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2015年1月11日 - 2015年1月17日

2015年1月17日 (土)

「iPhone6」衣替え&Siri後日談

Photo 2

数ヶ月前、iPhone6の衣替えをしたばかりですが、不都合があり、下は、今まで

使っていたものですが、iPhone本体がラウンドしているので、バンパーにしっくり

合わず、少しガタつきがあり、使いにくいので、appleの純正品、レザーケースにし

ました。


下のバンパーケース、iPhone5の時はぴったりしていたのに、ラウンドに合ってな

いのでしょう。バンカーリングまで、つけていたのですが・・・・これ、レザーケース

は凸凹があるので、つけられません。

Photo_3 2_2

待つこと数日、箱が二つ着きましたが、Amazonさん、いつも箱が大きいですね。

特に左、開けても右の四角に囲んだ、小さな製品だけです。

Photo_13 2_5                        

開くと左になりますが、左の小さなのは「Pluggy Look」といい、キャップが外せる

ようになっています。右が本体、左がキャップです。

Photo_5 Photo_6

あとは、本体のイヤホーンに根元まで、「イヤ」というまで、「挿入」してheart02、右に回

ば、固定でき、3.2㎏まで大丈夫だそうです。これに、ストラップを取り付けま

す。音楽聞くのは、Bluetoothのイヤホーンを利用しているので、イヤホーンの穴

は関係ありません。


私、いつも、落っことす癖があり、どうしてもストラップがいるので、購入をしまし

た。


レザーも意外と良いですね。頬ずりすると、気持ちの良いこと。色は赤ですが、

この色、一般には売ってなく、(PRODUCT)REDといい、収益の一部は「世界エ

イズ・結核・マラリア対策基金」に寄附され、アフリカでのエイズ対策に役立てら

れるそうです。お買い求めは、ネットのApple Storeからどうぞ。


なお、裏面のカメラが出っ張っていますが、これも、裏面を机においても、直接つ

かないように対策がされています。

Photo_7

さて、あと、液晶面の保護のため、ガラスの保護フィルムを貼っておいたのです

が、前回と同じく、欠け、が出てきました。カギと一緒にポケットに入れるからか

な?

Photo_9 2_4

3_2 4

赤の○の欠けたところから、ヒビが入って来ています。やはり、普通のフィルムに

替えるべきか。ガラスは良いんですけどね。

Photo_11


さて、Siriのことです

先日、Siriの事を書きましたが、→こちらをクリック

昨日、コメント欄にこの事が書いてあり、詳しくは、右のコメント欄をクリックすれ

ば分かりますが、「ゾルタスクゼイアン」について、恐ろしい質問が返ってってきた

そうです。


「それは誰から得た情報ですか?」


Siriと言えば、言われたことに返答するばかりでしたが、これ、なぜ情報を知りた

いのでしょう。


なお、You Tubeで、いろんな質問をしている動画がありますが、「お前のせいだ」

と言ってみると、面白い画面になりますよ。


なお、「Siriのプライバシーについて・・・」を読むと、Siriに音声入力を使用すると、

内容がAppleに送信され、「あなたの名前やニックネーム、”連絡先”に登録され

ている連絡されている連絡先の名前、ニックネーム、続柄(”父”など)、コレクショ

ンの中の曲名、屋外にあるHomeKit対応デバイス(”リビングの照明”など)など

の情報(まとめて”ユーザーデーター)もAppleに送信されますSiriと音声入力の

認識精度を向上するために使用されます。Appleのその他のサービスを利用す

るときにAppleに送られることのあるデーターとは関係づけられません。・・・・・」


とは書いてあっても、Siriを利用する時は、私達の情報は、全部Appleに、筒抜け

だということでしょう。


「ゾルタスクゼイアン」についてい、以前「卵運びテストとは(卵を人間と考えて)人

間が車で運ばれていることを指します。そのことをSiriが言っていることから考え

車にSiriがつく可能性があります」と書きましたが、卵は人間で、Siriが人工

の事だと考えれば、「人間が、近い将来、人工頭脳に支配される」ことの比

ではないのでしょうか?



 

2015年1月16日 (金)

「国旗」について

Photo Photo_3

日の丸ですが、左右寸法は同じようでも、日の丸の所が少し違いますね。どちら

が正解でしょう。


さて、今日、本を整理していたら、

Img_20150116_0001_3

このような本が出てきて、出版年が1984年ですから3世代前の本になります。

著者、吹浦忠正氏は、日本赤十字、日本ユネスコで国旗の調査をし、63年か

(財)東京オリンピック東京大会組織委員会に専門家として、迎えられていま

(この間のオリンピックではなく、前回、1964年の時のオリンピックです)。


さて、国旗の歴史について書けば長くなるので、興味のある方は→

こちらをクリック


当時、オリンピックを開催するにあたって、困ったのが、国旗の色。①内外からの

紹介に正確に答えられない。②旗や印刷の業者がよりどころとする色がない事。

③赤の色がその都度不統一ではオリンピックで困る。④国旗の色がその都度不

統一ではオリンピックで困る。


という事で各家庭、企業を訪問
し、新品と交換し、500枚の、日の丸を集め、自

動式分光光度計で色彩学者が検べ、JISで規定されている色の三属性で、80R

4.5/15.5に定め、和名を「くれない」、英名を「rising sun red」としたそうです。


また、多くの人に標準色を渡し、「日の丸と思われる色を選んでください」と言うこ

とで、イメージに近いものを選んでもらったところ、大体先の色に集中したそうで

す。


さて、あと白地に赤のバランス。旗が垂れた時、「日の丸」と「赤十字」は区別が

つかないために、赤の部分をイメージを壊さないように、赤の量を大きく。

あと、旗の大きさの問題で、アメリカは、1対1.9、イギリス、ソ連は1対2、一番

多いのが3対2。オリンピックの時、何十ヵ国も旗を並べると、バラバラで多種無

理があるので、こ
れまでのオリンピック、国連の例から2対3に決定し、各国に確

認。


ところが、問題は「日の丸」。確認するところがなく、国会議事堂、最高裁、首相

官邸、法務省を調べると「日の丸」の寸法はバラバラであったそうです。当時の

旗に対する、無関心さがうかがえます。


いよいよ自国の旗のデザインを決定する中で、各省庁、東京オリンピック・デザ

イナー等にも諮って作ったものの、「毎日新聞」一面に「東京五輪に新デザイン

の日
の丸」とすっぱ抜かれ、右翼団体の脅迫状、各紙の記者がいろいろ言ってく

る、
と言うことで再度協議して、”旧来”の「日の丸」を使うことになったそうです。

真ん中の日章の部分を、旗面の中心、3分の1を5分の1にしたそうです。


が、プレオリンピックの時、この新しい旗を使ったそうですが、「別に世間に発表

したわけではなかったので、気づく人もとくになかったようで、抗議は全くなく・・」

ということで、昭和39年のオリンピックでは、新しい国旗と、旧国旗と共に使われ

たそうです。

なお、現在、国旗については下記の通り制定されています。



国旗及び国歌に関する法律

(平成十一年八月十三日法律第百二十七号)

国旗) 

 第一条  国旗は、日章旗とする。

   日章旗の制式は、別記第一のとおりとする。

 (国歌) 

 第二条  国歌は、君が代とする。

   君が代の歌詞及び楽曲は、別記第二のとおりとする。


 附 則

 (施行期日)

   この法律は、公布の日から施行する。

 (商船規則の廃止)

   商船規則(明治三年太政官布告第五十七号)は、廃止する。

 (日章旗の制式の特例)

   日章旗の制式については、当分の間、別記第一の規定にかかわらず、寸

法の割合について縦を横の十分の七とし、かつ、日章の中心の位置について旗

の中心から旗竿側に横の長さの百分の一偏した位置とすることができる。

別記第一 (第一条関係) 

Photo_4

  日章旗の制式


   一 寸法の割合及び日章の位置  
      

      縦 横の三分の二
      
       
  
     

      日 章

      直 径 縦の五分の三

      中心 旗の中心

   二 彩色

      地 白色

      日 章 紅色

別記第二 (第二条関係)



(国歌については省略します。)



日章は「紅色」、国旗は「日の丸」でなく「日章旗」ですから、私達が習った、「白地

に赤く 日の丸染めて ああ美しや日本の旗は」は「白地に紅色 日章旗染めて

ああ美しや日本の旗は」が正解になります。


ところで、よく読むと、旗の割合は「縦 横の3分の2」になっていますが、「3 日

章旗の制式の特例」に


   日章旗の制式については、当分の間、別記第一の規定にかかわらず、寸

法の割合について縦を横の十分の七とし、かつ、日章の中心の位置について旗

の中心から旗竿側に横の長さの百分の一偏した位置とすることができる。


になっており、二種類の国旗が存在する事になります。


色も「紅色」という事で、微妙にいろいろあるみたいで、 80R 
4.5/15.5みた

いにハッキリ決めた方が良いんじゃないですか。そうしないと、何種類もの国旗

ができてしまいます。何となく、曖昧模糊とした法律だと思います。


「日の丸」でも構いませんが、きちんと制定され、本の作者が書くように、皆に親

しまれ、美しい国旗をもう一度、考えて欲しいものだと思います。


私は、右でも左でもありませんが(右○ンですが・・・happy01 )「日の丸は」の旗は好き

なのですが・・・・・・


(参考・文引用:「国旗についての12章~吹浦忠正著)





 

2015年1月15日 (木)

「島原・天草一揆」の当時の捉え方~加来耕三氏の講演会を聞きながら

Img_20150115_0003

実は、書こう、書こうと思いながら、延び延びになりました。


昨年11月3日「『長崎の教会群とキリスト関連遺産』世界遺産登録推進講演会」

が行われ、上の写真は12月6日付けの、その折の講師の歴史家、作家の加来

耕三氏のお話しを、長崎新聞がまとめたものです。


坂本龍馬の史実まで出て、興味あるものでしたが、全部は、書けませんが、この

中で、世界遺産関係として、日野江城、原城が南島原市にはありますが、加来

氏の話では、「元和8年にキリシタン55名が長崎の西坂で処刑されました。元和

の大殉教といい、ローマ法王も殉教だと認めています。」と言い、島原・天草一揆

についてはローマ法王は、殉教ではないという見解をとり、これは、生活苦から

の暴動で、一揆軍には多様な考えを持った人間がおり、キリスト教の精神をうけ

てはいない、という見方だそうです。


「教科書でも、農民一揆の一種だと考えています。・・・・精神的支柱がキリスト教

 だったことを証明できる資料が出てくれば、キリスト教が中心の国々から多くの

人がこの地を訪れるでしょう。」という事でした。


れから先は、島原・天草一揆を、幕府も含め、大きく歴史の話になっていくので

すが、話が長かったので、これはカット。

Dsc02183_2

この本、宮本武蔵の手紙なども入っていて、「島原・天草の乱」の文書が(お書き

になられた方が、天草の方なので「天草・島原の乱」になっています。)網羅され

ています。


島原・天草一揆は、寛永14年10月25日(1637年12月11日)~寛永15年2

月28日)。日にちが違っているのは、新暦と旧暦の関係。


加来氏の話を聞きながら、それでは、日本では単に「農民一揆」と見ていたのか

「キリシタン一揆」とみていたのかとの疑問をふと思い、この本の中に、何かない

かと思って、この、「原資料で綴る 天草・島原の乱」を拾い読みすると、あるんで

ね。


■熊本藩三家老より江戸への言上(御書奉書写言上扣)寛永14・11・2

・・・・・ほんどにて古切支丹の立帰申もの共一名討ち果たし被申し由ニ候・・

(注:「古切支丹の立帰」は、いったんキリシタンをやめ、再びキリシタンに立ち帰

えった人々)

■長崎代官末次平蔵より熊本藩三家老へ(綿考輯録)寛永14・11・1

御使札令拝見候、然は松倉長門守殿領分の古切支丹宗門の者共立帰一揆起

・・・・・

■島原の様躰口上覚(勝茂公譜考補)寛永14・11・4

一、十月廿六日すかわ(須川)にて島原一揆と城衆と取合二、きりしたん宗凡三

百程討取被申候・・・


と、まだあるのですが、切りが無いので、最後に


■柳生宗矩が事(徳川実記)寛永14・11・10

肥前の国高来郡の土民領主松倉にそむき、耶蘇の宗門に事よせ蜂起せしか

ば・・・・上はたゞ土民の一揆とのみ聞召て、かろき者を討使には立給ひしなるべ

し、宗門につきて人心の一致するは大事のものなり・・・・・


島原の片田舎の一揆。たいしたことはないと見て、「かろき者を討使」に、即ち板

倉重昌を使わしますが、思わぬ長期戦になり、板倉も討ち死にをします。

柳生宗矩の先見の明のあるところです。


この本の中に「嶋原の内きりしたんニ立帰候者、村々の写し(御家中文通の内抜

書 寛永14・11・7)というのがあり、例えば私の町では


一、弐千壱人                千々石村

   内 千九十八人 男

      九百三人  女

      右の内 千人ハ         みかた


と書いてありますが「みかた」は「味方」(非キリスト)でしょう。

こうして見ると、日本においては、「島原・天草一揆」は、「キリシタン一揆」と認識

されていたのでは、と思います。


(参考・引用:「原資料で綴る 天草島原の乱~発行・本渡市 編者・鶴田倉造)





 

2015年1月14日 (水)

図書館奇譚~村上春樹著

1 Img_20150114_0004

昨日、本屋さんに行ったら、少し薄いけど「図書館奇譚」という、洒落た本が置い

てあり、著者を見ると、村上春樹さん。


買って来て読んで見ると、以前の作品で、私が持っていた「カンガルー日和」に

収録されていました。


筋の方は、短い短編なので(長い短編は無かったか happy01 )読んでいただくとし

て、この左の新しい本、「あとがき」に、いきさつがこう書かれています。


この話最初、
「トレフル」という、某百貨店のPR誌に連載され、「他の短めの作品

と一緒にまとめられ、1983年9月に平凡社から『カンガルー日和』というタイトル

で出版された。現在は講談社文庫に収められている。これがこの作品のそのも

のオリジナルのかたち(ヴァージョン1)」


右は講談社から1986年第1刷発行ですが、作者「あとがき」では1983年7月

になっていますから、こちらに載っているのが、オリジナルの形でしょう。なお、平

凡社からの出版が9月で、「あとがき」は7月ですが、「あとがき」は先に書かれた

ものと思われます。


さて、この後、同じく講談社から出ている「村上春樹全作品1979~1989」に収

録する時、文章に手を入れたそうで、これがヴァージョン2。


次に、佐々木マキさんと、この本を絵本化するにあたり、「『子ども向け』寄りにリ

ライトしたわけだ」。タイトルも「ふしぎな図書館」。これがヴァージョン3。


数年前、ドイツのデュモン社が、この本のドイツ語訳の出版を申し出、ただし絵

はドイツ画家、カット・メンシック。上の左の本になります。

2

こんな感じで描かれています。


なお、この本(刊行予定も含め)スペイン語、イタリア語、ヘブライ語、チェコ語、

フランス語、中国語、韓国語で翻訳。文章は絵本版「ふしぎな図書館」、ヴァージ

ョン3が
テキスト。


そして、本書「図書館奇譚」(日本語版)は、オリジナル(ヴァージョン1)に、あら

ためて手を入れたものになっている、ということで、ヴァージョン4になります。


比べて見ると、(講談社版は「講」、新刊は新潮社で「新」にします。


講:僕は買ったばかりのポロの革靴をはいていたので・・・

新:僕は買ったばかりの茶色の革靴をはいていたので・・・

講:「実はオスマン・トルコの収税政策を知りたいと思っているのですが」

新:「実はオスマン・トルコの収税政策について知りたいのですが」

講:べつにそれは杉の花粉症の治療法というテーマでも良かったのだ。

新:べつにそれは、三角測量の歴史というテーマでもよかったのだ。


文体の少しの違いでも、全体的には違った印象になります。

「文体の少しの違いでも、全体的には違った印象になります」

「文体の少しの違いでも、全体的には違ってた印象になる」では、与える印象は

違って来ます。


この本4ヵ国において、絵本として出版、出版予定されているそうですが、村上春

樹氏は「あとがき」で次のように述べています


「そのようにして、ドイツ版、アメリカ版、イギリス版、そして最初の日本版と、四


類の絵本版『図書館奇譚』が、この世界に揃ったわけだ。もしできれば読み比

べて(見比べて)いただきたいと思う。きっと『同じ文章の内容で、これほどまで

違うものか』と、驚嘆されるに違いない。」




2015年1月13日 (火)

「見テ 知リソ 知リテ ナ見ソ」★「心偈(こころうた)」~詞(ことば)柳宗悦(やなぎむねよし)・板(いた)棟方志功

Img_20150113_0001

1月12日から16日までは、お寺で「御正忌報恩講」。講師というか、法話師とい

うか正式名称は良く知りませんが、お話しを聞くと、さすが良いお話しで、笑った

り、泣いたりの、一時間半でした。


さて、昨年の暮れ、これは別の方でしたが、お話しの中で、五木寛之が書いた、

「親鸞」の話が少し出て、「あの本買わんで良いがの」(私、買ったあとなので、

うにもできませんが)、
と言いながら、五木寛之さんの、若くして無く亡くなられ

さんの話をされました。


弟さんが亡くなられた時<クエイッショ トモニ ジョウドニ ウマレン>(注:倶会

一処、共に、浄土に、生まれん)という、弔電をもらい、沢山の弔電の中でも「特

印象に残っています。」ということだそうです。


講師の話では、この後、五木寛之氏は、戯曲「蓮如物語」を書き、10年たったら

「親鸞」について書くと、言われたそうです。

Img_20150113_0003

本の帯に書いてあるように、構想から10年になります。親鸞、蓮如については、

調べれば面白く、これは、時間と、私の理解能力があれば(多分ないか)、今後、

少し触れたいところですが・・・・


講師の話を聞いて、五木寛之氏の本、若い時は、よく読んでいたのですが、最

近の本を読むと、仏教に関する物が多く、肩こらないように、エッセイ集の「生き

るヒント」を読んでいると、「知る(しる)」という所に、柳宗悦(「りゅうそう
つ」とよ

く読まれますが、「やなぎむねよし」です)の「心偈(こころうた)」の紹介あり、

「見テ 知リソ 知リテ ナ見ソ」と言う「偈」(柳宗悦氏は「今迄かういう短
句を書

いた人があるかどうか知らぬが、私は之を偈(げ)と呼び、又和風に小偈(
さうた)

とも呼ぶことにしてゐる。」と書いています)の紹介がありました。


五木氏によれば、この本に、棟方志功の版画の押し絵がついているとかで、棟

方志功は、好きな版画家なので、つい買ってしまいました。

Img_20150113_0002

色刷りのもありますが、これは、墨一色で、「見テ 知リソ 知リテ ナ見ソ」と書い

てありますが、どう読んでも意味が分からない。


五木氏は「見てから知るべきである、知ったのちに見ようとしない方がいい、とい

う意
味でしょうが、じつはもっと深い意味があるような気がする。・・・・」と、後は、

知識、知ると言うことについて書いてありますが、長くなるので、カットしま
す。


なお、この本には、柳宗悦氏の「自偈自注」がついていますが、それによると、

「『ナ見ソ』とは『見るな』という否定語。ここで『見(けん)』といふのは、直觀の意

味であ
る。『知』といふのは概念のことである。先づ直觀を働かせて得たものを、

後から概念で整理せよと云うものである。・・・・『知
るより前に見よ』『知ることを先

にして、見ることを後にしてはしけない』と警告する
のである。・・・・・」


さて、これを読んでいるうちに、何となく思い出したのが、小林秀雄の「当麻(たえ

ま)」。


能楽堂で、万三郎の当麻をみて、帰りがけの事が書いてあり、あの有名な言葉

「美しい『花』がある、『花』の美しさという様なものはない」というのが載っていま

す。


「世阿弥が美というものをどういう風に考えたかを思い、其処に何の疑わしいも


のがない事を確かめた『物数を極めて工夫を尽くして後花の失せぬ事を知るべ

し』。美しい『花』がある、『花』の美しさという様なものはない。彼の『花』の観念の

曖昧さに就いて頭を悩ます現代の美学者の方が、化かされているに過ぎない。」


柳宗悦氏は「直觀は凡てを解放するが、知識は凡てを限定する。」といい、小林

秀雄氏は「肉体の動きに則って観念の動きを修正するがいい、前者の動きは後

者の動きより遥かに微妙で深淵だから、彼(世阿弥)はそういっているのだ」。

言っていることは違いますが、その根本精神は変わらないと思います。


「お宝鑑定団」を良く見ていますが、贋作を掴まされた人、多いですね。参考文献

を読んで、それに基づいて、騙された人が多いようですね。知識が先立った方


しょう。私達も、良く、偽ブランド品の名前にひっかかる人が多いようです。


「婚婚活」も一緒で、地位がどうだ、顔がどうだより、「見テ 知リソ 知リテ ナ見

ソ」です。


なお、この「心偈」、なかなか、読むのに手応えがあり、その分、人生を考えるに

読む値があるので、時々、ご紹介をしたいと思います。


ともすれば、知識偏重の時代。心すべき、言葉ではないでしょうか。


【注】

■「偈」は真宗のお経「正信偈」というのがありますが、五木寛之氏によれば、 

  「偈」は「うた」という意味があるそうです。

■柳宗悦氏は、民芸運動の中心者。それまでの高価な美術品でなく、日常の職

 人による、手仕事の日用品等の中に、美を探求し、活用する事を見いだした

 人。→詳しくは、こちらをクリック 「民芸運動」  「柳宗悦」



2015年1月12日 (月)

「鏡開き」とは?~千々石町橘神社

Photo_2

寒くもあるし、気分的にも低調。


昨日は、まあ、天気が良かったので、近くをブラブラして、ついでに、橘神社に寄

ってみた、正月も一段落したのか、参拝客もボチボチと。


拝殿前に、数人が集まっていて、なにやらやっていると思っていたら、鏡開きの

日でした。


七日が、七種粥の振る舞い、これは、女子(美人)の出番。十一日が鏡開きで、

七草粥の時とは違い、人数が少なかったので、昼飯の分まで食べて来ました。

今日は男子(おじさま)の出番で、餅焼き。やきもち、ではありません。



餅を焼く方法は、ガスで焼いたり、オーブンで焼いたり、レンジでチンしたりとあり


ますが、やはり、外で、焚き火した後の、おき火で焼くのが一番。

Dsc02139_2 Dsc02143

ところで、帰りながら考えて、あれ、なんで「鏡開き」というんですかね?

Dsc02158_2 Dsc02142_2

という事で、調べて見たら、辞書にも書いてありますが、一番分かりやいのが、

山本健吉編「最新俳句歳時記(新年)」。

「正月十一日、鏡餅を卸(おろ)して食べること。武家では具足開と言い、具足に

供えた鏡餅をわり、女子は鏡台に供えた鏡餅を割った。刃物で切ることを忌み、

手や槌で割かく。」となっており、「具足」は、三省堂国語辞典(7版)では、「(名・

自サ)①じゅうぶんにそなわっていること。②よろい」と書いてあり、①ではなく、

当然②の方でしょう。

Dsc02153_2

「近世風俗志(守貞謾稿)」によれば、「餅」のところに、「『世辞談』に曰く、正月の

餅を鏡と云うは、その状の似たるをもって称す。鏡餅を割りて祝ふを鏡開きと云

ふ。具足に備えたる鏡餅は、斬殺の詞を忌みて刃(はもの)を入れず。引欠(ひっ

っかく)故に、これをかき餅と云ふ。今は片餅をすべて欠餅もちと云う。」


なお、「広辞苑」によれば「欠餅」は「正月十一に取り下げた鏡餅を刃物で切るこ

とを忌み、手で欠いて小さくしたもの。」とあります。


近年、具足を持ている家は少なく、そのため「具足開き」という言葉が無くなり、

「鏡開き」という言葉が残ったんではないでしょうか?


ところで、女性の読者の皆さんの鏡台には、鏡餅を飾りましたか?鏡は、古墳発

掘をすると、装飾品として出土されますが、それだけ神聖なものです。


大事にしない
と、「世界で一番美人は誰?」と聞いても、「一番ブスはあんただよ」

と言われますよ。来年は、鏡台にも是非鏡餅を。

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