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2015年6月21日 - 2015年6月27日

2015年6月27日 (土)

雨の降る日は、「週刊誌」。

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明日は、女子サッカーで朝が早いので、手早く週刊誌ネタで・・・


★「急増中 遺骨を『ゆうパック』でお寺に配送」


わたしの所の墓所、あまり広くありませんが、梅雨の晴れ間行って見たら、3ヵ所

ほど墓がなくなり、更地になっていました。


聞いたところ、子供も遠くにいて、どうせ、墓参りもしてくれないだろうからと、納

骨堂に納めたそうです。自分の生きているうちに、きれいに片づけ置こう、という

ことでした。段々とお墓も少なくなって来ている時代です。


さて、お寺に納骨堂を作った所、自分で行きたいが高齢で、車の運転もできず、

新幹線にも乗れずとか、独り身で認知症の方がなくなり、成年後見人の方がどう

するか、寝たきりで妻の遺骨を納めに行けない、絶縁の親戚が亡くなったが遺骨

をどうするか・・・


という事で、このお寺に宅配便で、お骨を送って納骨をするそうです。ウチでも

先々どうなるか、考え時ですね。なお、業者によっては宅配サービスが出来ない

所もありますから、ご確認を。


★「夫のセックス、ここが気持ち悪い」


「あなたには進歩がないのか」、「ハッキリ言って時間の無駄」、「○なんて吹かな

いから」、「そんなとこ○ないでよ」。本当、男って哀れですね。


★「憲法学者の人選で船田元が『ひきこもりに』」


先だっての、国会に安保法案の件で三名の学者が呼ばれましたが、自民党の

推薦学者も憲法違反の意見。私もこれには笑いましたが、人選をしたのが船田

元氏、本来、別の学者を呼ぶ予定だったのが日程が合わず、衆議院の事務局

に、丸投げした結果だそうですが。


★「戦争やる気満々 安部オフレコ発言ぜんぶ書く」


先日、百田氏を呼んだ勉強会のことで、国会質疑をしており、少し見ましたが、ツ

ッコミの民社党に、ボケの安部総理で、出来の悪い漫才でした。昔は、ツッコミも

鋭かったのですが・・・・あれでは・・・ボケは、もっとひどいものでしたが。


ところで、百田氏「講演後の出席者の議員との雑談のなかでポロッと出た軽口だ

った。冗談のつもりで、本意ではない。」とかなんとか、言いわけをしているようで

すが、口から出た言葉と、ウンチは元には戻せません。


★「YouTubeで16万回再生された『四十八手』動画がすごい」


6月1日から配信して、16日間で16万回超のアクセスがあったそうですが、もち

ろん、私も見ましたよ。アクセスは、211,938回、もちろん、211,938回目

は、私ですが、時間にして2分少々

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こんな感じですが、いやらしさも、何にもなく、あっけらかんとしたものでした。


思わず、謝国権さんの「性生活の知恵」を思い出しました。あの本、人形を使っ

て、女男別々になったものを載せ、超々々ベストセラーになり、私も随分お世話

になりました(実技の方ではなく、おかずの方でです、男性の方は分かります

ね)。「Love 45」で検索を。


この歳になれば、なんともないものでした。明日は日曜日で休日なので、ご予定

の方は、ご参考までに、ご覧下さい。


★「阿倍支持率急落!『次の総理』は誰になる」


誰になるったって、誰かいるんですかね?自民党もだけど、民社党はもっとひど

いですよ。誰かいますかね?


★「安部官邸は『噂のデパート』だ『漏れた年金』まだ隠されている重大被害」


多量の情報流出、いまだ解決しない消えた年金。情報漏については、通知が来

ると報道していましたが、来ません。


「年金機構は大量の通知送付に消極的で
す。その理由を探ると、何十万件も通

知をだせば届かないケースが続出することを、心配しているようです。つまり、氏

名や住所を間違っていたりすることがわかってしまう、それは年金記録のミスで

あり、新たな『消えた年金』問題につながっていきます」だって。


なお、流失問題については、処分者がありません。また、「この6月後半に、年金

機構の役員にボーナスが支給される。」そうです。


「最後の一人までチェックして支払います」と言ったのは、安倍首相で退陣翌年、

マスコミとの懇談会でこう言ったそうです。「年金ってある程度、自分で責任を持

って自分で状況を把握しないといけない。何でも政府、政府でもないだろ」。


コンピューターの入力ミス、書類の紛失、政治家の年金未納、年金横領等々、こ

れも、「自分で責任を持って」って事なんですかネ。何のために職員がいて、給料

を貰っているのか。この記事、読まないように、血があたまに上って血管が切れ

てしまいます。


★「バリウム検査は危ない!ー胃ガン検診に潜む権利と患者見殺しの闇ー」


私、バリウム飲むと便秘になるので、内視鏡を呑んでいます。昔は管が大きかっ

たのですが、今は本当に細く、楽になりました。鼻から入れる内視鏡もあるとか。

集団検診で、バリウムを飲む方は、ご一読を。


書評欄で、珍しく両方取り上げてあるのが、中島京子氏「長いお別れ」。


「長いお別れ」と言えば、レイモンド・チャンドラーの「ロング・グッドバイ」。

「最新作『長いお別れは』英訳でロング・グットバイ。〈少しずつ記憶をなくして、ゆ

っくりゆっくり遠ざかって行く〉認知症を、アメリカではこう表現するらしい。」


父がアルツハイマー型認知症と診断されてからの10年間。老夫婦と子供、その

家族の日常を、8編の連作で描いているそうです。


★さて、最後に、某整形外科の面白い宣伝があったので、


「○○スを長くする相談 標準的治療費・・・350,000円」、「早○治療 治療

・・・25,000円」、「○頭を大きくする相談 標準的治療費・・・100,000

円」、「○茎手術 200,000円」。高いな・・・二つばかり受けてみるか。合わせ

て、450,000円。悩むな。





2015年6月26日 (金)

バナナが一本

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昨日まで、「踏絵」の事を書きましたが、調べること一ヶ月あまり。少し疲れたの

で、今日は、手抜きで、いつもの「全国日本亭主関白協会」、天野会長の軽くも、

深く、悲しくて、涙がチョチョぎれる、いつものお話しを。水曜日に、会員宛メール

で届いたものです。


★リノベーション7月号「リノコラム」


愛妻は料理に手を抜いているのではないっ。

亭主は、「あつだけまし」じゃないですかっ(笑)。


我家の料理は、どんどん研ぎ澄まされていく。ていうか、手のかからないメニュー

になってきている。


朝は私が早い為、昨日の夜から仕込んであったのだろう。テーブルの上にバナ

ナが一本、ポロリと置いてあるだけ。


なんと手抜きな、と思われる読者もあろうが、全く違う。健康を気遣ってのもの

で、「私はゴリラかっ」などと一回も呟いたことがない(笑)。


つい先日などは、キュウリが一本、それも凄く曲がったもので、一瞬ヘビがとぐ

ろを巻いているのかと身構えた程。「バナナとは違う」と思ったが、水で洗ってポ

リポリと頂いたら、凄く美味しかった。


夕方、「たまにはキュウリもいいもんだね」と尋ねたら、近所の奥様から、庭で作

った野菜類を頂いたらしく、冷蔵庫に入れ忘れた一本であることが判明した。


「私はカッパかっ」とジョークを返したら、「そうよ、へのカッパ」と返ってきた。いや

はやセンス抜群ではないか(笑)。


夜は、ワンプレートの料理が主流で、どこで見つけたのだろうか、小学生の給食

時に使うような、ごはん、おかず、など少しへこんだ一枚の食器に全てが盛り付

けてあるものだ。


愛妻曰く、ロコモコ料理だそうで、決して食器洗いがめんどうだからではない、と

言い張る。しかも、マクロビとやらで、肉はもちろん、動物性のものは一切使用し

ない代物らしい。しかし、豚肉ではない豚肉の生姜焼き。ハンバーグもどきのハ

ンバーグ。牛肉ではない、ビーフシチュー。など、バラエティにとんだものばかり。


サラダも包丁を使わない、手でちぎったもので、時々、皿からこぼれ、テーブルに

盛り付けてあるのもセンスがいい。だが、どんなメニューであれ、途中から全てが

ぶっかけご飯のようになるのは何故だろうか。よかったら、もう少し仕切りの高い

食器が欲しいものだ。って、違うか(笑)。


(いつものように、私の方で、文章を区切りました。)


私の家も、今日はカミサンが、いつもの通りどこへ行ったのか?昼はまた、コンビ

ニの弁当でした。ちなみに、明日と明後日も行方不明になる予定だそうです。

明日の朝飯は、私も、バナナにでもしますか banana banana banana 。






2015年6月25日 (木)

「踏絵」之事⑥~その他之事・これでおしまい・・・多分

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「踏絵」之事④で、「踏絵」が紙とか木では、たくさんの人が踏むため、傷んでいく

ために、長崎古川町の鋳物師の「裕佐」に20枚の踏絵を作らせたことを書きまし

た。このうち19枚は国立博物館に所蔵されているそうです。左がその1枚です。


「重要文化財 真鍮踏絵 キリスト像(エッケ・ホモ) 萩原裕佐作 長崎奉行所旧

蔵 江戸時代・寛文9年(1669)」となっております。

右は信徒から押収した大型のメダイ(キリストやマリヤを表したもの)を板には

込んだもの。裕佐の作ではありません。これについて、こうコメントしてあります。


「大量の人に踏まれて摩滅もしたのでしょうが、もともとはっきり表現していなかっ

た可能性もあります。それは別として、真鍮踏み絵のキリストはプロポーションが

変です。顔があまりにも小さい。茨の冠はさざえの角のようです。もちろん正確な

描写や造形の優秀さを求められていなかったのですから仕方ありません。」と書

いてあります。


この鋳物師「萩原裕佐」について小説にしたものがあり、長与善郎著「青銅の基

督ーーー名南蛮鋳物師の死」。筋を書くと長くなり、今は古本屋でしか手に入ら

ないみたいですが、「青空文庫」で、ロハで読めますので、興味あるかたは、お読

み下さい。


なお、後書きに、著者が次のように書いています。

「寛文の頃長崎古川町に萩原といふ南蛮鋳物師がゐた事、そしてその踏絵の

神々しく出来すぎた為信者と誤られ殺されたことは事実である。又拷問の仕方

や、始めの歴史叙説は無論、沢野忠庵と云ふ転び伴天連が踏絵を発明したこと

も事実であり、アントニオ・ルビノ(注:小説の登場人物、裕佐と同時に死罪になり

ます)と云ふばれてんが殺された事も事実である。但しそれらが同時代であった

かどうかは自分は知らぬ。」と書いてありますが、確かに殉教者のなかに、「寛永

20年 ルビノ神父等八名」(長崎の殉教者~片岡弥吉著)との記述があります

が・・・


沢野忠庵が踏絵を発明したことは、年代的に合わないということで、片岡弥吉氏

は否定をしております。大正12年作ですから、キリシタンの研究は現在ほどに

んでいない時です。


この小説は昭和30年に映画化をされており、監督が渋谷実、主演がなんと岡田

英治、ほかに、香川京子とか、山田五十鈴さんの名前も見えます。音楽が黛敏

郎、そして、考証が「広辞苑」の新村出(しんむら・いずる)氏。新村氏は南蛮文

化、キリシタン研究でも有名です。なお、この映画はカンヌ国際映画祭で上映さ

れたそうです。テレビ化もされています。


近くの、ビデオレンタル、ツ○ヤさんに借りにいったら、予定どうりありませんで

た(田舎だから)。


さて、芥川龍之介はキリシタンについて多くの小説を残しています。その中で、

「おぎん」という短編小説を書いています。大阪から父母とともに長崎に流浪し

きます。父母は亡くなり、キリシタンの、ジョアン孫七に引き取られ、育てられ

が、孫七夫婦と共に捕まり、焚刑になりますが、直前に、おぎんは「わたしはおん

えを捨てることに致しました」と言い、その理由は


「わたしはおん教えを捨てました。訣(わけ)はふと向こうに見える、天蓋のような

松の梢に、気のついたせいでございます。あの墓原の松のかげに、眠っていらっ

しゃるご両親は、天主のおん教えもご存じなし、きっと今頃はいんへるの(注:地

獄)に堕ちになっていらしゃいましょう。それを今わたし一人、はらいそ(注:天国)

の門にはいったのでは、どうしても申し訣がありません。わたしはやはり地獄の

へ、御両親の跡を追って参りましょう。どうかお父様やお母様は、ぜずす様や

マリヤ様のおそばへお出でなすって下さいまし。その代わりおん教えを捨てた上

は、わたしも生きてはいられません。・・・」


なお、妻は孫七のお供はするが、それは天国に行きたいからではなく、ただ、お

供をしたいだけだと。


要するに、妻も、イエスの教えを理解しているのではなく、夫の供をしたいだけだ

ということです。これを聞いて、孫七はついに堕落(棄教)してしまいます。


読んで見ると、日本人の宗教感、家族の繋がりの違いが、キリシタンとは違うの

がよく分かります。


もう一つ、「おしの」という短編小説もあり、これも、日本人とキリシタンの価値観

の違いがよく分かり、これも「青空文庫」で読めます。



【追伸】

「踏絵」之事④~踏み絵の歴史を載せましたが、これに寛永六年説がありまし

た。


「長崎実記同根元記合書」。これ、実は私が参加している、古文書研究会が出版

されたものに書いてあり、すっかり見落としていました。


「寛永六己巳年長崎奉行水野河内守様変わりとして・・・」で始まる文章で、島原

藩主松倉豊後と新奉行が会い、キリシタン弾圧の一つとして、雲仙の地獄責め

の事を話しますが、「・・・宗旨を改メ釈門尓人墓を祭り佛像を拝し正法に成候に

絵を踏セらる是より踏絵始る」とあり、寛永六年説もあるということです。


今回は、片岡弥吉氏の「踏絵・キリシタン」と、長崎文献出版の「長崎文献叢書」

に世話になりというより、ほとんど、引用させていただきました。ありがとうござい

ました。


ところで、「長崎文献叢書」は、全10巻で廃刊になっていて、入手も困難なので

すが、10巻揃いで、某古書店に売ってあるのですが、これが、20万円。二週間

ばかりどうするか、悩んでいます。


まあ、酒もだめ、バクチもしない、女にはもてない・・・せめて本代だけは自由に、

思ってはいるんです・・・・・が・・・・




2015年6月24日 (水)

「高山右近」マニラに泣く~「踏絵」之事★ちょっと一服、番外編

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「踏絵」の事にハマッてしまい、会を重ね、今日最終回を、と思っていたのです

が、資料が揃わず、チョット一服。


新聞記事は、23日の長崎新聞記事。今年が高山右近の没後400年の記念の

年で、日本カトリック司教協議会で、大名の位を捨てて、信仰に命をささげた殉

教者として、福者(カトリック最高崇拝の対象が「聖人」、その前段階が「福者」)に

申請。


ローマ法王庁が認定する手続きを了承し、枢機卿が会議で認定。法王の承認を

経て来年、「列福式」が日本で行われるそうです。


私の没後400年、誰が覚えているかと思うと、寂しくもあります。もっとも、
極楽で

キレイなおねえちゃんと遊んでいるでしょうが。


高山右近と言えば、名前だけは、誰でもご存じだと思いますが、世界史を取っ

て、日本史に弱い方は→こちらをクリック


「踏絵」のことを「長崎縁起略」で調べていたら、高山右近のことが書いてありまし

たので、ご紹介を。


高山右近は、号が南坊等伯(みなみのぼう・とうはく)。キリシタン大名でもあり、

お茶の方でも、利休の高弟、七哲の一人です。七哲は、蒲生氏郷、細川忠興(三

斎)、古田重然(織部)、芝山宗綱(監物)、瀬田正忠(掃部)、高山長房(右近/

南坊)、牧村利貞(兵部)だそうです。私、お茶はしないので、よく分かりません

が・・・・・コーヒーはしますが cafe。オンナの子は、最近失敗しましたから、しませ

ん。


この高山右近は、キリシタン禁教令が出ているにもかかわらず、棄教せず、徳川

家康によって国外追放をうけます。高山右近は、長崎まで下向。


「右の外諸國之伴天連長崎の伴天連共(人数)百余人慶長十九年十一月上旬

に唐船造りの船一艘に乗組せ 浦五嶋町波戸口より出帆有しハあハれむへし

(あわれ成哉) 是等の輩数万里の波濤越渡りて生國を捨て 知らぬ國の土地と

ならん事浅ましき次第なり・・・・・・・南蛮西洋國と申ハ呂宋(注:ルソン)アマカハ

(注:天川・マカオ)之邊なり 杳の後松倉豊後守(注:島原藩主)より万屋町糸屋

右衛門と申者故ありて西洋國に渡り 南ノ坊(注:高山右近)に對面茶ノ湯等

致しけるに 七十余歳(64歳?)迄存命有しとかや 邪宗門に落入し事返すが

すも無念の泪(注:なみだ)かハく間もなきとの事共隋右衛門帰朝して物語致

せし也」(下線は、私)


とあり、高山右近さん、涙が乾く間もなかったといいますから、どうも、キリシタン

に入ったことを後悔し、日本が恋しかったのでしょうか?


最もこの「長崎縁起略」の副題が「正覚寺隠居蓮池院会釈聞書」となっています

から、どこまでがホントの話か、私には保障できません。


ウィキペデアでは、「船旅の疲れや慣れない気候のため、老齢の右近はすぐに

病を得て、翌年の1月8日(1615年2月4日)に息を引き取った。享年64」とはなっ

ているのですが・・・・ネ


(参考・引用:「長崎文献叢書・長崎縁起略~校訂 丹羽漢吉」より)


「踏絵」之事⑤~キリシタンの踏絵について

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     (「江戸時代のお触れ~藤井譲治」より)


1661年(寛文元)年のキリタン禁止の高札だそうで、禁教令は何回か出されて

いますが・・・


「定」として、「幾里志丹宗門之事 累年御禁制たりといへ共・・・・・」と書いてあり

途中に、この間書いたように、「伴天連の訴人 銀三百枚」「いるまんの訴人 銀

弐百枚」・・・・・・と書いてあります。


この、絵踏みは、かなり厳しく、平戸藩の「宗門改手鏡」には、7つの心得として


キリシタン絵踏仕様之事

一 来かかりに仕形なく踏可申事(注:仕方なくは形式ばらず踏むこと)

一 頭に何にてもかぶり申間敷事(注:かぶり物をしてはならない)

一 手をくみ、踏み申間敷事

一 腰をかがめ、時宜仕るべからざる事(注:時宜はお辞儀)

一 足袋をはかず、徒足にて踏せ可申事(注:裸足で踏ませる事)

一 口のうちにてつぶやき、踏み申間敷事

一 踏み絵時、空見脇見仕り間敷事


と書いてありますが、腰を屈めると、祈るような形になりますが、腰が曲がっ

た、さま達はどうしたんでしょう?


隠れキリシタンにとっては、絵踏みをすれば、聖像を踏みつけるわけですから、

心が痛み、あるは、転び伴天連になるわけで、少しでも心の痛みが、薄くなるた

めにでしょうか、


「せめてもの心遣いは、踏み絵の聖像にたいする敬意を何ら
かの形で表現す

ことであった。

 浦上のキリシタンたちは、絵踏み場に出ていく子供たちに『できるだけ軽く踏め

よ』と教えたという語り草がある。」、また、絵踏みの時は、足をよく洗い、足の裏

の油が、踏絵の御影につかないように心がけたり、天草では、「役人に見えない

うに、足のウラに紙をはりつけて絵場所に行ったことについて、語り草が残って

いた。」そうです。


なお、同じく天草の話ですが、2005年1月1日の、島原新聞に、島原城資料館

学芸員の、松尾卓次氏の記事で、「踏み絵は爪を立てて踏み 足を洗った水を

ただく」とあり、「・・・踏絵の時は爪を立てて踏み、宿へ帰り直ちに足を洗い、そ

水を戴き飲み候由。しかれども本尊を踏み候故、信心仕り候ても何の奇特こ

なしと申すことに申し伝え候・・・・・」ということだったそうです。


なお、天草の今富、崎津、大江、高浜、四村の五千人あまりがキリシタンだと

レますが、1805(文化2年)に、「宗門心得違者」として摘発されています。島

原の乱は1637(寛永14年)から1683(寛永15年)です。確か、小説ですが、

この間の事情は、「天草回廊・隠れキリシタン★天草回廊記~示車右甫著」に書

てあった記憶があります。


なお、踏絵は「日米修好通商条約」、正式には「六月十九日調印日本國亜米利

加合衆國修好通商条約并貿易章程」で、「江戸に於いて調印万延元(注:

1860)年四月三日華盛屯(注:ワシントン)に於て批准書交換」とありますが、


第八条に、

「日本にある亜墨利加(注:亜米利加・アメリカ)人自其國の宗法を念し禮拜堂

(注:拝礼堂)を居留場の内に置も触りなく并に其建物を破壊し亞墨利加人宗法

を自ら念するを妨る事なし

亞墨利加人の堂宮を毀傷する事なく又決して日本神佛の禮拜を妨け神身佛像

を毀る事あるべからす

双方の人民互いに宗旨に付いての爭論あるへからす長崎役所に於いて踏繪の

仕來りは既に廢せり


という事で、「既に廢せり」と書いてありますが、長崎では、「浦上三番崩れ(安

政3(1856)年」等もあり、外国人に物議をかもしだすという事で、出島蘭館長ド

ンケル・クルチウスがそれを案じ、奉行にキリスト教の信仰の自由と、評判の悪

い「踏絵」を廃止することを力説し、長崎奉行が事情を幕府に伝え、安政四

(1857)年に「来たる安政五年正月から絵踏みを行わない。仕法替えのことは

追って申し渡すであろう。」と通達していますから、条約以前から、長崎では「絵

踏」はなくなっていることになります。


が、キリシタンについては、明治になっても、浦上四番崩れなど尾を引いていくの

ですが・・・・・


(参考・文引用:「踏絵・かくれキリシタン~片岡弥吉」「島原新聞」等より)


2015年6月22日 (月)

「踏み絵」之事⑤~踏み絵之日・その他之事

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    (「長崎古今集覧名勝圖繪~越中哲也注解」より)


上の絵は、行列の後を見れば分かりますが、これ、昔の門松です。という事は正

月になるのですが、説明に「遊女の絵踏」として「本図の上に貼り紙があり『正月

五日より八日迄ここ踏画、踏絵』とある。丸山遊女は正月になると町内の乙名屋

敷まで、美しく着飾り、供を連れて踏絵に行った。それは丸山名物の一つになっ

ていた。」と書いてあります。


片岡弥吉氏の著書によると、「絵踏衣裳で、世に有名だったのは、丸山遊女たち

のそれであった。長崎の金持ち粋人達はもちろん、オランダ、中国との貿易に関

していた五ヵ所商人(京都、大阪、堺、江戸、長崎)の裕福なものや、唐館にい

る中国人、出島のオランダ人など、競って絵踏衣裳を馴染みの遊女に送ったと

いう。・・・・・丸山町の絵踏みは正月八日であった・・・遊女の絵踏見物が、その

日の呼びものになった。丸山には人々が雑とうし喧嘩になることもあった。」とあ

ります。なにせ、長崎人は祭り好きですから。


なお、この衣裳を着飾った事については、「一つには多くの人出があり店も立っ

てお祭りムードに包まれたこと、二つには絵踏役人に対する敬意によるものであ

ったと思う。しかし、また絵踏行事すなわち、キリシタン検索の厳しさを意識させ

るための、為政者の意図からそう仕向けられたと考えられる。」と書いてあります

が、この絵踏みの方法は丸山の事で、郡部では違っていたようです。また、「他

藩とも踏絵場での衣裳に制限を付けていた。」とも書いてあります。


長崎は、町民全員がキリシタンであったそうで、なおさら、目立つようにする必要

があったのではないでしょうか?


なお、大村藩(他の所もですが)での費用は、筆紙墨代、帳書賃、絵持賃、
給仕

人賃、油ローソク代、出役地役賄代、諸色代夫方賃等の費用がいりますが、こ

れは、村の出費で、各家庭の分担になります。


また、美濃国安八郡西条村の庄屋日記に、宗門改の時の役人の接待の費用が

書かれていますが、二日間で四回の食事で、今の費用で二十五万くらいかかっ

たそうです。朝、昼、晩とも酒が出されています。


横着なことに、この役人「右ニテハ不馳走之心持ニ候間、追々ハ今少しキバリ可

申事」と書き添えられ、その3年後には、四十匁ほどプラスして、鰻、鰹、車海

老、いかなども加えたそうで、また、なお「お定まりの菓子を添えなかったところ

立腹の様子で、慌てて菓子料として二百文を包んだ。・・・・・その際定例の卵の

土産物を下役にわたすのを失念したため、後に催促の督促状が届くという一幕

もあった。」そうです。(「庄屋日記にみる江戸の世相と暮らし」~成松佐恵子著)


いま、南串山庄屋日記の解読が進められていますが、役人に対する接待は同じ

ようもので、絵踏、宗門改、検地、検見等の時、多分どこでも同じようなものだっ

た事が伺えます。




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