復興祭等、地域のお祭りなどのイベントで活躍しているそうです。

大正小学校では、運動会などで児童の総踊りとして、十年以上受け継がれてい

るそうです。一番上の写真も「鍬踊りです」。

千々石にも、鍬踊りがありますが、かけ声の「めでたい、めでたい」のところ良い

ですね。なんとも、のんびりして。「大正小学校の古部地区(岡・夏峰)」の皆さ

ん。

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千々石の「御神楽」。日本一の松明武者行列、「観櫻火宴」の一環として、16年

前から始まったものですが、16年前というと、最初の舞った子は、31歳ですか。

光陰矢のごとし、ですね・・・地元の贔屓で写真を2枚ばかり・・・「千々石中学校

吹奏楽部」の皆さんですが、二足のワラジで、練習が大変です。

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吾妻町「鶴田小学校の民踊クラブ ドリームキッズ」の皆さん。「吾妻おどり」と

「吾妻盆唄」の踊り。平成10年に誕生したそうです。

うちわをもって、ゆかたを着ての盆踊り姿、だんだん少なくなりました。なんとな

く、懐かしいような・・・・

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「琉球國祭り太鼓 ジュニア」の「エイサークイチャー他」。20年前の雲仙復興の

イベントで結成されたもの。長崎ランタンフェスティバル、博多どんたく、その他、

イベントの時よく、出演をしています。終わったら、子ども達は、肩で息をしていま

た。体の動きが激しい太鼓です。

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外にも、浮流等各地にあるのですが、秋祭りの奉納踊りで、子どもの練習が夏

休みくらいから始まりますから、年に2度の出演は、チト無理なところがありま

す。

子ども達の演技は、良く練習され、息がピッタリ合っていることが分かりました。

演目の説明も、子ども達です。最後に賞状授与。

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最近は、年に一回のバス旅行だけの、子ども会もあるみたいですが、もう少し、

子どもの繋がりを考えて貰いたいものです。



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