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2015年7月12日 - 2015年7月18日

2015年7月18日 (土)

明日は一斉清掃★「ビーチクリーナー」もあるよ!&千々石海岸~雲仙市千々石町

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千々石の海岸です。バギー車が並んでいますが、レースではありません。


千々石町では、7月の第3日曜日が、町民一斉清掃の日で、地区によっては大

変な所、楽な所ありですが、昔は、一軒一軒回って、室内外の消毒もしたもので

した。ただ、涼しいうちにということで、朝の五時から始めます。朝の五時です

よ。私みたいに、夜更かし人間には辛いこと。


地区によっては大変なところもありますが、ウチの近くは道路を舗装にしている

ので、比較的楽な方ですが、この海岸、近くの地区の受け持ちです。


今日は、きれいな方でしたが、風の吹く方向で、ゴミが海から吹き寄せられる事

あり、

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こんな感じになるわけで、これを、全部片づけるわけですが、これを人力でする

のが大変な作業なわけです。


ホンダグループが、8年間から全国各地で取り組んでいる地域貢献活動というの

があり、今年は、県内の長崎県ホンダ会で、千々石の海岸で実施をしいただ

けるとか。


そのため、四輪バギー車を改造し、独自開発した「ビーチクリーナー」を使うとい

ことになったわけですが、運転を地元の人でという事で、若手3名が、明日に向

けて講習を受けているところです・・・

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もちろん、走らせただけでは、ゴミは取れるわけではなく、後に熊手のような機材

を付けるわけです。車の後方と、右の写真、赤いのが、ゴミ取りの機材です。


これあると、人手だけで、清掃するのとは全然労力が違いますね。私がハワイに

持っている、プライベートビーチにも使おうと、一台契約してきました・・冗談 happy01 

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千々石海岸ですが・・・・

昔は、イモを洗うように、海水浴客が多く、左の写真一杯に桟敷席があったので

すが、今や右の写真の様に、ほんの一棟くらいになりました。

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とはいっても、ちゃんと監視台、売店もあります。シャワー代はロハです。

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今日は、夏休みに入ったばかりなのか、海水浴客は少なく、

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ほとんど、数家族で占領という状態でした。どこかの海岸みたいに、イモを洗うよ

うな所とはちがって、ノンビリできますね cancer 


チョット違うよ、フロイスさん

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さて、少し昨日の話の続きになります。昨日、「上井覚兼日記」のことを書きまし

たが、フロイスの「日本史」に少し、ひっかかりがあるので・・・・


戦国時代。大ざっぱにいうと、龍造寺隆信、大友宗麟、島津義久の三氏が九州

の大きな勢力でしたが、龍造寺が今山の戦いで、大友宗麟を破り、さらに、島津

義久が耳川合戦で大友宗麟を破り、九州は二強の地区になります。


ここで、龍造寺が肥前国島原方面に進出してきますが、キリシタン大名であった

有馬晴信は薩摩の島津義久と手を結ぶことになります。


兵力は有馬側が3,000~5,000名。対して龍造寺が60,000名という説もあ

りますが、実際は20,000名くらいという説も有ります・・・


フロイスによると、「中務(注:島津家久)が、当時すでに四千人近くに達している

兵を率いて位置につき、他方、有馬殿が、千人前後の兵を率いて陣を構え

た。」


対して、龍造寺は「彼は一万二千の戦闘員を率いていたが、彼らは豪華に装

い、また清潔で気品があり戦場で鍛錬された兵士たちであった。」


という事で、沖田畷(おきたなわて)の戦いが始まり、圧倒的な数の差にもかか

わらず、龍造寺は、有馬、島津の連合軍の計略により、敗れて、死亡します。

時は、天正12年3月24日(1584年5月14日。日にちは西暦と和暦の違い)


さて、ここからですが、フロイスによれば、「日本六十六ヵ国のいずれを見渡して

も、この薩摩の人達ほど偶像(仏像の事か?)を崇め、その儀式を遵守し、した

がって悪魔を崇拝するところはない。」というくらいの所。かたや、有馬氏はキリタ

ン。(悪魔は仏教のことです)


フロイスによれば、「彼ら(注:島津氏)はまず折にふれてドン・プロタジオ(注:有

馬晴信)にキリシタンの教えを捨てるようにと勧告してやまなかった・・・彼が必要

もないのに信奉しているデウスの教えを棄てるならば、収入をふやし、種々の援

助をしようと口説くところがあった。だが、ドン・プロタジオからは予期していたのと

は異なる返事に接した。」ということになります。


さらに、「薩摩の人がドン・プロタジオにさらにつけ加えて言うには、薩摩の国主と

その弟中務は、温泉(ウンゼン)とよばれ、日本では巡礼をもって知られる豪華な

神殿の再建を、神仏に対して盛大に誓っいて、と。」


有馬晴信は、「ドン・プロタジオは、ごくしばら前に薩摩の援助によって旧位に復

帰できた身でいますぐ彼らの支配から脱却することは懸命なことではなかったか

らデウスの御加護を祈りながら、談合によって自領に異教徒や仏僧がいないよ

うにできることを期していた。」そうですが・・・チョット考えが甘いですネ。


薩摩勢は、「城の正面にあって、キリシタン達が死者を葬る墓地に建てられてい

たきわめて美しい十字架を焼却」したり、有家の教会では無礼を働き、口之津か

ら船で、志岐(天草郡苓北町)の教会に向かいますが、これは、キリシタンが抵

抗したので、退散し、他の教会を略奪していったそうです。


さて、薩摩の島津氏としては「日本では巡礼をもって知られる豪華な
神殿の再建

を、神仏に対して盛大に誓っいて、・・・」という事ですから、天正12年4月8日

に、話し合いをもちます。天正12年3月25日が沖田畷の戦いですから、戦後処

理を考えると、随分早いみたいですが・・・・


「八日、於神代(注:現雲仙市・こうじろ)御談合候、衆、忠長・忠棟・光宗・新納武

州・川上蔘州・頴娃殿・比志嶋殿・山田新介殿・鎌田出雲守殿・拙者、右之衆也、

此表御行之事、當郡中南蛮宗にて、温泉山坊中(満明寺)無殘破滅候、然者御

再興の御立願此度被成候、左様の儀は」御神領過分ニ候ハてハ難成事候間、

此等之御談合也・・・」


「廿二日・・・・・今度温泉御再興之御願候、本領の事ハ被仰ニ不及候為修造料

一、二ヶ所寄同々、此方より可被知せ候、其餘者悉鎭貴(晴信)御校量専一之由

候、殊更從神代山田(注:山田は現雲仙市吾妻町)までハ、先䂓も有馬殿自

とハ不聞得候、西郷(信尚)殿挌護之通申者共有候、・・・・」


という事で、昨日の根井氏によると雲仙を誰が支配しているか、もめたそうです

が、結局、島原と三会から出費するようになったそうです。この後、上井覚兼

すぐに熊本に戻り、結局は雲仙は再建はならなかったそうです。


フロイスはここの所、「薩摩の連中は、ドン・プロタジオがすでにキリシタンであ

り、異教徒たちの神殿(満明寺等)の再建にたずさわるはずがないと思ったの

で、既述の誓いを(再建の誓い)を理由としてこの仕事を引き受けることにした。

ところで彼らは普請の費用や便宜のために、三会と島原の城を接収して、その

収入と人員をこれに当てた。」


と、いかにも完成したように書いていますが、満明寺は有馬氏によって荒廃して

いますが、寛永14年の島原の乱で、堂宇すべてを焼失、壊滅したそうです。


高力摂津守忠房公が島原藩主に着任した時、家臣の善左衛門の兄、
弘宥法印

(遠州浜松松鴨江寺出)が高力氏の守護を賜り、寛永17年(1640)大定院の旧

地を賜り再興し「温泉山一乗院」として復興したそうです。


「温泉山起立書」によれば、山号が「温泉山」、寺号が「満明寺」です。(一乗院

刊・「温泉山縁起」より)


という事は、フロイスは、如何にも沖田畷の戦いのあと、再建したように書いてい

ますが、チョット勘違いという所ですネ。


しかし、フロイスの「日本史」を読むと、フロイスさん、スパイ顔負けの情報通です

ね。情報源はどこだったのでしょう?


(参考・引用:「根井浄氏講義」「上井覚兼日記」「フロイス日本史」「温泉山縁

 起」より)


 

2015年7月16日 (木)

「雲仙市の歴史を学ぶ会 7月例会」に参加

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今日は、「雲仙市の歴史を学ぶ会7月例会」。若い時、これくらい意欲的に勉強し

ていればと思いつつ聴講。


講師は元龍谷大学教授、根井浄氏。内容は「雲仙の中世と近世」。さすが、専門

家は我々と違います。


年取った方ばかりと思ったら、意外と若い方、また、女性の方も多く、最近、歴史

の関心が高まっているのを感じます。


2時間にわたる講義で、内容が広く深いので、全部はまとめきれませんが、日

人の持つ在来宗教(仏教は外来宗教です、念のため)、温泉(うんぜん)のなり

たち、歴史、寺院の事などを話されました。


温泉が雲仙と名前が変わったのは、以前書きましたが、この雲仙、いわれによる

と1000ばかりの僧坊があり、栄えたという事ですが、領主のキリシタン大名有

馬氏から破壊され、再建されるも、内紛等で焼失、これが無ければ、比叡山、高

野山に匹敵される聖山ではなかったかと思われます。


ルイス・フロイスも次の様に書いています。「ここは日本における最大、かつもっ

とも一般的な霊場の一つで、不断に巡礼が訪れている。これらの寺院は温泉(ウ

ンゼン)という偶像に奉献されており、そのようなことからこの高来の地は日本中

でなおいっそうの名声と評判を有することになったのである。」(第一部108章)


さて、有馬氏から、壊滅状態にされ、その再建を企てたのが、薩摩島津藩。これ

には、薩摩島津藩が、仏教を嫌い、在来宗教を守りたかったらしいのですが、様

子を見に、家老の上井覚兼を使わしますが、「上井覚兼日記」(持ってますが、全

然読んでません)、天正12年5月1日の日記に下記のように書いています。


「朔日、早朝打立候て、温泉山為一見参候(肥前南高来郡、満名寺)、新武同道

申候、千々石(肥前南高来郡)のことく廻候て参候・・・・」


ここで、千々石が出てくるのですが、これも以前書いたように、雲仙は女人禁制

で、雲仙の麓に「女人堂」を建て、ここで、女性はお祈りをしていたそうですが、い

わば雲仙への表参道になり、「上井覚兼」はこの道を辿って、雲仙に登ったこと

になります。

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この、「温泉(うんぜん)山絵図」。これは現在行方不明ですが、同じような物が、

あと四枚あるということですが、この説明もありましたが、この絵図については、

根井浄氏の「地獄の略縁起・山絵図を読み解くー『肥前国高来郡嶋原温泉山之

図』をめぐってー」という小冊子を持っていて、話が長くなるので、また、他の図と

比べながら、後日、説明をしたいと思います。


なお、ルイスフ・ロイスの日本史に「その山(注:雲仙)には、いくつかの凹みが

あって、そこから絶えず激しい勢いで種々の硫黄が噴出している・・・・」(第1部

108章)」、「その神殿は有馬の上、三里の地にあって、そこには大いなる硫黄

の鉱山がある・・・」という事で、イエズス会は鉱脈関係にも関心を持っていたの

ではないか、それを運び出すには、口之津という良港があった、という話でした

が、有馬晴信と龍造寺が戦った時、ヴァリニャーノは、硝石と鉛を用意していま

す。


硫黄については、神戸女子大学准教授・山内晋治氏は次の様に書いてい
ます。

「10世紀から13世後半にかけての日宋貿易を通じて、日本から中国に硫黄が

輸出されていたことは、既存の事実である。(略)では、なぜこの時期から硫黄輸

出が始まるのであろうか。

この疑問を解くカギは、中国における火薬および火器の発達の歴史にある。火

薬は唐末9世紀の中国で発明されたと推定され、それは硝石・硫黄・木炭粉を主

原料とする黒色火薬であった。(略)宋に輸出された日本産の硫黄は対西夏など

の対外戦争でも、火器の原料として利用された可能性が高い。」


さて、話はまだあるのですが、明日は前立腺の精密検査があり、丁と出るか半と

出るか、朝が早いので、折にふれ、今日の話をもとに、書いてみようかと思って

いますので、今日は、ここまで。


(引用:根津浄氏のレジメより)




2015年7月15日 (水)

少し爽やかな話

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いつも、長ったらしく、分かりにくい話ばかりなので、今日は爽やかに。


最近は、「腸」が注目を集め、本当かどうか、脳の働きにも影響があるとか。私も

多少便秘気味で、ヨーグルトが腸に良いとかで、上のヨーグルトを長年愛用して

います。


無糖ですが、これに、流行の、エゴマ(ご近所の店では売り切れでありま
せん。お

取り寄せです。)とオリーブオイルとココナッツオイルとオリゴ糖を入(カロリー

が高いので少々づつ)て食べています。


さて、このヨーグルト、蓋をあけると豆知識が書いてあります。最近まで、商品の

成分かなと思って読んでいませんでしたが、今日、良く見ると「豆知識」が書いて

あり、何種類かあるみたいですが・・・

Dsc_0081

暑いので、少し爽やかな話が書いてあったので、ご紹介を。



ヨーグルト豆知識 vol.3

朝つゆとミルクでヨーグルト作り?


ブルガリアでは、家畜の健康と豊かな実りを祝う5月6日の聖グオルギの日が、

その年初めてのヨーグルトを作る日。人びとはその日の朝、草木についた乳酸

菌をたくさん含む朝露を集めて、ミルクに入れ、はっ酵させてヨーグルトを作りま



あ~、良いですね。草木についた朝露から、ヨーグルトを作る。きな臭い事ばか

り起こる時代、こんなに爽やかなヨーグルトが食べられれば、素敵なんですが、

お隣の国から、PM2.5とか、黄砂など飛んで来て、日本では無理ですね。


皆さんも、極力、地球を汚さないように。私?カミサンからいつも、「部屋を汚さな

いでよ!」と言われています。反省 coldsweats01 。


追伸:ヨーグルトは、各種あり、個人によって効き目が違うそうですから、いろい

ろ試してネ。




2015年7月14日 (火)

「全国アホバカ分布考」~松本修著★百田尚樹さんの事

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「百田尚樹」さんの小説は、あまり肌が合わないので、一冊しか読んでいま

ん。最近、アホな発言をし、バカな言い訳で報道され、「百田尚樹」という名をマス

コミで聞いて、小説以外でもどこかで、聞いたなと?


ふと、思い出したのが、左の調査報告書と、右の本、右の本は、左の調査をもと

にしたもの。


朝日放送の「探偵ナイトスクープ」(長崎でも時々放映したことがあります)で視聴

者からきた質問を取り上げ、それを調査し、放映していますが、ある時、次のよう

質問が来たそうです。読んだのは、ウチの近所の南島原市出身の、岡部まり

ん。


「私は大阪生まれ、妻は東京出身です。二人で言い争うとき、私は『アホ』とい

い、妻は『バカ』と言います。耳慣れない言葉で、お互いに傷つきます。ふと東京

と大阪の間に、『アホ』と『バカ』の境界線があるのではないか?と気づきました。

地味な調査で申しわけありませんが、東京からどこまでが『バカ』で、どこからが

『アホ』なのか、調べてください。」


という事で、全国的に調査をし、私の勤務先にもこの調査用紙がきて、どういう

わけか、私に「書いといて」と angry

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簡単なアンケートなので、ホイホイと書いて送ったら、数ヶ月後、調査報告書が

送られて来たのですが、チラと見て、柳田國男の「蝸牛考」の証明だなと。

「蝸牛考」→こちらをクリック

Img_20150714_0004 Img_20150714_0002

ところが、この調査結果が、なんと「日本方言研究会」(文部省管轄下の国立国

語研究に本部を置く:注・1991年現在)で高く評価を受け、発表までし、貴重な

資料だということで、「皆様からのご回答は整理分類・研究の上、後日すべて日

本語研究の総本山ともいうべき『国立国語研究所』(文部省・文化庁管轄下)に

寄贈させていただきます。

従ってそのご回答は日本の言語・民俗の貴重な資料として、1000年先はおろ

か、日本という国家の存続する限り、永遠に、大切に保存されることになりま

す。」、ということで、私の回答も、「日本という国家の存続する限り」、保存される

わけです。永遠に私の名前が、公的機関に残っているということです。スゴイナ。


さて、この報告書が来て、2,3年たって、本が出版され、平成8年に文庫になっ

ていますが、私が買ったのが文庫本。読んで見て、裏話の苦労がよく分かりまし

た。


この本読んで、十数年たちますが、「百田尚樹」の名前を聞いて、ヒョッとしたら

と、本を調べたら、載ってました。まだ、ボケてませんネ。ボケたフリはしますが、

都合の悪い時は・・・happy01


「構成陣を率いるのは、会議中無駄口ばかり叩いている百田尚樹である。彼は

昭和五十一年から四年間、私がディレクターをしていた『ラブアタック!』の”みじ

めアタッカー”として、全国に知られる学生のスーパースターだった。その当時か

ら抜群のアイディアマンだったが・・・・いつの間にかこの世界に入ってしまったの

である。」


「彼はまた見上げるべき趣味人で、最近はコイン手品に凝っている。会議中にも

練習を止めようとせず、失敗ばかりしては大きな音を立てさせてコインをあたりに

散らばらせ、みんなの顰蹙をかっていた。それでもディレクターが彼を重んじるの

は、その鋭いアイデアのひらめきが千金にあたいするからである。」


「さらに同じ郷土愛から、分布図が間違っているから訂正せよ、と抗議する人々

も少なくなかった、百田君の杜撰(ずさん)な分布図づくりがかえって幸いしたも

ので、これは貴重な発見だった。」


「フルトベングラーを熱愛するクラシック・ファンの百田君は、言葉の響きにまで言

及してとどまるところを知らなかった。異常なまでの『アホウ』の褒めっぷりであ

る。」、とまだ「百田尚樹」氏が登場しますので、ファンの方はご一読を。


なお、この本、
言葉の伝播に「北前船」を考えついたり、「突然、日本古代史が出

てきて、探偵陣はいっせいに『おおっ』と声をあげた。言葉が現在の『県』や江戸

時代の『藩』によって区切られるのではなく、古代以来の『国』によって分けられ

ているという指摘に、実は私もおどろいた」、という感じで、言語学というと難しそ

うですが、面白く、ナルホドと言う本です。ご一読を。


文庫本の後書きは、俵万智さんが書いていますが、「特に、構成作家の百田くん

と日沢くんは、折にふれて登場し場面を生き生きとさせてくれる。」と褒めていま

す。


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2015年7月13日 (月)

NHKk気になることば「サバを読み」の「サバの正体」★NHKアナウンス室編~チョット気になるニャン

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今日は少し立腹です。何十年も社会保険料を払って、やっと、もらえたと思ったら

早くも、マクロ何とかで、減額。さらに、今日は、島原地域広域市町村圏組合か

ら、「介護保険料 納入通知書兼特別徴収(仮徴収)開始通知」で、一年間で、

83,400円の徴収ですよ。


安保なんとか法で国会を延長。あれで、何億かかるんですか。この国は、どこを

向いて政治をしているんでしょう。もう、怒らないとダメですね。近くの方は、デモ

に参加、遠くの方は、電話なりFAXなりメールなりで、抗議の声を挙げないとダメ

になりますね。


ということで、なんでも気になってきて、「気になることば」。さすが「NHKアナウン

室編」の本ですね。


「なぜ?豆腐も拳銃も『一丁、二丁』」、「動物の数え方 一匹?一頭?」、「ご注

意!『まで』の使い方」「イケメン どんな言葉!?」、「うざい定着?」、「失礼して

ないのに『失礼します』」、「おす!って何?」、「朝っぱらの『ぱら』って何?」、

「『故障中』はおかしい!」、「靴の中に履くのに『靴下』?」、「女でも兄弟(きょうだ

い)」、「みそ汁は、食べる?吸う?啜る?飲む?」「腕白はなぜ白い?」等々、て

んこ盛りで、知っておいて面白いことがたくさん書いてあります。


さて、一つだけ気になることが、「一階、二階、三階 数の読み方」。

「実は、『三階』は『さんかい』?それとも『さんがい』と濁りますか?

実は、「さんがい」が正しいのです。これは数に限らず、「神社」や「万歳」よのうな

熟語にも言えることです。『天下』の古くは「てんが」と濁って発音していまし

『ん』の後すべてが濁るわけではないのですが、そういう傾向があるために、『三

階』の場合は「さんがい」と濁るのが本来の読み方なのです」(下線は私)。


これ、今から数十年前、「千円」「二千円」「三千円」「四千円」。「三千円」だけが、

「さんぜん」と濁り、なぜか?とかなり調べたのですが、結局分かりませんでし

た。上の、「ん」の説もありましたが、「四千円(よんせんえん)」も「ん」がついてい

ても濁りません。「さんぜんえんだけ」が濁ります。


「三夏」、「三家」、「参加」、「惨禍」、「三角」、「三曲」、「参勤交代」、「三句」、「産

気」、「山系」、「参考」、「官界」、「謙虚」、「献金」、「新曲」、「真空」等々、キリが

いので止めますが、「ん」の後の文字、濁らないのも多いのです。


なお、金田一春彦氏によると、「連濁」というのがあり、ウィキペディアによると、

「連濁(れんだく)とは、二つの語が結びついて一語になる(複合語)際に、後との

語(後部要素)の清音が濁音に変化する、日本語における音韻現象をいう。『と

きどき』、『いけばな』などがその例である。」と書いてあり、少しは納得、ですが。


「連濁はどの複合語にも必ず起きるわけではなく、さまざまな条件によって阻止

される。しかし、どの条件にも例外があり、また条件を満たしていても連濁のおき

ていない語も多い。」

という事で、まあ、ハッキリした法則は無い、という事でしょう。


ところで、「三分」は「さんぷん」、と読みますが、「三分の一」は、なぜ、「さんぶん

のいち」と濁るのでしょう。

あ!失礼、「分」は「ぶん」とも読みますね。


最後に「二十四の瞳」は「にじゅうよんのひとみ」と読むのでしょうか、「にじゅうし

のひとみ」と読むのでしょうか?この歳まで、間違って読んでいました。お恥かし

いニャン cat





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