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2015年6月7日 - 2015年6月13日

2015年6月13日 (土)

「五色の舟」~漫画・近藤ようこ 原作・津原泰水

Img_20150613_0001 Img_20150613_0003_2

「五色の舟」。「文化庁メディア芸術祭漫画部門・大賞受賞」と書いてあり、文化庁

が漫画とは、まあ、時代は変わったなと思いつつ買ってしまいました。


昔は、漫画を読んでいると、「そんなもんばかり読んで」と怒られたのですが・・・

読んでみて、まあ、なんと言いますか、独特の画風と話の展開ですが。


時代は戦中。5人家族の旅芸人。ただし、血の繋がりはありません。

父と母は足に、兄は力があるが背が低く、姉は体に、そして主人公は手に、各々

障碍を持っていますが、それを売り物に、見世物にしているわけです。この5人、

普通の家庭より、お互いに助けあって生活をしています。


これに、5人の保護者とも言うべき、医者の犬飼先生がからみ。そして、5人は岩

国まで、人と牛のあいのこの「くだん」を買いに行きますが、この「くだん」が、5人

の運命を変える能力を持っていると、まあ、説明だけでは、分かりにくいのです

が、普通の漫画と違い、はやり「文化庁」の大賞を受賞した漫画ですね。


この絵を見て、思い出したのが、つげ義春。一時、ブームになりましたが、これも

なんともいえない漫画でしたが・・・・「無能の人」は、私がモデルみたいですが・・


近藤ようこさん、何となく気になる漫画家なので、もう一冊、説教節で有名な、「説

教 小栗判官」を頼んでみました。少し変わった漫画が読みたい方は、ご一読

を。折口信夫×近藤ようこで「死者の書」を、描いているようですが、これも、出版

されたら、読んで見ようかな?






2015年6月12日 (金)

弥勒寺跡線刻不動明王~大村市弥勒寺町

5_3 2

多田隈豊氏の「九州の石塔 上巻」に、ここの線刻不動明王像の事が載ってお

り、氏の本には「弥勒寺自然石図像板碑(不動明王)(鎌倉)」で、説明には「これ

程の名碑がこれまで未紹介のまま放置されていたのは寧ろ不思議である。

諫早市西ノ郷梵字三尊碑と共に長崎所在碑塔と共に長崎県所在碑塔の双璧と

言ってもいいだろう。」と書いてあり、また、新聞、TV等で、線刻が見にくいため、

横の看板に線をなぞったものを描いてあるとか、年前報道があっていたので、

大村の病院に行ったついでに・・・・


とは思ったものの、雨は降るし、おまけに雷まで鳴り出すわで、どうしようかと思

ったのですが、まあ、ケセラセラ、という事で、雨の中を。


最初に、以前紹介した「
夢ファームシュシュ」にも線刻図があるとかで、寄ってみ

ました。場所は、「夢ファームシュシュ」の駐車場の横。「下八竜」。

Photo 2_6

雨に濡れてほとんど分かりませんが、大体四角に囲んだところ。

横の看板に、図が描かれていました。○印の所が、お顔にあたります。

4 6

看板の説明によると、「この石物は弥勒寺の字『下八竜』にある。」という事で、

「仏の形は一見すると如来仏像系統に見えるが、光背も蓮華座もなく、納衣の

下に手を拱手している姿は神像または神仏習合像を表しているとも言われ正確

には不明である。・・・・全国的には珍しいと言われている」とあります。

ただ、場所は「夢ファームシュシュ」が出来た時、ここに移されてきたそうです。


「下八竜」があるなら、「上八竜」もあるなと思ったら、なんと、線刻不動明王像が

ある、弥勒寺町公民館の一番奥にありました。

Photo_2 2_7

これも、雨でみえにくいのですが

5_7

説明版に載せてある図ですが、場所は他のところから、持って来ているそうで

す。


これも、「下八竜」と同じく「神仏習合像を表しているとも言われ正確には不明で

ある。」という事で、この場所一帯を福重地区と言いますが、この形式の線刻石

物が十三体あり、これだけ集中している所は全国的には珍しいそうです。


弥勒寺町公民館の前です。

馬頭観音、額束、火袋、敷地内にもいろいろ置いてあり、多分、道の改修、圃場

整備等のときに持ってきたような感じでした。

Photo_5

真ん中の石塔が、線刻不動明王、一番上の写真になりますが、雨でほとんど見

えなく、近くで写すと、こんな感じで、

4_4

説明には、「この不動明王は鎌倉時代中期の作と言われている。高さ約170セ

ンチ、横幅約80センチの自然石に精密に線刻されている。頭上には火焔を頂

き、岩座にあぐらをかいて座って右手に剣、左手に索をもち、片目でカッとにらみ

つけている姿である。腹部などが特にきめ細やかな線で彫ってある。・・・・・」


ここで、思い出すのが、諫早の富川渓谷の五百羅漢。 時代は違いますが、何と

なく、影響したのかなという感じ。


なお、ここは、大村市教育委員会で「史跡 弥勒寺跡」に指定されています。

明版では「現在、弥勒寺公民館が建つこの周辺が、中世に郡(こおり)七山七

十坊の一つとして栄えた弥勒寺の跡である。・・・・天正二年(1574)キリシタン

により焼失した。・・・・・」とありました。


なお、他にもいろいろ残っているらしいのですが、豪雨のなか、如何ともしがたく

戻って来ましたが、天気の良い日にもう一度、と思っています。線刻画は優雅で

繊細で、美しいものでした。


雨の中、傘を片手に写真を撮ったので、写真が良く分からなかったと思います

が、ご容赦のほどを・・・ o(_ _)oペコッ


なお、説明版には全部「弥勒寺町内会・福重地区活性化委員会」と書いてあり、

地域の皆さんで、お世話をされているのでしょうか、頭が下がる思いでした。




2015年6月11日 (木)

「週刊誌」~飛ばし読み

Img_20150611_0003 Img_20150611_0004

さて、昨日のブログ、誤字脱字、言い間違えが多く、読み直すとひどいですね。

あとで、又修正をしますが・・・


昨日は例の古文書研究会のお勉強で、大体、学校の授業の勉強は、睡眠時

で、真面目に勉強したことがなく、2時間みっちりのお勉強は疲れてしまって、

夜はもうガックリ。で、間違いが多かったのですが。


左の字読んでください。読めますか?「犬の糞」です。右に辞典からの、くず
し字

を並べておきますが・・・

     Img_20150611_0001_2         Img_20150611_0002

この字、見事に読んだ方がおり、皆さん大喝采でした。


「次は、あなた読んでください」と言われましたが、読めませんよ。まだ、四回目程

度の参加ですから。でも、なんとなく、目が慣れてきたという感じはしますが。


さて、今日も昨日の疲れを残したまま、大村の病院へ診察に。病院はいいです

ね。軽い病気ならですが・・・かわゆい看護師さんに、手を握ってもらったり、さす

ってもらったり、もっとも血圧測定と、採血の事ですが。


ところが、採血の時、1回で
は採血できず、2回針を刺しまして、「すみません」

「いいですよ、いつものことだから」「心の広い方で良かった。怒る人がいるんで

すよね」、言われるように、私は「心の広い人間」です。


さて、病院は待ち時間が長いので、その間、週刊誌を2冊ばかり、飛ばし読み。

いつもの「週刊現代」「週刊ポスト」。


「週刊現代」。「『日本株』6月18日に起きること」。なにが、起きるか楽しみです

ね。「当たるも八卦、当たらぬも八卦」。私、株はやってませんから、パス。


「悪いのは日本か韓国か、はっきり言おう」。言っているのは、前駐韓日本大使、

武藤正敏氏。韓国の大統領が朴政権になって悪化しました。韓流ブームで良い

関係だったんですが・・・何とか、ならないんですかね。「朴槿恵の『性格』が問

題」。


「年金番号」より怖い次はマイナンバー流出」。前にも、書きましたが、本当に「マ

イナンバー」は便利だけど、怖いですよ。内閣官房社会保障改革担当室曰く、

「漏洩は想定せざるをえない。職員が故意に情報を漏らした場合には罰則を設

けています」。とぼけたこと言うな!「職員が故意に情報を・・・」、「罰則」でなく

「死刑」でしょう。それくらいしないと、漏らすのいますよ!以前にも漏らしたのが

いるし。私も、歳のせいか、少々漏らし気味。


「60歳以上の夜に悩むあなた必見!凄すぎるサプリが新発売 想像を超える奮

起力」。お相手ができれば、試してみますが、多分できないな。カミサンですか?


昔、こんな話を書きました、お茶目な甥が、伯父様に聞いたそうです。「おじさん、

いまでもやってますか?」「失礼な事言うなよ。月に2,3回はやるよ」「お相手は

おばさまですか?」「もったいない。」


まえのは、宣伝でした。今度は記事です。「かならず立つ!われらが救世主、第

4の勃起力『ザイデナ』はバイアグラより凄い」。試さないと、分からないでしょう。


「週刊ポスト」です。これ読んで腹立ちますね。「日本にはびこる『マスコミ特権』

は世界の恥だ」。例のNHK会長ですね。「政府が右と言っているものを我々が左

いうわけにはいかない」。何のためのマスコミですか?視聴料の支払いを考え

ています。


「総理大臣と大新聞・テレビ幹部『ベッタリ会食』完全リスト」。読売新聞グループ

会長、毎日新聞社長、産経新聞会長、報道各社の記者、フジテレビ会長、日本

テレビ社長、時事通信社解説委員等、てんこ盛りです。これで、スクープが取れ

れば文句はないのですが、リストだけでも立ち読みして下さい。これでは、まとも

な報道は出来ないでしょう。


両誌、宮家のことがでていますが、昔、某宮様が落語を聴きに来て、落語家が出

てくる時の出囃子。各落語家でそれぞれの出囃子が違います、と言ったところ、

「それでは、私の出囃子は『君が代』だな」と言われたそうです。もちろん冗談で

言われたそうですが。


最近地震が増えているようで、「MEGA地震予想」またも的中。この地震予想、メ

ルマガで配信しています。有料ですが、私の所にも配信があっており、6月地震

予想で、「要警戒地域(震度5以上の地震が発生する可能性が極めて高い所)

が、南海、東南海地方、北信越地方(岐阜県飛騨地方を含む)。要注意地域(震

度5以上の地震が発生する可能性が高い)」。この要注意地域に「長崎県周辺」

とあり、避難用の準備品がそろそろ必要かな?


「年金情報漏洩ー首相と厚労相の”他人事”コメントが許しがたい。」

安倍首相「国民の大事な年金だ。受給者のことを考え、万全を期するように、塩

崎(恭久)厚労相に指示した。・・・・」。その上日本年金機構職員の処分について

「まず真相究明が大事」(塩崎氏)。大体、職員がパスワードをかけていなかっ

たのが問題だったのでは?職務怠慢で処分ものです。


蒸し返しますが、「消えた年金は最後の一人まで支払う」といったのは、安部氏。

あれどうなったんですかね。社保庁から年金機構に変わりましたが、悪くなるば

かり。


いずれもしても腹が立つので、綴じ込みのグラビアでも開いて楽しみましょう。

「苦しゅうない、もう少し見せてみよ。」






2015年6月10日 (水)

「温泉(うんぜん)」から「雲仙」へ 蛇足(だそく)でおしまい

Photo_2

雲仙のゴルフ場。多分昭和2年くらいだと思います。最も古いパブリックコース

で、1913年(大正2年)。神戸ゴルフ場に次ぐ、2番目の古い歴史があるそう

で、向こうの小屋みたいなのが、レストルームです。


ゴルフ場というより、「グラウンドゴルフ場」みたいですが・・・どちらも、ゴルフが付

きますが。


今日は蛇足です。

【1】

この「雲仙国立公園」は1956年、天草地区を編入し現在、「雲仙天草国立公

園」といいます。


雲仙は昭和9年に、国立公園に指定されますが、それ以前の昭和3年、史跡

名勝天然記念物法に基づき、3月31日付け、内務省告示第77号により、温泉

岳が名勝地に指定されています。雲仙は2つの省庁で「国立公園」と「史跡名勝

記念物」に指定されているわけです。


「史跡名勝記念物」としては、現在、文化庁に管轄になりますが、文化庁の指定

等文化財データーベースでは、指定年月日が昭和3年3月313日、特別指定

年月日が昭和27年3月29日、追加年月日が昭和27年11月22日。

そして、なんと、名称が「温泉岳」、ふりがなが「うんぜんだけ」。


環境省では「雲仙天草国立公園」として、紹介が「1934年(昭和9年)3月16

日、日本で初めての国立公園として雲仙国立公園として誕生しました。・・・・」

省庁で違うんですね。


文化庁国指定等データーベースは→こちらをクリック

環境省公園紹介は→こちらをクリック


【2】

「雲仙お山の情報館」でいただいた資料に「九州郵趣」という、機関誌をいただき

ましたが、その中で、「・・・『肥前国温泉』と云う丸一型印が36年9月11日付け

で褐色菊3銭の切手単片に発見されていたのです。」とあり、雲仙の郵便局の設

置が明治32年ですから、36年というと、明治の事でしょうが(大正は15年まで

です)、「肥前国」と切手に押してあったとは、時代を感じます。


この方、「温泉」を「うんぜん」と読み切れず、「局名の位置づけには全く困りはて

てしまいました。」ということだそうです。


なお、別の機関誌には、「最後に、クイズめいた事になりますが、『温泉』の読み

方です。普通はオンセンと発音するのが当然ですが・・・・・この局の場合はウン

ゼンと呼びます。32年告示二百二号、33年告示二百十六号、同二百九十七号

はっきりと局名の所にウンゼンとふりがなが付けてあります。」ということで、や

り、遠方の方には、「温泉」は「うんぜん」と読めないみたいで・・・・


ただ、今になれば、「温泉温泉」の方が、何となく面白そう
で、利用すれば、地域

の活性化になったかも、ですね。


【3】

kanageohis1963さんから下のようなコメントをいただきました。


「地理院地図」で御指摘の場所を確認してみました。


http://maps.gsi.go.jp/?ll=32.758389,130.289204&z=15&base=std&vs=c1j0l0u0

これですと、「雲仙岳」と大きな字で書いた左側、つまり西側に史跡記号が描か

れ、その上に「温泉岳(特)」と記された上でルビが「うんぜん」と振られています

ね。今でも地名の一部に名残があるということになるのでしょうか。


地図を動かしてみてください、吾妻岳、鳥甲山の間にも「温泉岳」があります。ま

た、髙岳、絹笠山あたりを見てください。こちらにも「温泉岳」があります。こちらの

方は「うんぜん」と仮名が振ってあります。


私も、国土地理院の地図を調べたのですが、「雲仙岳」付近に「温泉岳」は、こち

らには載せてありません。

Img_20150610_0002

平成新山が描かれていますから、古い地図ではありません。もう一ヵ所あったの

ですが、地図によっては「温泉山」との表記もあります。


指摘のあったところは、吹越と言うところから、妙見岳から国見岳の稜線に出る

山道で、ここは、何回も登ったことがあるのですが、あの頃は、文化財に興味が

無かったせいなのか、覚えがありません。


なお、伊能忠敬の日記に、魚洗川(いわれご)から田代原に至るところに、「温泉

堂、行道二望」と書いてあります。ただ、「温泉堂」といっても、千々石の所に「右

ニ薬師堂」と書いてあって、確認に行ってみたら、小さな石祠でした。多分「温泉

堂」も同様だと思われます。「温泉岳(山)」に、何か関係がありそうなのですが。


残念ながら、ここもそうですが、他の「温泉岳」
も登れそうもなく、私も気になって

いたのですが・・・若ければ、無理して登るのですが・・・


指摘のあった地図が一番新しいと思いますが、「温泉(うんぜん)」とあるのは、

文化庁に配慮したのでは?


【4】

今日、何気なく、井上通泰氏の「肥前風土記新考」を読んでいたら、「・・・温泉は

ウンゼンと唱ふ。温の一音ウンなり。温氣・温病・温州蜜柑などのときにもウンと

唱えてオンと唱えず。雲仙とも書くは字を更へたるのみ」と書いてありました。


考えれば「温」は「ウン」とも読めます。「仙」は発音の問題で、「三千円」は「さん

せんえん」では無く「さんぜんえん」。「千」を漢字辞典で引いても、「ゼン」の読み

方は無く、それなら、「温泉」を「ウンゼン」と読んでもいいのではないか?


「温泉」は「おんせん」とばかり思っていたのですが、考えれば、ちゃんと「うんぜ

ん」とも読めるんですね。


と、まあ考えればキリが無く、これにて「ウンゼン」の件は終了。


ながながと、お付き合い、ありがとうございました m(_ _)m



2015年6月 9日 (火)

「温泉(うんぜん)」から「雲仙」へ その二

2

さて、昨日、長崎県衛生公害研究所(環境保健研究センターの旧名称)から発行

の「雲仙・小浜温泉誌」(1989年・平成元年版)を精読していたら、詳しく書いて

あるのですが、長くなるので、かいつまんで書くと


明治44年(1911年)3月31日付、県告示第200号で4月1日より「県営温泉公

園」とする旨の公示がおこなわれています。


その後、昭和2年に「日本新八景」山岳の部で1位に入賞。

昭和3年に「史跡名勝天然記念物法」に基づき、名勝地に指定。


なお、その間、「『雲仙』は古くから峰の湯という事で『温泉(うんぜん)』の文字が

使われいた。昭和2年の日本新八景指定でも『温泉(うんぜん)岳』であり、昭和

3年の名勝指定でも『温泉(うんぜん)岳』であった。但し文人墨客のあいだでは

でに『雲仙』が使われていたし、『温泉(うんぜん)温泉』では他県の人々には

用しないので、昭和2年の県議会でも論議された。昭和2年に8月に県は門司

道管理局に対し『雲仙』の使用を正式に通知した。

『温泉温泉』が『雲仙公園』になったのは国立公園指定以後である。」とありま

す。


門司鉄道管理局に「雲仙」の使用を通知したのは、多分、旅行案内等の表記に

「温泉」から「雲仙」に変更するような目的があったと思います。


なお、昭和9年に国立公園になるまでは、「県営温泉公園」で昭和9年から「国立

雲仙公園」になりますから、昭和2年頃から、「雲仙(うんぜん)」が使われはじ

め、昭和9年から正式に「雲仙」に変わったのではないかと思われます。考えて

みれば、他県の人には「温泉温泉」では、どこのことか分かりませんね。


なお、国立公園指定の経過につては、「九州では雲仙か阿蘇か」という状態で、

紆余曲折を辿りながら、「昭和7年9月、国立公園委員会制定小委員会が候補

地12ヶ所を選定、翌10月委員会総会で可決した」そうで、昭和9年3月内務省

によって正式に国立公園の指定をうけます。下はその時の官報で、

Photo

四角のところ、「内務省告示 國立公園法第一条ノ規定ニ依リ左ノ通區域ヲ定メ

雲仙國立公園ヲ指定ス其ノ區域ヲ表示シタル圖面ハ内務省及長崎縣、其ノ町村

圖ハ左記町村役場ニ備付ケ縦覧ニ供ス」と書いてあり、縦覧場所として、下段

「長崎県南高来郡 島原町、杉谷村、三会村、大三東村、湯江村、多比良村、

黒村、神代村、西郷村、森山村、山田村、千々石町、小濱町、北串山村、南串

村、北有馬村、西有家町、有家町、堂崎村、布津村、深江村、安中村」と書い

あり、最後に「昭和九年三月十六日 内務大臣 男爵 山村達男」とあります

が、「男爵」がいいですね。お笑いの「髭男爵」ではありません。


ところで、今日、地元の若い人と話をしていて、「昔、温泉(おんせん)と書いて、

ウンゼンと読むの知っている?」「え!ウソ」という事で、元気無くしました・・


遅くなったので、今日はここまでで、明日は、しつこく蛇足の話です。おつきあい

のほどを・・・・( ̄▽ ̄)


忘れていました。一番上の写真、国立公園の内定を祝った時の時の写真だそう

ですが、説明には「多分島原駅前ではないかと思われる。」と書いてあります。


雲仙で、昭和7年に開かれた「雲仙國立決定紀年祝賀 島原郷土史料展覧會」

の写真です。

 Photo_3 Photo

もう一つおまけに、当時の長崎駅の写真です。

Photo_4

下に、「Nasaki Railway Station」と書いてあります。



(参考・引用・写真:「雲仙・小浜温泉誌~編集・長崎県衛生公害研究所 発行・

小浜町」「雲仙~雲仙岳後援会・昭和2年発行★国立国会図書館デジタルコレク

ション」より)



2015年6月 8日 (月)

「温泉(うんぜん)」から「雲仙」へ その一

Photo

これ、土曜日に出した「雲仙國立公園決定紀念祝賀 島原郷土史料展覧會」の

品目録です。→土曜日の分はこちらをクリック 


でまあ、私もボンヤリしている方ならいいのですが、気が利く方で、四角で囲んだ

所、期日が「自昭和七年十月二十二日 到昭和七年十月三十一日 十日間」、

「雲仙國立公園決定紀念祝賀」と書いてあることに気づき???? 


雲仙の案内では、昭和九年、国立公園になって「温泉(うんぜん)」から「雲仙」

変わったと説明を受けたのですが、いつ、どうして、「温泉」から「雲仙」に変わ

ったのかという事で、昨日、今日とあちらこちらを調べ回りました。まず、「雲仙お

山の情報館」に寄って、N氏と話をしていると、島原半島を調べている方がやって

来られ、半日ばかり情報交換。結局は詳しい事は分からなかったものの、貴

資料をコピーしていただきました。


日本温泉協会から発行されている「温泉」には、「特集 温泉信仰とは」と載せて

り、温泉地にある主な神社が、全国で45ヵ所、そのうち「温泉神社」「温泉寺」

というのが10ヵ所ばかり、ただし全部「おんせん」と読み「うんぜん」とは読みま

せん。


さて、雲仙については「和漢三才図会」(寺島良安著 江戸中期の本の類書、百

事典です)の「地獄」の所に、「日本有地獄皆高山ノ嵿(イタダキ)常焼温泉不

絶若肥前温泉 肥後鶴見 肥後阿蘇 駿河富士 信濃浅間・・・・」とありますが

「肥前温泉」はもちろん、「雲仙」のことです。最初に書いてあるところを見れば、

この頃から有名だったことが分かると思います。


なお、「雲仙お山の情報館」に写真が飾ってあり、昭和2年に、大阪毎日新聞

社、東京日日新聞社共催、鉄道省後援で、投票で「日本新八景」を決めたそうで

すが、山岳の部で一位が雲仙、二位が木曽、他の部門で、渓谷が上高地、瀑布

が華厳滝、河川が木曽川、湖沼が十和田湖、平原が狩勝峠、海岸が室戸、温泉

が別府だったそうです。

Photo_2 Photo_3

左が推薦状、右が決定通知書で「温泉岳」と書いてあり、決定通知書は、昭和

昭和2年7月3日で、この頃は「温泉(うんぜん)」といわれていたことが分かりま

す。


その後、「温泉」から「雲仙」に移った経過が分からず、考えてみることしばし、ひ

ょっとしたら、と思い出したのが、昔、「長崎県衛生公害研究所」出版した「雲仙・

小浜温泉誌」。読むと詳しく載せてありました。


昭和3年には、史跡名勝天然記念物法に基づき3月31日付け、内務省告示77

号により、温泉岳が名勝地に指定を受けています。実は、これがまだ生きてい

ているのですが、これは後で述べます。


昭和5年に内務省公園調査会が設置。長崎県は雲仙国立公園期成同盟を設立

し、指定に向けての運動を活発におこなったそうです。


「日本新八景 雲仙岳喧傳隊(?)」です。昭和5年だそうです。

Photo_4

○印の所、「仙」になって、右側が分かりませんが、多分「雲」でしょう。「温泉」

ら、「仙」でなく、「泉」になります。ですから、この頃には、「雲仙」という地名が使

われていることが分かります。


もっとも、「日本新八景 温泉宣伝隊」では、地元以外の方では、「うんぜん」
でな

く「おんせん宣伝隊」と読みますから、どこの温泉か分かりませんよね。


さて、この「雲仙・小浜温泉誌」は平成元年に発刊されたものですが、「但し、現

在でも建設省国土地理院の地図では『温泉岳』となっている。」とありますが、私

の手元にあるのが、平成10年くらいの地図だと思います。

Img_20150608_0007

ホント、「温泉岳」と書いてあります。現在が、平成27年ですから、現在はどうな

っているのか分かりませんが・・・・・


話はあと少し(ずいぶんか?)続きますので、もうすこしお付き合いを・・ m(_ _)m

 






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