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2015年5月10日 - 2015年5月16日

2015年5月16日 (土)

どちらが勝つか!~大阪府構想選挙

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不謹慎ながら、「人の喧嘩は面白い」。自分の喧嘩の時は、すぐに逃げますが。


要は、大阪市を廃止し、五つの区に分け、大阪府と大阪市の二重行
政を無くす

るための選挙だそうですが・・・


片方は、住民サービスが悪くなると良い、片方は、経費節減と言い、これ、説明

会の様子がYouTubeで見られ、面白いですよ。


週刊現代では、「『大阪府構想』橋下徹が勝つらしい」。と、橋下氏向き。


週刊新潮では、「大阪 『お笑い100万票』をむしばむ都構想という『全体主義』」

「大阪府構想:知ってほしい7つの真実」と題したメルマガを配信し、橋本氏から「

バカ」「嘘八百」「こチンピラ」と罵倒された、京都大学大学院教授の藤井聡氏と

哲学者の滴菜収氏の対談。


藤井氏は
公党(維新党)名義で京都大学の総長宛に「(藤井教授が)〈国民の税

金で研究活動を託される人物として適当なのか貴大学の考えを述べられたい〉

と記した文書を送りつけ、テレビ局にも『藤井を出演させるな』との文書を送付。」

されたそうですが、これ、喧嘩が好きな橋下氏でも、チョットやり過ぎじゃない?


二重行政では、大阪市内に、大規模な図書館と体育館が府立・市立の各ひとつ

ずつ建てられているのは有名な話。らしいのですが、長崎市内にも、県立図書館

と市立図書館があって、どちらも利用者が多く、便利しているじゃありませんか。


私が住んでいる片田舎では、図書館の蔵書冊数が少なく、3館ばかり利用して、

1館だけじゃ、どうにもできません。大阪なら、人口も多く、体育館も同じでしょう。


まあ、大阪市の事だから、もう少し「大阪都構想は本当に大阪のためになるの

か」という事を冷静になって考えてもらいたいものですが、YouTubeで見る感じ、

方とも、内心は感情的ですね。明日の今頃は、どちらが勝っているか、分かる

しょうから楽しみ。まあ、遠く大阪の事ですから、片田舎では直接関係ありませ

んが・・・


お口直しに、この間ニュースで、100歳で1500mを泳いだ、おばあちゃんがい

ましたが、「週刊文春」によれば、お一人暮らしで、水泳をはじめたのが、80歳。


ある時、大会に出て1500mを泳いで、記録が格段に悪かったので、澤田氏(コ

ーチ)が聞くと、ウォーミングアップのつもりで、直前に1500m泳いでいたとい

事だったそうです。


落語の「試し酒」と一緒ですね。酒五升を飲めるか賭をして、五升飲んだ事がな

いので、他の酒屋で、試めしに五升飲んできたという話ですが・・・


なお、1500mを、なんと背泳ぎで、1時間15分54秒で泳いだそうです。私より

い、と言いたいんですが、私、泳げません。








2015年5月15日 (金)

「阿弥陀寺(アミデジ)跡」と「無縁塚」~雲仙市千々石町 その二(おしまい)

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昨日の続きになりますが、根井浄氏によれば、石像、古碑が発掘されていると

いてあり、捜しましたが、数個の五輪の碑は見つかったものの、そんなに

わけでなしという状態。


と、もう一度読み返して見ると「その寺跡の丘上に無縁塚として整理されている」

と書いてあり、「無縁塚」については、橘中佐(千々石の橘神社に祀ってある軍

神・桜の名所として有名)の兄、橘常葉氏によって建立されいますが、行ったこと

がないので、行ってみましたが、夏草が生い茂り、オッカナイ蛇さんが出て来な

いかという状態で、小高い丘の上に、写真のような「無縁塚」がありました。

立派な塚でしたが、この塚を囲むように、五輪の塔碑、宝篋院塔。


このあたりの人に聞くと、畑を耕せば、よく出てくるとのことで、近所の方が、ここ

に集めているとのことでした。

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「無縁塚」の方ですが、写真の上段左が表、右が右側、下の写真、左が左側面、

右が裏面。


表面は「無縁塚」、右側面に「大正七年七月吉辰 橘常葉建焉」。

で、この塚、掘って出てきた碑を祀るためかと思ったら、左の方に「阿弥陀寺者

原城一揆之戦罷兵燹墓地共廃滅仍為菩提無縁塚建設」と書いてあり、千々石

らも、島原・天草の乱に行っていますから、それも合わせて、弔ったものと思わ

ます。


「千々石町郷土誌」には、「・・・・今、阿弥陀寺古跡背後の丘上に『無縁塚』とした

石碑が立ってその側に発掘されたものを陳べてある。これは橘家の先代常葉氏

の手によって大正年間に建てられた物で、往時のその霊を弔うため、また一つ

には古きを後に残すためという氏の信心より出たものである。」と書いてあります

が、「原城一揆」の事は書いてありません。多分、現場確認をしてないのでしょ

う。


この塚の存在も段々忘れられていくでしょうが、記録だけは、しっかりしてもら


たいものです。


さて、石造物専門の先生に、阿弥陀寺跡に板碑の凄いのがあるということで、近

所の方、数名に聞いたところ、これが全然分からない。知人に聞いて、やっと分

かりましたが・・・確かに、ここは気づきにくいところですが、この板碑の下の部分

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薬研彫りで、かなり深く、梵語の「ア」(胎蔵界大日如来を表す)の文字だそうです

が、パソコンで、梵語の「ア」を変換しようと思ったら、梵語は出ないんですね。

木と石塔が邪魔して良く確認できませんでしたが・・・

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とにかく、この地区に寺があったことは、たしかに確認できました。


さて、千々石にはもう一つ、「大泉寺」という寺があったそうですが、これが意外と

重要な寺であったみたいで、現在、調査中で、またいつか・・・・




 

2015年5月14日 (木)

「阿弥陀寺(アミデジ)跡」と「無縁塚」~雲仙市千々石町 その一

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千々石には、「阿弥陀寺」と「大泉寺」という寺があったといいます。今は、地名の

み残っています。


千々石は雲仙の山麓にあり、雲仙は修験道者の修行の場所であり、この「阿弥

陀寺跡」から、少し離れた所に、雲仙に行く道があり、以前書きましたが、雲仙は

女人禁制のため、雲仙に登る道の途中に、女性がそこにとどまり、読経をしたと

いう「女人堂」があったそうです。いまでは、板碑が数枚残っているだけですが、

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左の方の写真の道をそのまま行くと、雲仙の田代原キャンプ場、放牧場に着き

ます。赤の矢印が、説明版。このあたりに、「阿弥陀寺」があったといいます。


この、「阿弥陀寺」については、根井浄氏が、「修験道とキリシタンン」で次の様に

述べています。

「千々石町に存在した阿弥陀寺は、満明寺大乗院(注:雲仙にあった寺社)の末

寺であったと伝承され、地元の人々は寺跡をアミデシンと呼んでいる。一帯から

石像や古碑が発掘され、その寺跡の丘上に無縁塚として整理されている・・・

の阿弥陀寺は、伝承のように温泉山修験の里坊的存在であったものと考えら

る。」(地元では、「アミデジ」「アミデシ」の発音あり)


なお、このすぐ横の道を伊能忠敬が測量をし、「伊能忠敬測量日記」にも「字阿

弥陀寺」という文字が見えます。


さて、この寺が潰れたについては、ルイスフロイスの「日本史」に「かくして巡察師

が滞在した三ヶ月の間に、大小合わせて四十を超える神仏の寺社がことごとく

破壊された。それらの中には、日本中で著名な、きわめて美しい幾つかの寺院

が含まれていた。仏僧たちは、そのすべてがキリシタンになるか、さもなくば有馬

領から去って行った。」とあります。

この、阿弥陀寺が、その時、破壊された寺かどうかは、よくわかりませんが・・・


少し話は変わりますが、雲仙には、瀨戸石原に300坊、別所に700坊があり、

「一乗院(雲仙市南串山町)」の「温泉山縁起(温泉山一乗院開山1300年記念

誌)」には、当山(一乗院)伝わる伝説では、「・・・・満明寺(雲仙市)寺には瀨戸

に三百坊、別所に七百坊の僧坊を有する大寺であったそうじゃが、島原の乱

で仏教諸寺院はみんな焼かれてしもうた。」とあります。


別説では、雲仙に「白雀の乱」の伝承があり。二人の僧坊の小坊主が、可愛い

白雀を、貸すの貸さぬので、それが発展し、大人の喧嘩になって、寺が放火され

全滅したという話があります。白雀ではなく、稚児争い(男色関係)であったと言う

説もあります。


また、根井浄氏によれば「満明寺の乱の本質は、キリシタン伝道にからむ一山

の衆徒の内乱であったと解釈される。後述するように、天正十二年温泉山を実

見した上井覚兼は、南蛮宗のために荒廃していたと記し、白雀の乱というものに

一言も触れていないのはこの間の事情を物語っている。」と書いてあります。


さて、元に戻って、明治十二年の「千々石村村誌」には、釜蓋城の所に「
医王寺

光庵天徳寺阿弥陀寺大山寺 以上皆往時釜蓋城下ノ寺院ニシテ廃城後随テ

滅スル者唯地名ヲ存ス」とあります。


なお、大正七年の「千々石村郷土誌」には、「・・・一乗院僧侶両派ニ別レ所謂白

雀ノ乱ヲ起コシ僧兵大ニ戦ヒ坊舎七百焼盡シタルコトアリ或ハ當時の阿彌陀寺

モ其ノ兵火に罹リタルハ非サルカトニカク八百年前ノ古寺蹟タルヤ疑イナシ」


という事で、「阿弥陀寺」が廃寺になったのは、

① キリシタン大名、有馬晴信による破壊

② 「白雀の乱」に巻き込まれた

③ 城(釜蓋城)が廃城になったため、それに伴い絶滅した


と3説になりますが、③については、島原城主になった、松倉重政が元和四年

(1618)~寛永元年(1624)にかけて、島原城を築城するにあたり、島原半島

中の城の石垣を持っていっていますから、阿弥陀寺のすぐ近くにあった、釜蓋城

の石垣も全部持っていったということで、廃城になったという事です。


もっとも、元和元年(1615)には武家諸法度で、いわゆる一国一城の令になっ

ていますから。島原半島は島原藩の島原城だけになるわけですが・・・・


さて、一番上の写真が「無縁塚」といわれるもので、橘中佐の兄、橘常葉氏が建

立されたものですが、明日はここらあたりから・・・



(参考・引用*「修験道とキリシタン~根井浄著」「山岳修験 30号」「千々石郷

 土誌」「伊能忠敬測量日記」「完訳フロイス日本史10 松田毅一・川崎桃太 

 訳~中公文庫版」「温泉山縁起(温泉山一乗院開山1300年記念誌)」) 

  

  (注:当時は「温泉」と書いて「ウンゼン」とよんでいました)









2015年5月13日 (水)

クリスタルチューナー~実験中

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今日は、古文書研究会への参加三回目で、まあ、皆さん5年ばかりの経験者。し

かも、実際の古文書(庄屋日記)を解読していくのですから、ついて行くのだけで

も、大変。


でも、三回目ともなると、何とか分かる部分も少し広がり、詳しい方が、その時代

の村の組織、様子、税金のかけ方、寺社の事など説明をしながらですから、昔

生活の様子がよく分かって、面白いですね。


ローカルな場所の記録ですが、他村の文書などと比べていけば、その時代の様

子がもっと良く分かるでしょう、と言いながらも、疲れました。


さて、今日は、少し流行っている「クリスタルチューナー」です。上にあるのが、

チューナー、いわゆる音叉で、楽器をされている方は、ご存じの通り、普通は

440Hzになっていますが、このチューナーは、4096Hzという高い音のチューナ

ー。


下にあるのが、水晶で、チューナーに打ちつけて、音をだし、あらゆる物を浄化

し、ヒーリングの効果があるそうです。


が、私、この手の物は、昔から興味があり、買いましたが、随分宣伝とは違うとこ

ろがあり、まあ、又あの手の物か、と思っていたら、この本の中で、

Img_20150510_0001_2 Img_20150510_0003

「10万ヘルツはなぜ心地よいのか?」というのがあり、要は、人間の音の聞こえ

る範囲が、耳のいい人で、20Hz~2万Hz。


ですから、オーディオなども、この範囲で音が聞こえれば良いのですが、10万Hz

まで再生できるようにすると、同じ演奏がずいぶん違うように聞こえ、はるかに心

地よく、爽快感を与えるとか。


この現象に関し、ある研究機関の報告によると、脳波を分析した結果、人間に爽

快感と安らぎを与えるα波の増加が確認されたそうです。


と、言うことで、前にも書いたように、隣の犬の鳴き声で、神経症になっているの

で、音で何らかの効果があるなら、試してみようかと。


まあ、プラゼボ効果(プラシーボ効果)といって、病気の人に、「これ、お薬」といっ

て、無関係な薬に似たものを飲ませたら、効果があったという研究もあり、少しは

効果があるのかなと思った次第です


が、考えれば、パワースポットに行ったら元気が出たとか、おおきな木に抱きつ

いて気を貰ったとか、あるじゃありませんか。ということで、購入を・・・


確かに、澄んだ、いい音ですね。お仏壇の鈴(りん)の音を高くして、澄んだような

音で、何となく、心落ち着きます。


4096Hzは「天使界の扉を開く音」と言われているそうですが、私は、天使界より

天女界の方が良いのですが・・・この音、若干音が悪いけれど、YouTubeで聞け

ますから、興味のある方はどうぞ。


ということで、現在実験中です。


2015年5月12日 (火)

「時には母のある子のように」~詩・伊奈かっぺい

Photo

5月の第2日曜日が母の日だとかで、息子夫婦から、定番のカーネーションが、

ミサン宛てに送られてきました。


以前、寺山修司作詞、田中未知作曲、カルメン マキの歌で、「時には母のない

子のように」という歌が流行しました。


私は、父と母を亡くして2年ばかりたち、老齢
孤児の身になったわけですが、孝

行したい時に親は無しで、母の日には、墓掃除に行くぐらいで・・・


で、何となく、伊奈かっぺいさんの「時には母のある子のように」を思い出したの

で。


東北の方では有名らしいのですが、長崎では名前を知っている人も少なく、とい

っても時々はTVに出演しているのですが。


伊奈かっぺいさんは、中学校の時母親を、高校の時に父親を亡くしたそうで、仲

の良い夫婦で、母親は胃ガンから腹膜を併発、父親は腹膜から胃ガンを併発し

て亡くなったそうです。


ですから、夫婦仲が良いと、後を追うようにして亡くなる方が多く、私のところも、

母が亡くなって、一週間目に父が亡くなりましたが、この経験から、夫婦仲が悪

い方が長生きができる、と言うことで、ウチでは故意に、冷戦状態にしているわけ

でありまして・・・・ bleah


伊奈かっぺいさんは、多分、結婚した姉がいるみたいですが、とにかく、高校の

時から、一人暮らしで、高校を卒業すると、放送会社に入り、その一方ではライ

ブ活動をしていたという事です。




「時には母のある子のように」  詩★伊奈かっぺい



時には母のある子のように 黙ってないで海を見つめていたい

時には父のある子のように みんなで旅に出てみたい

母が死に五年後に 後を追うようにして父が死んだ


五月には母のある子のように 赤いカーネーションを買ってみたい

六月には父のある子のように 渋いネクタイでも買ってみたい


時には両親のある子のように

羽布団のカタログをみたり 温泉巡りのパンフレットを集めたりしてみたい

白髪を抜いてやったり 肩をたたいてやったり 腰をさすってやったり


時には母のある子のように 時には父のある子のように

やさしい孝行息子になってみたい




皆さん方も、親が生きているうちに、親孝行を・・・・






2015年5月11日 (月)

「昭和天皇実録 第一巻・第二巻」~読書中

1 Img_20150511_0002

「昭和天皇実録」が発表されていたのは、知っていたのですが、どうせ、東京で

閲覧できるくらいで、私の如く、下々の平民には読む機会は無いだろうと思って

いて、3月下旬、Amazonを覗いていたら、出版されていたので、慌てて注文。


値段を見たら、なんと、1,890円(税抜き)ですよ。しかも箱付きで、両方とも約

700頁程度、びっくりしました。多分、出版されたら、○万円はするなと思ってい

たのですが・・・・


で、Amazonからは、4月上旬到着予定だったのが、待てど暮らせど到着せず、4

月の下旬に、5月の上旬に発送するとのメール。


到着して、開けてみたら、これ、ホンマに1,890円?という本。という事で、読み

かけの本もあったので、今やっと読み始めたところです。


今回の発売が、第一巻(明治34年4月29日・昭和天皇がお生まれになったっ

日から大正2年12月)、なお、大正2年12月29日に「この日、『博物博士』にな

たいとのご希望を側近に洩らされる。○東宮殿下御言行録」となっています。

昭和天皇12歳の時ですから、今の子供よりしっかりしてますね。


第二巻が大正3年から大正9年まで。大正9年12月31日「三十一日 金曜日 

積雪につき、午後、御座所前庭に高さ八尺の雪だるまをお作りになる。○東宮

侍従記」。ここの所、普通の子供と一緒ですね。


この「昭和天皇実録」は第十八巻までと索引1冊で、全19冊になる予定ですが、

マスコミで話題になった、戦前、戦中、戦後の事はまだ先です。

入手がされにくいみたいなので、一応出版の予定を書いておきます。


平成27年9月刊~第三巻(大正10年~12年) 第四巻(大正13年~昭和2年)

平成28年3月刊~第五巻(昭和3年~6年) 第六巻(昭和7年~10年)

            第七巻(昭和11年~14年)

平成28年9月刊~第八巻(昭和15年~17年) 第九巻(昭和18年~20年)

平成29年3月刊~第十巻(昭和21年~24年) 第十一巻(昭和25年~29年)

            第十二巻(昭和30年~34年)

平成29年9月刊~第十三巻(昭和35年~39年)第十四巻(昭和40年~44)

            第十五巻(昭和45年~48年)

平成30年3月刊~第十六巻(昭和49年~53年)第十七巻(昭和54年~58)

            第十八巻(昭和59年~64年)

平成31年3月刊~索引

あくまで予定です。


書き方は次の様な感じになります。最初の所です、明治34年4月29日。

「二十九日 月曜日 東京市赤坂区青山の東宮御所内御産所において皇太子

嘉仁親王大正天皇(注:大正天皇は2行書き)の第一男子としてご誕生になる。

この日皇太妃節子貞明皇后(注:貞明皇后は2行書き)には午前より御出産の徴

候あり、午後三時四十分侍医相磯慥の拝診をお受けになり、七時頃御産所に入

られる。・・・」という書き方ですが、


大正4年12月21日「午後、芝生のコートにおいて常次官・出仕をお相手にテニ

スをされる。二十三日午後にも行われる。○東宮侍従日記」、とありますが、大

正4年でテニスをされるとは、随分早いですね。14歳の時です。今上天皇がテニ

スを好まれるのも、昭和天皇の影響でしょうか?


さて、良く言われるように、この「実録」には、行間を読む必要があり、いろいろ本

があったのですが、適当に見て保阪氏の本を。保阪氏は次の5点について、「こ

の前提を踏まえて実録を吟味していくと、そこから従来とは異なるさまざまなこと

が浮かびあがってくる。」とし、


(一) 「民」の側の刊行にみられない国家所蔵の記録文書を使っている。

(二) 史実の確定について政治的、歴史的な判断を行っている。

(三) 昭和天皇像を明確にしておき、それにもとづいて記述を進めている。

(四) 引用史料の列記が曖昧かつ不正確な面がある。

(五) さりげない記述の中に重要な史実が隠されている。


この本も、まだ全部は読んでないのですが、いずれにしても、「実録」の副読本が

必要な感じです。

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考えれば、信長、秀吉、家康、何れも時代の実力者で、天皇を廃そうと思えば、

できたはずなのですが・・・家康は「禁中並公家諸法度」の最初に「天子諸芸能之

事、第一御学問也。(天子がおさめるべきものの第一は学問である)・・・・・」と、

天皇の政への関与を縛っていています。明治維新以降、天皇が中心になって

いきますが、田原総一郎氏は「なぜこの国では天皇は一度として排除されること

なく存在しつづけたのだろうか。さまざまな野心に燃え、支配力もあり、いささか

でも危険な存在は躊躇なく取り除いた権力者たちが、なぜ例外なく天皇を存続さ

せたのだろうか、これはそれぞれの恣意的ではなく、世界に類のない日本民族

の特殊性と言えるのではないだろうか。」と書いています。


私もここのところ同じ疑問を持っていて、日本民族にとって「天皇」の存在とはな

にか、少し考えたく、「昭和天皇実録」を買っているのですが、この4冊だけでも、

むのは大変ですよ。まあ、全部買っても、4万円弱だから、内容に比べれば安

ものですが。




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